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知事記者会見録(令和6年12月20日)

※知事及び記者の発言内容については、事実誤認や単純ミスと思われる字句、重複した言葉づかい等を整理の上、発言の趣旨を損なわない程度に整理して作成しています。

令和6年12月20日(金曜日)15時00分

司会
 ただいまから知事定例記者会見を始めさせていただきます。
 知事お願いいたします。

知事
 
今年最後の会見になりますが、1年間大変お世話になりまして、ありがとうございました。
 まず、この1年の振り返りですが、お手元に1月から12月までの出来事を並べた1枚紙と、それから「令和6年の県政を振り返って」という少し分厚い資料の2種類を用意しております。
 大きく言って、今年は何と言っても、1月の能登半島で発生した地震から始まって、本県にとって3年ぶりの鳥インフルエンザと、またこれは11月にも、もう一度鳥インフルエンザはありましたが、改めて危機管理と言いますか、県民の命を守るということの重要性を再認識させていただいたというのが大きな柱であります。
 もう1つは、やはり「文化イヤー」であると同時に、「皇室イヤー」と言いますか、「『清流の国ぎふ』文化祭2024」と、それから「清流の国ぎふ総文2024」と、この2つを中心に、年間を通じて様々な文化行事がございまして、それに伴って皇室のお出ましが5回ということで、これも空前絶後ではないかと思います。そのような「文化イヤー」の合間を縫ってと言いますか、ウズベキスタン、ドイツ、それから韓国、それからフランスの「SIAL」という、世界最大規模の食品見本市、こういったところに隙間を縫っては、駆け足で行ってまいりましたが、そういう意味では大変慌ただしいと言いますか、あっという間に過ぎた1年でございました。
 この1年を振り返ってみると、この席でよく聞かれるのですが、どんな漢字を当てるかというのはまた後ほど話すとしておいて、そういう大きな柱のもとで、「令和6年の県政を振り返って」という資料を見ていただきますと、政策、アジェンダとして重要なことは一通りカバーをしたつもりでいますが、大きく3つの柱を当初から立てておりまして、「持続可能な『清流の国ぎふ』」ということで、いの一番が危機管理ということで、そのことが元日から起こったということであります。それから、担い手の問題、人手不足の問題、人材育成の問題、人への投資、それから産業への投資、グローバルアジェンダということで、 GX、DX、SDGs といったことについても、それぞれにそれぞれの部局で頑張ってもらいました。
 2番目の大きな柱が、「暮らしやすい『清流の国ぎふ』」ということで、代表的には物価対策、当面の経済対策、それから医療・福祉、それから特に少子化対策ということでございます。先般も、改めて10年ぶりに「人口問題研究会」がレポートを発表させていただきましたが、10年前と比べて、予想していたことがさらに加速して起こっていると言いますか、いろんな課題を再確認したところで、さらに少子化対策を深めていかなければならないと。特に、簡単に人口減少がなくなるということではありませんので、人口減少下における持続可能な社会の作り方と言いますか、そういうところにやはり焦点を当てて、これから臨んでいく必要があるのではないかというのが、この研究会の問題提起でありますが、それらがまた来年の政策に反映していけたらと思っているわけであります。
 3番目の大きな柱が、「魅力の向上と発信」ということで、今申し上げた「文化イヤー」を中心に、インバウンドの方は、完全に過去最高の記録をずっと更新してきておりまして、まだ最終的な年末までの数字は分かりませんが、166万(人)というコロナ直前の最高の数字を随分上回ったところで、200万(人)近くいくのではないかと、あるいは200万(人)に届くのではないかと思っております。コロナ禍の中でも、キャンペーンを続けたことの効果も多分あったのではないかと思いますし、それからこの国民文化祭の方ですが、いわゆる閉会式が終わってもまだ続けている分がございますので、こういうのをずっと今足し合わせているのですが、見ていただいたお客さんも含めて、広い意味で参加ということで言いますと、総合文化祭が10万人、国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭が280万人を超えたということで、大変盛り上がったのではないかと思っておりますし、それから新しい魅力創出ということで、山岳観光ということで、飛騨にビジターセンターを設けたり、それから木曽川中流域の広域観光ということで、様々なイベントを行ったり、これまでとまた違う魅力の開発にいろいろ取り組んできました。ということで、この資料自身がいわば今年の県政のコンメンタールみたいなものですから、皆様方にはご参考に見ていただいて、また、いろいろとご意見をお聞かせいただけたらと思っております。
