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第53集熊谷守一1(その1)
岐阜県歴史資料館 所在史料目録
第53集 熊谷守一文書目録
第一部史料目録
1 書簡類その1(明治32年~昭和15年)
年月日 | タイトル/内容 | 作成 | 備考 | 文書番号 |
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明治32年1月17日 | 来月の学費金15円の件 | 熊谷孫六郎 | 1-1 | |
明治32年3月31日 | 妹(すみ子)女学校のため、上京の件/神田辺りに借家して、守一とすみ子、同居してもよい | 熊谷孫六郎 | 1-2 | |
明治33年7月31日 | 入学の際の保証人について/牧野彦太郎殿か、拙者、鋭雄のいずれでもよい | 熊谷孫六郎 | 1-3 | |
明治34年6月11日 | 旅行の用具費金35円送金、受け取ったら返事を/(1)また、旅先に30円を送付するため、3,4日前に連絡するように (2)もし、旅先への送金が都合悪ければ連絡をするように | 熊谷孫六郎 | 1-4 | |
明治35年1月19日 | 熊谷孫六郎 | 中身欠 | 1-5 | |
明治34年~35年6月1日 | 留守中に訪問に付、伝言/(1)沼津、箱根に立ち寄り、帰京 (2)6月下旬まで在京の予定 | 斎藤豊作、坂谷 | 岐阜市西野町にて留守宅にメモ | 1-6 |
明治35年6月7日 | 旅行出立につき、費用及び日程の件 | 熊谷孫六郎 | 1-7 | |
明治33年~35年6月8日 | 孫六郎、病気回復/(1)守一帰岐の予定を、すみ子の都合により延期してほしい (2)送金の件 | 熊谷孫六郎 | 封筒欠 | 1-8 |
明治35年6月9日 | 美術学校より通知の件/旅行不在中の納金の件 | 熊谷孫六郎 | 1-9 | |
明治33年~35年6月11日 | 金15円送金の件/守一帰岐の件 | 熊谷孫六郎 | 封筒欠 | 1-10 |
明治35年7月18日 | モーセンゴケなど、送付の御礼/田舎より東京へ帰ったこと | 斎藤豊作 | 絵葉書:ピサロの絵 | 1-11 |
明治33年~35.夏 | 武蔵野(故郷)での生活の様子/写真送付の件 | 斎藤豊作 | 封筒欠 | 1-12 |
明治35年9月15日 | 守一の父(孫六郎)死亡の御見舞/守一旅行中の経緯について | 斎藤豊作 | 1-13 | |
明治36年7月21日 | 今月初旬に入谷の下宿に絵の具を取りに行った/(1)僕は転科許可になった (2)試験は百点が10人、落第者はなし | 柳敬助 | 入谷の下宿 | 1-14 |
明治36年7月31日 | 上京の折、訪ねたが帰郷中/(1)8月2日に森岡来訪の予定 (2)9月には傑作を拝見したい (3)橋本は卒業、柳は専科3年に | 秀 | 橋本邦助36年卒業 | 1-15 |
明治37年7月14日 | 箱根山木屋にての近状/「ガランス君」「亀さん」と過ごす | 斎藤豊作 | 1-16 | |
明治38年1月1日 | 新年を迎え、テニスの毎日 | 斎藤豊作 | 1-17 | |
明治38年2月14日 | 召集、入隊の連絡/2月15日に騎兵第15連隊に | 橋本邦助 | 1-18 | |
明治38年3月5日 | 入隊後の近状/(1)広島から帰京 (2)関屋外諸兄によろしく | 橋本邦助 | 1-19 | |
明治38年7月13日 | 7月12日箱根着/ボート、水泳の日課に | 斎藤豊作 | 1-20 | |
明治38年7月23日 | 6月15日パリ着/パリにての雑感 | 山下新太郎 | 1-21 | |
明治38年8月25日 | 樺太での生活など問い合わせ/パリの山下の近況 | 斎藤豊作 | 1-22 | |
明治38年9月13日 | パリでの近況/木炭画を始める | 山下新太郎 | 樺太民政署水産部へ回送 | 1-23 |
明治38年12月20日 | 12月4日シンガポール着 | (差出人不明) | 絵葉書:kampong boyan | 1-24 |
明治38年..30 | 小生、帰郷後脚気再発、無聊をもてあます/関屋丸の君にあったらよろしく伝えてほしい | 村上為俊 | 1-25 | |
明治39年1月26日 | 年賀/正月には藤山(本家)に年賀の挨拶に | 加地かずへ | 1-26 | |
明治39年5月14日 | ベレー帽送付の件/(1)三味線は如何 (2)守一、関屋の写真を送れ | 斎藤豊作、山下新太郎 | 宛名:「関谷敬次」も併記 | 1-27 |
明治39年5月15日 | 樺太は如何/先日フォンテンブローへ行った | 斎藤豊作 | 絵葉書:フォンテンブロー | 1-28 |
明治39年5月29日 | 画学生のパリ生活について/(1)藤島、山下外の近状 (2)絵描き用の微章付帽子を送付 | 斎藤豊作 | 文末には「関谷(関屋)兄」とあり | 1-29 |
明治39年7月19日 | (絵葉書:文面なし) | 斎藤豊作 | 絵葉書:Fontainebleau | 1-30 |
明治39年8月6日 | 7月6日Sur la Plage着/(1)毎日、泳ぎの稽古を (2)近日中に山下も来る予定 | 斎藤豊作 | 絵葉書:Sur la Plage | 1-31 |
明治39年8月16日 | パリやソンムでの生活/(1)日本からの手紙が楽しみ、関屋から来ない (2)山下もソンムに来たが、直ぐパリに帰った | 斎藤豊作 | 封筒欠 | 1-32 |
明治39年8月24日 | 7月22日にcrotoyに遠足 | 斎藤豊作 | 絵葉書:crotoyの風景 | 1-33 |
明治39年8月28日 | 海岸で1週間ばかり過ごす/斎藤はまだ海岸に | 山下新太郎 | 絵葉書:Cayeux la Plage | 1-34 |
明治39年9月17日 | 当地の景色を描く/樺太行きは如何であったか | 斎藤豊作 | 絵葉書:Cise | 1-35 |
明治39年9月18日 | 斎藤豊作 | 中身欠 | 1-36 | |
明治39年10月15日 | パリにての近況(すっかり秋景色に)/(1)送った帽子は落手したか (2)近所に住む斎藤の近況 | 山下新太郎 | 絵葉書:roll画 | 1-37 |
明治39年10月25日 | 斎藤と君の話をする/手紙を待つ | 山下新太郎 | 絵葉書:シャルダン画 | 1-38 |
明治39年10月 | パリにての近況(相変わらずコツコツと)/(1)田舎に行った斎藤は1~2週間で帰る予定 (2)関屋の居所をいずれか | 山下新太郎 | 絵葉書 | 1-39 |
明治39年11月26日 | 守一帰京後の樺太近況/守一の俸給・旅費の扱い | 林 誠吉 | 樺太は38~40年まで軍政 | 1-40 |
明治39年12月8日 | 樺太からの絵葉書落手/今は、上野の画室にいることと拝察 | 山下新太郎 | 絵葉書:シャルダン画 | 1-41 |
明治39年12月18日 | 中村 隆 | 文面欠 | 1-42 | |
明治40年2月1日 | 年賀 | 斎藤豊作 | 絵葉書:モネ画 | 1-43 |
明治40年2月11日 | 年賀/12月26日パリ着、近況 | 斎藤豊作、山下新太郎 | 封筒欠 | 1-44 |
明治40年2月22日 | パリ生活の近況/斎藤も元気にて | 山下新太郎 | 絵葉書:Grand Palais des Champs | 1-45 |
明治40年2月27日 | 今年の越年で謡と碁を | 林 誠吉 | 絵葉書:記念橋写真 | 1-46 |
明治40年4月 | 春を迎えたパリにて/(1)斎藤はこの夏ロンドンの田舎暮らしを予定 (2)関屋によろしく | 山下新太郎 | 絵葉書:ミレー画 | 1-47 |
明治40年7月6日 | 手紙の御礼/守一の顔に似ている肖像画を送る | 山下新太郎 | 絵葉書 | 1-48 |
明治40年7月7日 | 非公開 | 1-49 | ||
明治40年7月21日 | ロンドンへの途中、ルアンに一宿 | 斎藤豊作 | 絵葉書:ルアン | 1-50 |
明治40年8月15日 | ウェールズでの近況/先日、遠足に | 斎藤豊作 | 絵葉書:kissaing in wales | 1-51 |
明治40年8月15日 | ドルゲリーの景色について | 斎藤豊作 | 絵葉書:Barmouth | 1-52 |
明治40年8月18日 | ドルゲリー探勝の旅 | 斎藤豊作 | 絵葉書:Barmouth | 1-53 |
明治40年8月18日 | 守一の似顔絵 | 林 誠吉 | 1-54 | |
明治40年8月18日 | 杉山秀雄(元同僚)の似顔絵 | 林 誠吉 | 1-55 | |
明治40年 | 樺太庁の冬/遊猟と鰈突き | 林 誠吉 | 封筒欠 | 1-56 |
明治40年.冬 | 当地産のハエ取り草を紹介 | 斎藤豊作 | (1)絵葉書:賛美歌の譜面 (2)封書にて郵送、封筒欠 | 1-57 |
明治41年1月15日 | 年賀/守一の似顔絵 | 杉山秀雄 | 1-58 | |
明治41年1月28日 | 腰弁をやめ、金を貯めるに至る/(1)年賀への返礼 (2)腰弁をやめ、実業学校へ入学 | 林 誠吉 | 1-59 | |
明治41年6月12日 | ルアンにて1週間ばかり滞在/ゴチック建築に驚く | 山下新太郎 | 絵葉書:L'Eglise Saint-Maclou | 1-60 |
明治41年8月19日 | フランスでの3人の田舎暮らし/(1)宿の庭にて児島が移した写真 (2)関屋からの手紙が来ない | 斎藤豊作、山下新太郎、児島虎次郎 | 絵葉書:宿の庭にて | 1-61 |
明治41年10月25日 | 秋のサロンに出陳する絵を作成/斎藤は相変わらずまめにて | 山下新太郎 | 絵葉書:ルクセンブルグ公園の絵 | 1-62 |
明治42年3月31日 | 守一の手紙、本日着/(1)山下:夏までパリ、ベルギーとオランダを見物し、秋にはイタリアへ、来年は帰国の予定 (2)斎藤:マンシュの荒海で泳ぐ予定 | 斎藤豊作、山下新太郎 | 封筒欠 | 1-63 |
明治39年~42年5月29日 | 模写を送付した/斎藤も風景画をサロンに出品した | 山下新太郎 | (1)絵葉書:ロダン (2)封書にて郵送、封筒欠 | 1-64 |
明治42年6月28日 | 斎藤の肖像画写真/ロシアのアンナ・バグニッカによる肖像 | 斎藤豊作 | 絵葉書:斎藤肖像画の写真 | 1-65 |
明治42年6月28日 | 当地に滞在 | 斎藤豊作 | 絵葉書:スペインフィニステレ岬 | 1-66 |
明治42年7月10日 | 宿の前の青海で泳ぐ/(1)仲間の近況(柳は米国から、南は英国から、太田はベルギーから、和田は日本から) (2)写真を始めた | 斎藤豊作 | 絵葉書:林檎畑にて(斎藤撮影) | 1-67 |
明治42年7月19日 | 来年5,6月頃に帰朝の予定/(1)仲間の近況(米国から来た柳は英国経由で帰朝の予定、斎藤はブルターニュへ、和田三造来着) (2)高村光太郎に守一を紹介した | 山下新太郎 | 1-68 | |
明治42年9月9日 | 写生と海水浴の毎日/(1)和田がパリから来着 (2)山下は北欧周遊に | 斎藤豊作 | 絵葉書:海水浴の写真 | 1-69 |
