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インターネット展示室3「見せます古墳の出土品」_Fゾーン
Fゾーン:古墳時代終末期【古墳の終焉と火葬墓の出現】
概要
7世紀後半以降、古墳はさらに小型化し、数も減少します。美濃地域では8世紀初頭を最後に新たな築造は認められません。一方、この頃から砂行(すぎょう)遺跡(関市)や深橋前(ふかばしまえ)遺跡(関市)では火葬墓が出現します。火葬墓の一つからは、かこが出土しており、律令官人層の墓と考えられます。律令国家への転換が、古墳文化を終焉へと導いていきました。
紹介する古墳(パネル)
船山北古墳群(ふなやまきたこふんぐん)(PDF:258KB)
深橋前2号土坑墓(ふかばしまえ2ごうどこうぼ)(PDF:249KB)
砂行2号古墳(すぎょう2ごうこふん)・砂行火葬墓(すぎょうかそうぼ)(PDF:285KB)
深橋前小石室(ふかばしまえしょうせきしつ)・深橋前火葬墓群(ふかばしまえかそうぼぐん)(PDF:313KB)
遺物の紹介その1
深橋前2号土坑墓では、須恵器の甕と鉢を重ね合わせて、遺体を葬る棺として用いたと考えられます。甕のその大きさから幼児埋葬の可能性があります。甕、鉢ともに関美濃産で、丸く摘みだす口縁、胴部の縄目状のタタキ目が特徴です。
深橋前2号土坑墓出土の須恵器(左が鉢、右が甕)
深橋前2号土坑墓の須恵器(鉢と甕)出土状況
遺物の紹介その2
提瓶(ていへい)は、もともと水筒や壺のような役割の土器です。しかし、砂行火葬墓から出土した提瓶は、焼成後に意図的に胴部に穴をあけています。それは、蔵骨器として利用するために、「壺」としての機能をあえて損なったと推測されます。蓋には坏蓋が用られ、提瓶の口径より大きいことから、転用されたものと考えられます。
砂行火葬墓出土の提瓶