 カレンダー式に言うとA3の1枚紙でありますが、特に印象に残りますのは、冒頭の1月の震災と、それから鳥インフルエンザがありますが、むしろ9月21日からの能登半島の大雨における被災地支援、これは地震に追い打ちをかけた格好で大変厳しい状況でございました。私どもの手元の数字では、1月の被災地支援では、岐阜県から1万7千人・日となっております。それから9月の追い打ち災害には岐阜県から1千8百人・日行っております。ということで積極的に能登の応援をし、また我々の我が身を振り返るということで、現在、強靱化計画の見直しを年度末までにということでやっているところです。
 それからこれにも関連するのですが、災害対策ということで様々な協定を結びました。2月に汚水の集合処理事業に関わる災害支援協定ということで、下水関係者4団体と協定を結んだり、それから5月の災害廃棄物の早期受け入れ実現ということで、住友大阪セメントと包括連携もしましたし、それから11月5日に、日本福祉用具供給協会との間で、災害時の連携協定をいたしました。こういった形で、産官挙げての様々な災害に備えた体制づくりも進んだのではないかなと思っております。
 全国で見ると、割と岐阜県がイニシアティブをとってアピールしてきましたが、農福連携でありまして、4月に岐阜県としての、「農福連携推進センター」を作りましたが、同時に秋の農業フェスティバルで農福連携についてフェアをやったり、セミナーをやったり、全国からもお出でいただいて、アピールしてまいりました。10月26、27日には、「全国農福連携マルシェinぎふ」とありますが、2年連続で岐阜でやったわけでありますが、急速に全国からの参加が盛り上がってきております。
 それから、岐阜県独自の新しい仕組みとして、「G-クレジット」を5月14日に初回の認証を行いましたが、これまで認証したものに対しては全て完売ということでございまして、取引が動き出したということで、これからも期待したいと思いますし、森林の価値に注目したという意味では、「G-クレジット」もそうでありますが、9月28日からやっておりました「ぎふ森フェス」は国民文化祭の一環でもありますが、森の魅力を様々な角度から体感していただこうということで、県内各地で体験プログラムをやらせていただきました。
 それから、人材確保ということを申し上げましたが、6月に「若者定着奨学金返還支援」を、これは岐阜に就職していただける若者が持っている奨学金の債務に対して、当該就職先の企業と県が半々で返還をするという仕組みでございまして、岐阜にゆかりの有る無しに関わらず、岐阜で働いていただける奨学金の債務を負った若い人たちに対する支援制度ということですし、それから、外国人人材の確保という意味で、「日本語学習支援センター」ということで、外国人の日本語教育のてこ入れを新たに行っております。
 また、「ぎふ木遊館」が大変評価いただいておりまして、今回の一連の流れの中では、秋篠宮妃殿下、それから高円宮妃殿下、それから天皇皇后両陛下にお出でいただきました。サテライト施設ということで、8月4日に中津川に「なかつがわ 森の木遊館」ができまして、スタートしてすぐにもう狭いと、手狭であるというほどにお子さん方が駆けつけておられるということですし、もう1つは11月16日に「ひだ木遊館 木っずテラス」ができましたが、これまで岐阜、それから中津川は平屋でありましたが、3階建てにして、1階が高山の街部分、それから2階が里山部分、3階がこの山岳部分ということで、3階建てで、子どもに高山の木や森山を体感してもらおうということで、少しコンセプトが違うのですが、これまた大変好評だと聞いております。これからさらに中濃、西濃にもこういった施設が広がっていくと思います。
 「RIE KANETO Memorial Cup 2024」、リオオリンピックで金メダルを獲られた金藤理絵さんを顕彰するということで、ご本人にもお出でいただいて、2回目でありますが、1回目から2回目と大幅に拡充されまして、これが4月の「高橋尚子杯清流ハーフマラソン2024」、これと合わせて岐阜の生んだゴールドメダリストにちなんだ行事として、さらに定着していけば良いなと思っています。
 あと、10月はほとんどが国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭の協賛行事ですが、空宙博について、10月12日にオープンしましたが、こけら落としに天皇皇后両陛下に見ていただきましたが、スペースボックスという新たな企画棟ができまして、そこで人類の新たな月への挑戦ということで大変面白い企画をやっております。それから、「国際陶磁器フェスティバル美濃’24」は、10月18日から1か月間やりましたが、10万人がお出でになりまして、これも非常に盛況でございました。それから、下呂の「四美の森」でやりました「南飛騨 Art Discovery」、これは結構全国からも注目を浴びまして、1万1千人のお客さんが、下呂の山を歩きながらアートを楽しまれたということで、これはおそらく3年に1回ぐらいのトリエンナーレ的なことで続けたいということが地元の意向でございますので、さらにどう充実させていくかまた検討したいと思っております。
 それから、10月26日は、日本ラインについて、今回初めて、ライン下りの本番ではないのですが、仮設の埠頭を作りまして、川下りを試験的に再開してみたということで、これから日本ラインの復活に向けて、様々な努力が進んでいくのではないかと思っています。そのようなことで、今年一年の様々な出来事でございました。
 