明治42年9月9日 | イタリアへ行く途中にて、当地に滞在 | 山下新太郎 | 絵葉書:スイス レマン湖 | 1-70 |
明治42年9月15日 | 自画像の制作中 | 斎藤豊作 | 絵葉書:制作中の斎藤の写真 | 1-71 |
明治42年10月10日 | 近村を自転車で尋ねる毎日/仲間の近状(和田はパリへ帰る、山下はイタリアのベニスへ、児島はベルギーのガンの太田の所に) | 斎藤豊作 | 絵葉書:制作中の斎藤の写真 | 1-72 |
明治43年1月8日 | 父が中風のため、急ぎ帰国/岡のいた家は貸すなり売るなりして | 柳 敬助 | 1-73 | |
明治43年4月6日 | 老父不帰に付弔詞有難く拝承/一両日中に上京し、御礼の予定 | 柳 敬助 | 1-74 | |
明治43年4月12日 | 非公開 | 1-75 | ||
明治43年4月20日 | 出発の予定(27日新橋発)連絡/(1)写真の御礼 (2)柳は未だ上京せず | 橋本邦助 | 1-76 | |
明治43年5月16日 | 本日、当地出航し、帰国の途に着く/神戸着は、6月1日 | 山下新太郎 | 絵葉書:マルセイユの風景 | 1-77 |
明治43年7月25日 | 熊谷について、3人で語り合ったこと | 斎藤豊作、児島虎次郎、喜次郎 | 絵葉書 | 1-78 |
明治43年8月1日 | 3人でのロッテルダムの旅/斎藤と児島と異性1人 | 斎藤豊作、児島虎次郎 | 絵葉書:Volendam | 1-79 |
明治43年8月8日 | 和田三造の所にて/(1)児島と同居している(橋本邦助) (2)オランダの帰りに和田の所へ来た(斎藤豊作) | 和田三造、橋本邦助、斎藤豊作 | 絵葉書:ラファエル画 | 1-80 |
明治43年8月15日 | 28日京城に着/照子は岐阜に預けてきた | 石原すみ子 | (1)絵葉書:平壌七星門の写真 (2)「兄上」とあり | 1-81 |
明治43年9月21日 | 額縁が来たので、絵をお願いしたい | 柳 敬助 | 1-82 | |
明治43年11月6日 | 御母堂、御愁傷/東京を飛び出して、赤城山にて6日ほど過ごす | 柳 敬助 | 1-83 | |
明治43年12月17日 | 寒くて、ぶらぶらして送る毎日 | 橋本邦助 | 絵葉書 | 1-84 |
明治40年~43 | 文部省の展覧会には是非大作を/レンブラントの絵を見て、きみの自画像を思い出した | 山下新太郎 | (1)絵葉書 (2)封書にて郵送、封筒欠 | 1-85 |
明治44年11月22日 | 病院を出て、関西から信州路を旅する/また、来月初めに上京の予定、兄も久しぶりに上京し近頃の思いを御示教願う | 林 誠吉 | 1-86 | |
明治43年~44年12月5日 | 猫を相手に無聊をかこつ毎日/(1)どうだい、山下の昨今は (2)写真機の次は飛行機でも勘考しては | 斎藤豊作 | (1)封筒欠 (2)山下帰国後の手紙か | 1-87 |
明治44年12月28日 | 先日は来訪の折、不在にて失礼/30日に来訪を乞う | 柳 敬助 | 1-88 | |
明治45年1月20日 | 年賀/(1)4月頃帰京の予定 (2)東京の住所を報せてくれ | 斎藤豊作 | 絵葉書:ノートルダム | 1-89 |
明治45年1月21日 | 昨夜は誠に失礼/23日、永嶋氏が会いたい由 | 柳 敬助 | 1-90 | |
明治45年2月2日 | 油絵小品・肖像画紹介規定/婦人之友社 買物部申込書 | 婦人之友社 柳 八重 | 1-91 | |
明治45年2月17日 | 時候伺い/(1)子ども3人とにぎにぎしく暮らし居り (2)六郎よりは月に1度くらいしか便りなく | 石原すみ子 | 1-92 | |
明治45年5月8日 | 付知を訪ねて/(1)帰りは諏訪湖に (2)山下の消息 | 斎藤豊作 | 1-93 | |
明治45年6月20日 | 絵を描けるなら見せてくれ/(1)山中の木や花を友としてどんなに気が伸びるだろうか (2)こちらでは、征服の力か超越の勇気が要求される | 柳 敬助 | 1-94 | |
大正1年8月6日 | 新太郎のところで世話になっている(斎藤)/盛夏を山中にて過ごしていることと存じ上げ候(山下) | 斎藤豊作、山下新太郎 | 絵葉書:箱根神社 | 1-95 |
大正3年1月6日 | 冬ごもりしている君は、絵ができたか/(1)年賀 (2)自然の本当の感動があったなら絵はできるはず | 斎藤豊作 | 1-96 | |
大正3年1月13日 | 雪景色は面白いだろう、絵はできたか/当地に来て時々写生に出掛ける | 斎藤豊作 | 絵葉書:川奈港 | 1-97 |
大正3年3月9日 | 山中の生活を訪ねたいが、都合がつかない/(1)斎藤や山下と君の噂をしている (2)今夜から奈良へ出掛けるが、21日には兵隊の点呼がある (3)初めて講師となる | 柳 敬助 | 1-98 | |
大正4年1月24日 | 絵はやらないか、江戸見物の気はないか/(1)結婚した、2~3ヶ月滞在の予定 (2)山下は熱海に行った | 斎藤豊作 | 速見郡柴石は現別府市 | 1-99 |
大正4年5月25日 | 早く上京せよ/(1)石川が神戸からの帰途、君を引き出してくると言っていた (2)和田も帰ってきた、柳は台湾に行っている (3)入院したが、近々全快 | 斎藤豊作 | 1-100 | |
大正4年7月26日 | 22日東京出発、富士山に登る | 石川□□、かつ子 | 絵葉書:浅間神社 | 1-101 |
大正4年8月3日 | 10日ほど前より当地にて避暑/(1)暇があれば御来遊されたし (2)東京宅は麻布区本村町に転居 | 林 誠吉 | 風景と顔の絵あり | 1-102 |
大正4年8月8日 | 当地にて物産共進会開催の案内/六郎君の将来に付、御指導を乞う | 石原留吉 | 絵葉書:物産共進会か | 1-103 |
大正4年11月10日 | 陛下即位の記念絵葉書にて祝意を表す | 熊谷鋭太郎 | (1)絵葉書:大禮紀年 (2)「伯父様」とあり | 1-104 |
大正4年.17 | 明日18日、遊びに来ませんか/入谷町の連中が来ることになっている | 柳 敬助 | 1-105 | |
大正5年3月3日 | 子どもを見に上京した、2~3日滞在する/その内に行く | 斎藤豊作 | 1-106 | |
大正5年5月18日 | 非公開 | 1-107 | ||
大正5年5月22日 | 当地にて滞在中/今月末には帰京の予定 | 山下新太郎 | (1)絵葉書:熱海御用邸 (2)宛先住所から大正5年と推定 | 1-108 |
大正5年7月9日 | いずれ近日中にお目にかかりたく | 山下新太郎 | 絵葉書:朝鮮 京城 | 1-109 |
大正5年8月1日 | 東北旅行中にて、珍しきもの/明日は十和田で鱒、その後は越後か佐渡へ | 信時 潔 | 1-110 | |
大正5年8月2日 | 波止場までの散歩にて葉巻を購入 | 原勝四郎 | (1)絵葉書:田辺町 (2)ヂォヴァンニー平太郎 (3)大正5年と推定 | 1-111 |
大正5年8月10日 | 東北旅行中にて、近況/(1)秋田から猪苗代湖畔を経て、東山温泉に泊まる (2)金が心細く、12~3日に帰京 | 信時 潔 | 1-112 | |
大正5年8月12日 | 非公開 | 1-113 | ||
大正5年8月21日 | 非公開 | 1-114 | ||
大正5年8月21日 | 古座川では君の好きな筏を流してくる/ヘクソは帰ったか | 原勝四郎 | (1)絵葉書:熊野 樫野燈台 (2)G.H:ヂォヴァンニー平太郎 | 1-115 |
大正5年8月24日 | 非公開 | 1-116 | ||
大正5年9月4日 | 非公開 | 1-117 | ||
大正5年10月1日 | 西向いて飛び出さないとやりきれない/(1)天狗氏、近況いかがか (2)竹村へ便りを出すが、音信不通 | 原勝四郎 | 1-118 | |
大正5年12月3日 | 非公開 | 1-119 | ||
大正5年12月13日 | (白紙1枚) | 斎藤豊作 | 1-120 | |
大正6年1月1日 | 非公開 | 1-121 | ||
大正6年1月1日 | 121の続き (我が身を嘆く詩) | 原勝四郎 | 宛名:信時 潔も併記 | 1-122 |
大正6年1月3日 | 年賀/関屋によろしく | 山下新太郎 | 絵葉書:錦浦魚見崎の隧道 | 1-123 |
大正6年2月2日 | 肋膜炎少し快方に向かい、当地にて療養/この宿は十数年前、貴兄の記憶にある家なり | 塩見 競 | 1-124 | |
大正6年2月19日 | 海岸の小高き笹原から海を眺めて認める/モーパッサン、ルソー、ルーヂンを想う | 原勝四郎 | (1)宛名:信時 潔も併記 (2)絵葉書:湯崎温泉 (3)平太郎 | 1-125 |
大正6年3月18日 | 非公開 | 1-126 | ||
大正6年3月31日 | 非公開 | 1-127 | ||
大正4年~6 | 大阪は割合面白い/父は元気、4日頃帰京の予定 | 信時 潔 | (1)絵葉書:鹿の伐角 (2)宛先住所(大塚方)から4~6年、129の前と推定 | 1-128 |
大正6年5月16日 | 転居通知の御礼/3月以来九州地旅行、昨夜帰宅 | 成瀬澄三郎 | 絵葉書:京美人 | 1-129 |
大正6年5月31日 | 転居とのこと、近々家見舞に伺いたく/商売多忙にて、御無沙汰 | 林 誠吉 | 1-130 | |
大正6年7月26日 | 17日当地着、絵を描くと牛や蜂に困る/池田や信時外によろしく | 関屋敬次 | 斎藤の手紙(133)から、関屋と推定 | 1-131 |
大正6年8月10日 | 17,8日頃に帰京する予定/(1)斎藤は軽井沢に行っているはず (2)柳は赤城に来る | 関屋敬次 | 斎藤の手紙(133)から、関屋と推定 | 1-132 |
大正6年8月17日 | 暑い東京で何を勘考しているか/関屋は赤城で勉強しているようだ | 斎藤豊作 | 絵葉書 | 1-133 |
大正6年 | 金鈴社事務所 | (1)中身欠 (2)封筒に信時(ベルリン)の住所あり(後年にメモ) | 1-134 | |
大正7年9月23日 | 明日北京へ出発、滞在先は北京ホテル/関屋にも宛先の連絡を | 斎藤豊作 | 1-135 | |
大正7年10月 | 北京見物中/(1)出発前の為替は届いたか (2)来月は朝鮮に | 斎藤豊作 | 絵葉書:北京黄寺の塔 | 1-136 |
大正8年6月19日 | 林町在住中と転居の際の御礼 | 日置忠兵衛 | 1-137 | |
大正8年8月22日 | 非公開 | 1-138 | ||
大正8年8月30日 | 出品を新聞で見た/近い内に訪問したい | 日置みつゑ | 子どもか、「おじさん」とあり | 1-139 |
大正8年9月4日 | 展覧会で、早く兄さんの絵を見たい/14,5日頃上京の予定 | 熊谷直彦 | 絵葉書:伊吹山頂 | 1-140 |
大正8年9月21日 | いつ付知にお帰りですか/(1)豊子さんは東京で勉強、田舎で蚕飼いはつまらない (2)8月に子どもが産まれ、愛三と名付けた(わか子) (3)17になりました(すみ江) | 熊谷わか子、すみ江 | 「伯父様」とあり | 1-141 |
