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令和5年度芥見町屋遺跡の調査成果を紹介します
芥見町屋遺跡発掘調査成果の概要
今年度の芥見町屋遺跡の発掘調査は5月から12月まで行い、縄文時代晩期の土器棺墓(どきかんぼ)や弥生時代後期から古墳時代初め及び奈良時代から平安時代の竪穴建物群、一昨年度検出した近世の郡上街道の続きなどを確認しました。今回の調査成果の概要について以下に紹介します。
発掘区全景写真(南から)
弥生時代後期から古墳時代初めの様相
一昨年度の調査(6地点の北側)では、竪穴建物が21軒見つかっており、今年度はこれに隣接する6地点で48軒、7地点で4軒確認しました。そのなかには、床面中央に川原石を備えた炉をもつものも認められました。竪穴建物の分布状況から、弥生時代後期から古墳時代初めの居住域は、6地点とその北側周辺に広がっていたと考えられます。
中央に炉石を備えた弥生時代後期の竪穴建物(南から)
奈良時代から平安時代の様相
6・7・8地点において、古代の大溝を検出しました。底面付近からは多量の須恵器を中心とした遺物が出土しており、摩耗していないことや竪穴建物に隣接する範囲から出土することから、人為的に投棄された可能性が高いと考えられます。これらの遺物の中には円面硯(えんめんけん)や風字硯(ふうじけん)、土馬(どば)など、一般的な集落では出土しないものが含まれており注目されます。
6・7・8地点の古代大溝(南から)
古代大溝などから出土した須恵器の硯
古代大溝の底面付近から出土した土馬
近世の郡上街道
5地点と8地点に挟まれる市道芥見岩田線は、白山信仰の参詣道として知られる近世の郡上街道のルートと推定されています。今回の調査では、当時の街道が6・7地点では市道と並行し、8地点から南北方向に近い向きとなり、南部で西に向かって屈曲していたことが明らかになりました。
8地点で検出した郡上街道(南から)と市道芥見岩田線(左上)
まとめ
3年間の調査をとおして、弥生時代から近世まで断続的に土地利用が行われていた状況が明らかとなってきました。今後、調査を進める中で随時成果を紹介していきます。