 それから、12月に記載があるトイレトラックの整備でございますが、これがもう1つの資料でございまして、大規模災害が発生した時に、避難所に衛生的なトイレ環境を確保するということは大変重要なことでありまして、それで本日から、トイレトラック1台をまず配備するということになりました。
 後でまた見ていただけると思いますが、実際に、能登で起こりましたことは、まず断水によって水洗トイレが使えなくなると、それから衛生環境が悪化するものですから、トイレを我慢することが非常に多くありまして、それで体調を崩されてしまうということで、大問題になったということで、トイレトラックは自走式でございますので、各地の避難所に配備することが可能ですし、動いていけるということであります。今回のトイレトラックの仕様は、3tトラックの荷台部分に水洗トイレが4室、多機能トイレが1室で、給水タンク、汚水タンク、太陽光発電を備えておりまして、断水、停電時も水洗手洗いが可能であると。それで1回給水すれば、千回ほど利用できるということでございます。県内で発生した時には、市町村のご希望を聞いて設置場所を決めていこうということでございます。それで、これは一般社団法人助けあいジャパンと協定を結びまして、「災害派遣トイレネットワークプロジェクト」に岐阜県が参加するということで、これによって他の自治体が持っているトイレトレーラーも、いざという時には支援を受けられますし、逆に他の自治体が他県で何かあった時には、本県のトイレトラックも活用していただくということで、現在23の自治体が参加しておりますが、県単位の参加は群馬県に次いで、岐阜県が2例目でございます。平時は、各務原の川島にあります県の広域防災センターに配備しまして、様々な防災イベントで、これを展示して、普及啓発に努めていきたいということでございます。この記者会見終了時から4時半までの間に、県庁入口の玄関のところで展示しておりますので、是非ご覧いただければと思っています。
 それから同じく、避難所の衛生環境対策として、今年度循環式の携行型シャワーキット5台を導入予定としておりますので、それも併せてお知らせ申し上げる次第です。以上が、トイレトラックについてでございます。