大正8年10月25日 | 先日の訪問の御礼/(1)家を新築中につき、洋間の額を見立ててほしい (2)院展に出掛ける際、お邪魔する予定 | 林 誠吉 | 1-142 | |
大正8年11月7日 | 君の目の光を大切にしたまえ/約束の嬶の写真を送る | 林 誠吉 | 写真欠 | 1-143 |
大正8年12月17日 | 酒井濬一郎 | 中身欠 | 1-144 | |
大正8年 | 昨夜東京発、本日養老着/1日に二科展を見、友人の野瀬が貴兄の絵を予約する | 成瀬澄三郎 | 絵葉書:養老の滝 | 1-145 |
大正9年1月1日 | 年賀、転居先連絡/3日晩、花札の会にて御光来を願う | 大沢為三 | 1-146 | |
大正9年2月18日 | 非公開 | 1-147 | ||
大正9年7月4日 | 保険手続きにて人に頼んだところ、間違いが生じ申し訳なく/保険関係の書類は三浦方へ送る | 神田金樹 | 裏書に「中村卯吉」とあり(メモか) | 1-148 |
大正9年7月3日 | 斎藤氏の家具競売代金の件/7月5日を6日に変更し、来訪を待つ | ジョン・ダブルエ・ホール、高山兼吉 | 大正9年と推定 | 1-149 |
大正9年7月7日 | ジョン・ダブルエ・ホール | 中身欠 | 1-150 | |
大正9年7月7日 | 拝眉を得たく、明日か明後日の来訪を望む | 井原良太 | 1-151 | |
大正9年7月26日 | 電車で通勤する毎日/油絵の代金の件 | 林 誠吉 | 封筒に「madame saito」の住所あり(メモ) | 1-152 |
大正9年8月7日 | 7月31日に東京を発って碓氷峠に/軽井沢は水が不便、変なものを食べさせてくれる | 佐藤しげ | 1-153 | |
大正9年8月19日 | 預かっている荷物を、貴兄よりいつ頃斎藤へ送ってもらえますか | 井原良太 | 1-154 | |
大正9年8月19日 | 当月初、当地着/どこへ行っても夫婦仲よく天下泰平 | 原 愛造、秀子 | (1)絵葉書:セミクジラ解体 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 | 1-155 |
大正9年8月30日 | 東京へ舞い戻りたい/隣の漁夫が毎日魚をくれる | 矢倉英太郎跡 原 愛造 | (1)絵葉書:潮岬 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 | 1-156 |
大正9年10月12日 | 井原の家にある豊作の荷物について/井原宅にお邪魔したが留守に付 | 斎藤いそ子 | 1-157 | |
大正9年11月2日 | 毎日、貸家探しで多忙/(1)例の荷物の送り状とその船名を知らせてほしい (2)関屋によろしく | 斎藤豊作 | 大正9年と推定 | 1-158 |
大正9年11月2日 | 今朝、手紙と荷物の送り状が届いた | 斎藤豊作 | 1-159 | |
大正10年1月1日 | 年賀 | 熊谷将良 | 絵葉書:付知町全景 | 1-160 |
大正10年1月1日 | 年賀 | 酒井濬一郎 | 鉛筆画 | 1-161 |
大正10年1月29日 | この島に来て半月、二人きりで生活/鹿島での生活の様子 | 原 秀子 | 1-162 | |
大正10年6月1日 | 豊作より依頼の金300円送金の件/在フランス斎藤豊作からの依頼にて | 斎藤益太郎 | 益太郎:豊作の兄 | 1-163 |
大正10年6月5日 | 予定の如く芦の湯に来る/福家さんへもよろしく | 太田太郎 | 絵葉書:大涌谷 | 1-164 |
大正10年6月18日 | 非公開 | 1-165 | ||
大正10年.夏.5 | 南部へ行ったり、田辺に行ったり/(1)海に入ると機嫌がよい (2)愛造と鈴木が鮎400匹をとらえる (3)重雄が写真を始める | 原 秀子 | (1)大正10年と推定 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 | 1-166 |
大正10年10月6日 | パリは汚いところだ | 坂本繁二郎 | 絵葉書:ルーブル所蔵作品 | 1-167 |
大正10年11月22日 | 非公開 | 1-168 | ||
大正11年2月18日 | 家も片付いたので、お出でください | 原 愛造、秀子 | (1)絵葉書:日野郊外四谷付近 (2)原 秀子:旧姓大江秀子 | 1-169 |
大正11年5月25日 | 非公開 | 1-170 | ||
大正11年6月2日 | 非公開 | 1-171 | ||
大正11年7月12日 | 豊作より依頼の金300円送金の件/在フランス斎藤豊作からの依頼にて | 斎藤益太郎 | 1-172 | |
大正11年7月28日 | おととい南部に着、1週間あまり滞在 | 大江秀子 | 1-173 | |
大正11年8月8日 | 話が片付くのはいつになるか判らない/もうじき上京する予定 | 大江秀子 | 1-174 | |
大正11年8月11日 | セロ鳴らず、信時7日来た(守一)/7日帰った(信時) | 熊谷守一、信時 潔 | 宛名:大江秀子 | 1-175 |
大正11年8月15日 | 非公開 | 1-176 | ||
大正11年8月18日 | 気分が悪く出掛けられず、来訪を乞う | 大江秀子 | 大正11年と推定 | 1-177 |
大正11年9月25日 | ゴリは帰ったか/秋風が精神の中まで吹いて心細い | 原勝四郎 | 1-178 | |
大正11年12月10日 | 非公開 | 1-179 | ||
大正12年1月1日 | 年賀(上海にて) | (差出人不明) | 版画 | 1-180 |
大正12年1月2日 | 年賀 | 平塚運一 | 版画 | 1-181 |
大正12年1月4日 | お尋ねの庚申堂、一時住んでもらえたら/来るなら早いほど有難い | 熊谷伊造 | 守一筆の地図あり | 1-182 |
大正12年2月17日 | 非公開 | 1-183 | ||
大正12年3月6日 | 非公開 | 1-184 | ||
大正9年~12年5月7日 | 元山港にて、和田画伯と会飲(石原)/君の噂を聞き、懐かしい(和田) | 石原留吉、和田三造 | 絵葉書:釈王寺山道 | 1-185 |
大正12年5月12日 | 奥の奥田氏の家と入れ替わってはいかが/はっきりしたことは福家氏から | 高橋 均 | 1-186 | |
大正12年8月2日 | 休日に青島を遊覧 | 熊谷鋭太郎 | 絵葉書:青島ビロー樹 | 1-187 |
大正12年8月28日 | 江見を通して家の事情等の連絡あり/訪問のつもりだが、未だかなわず | 田端浪人 | 田端:住所か | 1-188 |
大正12年12月28日 | 非公開 | 1-189 | ||
大正13年2月27日 | 道夫様の手紙にて、お姉様の住所を知る/この休みには広島にも寄って下さる予定 | 山本かづ江 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)道夫:大江道夫(秀子の弟)か | 1-190 |
大正13年9月22日 | 姉の入院、付添に行く/(1)付添で風邪をひく (2)子供服の作り方が出ている雑誌有り (3)川上さんによろしく | 佐藤しげ | 宛名:熊谷秀子 | 1-191 |
大正13年11月23日 | 道夫さんは東北大学へ行くそうで/(1)野尻利雄と結婚、京都に住む予定 (2)邦やんのお嫁さん決まりました | 原見一枝 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:和歌山六三園 (3)道夫:大江道夫(秀子の弟)か | 1-192 |
大正14年1月24日 | 新しい家、20円位で貸すそうですが如何/近いうちに伺います | 佐藤しげ | (1)宛名:熊谷秀子 (2)同封のはずの地図欠 | 1-193 |
大正14年3月11日 | 昨夜東京発、今朝清水市着 | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-194 |
大正14年5月20日 | 手紙、子どもの写真と共に受け取った/(1)地震後、田舎から送金させることができなくなった (2)年末までには一度多少なりとも送らせる (3)関屋からの音信がない | 斎藤豊作 | (1)絵葉書を同封 (2)葉書には「八月」とあり | 1-195 |
大正14年8月5日 | 豊作より依頼の金400円送金の件/在パリ斎藤豊作からの依頼にて | 斎藤益太郎 | 1-196 | |
大正14年9月11日 | 都合により当分こちらにいる予定/(1)福家さんから葉書が来たら送ってほしい (2)ヴァイオリンが嫌な音をする | 佐藤しげ | (1)宛名:なし (2)封筒欠 | 1-197 |
大正14年9月18日 | ヴァイオリンは送って下さらなくて結構/福家さんの所書も急ぎではない | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-198 |
大正14年10月7日 | お腹はすっかりいいわけではないが、悪くもない/姉が9月初に帰ったので、私たちもその内に帰る | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-199 |
大正14年10月14日 | 手紙一昨日落手、お子さんは如何/近いうちに用事ながら出ていくつもり | 佐藤しげ | 宛名:熊谷秀子 | 1-200 |
大正14年10月27日 | 先日、突然訪問したお礼/京都へも遊びに | 野尻利雄 | (1)絵葉書:保津川 (2)「原見一枝」の夫 | 1-201 |
大正14年12月2日 | 今度京都に住むことになりました/守一夫婦の写真がほしい | 原見一枝 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)野尻利雄との関係から大正14年と推定 | 1-202 |
大正15年3月28日 | 下痢にて通院中/先日、原勝四郎から手紙有り | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-203 |
大正15年4月18日 | 近頃、腹痛やら下痢やら/こんなにも好きな気がするが、出来心か | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-204 |
大正15年5月4日 | 昨日の訪問と指導お願いのお礼/絵が出来次第、持参したい | 堀 一恵 | 1-205 | |
大正15年6月21日 | お腹の具合も良くなり、7月の20日頃帰る予定/お伺いしたいが、よければお出かけ下さい | 佐藤しげ | 宛名:熊谷秀子 | 1-206 |
大正15年7月31日 | 暑中見舞 | 熊谷伊造 | 絵葉書:付知停車場 | 1-207 |
大正15年8月 | 残暑見舞 | 室内社画堂 | 絵葉書:ミハナジアン作 | 1-208 |
大正15年10月6日 | 二科の画葉書送付のお礼/さらにもう一部と代金の連絡を | 熊谷伊造 | 絵葉書:付知川 | 1-209 |
大正3年.17 | まだ東京に出してくれそうにない/弟の絵を3枚送る | 酒井濬一郎 | (1)封筒欠 (2)3枚絵同封のはずが1枚のみ | 1-210 |