 最後に、今年の文字をいつも聞かれますので、改めて考えてみましたが、過去を振り返ってみますと、4年前の2020年12月のこの場では、私は「命」いう字を書いています。ちょうどコロナの真っ只中でありますので、やはり命を守り抜くということで書かせていただきました。そして、3年前は、このコロナの厳しさに耐え抜いた、耐え抜きつつあるんだと、間違いなく前に進んでいるんだという思いで、「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がありますが、その勁草の「勁」の字を書かせていただきました。それから2年前は、「オール岐阜」でコロナを乗り越えつつあるということについての感謝の気持ちを込めて、それから庁舎の前の公園に「結(ゆい)のもり」という名前を付けましたので、まさに助け合い、感謝という意味で結ぶ、「結」という字を書かせていただきました。昨年はご記憶と思いますが、コロナが5類への移行によって様々な活動が再開されたと、あるいはアフターコロナに向けて、新しい様々な活動が展開される、開始される、新庁舎も開庁したということで、「開」くという字を書かせていただきました。今年は、あまり驚くものではないですが、これ(「共」)です。先般の国民文化祭で、「ともに・つなぐ・未来へ」ということで、「ともに」ということを強調させていただきましたが、「清流の国ぎふ憲章」、これも「知・創・伝」とありますが、それに「共」、「ともに」という字を加えて、今ロビーに挾土秀平さんの作品が置いてありますが、まさに共に歩んだ一年であったということで、この字にさせていただきました。それから、この「ともに」という言葉は、私どもかねがね言っております「オール岐阜」というスピリットにも相通ずるということで、こういう文字にさせていただいたということです。
 大方の人の予想が当たったのではないかと思いますが、そのようなことで、私の方からは以上でございます。

記者
 
冒頭お話のありました、人口問題研究会の中間報告についてお聞きします。女性の県外流出に着目した中間報告ということで、職業上の理由で岐阜を離れる方が多いということから、女性が魅力的に思える働く場の創出や産業構造の問題が指摘されていました。
 古田知事のお考えとしては、このような問題に対してどのようにアプローチしていくと良いかお考えをお聞かせください。

知事
 
岐阜県は多分全国的に見ますと、管理職とかリーダーとか、そういう面でまだまだ女性の出番が少ない状況でありまして、これは10年前の人口問題を議論した時からもずっと申し上げておりますが、私どもとしては「先ず隗より始めよ」ということで県庁自身が女性にとって魅力的な職場になり、女性が活躍をしていただけるような場になることを、まず身を持ってということでやってまいりまして、当初、女性の管理職が5%台でございましたが、今やほぼ20%弱のところまできておりまして、これも一朝一夕に行えるものではありませんので、採用から始まって、若い時代からいろんな場面で活躍をし、汗をかいてもらって、その蓄積の上に人の上に立ってリーダーになっていくというプロセスを丁寧にやってきているわけでありますが、そういったことを経済界の皆さんと、しばしばお話をしながら、女性の活躍を積極的に促すような取組みをそれぞれの職場で考えていただきたいというキャンペーンをずっとやってきたところであります。

記者
 
昨日の県議会の閉会の挨拶で、5期20年を振り返られながら、最後は「清流よ永遠なれ」という言葉で締めくくられたと思うのですが、古田知事を象徴する言葉と言いますか、とても印象的な言葉だなと思ったのですが、この言葉に込めた思いをお聞かせください。

知事
 
私も就任当初、いろんなことをやっていく上で、多くの方々からしばしば「岐阜には魅力が何もないんですよ。」という人が非常に多かったり、それから、「高山が岐阜県にあるのか、どこにあるのか、長野県か富山県か。」という方が県外にも非常に多いという、岐阜県のアピールの仕方が、まだまだこれからだなということを痛感したのと、それから逆に、県内周ってみますと、魅力満載なんですよ。非常に変化に富んだ多様な地域なものですから、3000mから海抜0mまでですし、涌井先生(涌井 史郎 岐阜県立森林文化アカデミー学長)流に言えば、「引き出しの多い、地域ごとに異なる引き出しがあり、一つひとつが魅力的である。」というのは、彼がよく言われることですが、あまりにも魅力が多いものですから、岐阜って何だ、ということを分かりやすく一言で言い表すというのはとても難しくて、最初の頃、私自身は「海以外のものは何でもあります。」ということを言っていたのですが、それではとてもパワーが足りないと。「日本のまん真ん中にあります。」と少しパワーアップしましたが、「まん真ん中に何があるの。」ということで、あれこれ考えていく中で辿り着いたのが、「清流の国」という、山間部も平野部も、過去・現在・未来にわたっても時系列的にも、「清流の恵み」で岐阜県は魅力が成り立っており、繋がっており、一つの一体感を持って我らが岐阜をアピールしていけるのではないかと感じる中で、世界農業遺産も「清流長良川の鮎」ということで、清流をテーマに説明をしましたし、それから上海万博でも「清流の国から」ということでやってみましたし、また県内でも「豊かな海づくり大会」を海なし県で初めてやりまして、清流があるからこそ豊かな海があるんだということもアピールしました。ということで、最終的に「ぎふ清流国体・ぎふ清流大会」ということで一貫した取組みをやってきて、そこで「清流の国」というのを、県民の皆さんも含めて、良いのではないかということで、実は、特許庁に商標登録もしてありますので、「清流の国」というのは、岐阜県の商標として認められております、ということでこれまでいろいろなキャンペーンをやってきました。
 このキャンペーンについて、このワードについて特に何か問題があるとか、もっと良い言葉があるということがあれば、いかなる意見でもどうぞということで言ってきたのですが、今までのところむしろ清流って何か清い流れというのは非常に心躍る、誇らしい言葉であるので、これでいこうではないかというのが大方の意見なものですから、そういういろいろなプロセスのことを思い浮かべながら、私が大事にしてきた言葉ですね。それから「麒麟がくる」という大河ドラマで、斎藤道三が一言「岐阜には海がない。だから織田と組むんだ。」と言って、濃姫を織田信長のもとに出すシーンがありましたが、実際、斎藤道三がそう言ったかどうかは別にして、脚本家がお書きになったとしても「岐阜には海がない。だから織田と組むんだ。」というのは、実感として非常によく分かる表現だなと思ったりしたこともあります。
 いずれにしても、そのような様々な経緯を経て、今日に至ったものですから、最後に岐阜の清流そのものが清流であり続けるよう、それから清流の恵みを大切に、岐阜県民の皆さん、誇りと希望を持って前に進んでいけるようにと、そういう様々な思いを込めて、申し上げた次第です。

記者
 
河合副知事の件について、昨日、知事にとっての最後の県議会終了後、(河合副知事から)辞職届を出されたというような情報がありました。コロナ禍をはじめ、非常に厳しい7年間を支えてきた副知事ですが、辞職届を受理されたのかどうかも含め、経緯について、あるいはご所感についてお尋ねします。

知事
 
河合副知事は、この12月で(任期が)7年になりまして、比較的最近ですが、この7年を区切りにしたいというお話を聞いておりました。私としては、任期はまだあるので、何とかということで慰留しましたが、河合副知事からは、ひとつ区切りと、とはいえ議会もあるため、議会をきちんと終えてということで、また、届出は退職する20日前までに出さなければならないため、20日間、間を空けなければならない、つまり今日明日辞めることはできない、議会が終わったところで、その後、年が変わりますと予算編成などありますので、ある程度のところまでは見届けてということで、昨日、散々慰留しましたが、本人としては、1月17日をもって退職をしたいと届出の提出がありました。届出のため、受け取らないというのは、法的にはできないので、かなり慰留しましたが、結果として提出されましたので、受け取った次第です。1月17日をもって退職になるということです。これまで、おっしゃるように、コロナをはじめ、様々な難問難題に立ち向かっていただきましたので、私としても大変感謝をしております。過去に副知事を務めてきた方で、7年超えた人は河合副知事を含めて3人ということで非常に長く、最長に近いところまで務めていただきました。それだけ長期間、緊張感の中でご苦労をおかけしたわけですから、感謝の念でいっぱいであります。残る1か月ほどありますので、しっかりタッグを組んで仕事をしていきたいと思っております。

記者
 
河合副知事に関連する質問ですが、出されたのは辞職届となりますか。言葉の使い方なのですが。

知事
 
正確に言いますと、退職届です。「一身上の都合により1月17日をもって退職することをここにお届けいたします。」というくだりです。

記者
 
退職届の中で、「一身上の都合により」ということですが、もう少し理由について、あれば教えてください。

知事
 
ご自身の色々な状況もあろうかと思いますが、7年をひとつの区切りにしたい、ということと、区切りのところで年末の議会をきっちりとやり終えたところで、決断をさせてもらいたいと、こういうことでした。