大正1年2月16日 | また朝鮮に帰りました | 酒井濬一郎 | (1)封筒欠 (2)弟の絵を同封 | 1-211 |
昭和2年1月28日 | 非公開 | 1-212 | ||
昭和2年1月31日 | 葉書で、坊さんが悪いこと知りました/見舞に行きたいが、こんなではどうか判りません | 佐藤しげ | 1-213 | |
昭和2年2月8日 | 非公開 | 1-214 | ||
昭和2年3月14日 | 北海道へ旅行、今朝帰宅/貴兄は、たくさん子どもに恵まれ大慶 | 林 誠吉 | 大正15年10月長女萬誕生 | 1-215 |
昭和2年6月8日 | 昨日は久しぶりに出歩きました | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-216 |
昭和2年7月5日 | 移転通知 | 安藤東一郎 | 1-217 | |
昭和2年10月25日 | 二科展出品のトウモロコシ、購入したい/(1)向日葵と草人は我が書斎にあり (2)フランス行きを計画中につき、半値にてよろしければ | 竹添履信 | 1-218 | |
昭和2年2月22日 | 転職、転居の連絡/帝国電灯(株)が東京電灯(株)に合併につき | 熊谷六郎 | 1-219 | |
昭和3年1月2日 | 年賀 | 竹添履信 | 剥がれあり | 1-220 |
昭和3年1月 | この間の俳句、「細竹」を「副竹」に訂正を/東京の寒さは如何 | 山本カズエ | (1)宛名:熊谷秀子 (2)「山本かづ江」で前出 | 1-221 |
昭和3年4月20日 | 不動陽童子様供養 | 牧野彦太郎 | 2月28日、二男陽、肺炎で急死 | 1-222 |
昭和3年4月20日 | 不動陽童子様供養のこと/文雄の婦の父、昨日死亡 | 牧野彦太郎 | (1)牧野と熊谷の家系図あり (2)飼育愛玩鳥一覧と鳥の絵2枚あり | 1-223 |
昭和3年1月1日 | 年賀 | 石井柏亭 | 絵葉書:イタリア ジェノバ | 1-224 |
昭和4年1月1日 | 年賀(巳年) | 一噌印刷所 一噌連 | 巳年と宛先住所から昭和4年と推定 | 1-225 |
昭和4年10月19日 | デッサンを貸してもらう予定だったが中止/(1)室内社から研究所への貸与を希望だったが (2)田村氏のこと、よろしくお伝え願う | 安井曽太郎 | 絵葉書:奈良 大野寺 | 1-226 |
昭和4年11月1日 | 藤井氏宅までお出かけの親切、感謝 | 安井曽太郎 | 絵葉書:奈良 薬師寺 | 1-227 |
大正13年~昭和5年1月1日 | 年賀 | 松山荘平 | 版画 | 1-228 |
大正13年~昭和5年7月27日 | 8日仙台発、函館小樽を経て、20日札幌着/(1)来月4日頃から樺太に、20日頃仙台に帰る予定 (2)東京にはたぶん出られるだろう | (差出人不明) | (1)絵葉書:札幌郊外の農場 (2)230の葉書より和田三造か | 1-229 |
大正13年~昭和5年8月12日 | 仙台で和田を訪ね、札幌を経て登別へ/帰りは秋田を廻る予定 | (差出人不明) | (1)絵葉書:登別温泉 (2)229より続く | 1-230 |
大正12年~昭和5年8月13日 | 3,4日前から当地に、昨夜はさよりをすくいに出かける/今日、江尻から手紙を持ってきてくれた | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-231 |
昭和5年8月28日 | 非公開 | 1-232 | ||
昭和5年9月5日 | 今朝からひどい風雨だったが、夜は静かに/東京も荒れたとか | 佐藤しげ | (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:三保松原 | 1-233 |
昭和5年10月13日 | 三原氏蒐蔵浮世絵版画展案内/第17回二科展覧会招待券 | 帝国美術院附属美術研究所 | 入場券1枚、二科展招待券7+2枚 | 1-234 |
大正12年~昭和5年12月13日 | 毎日お邪魔した頃が懐かしい/今は一日おきに神戸へ編み物を習いに | 江見あさ | 宛名:秀子も併記 | 1-235 |
大正12年~昭和5年 | 4日京都を経て朝鮮に、寒川氏宅で御世話になる/今月末には鹿児島に帰る予定 | 大江道夫 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:元山本町赤田橋 | 1-236 |
昭和6年1月12日 | 年賀 | 小出楢重 | 1-237 | |
昭和6年5月 | 大井駅前にて書画骨董も営業/息子、洋画研究につき、よろしく | 水野政次郎 | 1-238 | |
昭和6年6月6日 | 浅草区聖天町原哲一なる人物について知りたし | 熊谷鋭雄 | (1)町名と結婚話より昭和6年と推定 (2)原哲一:後に熊谷鋭太郎の妹(初)と結婚 | 1-239 |
昭和6年6月14日 | 今年も、8月中頃に先生宅にお伺いしたい/坊ちゃんに菓子を送った | 掛野常夫 | のちに「里見常夫」と改姓 | 1-240 |
昭和6年6月17日 | 二科展出品作の譲渡希望/(1)本日、転宅の報に接す (2)掛野氏の指導、滞在を含めてお願い | 大野新吉 | (1)掛野:のちに里見常夫と改姓 (2)「転宅の報」より昭和6年と推定 | 1-241 |
昭和6年6月21日 | 転居とのこと、新しいアトリエは如何/(1)疹に罹り、その後、体調不調 (2)病気中に雀の子、5羽飼育 | 江見恒三郎 | 1-242 | |
昭和6年6月26日 | 移転の連絡、いただきました/その内にすばらしい絵を描いてお伺いしたい | 中尾一枝 | 1-243 | |
昭和6年6月29日 | 移転の趣、何かと御多忙と存じ候/奥様によろしく | 林 誠吉 | 1-244 | |
昭和6年6月29日 | 『大細胞に還れ』第3巻1号送付 | 中尾一枝 | 『大細胞に還れ』昭和6年7月発行 | 1-245 |
昭和6年7月1日 | 先日は葉書をありがとう/おぢ様をはじめ子どもたちも元気とのこと | 田口 若 | 1-246 | |
昭和6年7月1日 | 借用中の貴下の写真を文房堂に送る | 松山荘平 | 1-247 | |
昭和6年7月11日 | 個人展開催に際し、援助を願う/現在、遣迎院に仮住み | 長谷川利行 | 1-248 | |
昭和6年7月16日 | 暑中見舞、転居通知のお礼/岐阜には先生の同窓の方も見えるのでお出でを乞う | 早川國彦 | 絵葉書:鵜飼用の鵜 | 1-249 |
昭和6年7月17日 | 移転先の池袋、よいところかと存じます/中野の御自宅にお邪魔できず、残念 | 染谷良夫 | 1-250 | |
昭和6年7月19日 | 御手紙拝見、新居には独立の画室とのこと/(1)揮毫をお願い(福井みつ子氏の桐板など) (2)5,6人の人が絵を求めている | 牧野彦太郎 | 文面は守一夫妻宛 | 1-251 |
昭和6年7月20日 | 本日、大野先生宅で先生の手紙を拝見/(1)8月に大野先生とともに上京の予定 (2)先日、石井柏亭が来岐 | 里見常夫 | (1)元「掛野」姓 (2)大野新吉(好明館):岐中同窓 | 1-252 |
昭和6年8月2日 | 二科展に作品5点を出品/洋画を研究している者にて、よろしくお願いしたい | 三田村巻二 | 1-253 | |
昭和6年8月3日 | 有島氏と来岐を乞う/(1)先日、石井氏が来岐 (2)里見(掛野)氏と御宅に滞在する予定、先に米を送る | 大野新吉 | 1-254 | |
昭和6年8月4日 | 暑中見舞/赤ちゃんは誕生しましたか | 大江道夫 | (1)宛名:秀子も併記 (2)大江道夫:秀子の弟 | 1-255 |
昭和6年8月5日 | 暑中見舞 | 向井潤吉 | 1-256 | |
昭和6年8月5日 | 暑中見舞/二科展にて傑作を期待 | 青木千里 | 1-257 | |
昭和6年8月6日 | 暑中見舞/二科展も間近に | 染谷良夫 | 1-258 | |
昭和6年8月6日 | 暑中見舞 | 江見恒三郎 | 1-259 | |
昭和6年8月7日 | 暑中見舞 | 日置 静 | 1-260 | |
昭和6年8月7日 | 暑中見舞 | 高岡徳太郎 | 1-261 | |
昭和6年8月8日 | 暑中見舞/千葉にて専心制作 | 鈴木國威 | 1-262 | |
昭和6年8月8日 | 暑中見舞 | 山口順吉 | 1-263 | |
昭和6年8月9日 | 暑中見舞 | 牛田健太郎 | 1-264 | |
昭和6年8月9日 | 暑中見舞 | 中村恒子 | 1-265 | |
昭和6年8月10日 | 暑中見舞 | 明山太郎 | 塔ノ山14:守一の前住所 | 1-266 |
昭和6年8月10日 | 昨9日上京、来遊を望む/少々の間、滞京、11日か13日にでも来遊されたし | 牧野彦太郎 | 1-267 | |
昭和6年8月11日 | 「会報」(6年8月11日)/(1)本年度 特別搬入(松本、園部、横手、山口) (2)特別陳列(オスカル・ココシカ) | 二科会 | 1-268 | |
昭和6年8月11日 | 暑中見舞 | 大作 実 | 「塾生」とあり | 1-269 |
昭和6年8月12日 | 暑中見舞/15日夜、上京の予定、その前に絵を送る | 里見常夫 | 1-270 | |
昭和6年8月13日 | 山下氏より御出産のことを知る/(1)越前の安江、加子母の内木、野村と会食の予定 (2)付知銀行、営業停止 | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-271 |
昭和6年8月15日 | 赤ちゃん誕生、おめでとうございます/拝見したいが、急性腹カタルにて謹慎 | 信時 潔内 | 7月10日、茜(三女)誕生 | 1-272 |
昭和6年8月15日 | 暑中見舞、格別のお引き立てに預かり | 公認目白相互婦人会 | 宛名:秀子も併記 | 1-273 |
昭和6年8月17日 | 先日の葉書、付知へ転送のため欠礼/昨日、東中野の福井と半沢を訪ねる | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-274 |
昭和6年8月20日 | 上京して12日目、本問題手が着かず/住所の道順を図解でお願いしたい | 牧野彦太郎 | 1-275 | |
昭和6年8月20日 | 訃報(父秀三郎)、密葬の連絡 | 黒田重太郎外1人 | 1-276 | |
昭和6年8月22日 | 上京中、滞在の御礼/伊藤氏より手紙が来ても返送は無用にて | 里見常夫 | 1-277 | |
昭和6年8月22日 | 昨夜、里見が喜んで帰郷/(1)同道の予定であったが、丹毒にて医者通いに (2)「ヒシ」は見当たり次第送る | 大野新吉 | 1-278 | |
昭和6年8月23日 | 二科展版画葉書は美術工芸会より撮影に参る予定 | 安井曽太郎 | 二科会当番 | 1-279 |
昭和6年8月24日 | 残暑見舞 | 中山 巍 | 「昭和三年八月」とあり | 1-280 |
昭和6年8月26日 | 昨日の突然のお邪魔の御礼/(1)付知から、兄夫婦などの写真が来た (2)二科展の招待券がほしい | 熊谷敏子 | (1)秀子を「姉さん」とあり (2)岩雄、熊雄、重子、春子、かほる姉さん、直彦などの名 | 1-281 |