記者
 
昨日の議会の質問の続きですが、「清流よ永遠なれ」という言葉を残されて、議会の皆様にはご挨拶されたということですが、20年間の歩みを振り返られて、県民の皆様との触れ合いの中で思い出に残っている行事、場面など、頭に描かれるものがありましたら教えてください。

知事
 
20年というのは、終わってみればあっという間のような気もしますが、一つひとつ何があって何をしてきたかと振り返りますと、非常にたくさんあって、何かひとつ特別思い出をというのは、難しいところでありますし、また県議会の答弁も9月議会で振り返りについて、自民党、県民クラブから(質問が)ありましたので、自民党の答弁については、コンセプトを整理して申し上げましたし、それから県民クラブに対する答弁としては、1期目から5期目までをクロノロジーとして答弁しましたし、今回は広報戦略とか観光戦略とか少し角度を変えて、振り返りのご質問がありました。あるいは「清流の国」というコンセプトに至った経緯などそれぞれありましたので、私自身としては答弁一つひとつ、その質問者だけではなしに、県民の皆さんに、これまでのお礼を申し上げる、これまでの思いを申し上げる、ということで、答弁させていただきましたので、それらの全てがある意味では、私の思いでもありますが、また1月にも会見がありますし、それから最終的に退任する時にもまた会見もあろうかと思いますので、改めて直接、県民の皆さんへの感謝の思いについては、そのタイミングでまたお話をさせていただくと思います。

記者
 
「清流よ永遠なれ」という言葉がありましたが、「清流の国ぎふ」というのは、議会で聞いていても、「非常に清流というものはいいフレーズだから引き継いでほしい。」という声が結構ありまして、次にどなたが知事になるか分かりませんが、知事としても引き継いでほしいという思いはありますでしょうか。

知事
 
それぞれのリーダーにそれぞれのお考えもあるでしょうから、特に私の方からこうしてほしいということは申し上げませんが、県民の思いとか、議会の議論とか、様々な議論を見ていただければ良いのではないかと思います。

記者
 
鳥インフルエンザの件ですが、今回11月の方は移動式の焼却炉を使われたと思いますが、その経緯で地下水が高くて埋設が難しいので、一般の焼却場にもお願いしたが、なかなか協力してくれるところがなかったということですが、移動式焼却炉がすぐ来る分には良かったと思うのですが、例えば埋却が難しいとなった時に、一般の焼却場が使えるように、何か今後、例えば自治体の間で何か連携していくとか、そういったお考えはありますでしょう。

知事
 
そういう意味では課題が3つあると思います。
 そこに埋却をするということについて、本当に埋却にふさわしい場所かどうかということの再点検が必要だと思います。すべての鶏舎について、土地が空いているからここを掘れば良いだろう、ということではなしに、今回ちょうど反省材料と思いますが、「実際に掘って水が出ました、さぁ大変。」というのでは、いざという時にとてももちませんので、そこは再点検する必要があると思っておりますし、仮にそれでも地下の水の流れがいろいろ変わって、想定外のことも起こるわけですから、そういった時に「二の矢」はどうするのかということも、当該養鶏事業者もそうですが、地域としても議論しておかないと収集がつかなくなるようなことがあるといけませんので、その議論も必要であると思いますし、それから移動式のものが今回はすぐ対応できたのでよかったのですが、移動式のものについて日頃からどのように目配りをしておくか、いざという時の「三の矢」をどこまで調達できるようにしておくかという、その3つをあわせて再検討する必要があると思っています。

記者
 
河合副知事の退職の件で、後任の選定はどういった流れになるのでしょうか。

知事
 
これは議会の同意が要りますので、暫時空席の状態でいかざるをえないと思います。次の議会の開会日は未定ですが、後任そのものをどうするかというのは、私の後任の知事に考えていただくことになるのではないかと思いますし、それから河合副知事がやっている仕事、例えば副知事でなければならないという仕事もありますので、そういったものをどうするか、大森副知事に兼任をかけるか、それとも副知事不在のままで、しばらく空席ということで対応できるのか。この辺りをこれから精査しなければいけないと思っています。

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