昭和6年8月26日 | 先般の突然の訪問の御礼/5点出品、よろしくご指導を | 水野富三 | 水野政次郎の息子か | 1-282 |
昭和6年8月26日 | 御機嫌伺い | 高松 茂、マサエ | 白秋の詩 | 1-283 |
昭和6年8月31日 | 入選御礼 | 尾田 龍 | 1-284 | |
昭和6年9月1日 | 二科入選の御礼 | 鈴木國威 | 1-285 | |
昭和6年9月3日 | 1日朝東京発、昨夕帰郷/(1)滞京中は2度も寝込み、仕事も進まず (2)そろそろ茸も発生 | 牧野彦太郎 | 1-286 | |
昭和6年9月7日 | 9月の十日会(例会)中止の連絡 | 二科会 | 1-287 | |
昭和6年9月8日 | 新居への訪問のお礼/その折の銀行の話、先生にいらざる心配をかけました | 早川國彦 | 1-288 | |
昭和6年9月11日 | 二科展へ出品の女の顔、購入したい | 田村謹寿 | 1-289 | |
昭和6年9月11日 | 11日昼、汽車で希望の「ヒシ」を送る/(1)今夕の汽車で鮎を送る (2)再発の丹毒はよくなった | 大野新吉 | 1-290 | |
昭和6年9月13日 | 二科会の招待状のお礼/移転連絡 | 日置 静 | 1-291 | |
昭和6年9月20日 | その後、赤子の容態は如何/先日、熊谷伊造先生は中気気味にて学校を休んだ | 熊谷鋭雄 | 7月10日、茜(三女)誕生 | 1-292 |
昭和6年9月22日 | 二科画集、安値の売絵、あったら購入したい/信時先生にお尋ねしたいことあり | 熊谷伊造 | 1-293 | |
昭和6年10月1日 | 会報(6年10月1日)/野口弥太郎氏より承諾の電報あり、木下氏と同時に発表する | 二科会 | 封筒欠 | 1-294 |
昭和6年10月5日 | 岐阜で自慢の味噌を送付した/二科展が名古屋へ来ることを聞く | 里見常夫 | 荷札あり | 1-295 |
昭和6年10月8日 | 大阪二科展での作品展示のお願い/母からは国枝金三氏に依頼 | 庄司ノブ | ノブの母:八枝 | 1-296 |
昭和6年10月9日 | 諏訪へ帰郷、当分は上京の予定立たず/秋深まり、栗や茸が採れる | 山岡惣一郎 | 1-297 | |
昭和6年11月13日 | アトリエびらきの会、開催の連絡 | 東郷青児、宇野千代 | 1-298 | |
昭和6年12月30日 | 年賀 | 下山金一郎 | 絵葉書:神社鳥居と鶏の写真 | 1-299 |
昭和7年1月30日 | 台北にいるが、君の親類達には会わない/2月末までに帰京する、安部によろしく | 有島生馬 | (1)絵葉書:ヤミ族陳列品 (2)「五月の陽が青葉に...」とあり | 1-300 |
昭和7年2月8日 | ハワイ到着の連絡/出発に際し駅までの見送りの御礼 | 国森重蔵 | 絵葉書:NYKライン 龍田丸 | 1-301 |
昭和7年4月5日 | 熊谷茜 種痘通知書 | 北豊島郡西巣鴨町役場 | 熊谷茜 昭和6年7月10日生とあり | 1-302 |
昭和7年4月7日 | 非公開 | 1-303 | ||
昭和7年4月24日 | 亡陽様御逝去直後の絵を返送/和歌山県育ちの奥様には付知の漬物は無理か | 牧野彦太郎 | (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 | 1-304 |
昭和7年4月28日 | 黒皮、唐辛子、蕪漬外送付/名古屋の弟の子どもと彦太郎の画像依頼 | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-305 |
昭和7年5月17日 | 例によって子どもの図画の評価をお願いしたい/信時先生はいかがか | 熊谷伊造 | 「御願」 | 1-306 |
昭和7年6月10日 | 神戸の「現代画家素描選集」展覧会にて、作品拝見/(1)川上氏とも長らく音信不通 (2)先日、木曽川へ行く、犬山にて一泊 (3)描きための作品があったらお譲りいただきたく | 江見恒三郎 | 1-307 | |
昭和7年6月25日 | 重雄さん、近頃絵を描き、二科へ出すかも/(1)画の代、百円郵便為替で同封した (2)静枝も達者にて | 大江邦樹 | 1-308 | |
昭和7年7月14日 | 今秋二科展へ1点送付、何分よろしく | 国吉康雄 | 絵葉書:ウッドストック | 1-309 |
昭和7年7月23日 | 幾年かぶりに、御尊顔拝見/明日は両国の河開きにて、お出かけ下さい | 原 哲一、初子 | 「叔父様」とあり | 1-310 |
昭和7年7月24日 | 絵を東郷宛至急お送り下さい/(1)中ノ島研究所の夏季講習会を済ませ、上旬に帰る (2)8月の十日会には出席 | 東郷青児 | 1-311 | |
大正7年7月24日 | お帰りを女二人で待ってます/「寝しなにはチト絵のことも気にかかり」外10句 | 熊谷秀子(信時潔) | 内容から秀子と推定 | 1-312 |
昭和7年7月25日 | 暑中見舞 | 野尻貞一 | 1-313 | |
昭和7年7月27日 | 二科展出品の内、会心の作あれば拝見したい/約束の「女の顔」の代わりに購入を | 田村謹寿 | 1-314 | |
昭和7年7月27日 | 暑中見舞 | 青木四一 | 青木千里との関係ありか | 1-315 |
昭和7年7月27日 | 暑中見舞 | 向井潤吉 | 1-316 | |
昭和7年7月27日 | 病気続きでお気の毒にて/信時氏退官は残念 | 江見恒三郎 | 1-317 | |
昭和7年7月28日 | 暑中見舞 | 内田俊治 | 1-318 | |
昭和7年7月29日 | 暑中見舞 | 一噌印刷所 一噌連 | 1-319 | |
昭和7年7月30日 | 結構な扇子を頂き、家内も喜んでおります/お子さまの病気は如何か | 颯田琴次 | 1-320 | |
昭和7年7月31日 | 暑中見舞 | 山崎秋信 | 海の絵 | 1-321 |
昭和7年8月1日 | 御手紙拝見、病人の容態は如何/「女の顔」の代わりは急ぐわけではない | 田村謹寿 | 1-322 | |
昭和7年8月1日 | 暑中見舞 | 椎塚猪知雄 | 1-323 | |
昭和7年8月1日 | 暑中見舞 | 大江道夫 | 1-324 | |
昭和7年8月2日 | 暑中見舞 | 青木千里 | 1-325 | |
昭和7年8月2日 | 暑中見舞 | 田口 若 | 1-326 | |
昭和7年8月3日 | 暑中見舞 | 多島三郎 | 1-327 | |
昭和7年8月3日 | 暑中見舞、病人の容態は如何 | 江見恒三郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-328 |
昭和7年8月4日 | 暑中見舞/モデル紹介 | クラブドリアン | 1-329 | |
昭和7年8月4日 | 暑中見舞 | 日能製版印刷所 | 1-330 | |
昭和7年8月4日 | 暑中見舞 | 高岡徳太郎 | 1-331 | |
昭和7年8月5日 | 暑中見舞/休暇にて故郷台北に | 松本 貞 | 絵葉書:台湾水牛 | 1-332 |
昭和7年8月6日 | 7月29日靖国丸にて無事帰朝 | 高橋卯八 | 絵葉書:「落ち穂拾い」ミレー画 | 1-333 |
昭和7年8月6日 | 茜の容態について/(1)発熱があるが腎盂のものか不明 (2)心配なら交代を | 熊谷秀子 | 1-334 | |
昭和7年8月7日 | 近々里見がお邪魔いたします/あつらえたい子どもの好物をお知らせ下さい | 大野新吉 | 1-335 | |
昭和7年8月7日 | 今夏、樺太の奥幌内川へ写生に行った/土人部落にはトナカイなどおり異郷の感じ | 早川國彦 | 絵葉書:海豹島オットセイの群 | 1-336 |
昭和7年8月8日 | 赤ちゃん入院とか、御見舞申し上げます | 原 哲一、初子 | 「叔父様」とあり | 1-337 |
昭和7年8月8日 | 暑中見舞 | 高松 茂、マサエ | 1-338 | |
昭和7年8月13日 | 暑中見舞、制作時にご用命を | 南郊モデル協会 | 1-339 | |
昭和7年8月15日 | 学校と商売、春以来忙しく前途遼遠/秋代の病気長引き、出産も遅れている | 大江道夫 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)秋代:妻か | 1-340 |
昭和7年8月16日 | 二科展出品の絵3枚完成/茜さんは如何、私と祥一は元気です | 中尾一枝 | 祥一:子ども | 1-341 |
昭和7年8月18日 | 茜ちゃんお帰りになりにぎやかなことと推察 | 安部小澄 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)「腎盂炎」とあり | 1-342 |
昭和7年8月18日 | 行き違いになり残念 | 明山ハル江 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:塩釜の清流 (3)明山太郎の妻か | 1-343 |
昭和7年8月18日 | 信時氏に誉められサダメの画送る/8月7日、40何年ぶりに生まれた村へ出掛ける | 江見恒三郎 | 差出、宛先住所から昭和7年と推定 | 1-344 |
昭和7年8月20日 | 残暑見舞 | 下山金一郎 | 絵葉書:樹に蝉の写真 | 1-345 |
昭和7年8月24日 | 暑中見舞、二科展には出品の予定 | 渋谷良夫 | 1-346 | |
昭和7年8月25日 | 先般の訪問、ご指導の御礼 | 水野富三 | 1-347 | |
昭和7年9月5日 | 「御礼」(名刺) | 颯田琴次 | (1)宛先住所と他の颯田の書簡から昭和7年と推定 (2)本郷:消印 | 1-348 |
昭和7年9月8日 | ノブ子再入選の御礼/(1)関西展への仲間入りを望む (2)国枝、鍋井、黒田を知っている | 庄司八枝 | ノブ(子)の母 | 1-349 |
昭和7年9月8日 | ノブ子の紹介状を御願いしたい/紹介先:国枝金三、鍋井克之、黒田重太郎 | 庄司八枝 | 1-350 | |
昭和7年9月16日 | 付知の「葉もち」を送付/(1)中津の大山津波に続いて付知等の山林崩壊 (2)井深正眼寺の小南帷頼元師は胃病にて小坂で湯治中 | 牧野彦太郎 | (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 | 1-351 |
昭和7年9月20日 | 転居通知 | 高岡徳太郎 | 1-352 | |
昭和7年9月24日 | アスヒルカイジョニキテクレ(明日昼会場に来てくれ) | フ | フ:二科会か | 1-353 |
昭和7年9月 | 神戸発、瀬戸内・九州・四国の旅 | 江見恒三郎 | (1)絵葉書:厳島神社 (2)宛先住所から昭和7年と推定 | 1-354 |
昭和7年10月3日 | 二科会の記事を拝見/(1)名古屋にて仏像を造って生活 (2)また二科画集を頂きたい | 熊谷朋助 | 1-355 | |
昭和7年10月8日 | 山口県に行くことになり、ひとまず上京/赤ちゃんは如何 | 中尾一枝 | 1-356 | |
昭和7年10月11日 | ナツムメ少々送付、末の子の経過如何か/(1)藤山の兄、町長になる (2)熊谷伊造氏の妻ミツ様、突然亡くなる | 熊谷鋭雄 | 1-357 | |
昭和7年11月15日 | 亡父透十七回忌記念画帳への色紙執筆の依頼 | 岩村 博 | 1-358 | |
昭和7年11月16日 | 恵那中学十周年記念に守一、青邨、芳翠の画を展示/(1)中津警察署長に絵寄贈を依頼 (2)昨日の暴風雨は前代未聞 | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-359 |
昭和7年12月2日 | クリスマス特別料理のお知らせ | 九里四郎 | 1-360 | |
昭和7年12月4日 | 展覧会出品作品の催促 | 松坂屋 | 1-361 | |
昭和7年12月9日 | 現代美術総合展覧会(案)/出品作品の催促 | 松坂屋 | 1-362 | |
昭和7年12月12日 | 赤ちゃんの病気如何/(1)家の金300円送付 (2)重雄さん、二科出品をめざすも完成せず | 大江邦樹 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 (3)茜入院に関わってか、内容から7年と推定 (4)重雄:鈴木重雄か | 1-363 |
昭和7年12月13日 | 赤ちゃん再入院の御見舞、原より聞く/(1)絵が描けず、自分を描く (2)展覧会観覧の御礼 | 鈴木國威 | 1-364 | |
昭和7年12月14日 | 茜の容態について/いつ亡くなるか判らないのでそのつもりで | 熊谷 茜 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)守一筆 (3)14日茜病死 | 1-365 |
昭和7年12月18日 | 帰郷を前に、赤ちゃん御見舞/20日頃帰るため、もうお目にかかれず | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-366 |
昭和7年12月18日 | (茜死亡につき)誠に残念/奥様によろしく | 颯田琴次 | 1-367 | |
昭和7年12月23日 | 山下氏への御紹介感謝/山下氏の鑑定は「大したものに非ず」とのこと | 林 誠吉 | 1-368 | |
昭和7年12月24日 | 歳暮見舞/(1)お子さま御逝去の御悔やみ (2)信時先生の住所お尋ね | 熊谷伊造 | 1-369 | |
昭和7年12月24日 | 喪中につき、年末年始欠礼 | 高岡徳太郎 | 1-370 | |
昭和6年~7 | 松本貞紹介状/只今女子美術2年に在学 | 岡島吉郎 | 封筒欠、本人が持参か | 1-371 |
昭和6年~7 | 奥様留守に付、即席のもの御届け/山野草日本画下さり、厚く御礼 | 馬渕美意子 | (1)郵送にあらず (2)宛先住所から昭和6年~7年と推定 (3)「奥様留守」は茜出産か入院時と推定 | 1-372 |
昭和~7 | (回答) | プレイガイド編集部 徳永 | (1)宛名:なし (2)往信用葉書欠 (3)「はかき」から7年まで | 1-373 |
昭和7年 | 病気見舞 | 安部小澄 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 (3)内容から茜の病気見舞と推定、したがって昭和7年 | 1-374 |
昭和8年1月1日 | 年賀 | 櫛田利雄 | 1-375 | |
昭和8年1月1日 | 年賀 | 下山金一郎 | (1)絵葉書:鶴と海岸 (2)「写真・美術品専門」とあり | 1-376 |
昭和8年2月17日 | 荷物配達についての連絡/米ツキ米1個 大江殿より | 目白駅貨物掛 | 1-377 | |
昭和8年4月10日 | 第8回国画会展覧会招待状/バーナード・リーチの回顧特別陳列あり | 國画会 | (1)梅原龍三郎外14名の名前あり (2)招待券を含む (3)封筒欠 | 1-378 |
昭和8年4月28日 | 江見恒三郎 | (1)中身欠 (2)表書きに「農産物種子」とあり | 1-379 | |
昭和8年5月13日 | (有島生馬の葉書)京城より今月中過ぎ、広島経由で帰京の予定/広島県知事が世話してくれるそうなので来遊されたし | 有島信子 | (1)中に絵葉書:朝鮮ホテル玄関 (2)信子:有島生馬の妻 | 1-380 |
昭和8年5月18日 | 25日頃まで京城にいる様子/また朝鮮から手紙を差し出す由 | 有島信子 | 信子:有島生馬の母 | 1-381 |
昭和8年5月21日 | この夏、皆で出てきませんか/里見連中のプラタナス会展の作品送るので見てほしい由 | 大野新吉 | 1-382 | |
昭和8年5月28日 | 御快諾を得たので、絵は神戸市昭花堂土井軍治商店宛に送付を/(1)夜行での往復、さぞお疲れと申し訳なく (2)お送りの絵画の内、譲ってもよいものには印を | 江見恒三郎 | 1-383 | |
昭和8年5月31日 | 先日は楽しくお供をさせていただき/作品は湯沢さんと相談の上、取りはからう由 | 神田周三 | 1-384 | |
昭和8年6月3日 | 神田画伯の斡旋にて茄子の絵50円で売却 | 湯沢三千男 | 1-385 | |
昭和8年6月8日 | 茄子の絵売却の件/広島県知事にも己斐風景を売る | 神田周三 | 1-386 | |
昭和8年6月8日 | 神戸での展覧会に向け作品送付依頼/出来るだけ作品を集めたく、送付をお待ちしております | 江見恒三郎 | 1-387 | |
昭和8年6月8日 | その内、板を送るので「座猟荘」の揮毫お願い致し度/大泉氏の門札も合わせて送る | 牧野彦太郎 | 1-388 | |
昭和8年6月11日 | 売る絵にはスケッチ板大で100円ほどの値を/(1)一昨日、奥さんから女房宛の手紙を頂く (2)残った絵で友人が懇望したら特別安くお願いしたい | 江見恒三郎 | 1-389 | |
昭和8年6月12日 | 約束の純白花松虫草を送付/日本に2株の内、一つは三好博士宅に、もう一つは亡児様達の御霊前に | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-390 |
昭和8年~.6月12日 | (表:アンドレ・メール絵画展覧会) | 青樹社 | 中身欠 | 1-391 |
昭和8年6月17日 | お宅で頂いたインゲン豆、4~5日前から摘む/10日ほど前、ホオジロ1羽採る、慣れたら送る | 江見恒三郎 | 1-392 | |
昭和8年6月24日 | 展覧会のための絵、至急送付を/展覧会のことを発表したため、好画家よりの問い合わせあり | 江見恒三郎 | 1-393 | |
昭和8年6月24日 | 当地にて御揮毫の洋画、当方にお譲り願いたく、金200円を同封/湯沢知事よりの紹介にて | 柏四郎九 | 1-394 | |
昭和8年6月30日 | 萬様、退院後の経過は如何か/千葉県市川町に家族だけ別居 | 桂川正三 | 1-395 | |
昭和8年6月 | 十日会お知らせ/今秋の展覧会、番衆技塾の件に付相談 | 二科会 | 1-396 | |
昭和8年7月6日 | 自筆の画はがき、有難く/夫人作の小鳥の絵、牧野氏より借り、応接室に飾る | 藤原 貞 | 絵葉書:恵那峡 | 1-397 |
昭和8年7月22日 | 忙しさのため京都の8週間を浪費/(1)8月までに帰る予定が、秋になりそうに (2)涼を求めて比叡山に | 真渕美意子 | (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:比叡山延暦寺 (3)真渕:馬渕美意子と同一人物 | 1-398 |
昭和8年7月23日 | 暑中見舞/今度の家を見がてら、一度お邪魔したい | 大野新吉 | 1-399 | |
昭和8年7月23日 | 暑中見舞 | 小島大輔 | 1-400 | |
昭和8年7月25日 | 暑中見舞/御用命を乞う | 目白相互婦人会 会長大澤英子 | 1-401 | |
昭和8年7月25日 | 暑中見舞 | 中山 巍 | 1-402 | |
昭和8年7月27日 | 1枚売れたのでとりあえず100円送る/(1)不景気故、80円の札を付ける (2)私に横の裸、非売ながら頂けないか | 江見恒三郎 | 1-403 | |
昭和8年7月27日 | 貴君の近影拝見/幼児の君を想い、近時の動静を知りたい | 菅野□雄 | 1-404 | |
昭和8年7月27日 | アケビなど4種のうち、何が御入用か、連絡を乞う/しょうがまし、白口藤、えび、アケビの4種 | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-405 |
昭和8年7月27日 | 来月の第三土曜日に出発、里見とともに御世話になりたい/昨夜里見氏が来ました、3~4枚描けたようです | 大野新吉 | 1-406 | |
昭和8年7月27日 | 暑中見舞 | 高岡徳太郎 | 1-407 | |
昭和8年8月1日 | 暑中見舞 | 美術工芸会 | 絵葉書:「晨潮」佐竹徳次郎筆 | 1-408 |
昭和8年8月5日 | 暑中見舞/7月下旬から佐渡島へ渡り島中探訪 | 早川國彦 | 絵葉書:佐渡の景色 | 1-409 |
昭和8年8月7日 | 暑中見舞 | 向井潤吉 | 1-410 | |
昭和8年8月7日 | 暑中見舞 | 下山金一郎 | (1)絵葉書:真桑瓜と虫 (2)「美術写真専門」とあり | 1-411 |
昭和8年8月8日 | 中房温泉に弟と居る、いよいよ山に登る | 高橋達郎 | 絵葉書:槍ヶ岳 | 1-412 |
昭和8年8月9日 | 暑中見舞/今月19日頃お邪魔する予定 | 里見常夫 | 1-413 | |
昭和8年8月14日 | 暑中見舞、転居通知 | 熊谷鋭太郎 | 絵葉書:製鉄所(軌条工場) | 1-414 |
昭和8年8月19日 | 先日の広島来遊の御礼/茄子と麦の絵を二科展に送付 | 神田英子 | 1-415 | |
昭和8年8月19日 | 家内の絵についてのお願い/湯沢知事購入の絵の件は如何に | 神田周三 | 1-416 | |
昭和8年8月20日 | 19日夕、里見君出発、御指導をよろしく/自分は来客のため、上京できず | 大野新吉 | 1-417 | |
昭和8年8月22日 | 展覧会出品のため上京、一度訪問いたしたく/里見君が来たら、私の住所を伝えてほしい | 早川國彦 | (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:木曽川 | 1-418 |
昭和8年8月24日 | 二科展間近、心にかなう絵が出来たら連絡を/ムッソリーニの絵も気が向いたら是非 | 田村謹寿 | 1-419 | |
昭和8年8月26日 | 里見君帰郷、指導を受け奮発の由/大きな裸体画が出来たそうだが予約させてほしい | 大野新吉 | 1-420 | |
昭和8年8月27日 | 犬吠岬に来ています | 由井覚郎 | 絵葉書:千騎岩 | 1-421 |
昭和8年8月27日 | 京都に今しばらく滞在/今年の二科展は倉田も私も出品せず | 倉田美意子 (庫田) | 1-422 | |
昭和8年8月27日 | 先日の上京の御礼/軽井沢経由で帰郷した、鈴木氏にもよろしく | 里見常夫 | 1-423 | |
昭和8年8月29日 | 暑中見舞/先日は留守中に参上 | 染谷良夫 | 1-424 | |
昭和8年8月31日 | 茄子の絵を拾っていただき、大変有難く | 神田英子 | 二科展に選出されたことを指すか | 1-425 |
昭和8年8月31日 | 茄子の絵を拾って頂けたことへの感謝/29日夜、湯沢さんの所で噂をし偲んだところ | 神田周三 | 1-426 | |
昭和8年9月2日 | 君の大作予約、よろしく/(1)二科展に岐阜の伊佐治が入選、未知の人にて驚いている (2)落選の里見氏の評価、漏らしてほしい (3)また、彼の東京での奉職口を世話してもらえないか | 大野新吉 | 1-427 | |
昭和8年9月8日 | 鮎を送付、念のため連絡 | 大野新吉 | 1-428 | |
昭和8年9月11日 | 訃報(古賀春江死去) | 古賀好江 | 古賀春江:二科展会員 | 1-429 |
昭和8年9月12日 | 二科展出品作を手に入れたい/里見氏の絵については、今なお研究すべしと伝えた | 大野新吉 | 1-430 | |
昭和8年9月12日 | 椎茸榾木、熊谷守一氏宅へ発送依頼/熊谷氏は二科会の領袖にして、小生と同郷 | 牧野彦太郎 | (1)宛名:秋田 (2)封筒欠、複写 | 1-431 |
昭和8年9月12日 | つくばね送付、梅酢への漬け込み方について/派出所設置の件、一ヶ所では不便にて | 牧野彦太郎 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)封筒欠 | 1-432 |
昭和8年9月15日 | 会葬御礼(古賀春江告別式) | 古賀好江 | 1-433 | |
昭和8年9月16日 | 妹(初)が出産のため、母が付知から上京の予定 | 熊谷鋭太郎 | (1)絵葉書:八幡市中央区 (2)妹の初:原 初子(浅草区金龍山) | 1-434 |
昭和8年9月23日 | 25号の裸体画、未完成は惜しい/ムッソリーニの肖像、小品にてお願いしたい | 田村謹寿 | 1-435 | |
昭和8年9月23日 | 岩茸送付、調理法について説明/秋田氏より椎茸の榾木を送ったとのこと | 牧野彦太郎 | 1-436 | |
昭和8年10月18日 | 会報(9月4日総会決議事項)/古賀春江氏死去、名古屋・大阪二科展について | 二科会 | 1-437 | |
昭和8年10月18日 | 名古屋二科展の感想/(1)酒井氏の「茂作の家族」、情緒があり欲しかった (2)例年の通り松茸を送る | 大野新吉 | 名古屋二科展:鶴舞公園美術館 9~19日 | 1-438 |
昭和8年10月26日 | 御揮毫の書画寄贈の依頼/第8回歳末同情週間開催に当たり | 朝日新聞社会事業団 | 1-439 | |
昭和8年10月28日 | 古賀氏への贈呈作品、送付のお願い | 二科会 | 古賀氏:古賀春江氏の遺族か | 1-440 |
昭和8年11月3日 | 月例十日会開催案内/番衆技塾打ち合わせ、塾生作品月例持寄合評会の開催 | 二科会 | 1-441 | |
昭和8年11月4日 | 『週刊朝日』編集部 | 中身欠 | 1-442 | |
昭和8年11月13日 | 紀州へ送る絵の件、4~50円儲かるかも/最近の生活の様子と体の調子について | 江見恒三郎 | 2通入っているか | 1-443 |
昭和8年11月19日 | 非公開 | 1-444 | ||
昭和8年11月20日 | 配達扱荷物に対する照会 | 池袋駅長 | 1-445 | |
昭和8年~.11 | 田坂乾リトグラフ作品展開催/11月20日から24日まで | 青樹社画廊、田坂 乾 | 1-446 | |
昭和8年12月14日 | 新春会員会友懇親会案内/1月10日雨月荘(下谷池之端) | 二科会 | 1-447 | |
昭和8年12月15日 | 昨日お邪魔の御礼/色紙のお願い | 明山春江 | 1-448 | |
昭和8年12月18日 | 十週年記念号 年賀掲載のお願い | 文芸時報社『芸術新聞』 | 1-449 | |
昭和8年12月18日 | 喪中につき、年末年始欠礼 | 鈴木鶴吉、保徳 | 1-450 | |
昭和8年12月20日 | コンクール茶話会開催通知/競技作品の審査、講評茶話会の開催 | 番衆技塾 | 1-451 | |
昭和8年12月29日 | 求龍堂画廊 | 中身欠 | 1-452 | |
昭和8年12月31日 | 年賀 | 下山金一郎 | (1)絵葉書:犬の写真 (2)「美術写真専門」 | 1-453 |
昭和8年12月 | 喪中につき、年末年始欠礼 | 古賀好江 | 1-454 | |
昭和8年..21 | 上京の際の御礼/(1)高橋細渓氏、10号のものを希望 (2)仁保の風景画、赤十字より送金させる | 江見恒三郎 | 絵葉書:厳島神社 | 1-455 |
昭和8年 | (文面なし) | 熊谷守一 | (1)宛名:広島県知事 湯澤三千男 (2)絵葉書:二科展「裸」 (3)作品より昭和8年と推定 (4)湯沢:広島県知事7年6月~10年1月 | 1-456 |
昭和8年~ | 文部省専門学務局学芸課 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-457 | |
昭和8年~ | (差出人不明) | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-458 | |
昭和8年~ | 土岐薫氏蒐集初期洋画展覧会 | 青樹社 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-459 |
昭和8年~ | 飯田實雄近作洋画個展開催/アモレ画廊にて | 飯田實雄 | 宛先住所から8年以降と推定 | 1-460 |
昭和8年~ | 童林社 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-461 | |
昭和8年~ | 烏同人事務所 谷澤一郎 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-462 | |
昭和8年~ | 鳩居堂 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-463 | |
昭和8年~ | (表:故山本芳翠先生素描、小品展覧会) | 青樹社 | (1)中身欠 (2)宛先住所から8年以降と推定 | 1-464 |
昭和9年1月1日 | 新年に付知情緒を伝える橡餅等を送る/早川次郎君が頂いた油絵は、兄利一君が上海に持参 | 牧野彦太郎 | 荷物とともに送る | 1-465 |
昭和9年1月1日 | 年賀 | 野間仁根 | 絵葉書:二科展出品「睡れる旅人」野間仁根画 | 1-466 |
昭和9年1月4日 | 広島の湯沢知事が上京中/湯沢知事と佐藤功一博士が一会を希望、7日は如何か | 小杉放庵 | 1-467 | |
昭和9年1月6日 | 明日の会場について、佐藤博士から連絡なし/私の家に寄ってもらうのが安全か | 小杉放庵 | 絵葉書:高梨村佛田棚 | 1-468 |
昭和9年1月7日 | 四ジマデニキテクレ | 小杉放庵 | 1-469 | |
昭和9年1月8日 | 訃報(母ふじ死亡) | 石井柏亭、貞次、鶴三 | 1-470 | |
昭和9年1月9日 | その節は「初」を通じ、名画を頂き有難く/内地転勤の前に是非上海へお越しを乞う | 早川次郎、頼子 | 1-471 | |
昭和9年1月14日 | 寒中見舞/皇子御降誕の奉祝歌の件、信時先生によろしく | 熊谷伊造 | 1-472 | |
昭和9年1月 | 第15回各科生徒の習作展覧会案内 | 日本美術学校学友会 | 1-473 | |
昭和9年2月1日 | あなたの動悸もだんだん悪くなるそうでお大事に | 大江素子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-474 |
昭和9年2月1日 | 石井氏の貴姿の下絵、送付有難く/信時氏、川上氏宅、お元気ですか | 江見恒三郎 | サダメ:娘の名 | 1-475 |
昭和9年2月4日 | 「貴下の御健康法」について、お尋ね | 美術発行所 | 1-476 | |
昭和9年2月4日 | 有島生馬氏御母堂逝去につき、告別式案内 | 二科会 | 有島生馬の母:信子(前出) | 1-477 |
昭和9年2月8日 | 先月14日から来て、毎日海を見ている(牧田)/5日に当地着、今月中当地の風景を描くつもり(久野) | 牧田正雄、久野昌康 | 1-478 | |
昭和9年2月8日 | 2月例会通知/京都市美術館主催総合展覧会の件 | 二科会 | 1-479 | |
昭和9年2月10日 | 洋画家の日本画小品展開催に当たり参加依頼/日本画小品展開催趣意書 | 『雲雀』発行 反響社 | 1-480 | |
昭和9年2月10日 | 小品展開催についての懇談会案内 | 反響社 | 内容より「反響社」と推定 | 1-481 |
昭和9年2月12日 | 年賀 | 南郊モデル協会 | 絵葉書:華厳縁起 | 1-482 |
昭和9年2月18日 | 昨年中止の裸婦、是非完成を/安井氏の近作小品の周旋をお願いしたい | 田村謹寿 | 安井:安井曽太郎 | 1-483 |
昭和9年2月22日 | 大禮会記念京都美術館 評議員一同 | 中身欠 | 1-484 | |
昭和9年2月23日 | 転居通知 | 林 誠吉 | 1-485 | |
昭和9年2月27日 | 番衆技塾展覧会案内/第1回塾展 4月1日から5日まで、神田東京堂画廊 | 番衆技塾塾生一同 | 1-486 | |
昭和9年2月28日 | ムッソリーニの写真送付/安井氏の10号以内の佳作、御世話願いたい | 田村謹寿 | 1-487 | |
昭和9年2月 | 村井正誠氏個展案内/2月10日から12日まで、紀伊国屋ギャラリー | 紀伊国屋書店美術部 | 絵葉書:村井画 | 1-488 |
昭和9年2月 | 画廊新設案内 | 本町画廊 | 1-489 | |
昭和9年3月1日 | 緊急協議案内 | 二科会 | 1-490 | |
昭和9年3月3日 | 画集作成中、お弟子様にお話し下さいますよう | 古賀好江 | 画集:古賀春江のものか | 1-491 |
昭和9年3月13日 | 曽宮一念氏、会員辞退の報告 | 二科会 | 1-492 | |
昭和9年3月15日 | 在京会員会友の懇親会開催案内/3月18日 二科会事務所 | 二科会 | 1-493 | |
昭和9年3月17日 | 近代美術館建設発起人会開催案内/3月26日 上野公園精養軒 | 垣見泰山、岩佐 新、藤本韶三 | 1-494 | |
昭和9年3月22日 | 新油絵展第2回開催案内/3月24日から28日まで、銀座資生堂 | 伊藤久三郎外10人 | 1-495 | |
昭和9年3月 | 駿河台洋画研究所制作展覧会開催/3月1日から3日まで、研究所内にて、指導者:有島、藤田、東郷、野間 | 駿河台洋画研究所 | 宛先住所と「郵便はかき」から9年と推定 | 1-496 |
昭和9年3月 | 第4回独立美術協会展覧会開催案内/3月20日から、東京府美術館にて | 独立美術協会 | 伊藤廉外14名 | 1-497 |
昭和9年4月6日 | 先日、藤井君にも貴殿にお願いした件、話しました/(1)安井氏の作品、御世話をよろしく (2)約束のムッソリーニ、25号は気が向いたら是非 | 田村謹寿 | 1-498 | |
昭和9年4月9日 | 葉書拝見、萬ちゃんは長く入院ですか/私たちは12日に帰る予定 | 佐藤しげ | 萬入院:中耳炎 | 1-499 |
昭和9年4月10日 | 弁護士 原 玉重 | 中身欠 | 1-500 | |
昭和9年4月10日 | 手紙拝見、お子さまの入院、大切に/失礼ながら、入用ならば、前金として用立ていたしたく | 田村謹寿 | 1-501 | |
昭和9年4月11日 | 教え子で音楽学校師範科の「北原雄一」、訪問を希望/私は3月限りで学校を退職 | 熊谷伊造 | 1-502 | |
昭和9年4月13日 | 美術展覧会出品目録/5月1日から25日まで | 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 | 第13室 熊谷守一 「裸」 200円 | 1-503 |
昭和9年4月15日 | 出品運送に関して/東京府立美術館内に本会臨時事務所を設置 | 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 | 1-504 | |
昭和9年4月17日 | 古本買い受け | 柏林社書店 | 1-505 | |
昭和9年4月17日 | そちらへ見に行ってもいいですか/出品目録、こちらへ貰わなくてもいいですか | 熊谷秀子 | 1-506 | |
昭和9年4月17日 | 萬ちゃん、早く颯田氏に診て頂けたらよかったのに/同封の金、少しですが御茶代の足しに | 江見恒三郎 | 颯田:颯田琴次 | 1-507 |
昭和9年4月18日 | 関西在住会員の上京を期して集合/4月25日 事務所 | 二科会 | 1-508 | |
昭和9年4月19日 | 勤務通知 | 林 一郎 | 1-509 | |
昭和9年4月20日 | 手紙拝見、手術無事に終わり結構/17日に千駄ヶ谷を引き揚げ、こちらに帰る | 佐藤しげ | 1-510 | |
昭和9年4月22日 | 萬ちゃんはその後如何か、お大事に | アベハツキ | 宛名:熊谷 萬 | 1-511 |
昭和9年4月27日 | 大禮記念京都美術館美術展覧会長 京都市長 大森吉五郎 | 中身欠 | 1-512 | |
昭和9年4月29日 | 池田勇八 | 中身欠 | 1-513 | |
昭和9年4月29日 | 貴出品、本会事務所に到着 | 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 | 1-514 | |
昭和9年4月30日 | 遠山陽子 | 中身欠 | 1-515 | |
昭和9年4月 | 4月25日会議内容の報告/(1)会友、会員への推薦について (2)海老原喜之助氏、会友に推挙 | 二科会 | 1-516 | |
昭和9年5月1日 | 大禮記念京都美術館美術展覧会事務所 | 中身欠 | 1-517 | |
昭和9年5月2日 | 来る8日頃より開花につき、御案内 | 吉祥寺牡丹園 | 絵葉書:牡丹園 | 1-518 |
昭和9年5月2日 | 葉書拝見、萬様中耳炎にて入院の趣、御見舞/(1)2月26日上京するも、喘息のため訪問叶わず (2)来る18日頃上京、 | 牧野彦太郎 | 1-519 | |
昭和9年5月3日 | 展覧会開催の案内/5月1日から7日まで、神田東京堂 | 1940年美術協会 | 1-520 | |
昭和9年5月5日 | 訃報(父片多徳郎死去) | 片多草吉外4人 | 1-521 | |
昭和9年5月7日 | 榊屋洋画材料店の開店案内 | 榊屋洋画材料店 木戸重義 | 1-522 | |
昭和9年5月12日 | 13日上京、暇を見計らい御見舞に/タラの芽、蕨を送付 | 牧野彦太郎 | (1)宛名:秀子も併記 (2)封筒欠 | 1-523 |
昭和9年5月16日 | 先日、インゲン豆の種を誂えた初より受け取る | 熊谷鋭雄 | 初:原初子(鋭雄の子) | 1-524 |
昭和9年5月19日 | ご令嬢、その後の容態は如何か | 大谷幸一 | 1-525 | |
昭和9年5月27日 | 非公開 | 1-526 | ||
昭和9年5月28日 | 29日は大掃除のため、塾を休みにする | 安部治郎吉 | 1-527 | |
昭和9年5月28日 | 今秋展覧会出品点数について/出品点数、会員、会友特待は3点以内のこと | 二科会 | 昨秋総会の決議による | 1-528 |
昭和9年5月28日 | お嬢様、その後如何か/学校の口がある由にて急いで帰ったが、暫く待つことに | 山岡興平 | 1-529 | |
昭和9年5月30日 | 有島さんから小屋を貰い、改築して移転 | 中尾一枝 | 1-530 | |
昭和9年5月31日 | 移転通知 | 平林襄二 | 1-531 | |
昭和9年5月13日 | 安井氏の絵、25号の裸体、ムッソリーニ、お願いいたしたく/先日の件、いつでも遠慮なく藤井君にでも | 田村謹寿 | 1-532 | |
昭和9年6月2日 | 近代美術館建設期成会 正木直彦 | 中身欠 | 1-533 | |
昭和9年6月7日 | 会員、会友の集い開催通知/10日 事務所 | 二科会 | 1-534 | |
昭和9年6月8日 | モデル斡旋開業案内 | MA倶楽部 | 1-535 | |
昭和9年6月11日 | その後、萬ちゃんは如何か/帰って1ヶ月ほどで母が亡くなった | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-536 |
昭和9年6月20日 | 25号裸婦、ムッソリーニの絵、安井氏の件、よろしく/近作で会心のものがあったら拝見いたしたく | 田村謹寿 | 1-537 | |
昭和9年6月22日 | 上京後1ヶ月、多香と私、交互に病臥する/付知よりの山蕗を転送する | 牧野彦太郎 | (1)宛名:秀子も併記 (2)荷物とともに送る | 1-539 |
昭和9年7月25日 | 暑中見舞 | 一噌印刷所 一噌連 | 1-540 | |
昭和9年7月26日 | 京都へ出陳の裸婦、藤井君の所へ持参催促/25号裸婦、ムッソリーニ、安井氏の小品催促 | 田村謹寿 | 1-541 | |
昭和9年7月27日 | 暑中見舞 | 額縁製作磯谷商店 長尾建吉 | 絵葉書:大正9年嶽陽還暦祝いの席上諸先生の霊筆 | 1-542 |
昭和9年7月27日 | 昨日御届けのつもりが、郵便にて失礼 | 安部治郎吉 | 1-543 | |
昭和9年7月30日 | 暑中見舞/当地にて本年出品の作品制作中 | 水野富三 | 宛名:秀子も併記 | 1-544 |
昭和9年7月30日 | 電話開通通知 | 美蘭社 | 1-546 | |
昭和9年7月31日 | 雑誌『新美術』発行の案内 | 『新美術』発行所 大衆経済社大島唯史外3人 | 1-547 | |
昭和9年8月2日 | 展覧会鑑別 日時の連絡/招待状発送先について依頼 | 二科会 | 1-548 | |
昭和9年8月2日 | 熱海に通って作品制作中/(1)学生生活最後の夏休み (2)菅原さんの絵を見て、自分の絵の弱々しさが悲しい | 松本 貞 | 「門下生」とあり | 1-549 |
昭和9年8月4日 | 「友(藤井浩祐)を語る」依頼の確認 | 美術発行所 | 1-550 | |
昭和9年8月6日 | 暑中見舞/二科制作中、8月18,9日に上京の予定 | 里見常夫 | 1-551 | |
昭和9年8月6日 | 玉稿御礼 | 美術発行所 | 1-552 | |
昭和9年8月8日 | 千秋の頭のけがのこと/二科の招待状につき、依頼 | 安部小澄 | (1)宛名:秀子も併記 (2)千秋:安部の子 | 1-553 |
昭和9年8月8日 | いつも突然お邪魔し、御世話になり感謝/先生の動向(在宅)についてお尋ね | 大谷幸一 | 1-554 | |
昭和9年8月8日 | 貴作、藤井君と相談の上、50円で頂きたく/金は11,12日にお渡し致したく | 田村謹寿 | 1-555 | |
昭和9年8月12日 | 里見氏上京につき、御世話方依頼/例年の通り、17,8日頃に上京とのこと | 大野新吉 | 1-556 | |
昭和9年8月15日 | 千秋への見舞、御礼/お出かけの上、いろいろ御教示、有難く | 安部小澄 | 1-557 | |
昭和9年8月15日 | 招待状3枚希望/先日の話の方、仕事の世話について | 明山春江 | 宛名:熊谷秀子 | 1-558 |
昭和9年8月15日 | 暑中見舞 | 下山金一郎 | 絵葉書:金魚 | 1-559 |
昭和9年8月17日 | 付知に来て半月、なお1ヶ月くらい遊んで帰名の予定/観音様を彫って、糊口をしのぐ | 熊谷朋助 | 1-560 | |
昭和9年8月18日 | 展覧会一般作品の鑑別 日時の連絡 | 二科会 | 1-561 | |
昭和9年8月19日 | 本年の二科展出品作品5点の連絡/(1)本年は新学期準備のため、上京せず (2)新築移転、田園生活 | 水野富三 | 宛名:秀子も併記 | 1-562 |
昭和9年8月20日 | 神田英子画 写真3枚 | 神田周三、英子 | (1)文面欠 (2)写真3枚 | 1-563 |
昭和8年~9年7月11日 | 引っ越してから小品制作/(1)二科会60号風景、30号静物の制作始める (2)学校の子どもの講習には10人ほど参加 (3)小川氏来訪、1ヶ月前に男子誕生とか、大作制作中 | 鈴木國威 | (1)小川:小川勝蔵か (2)黄、萬は学校、榧入学前から昭和8年~9年と推定 | 1-564 |
昭和8年~9年7月3日 | 60号風景はこの陽気のため、制作中断/30号静物は完成、一昨日から50号人物の制作開始 | 鈴木國威 | 564に続く | 1-565 |
昭和8年~9年8月23日 | 二科展出品の作品5点完成/出品前に見ていただけなくて、審査が不安 | 鈴木國威 | 565に続く | 1-566 |
昭和9年8月24日 | 26日にお邪魔いたしたく、都合は如何か | 牧野彦太郎、多香 | 宛名:秀子も併記 | 1-567 |
昭和9年8月25日 | 娘春子への御愛顧、御教導の依頼/(1)春子、美術学校卒業後、この道を選び、日夜精進 (2)本年二科展出品作品として5枚を仕上げる | 竹田正平 | 鉄道荷札あり(ブドウを送付) | 1-568 |
昭和9年8月25日 | 明26日、10時までにはお伺い予定/(1)明日は裁判所に寄っていただきたく、お願い (2)同封の手紙、夫婦でお読みいただきたく | 牧野彦太郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-569-1 |
昭和9年7月17日 | 多香子夫人、入籍や否や/(1)北恵那問題、誠に痛心の至り (2)故中村荘吉君一周忌にて、葦原氏に会う | 山道梅太郎 | 宛名:牧野彦太郎、多香子 | 1-569-2 |
昭和9年8月26日 | 明日26日夕方お伺いの連絡/守一氏には、7時に帰宅されるよう山下氏に伝言を頼んだ | 牧野彦太郎、多香 | 宛名:秀子も併記 | 1-570 |
昭和9年8月26日 | 在京中、御世話になり御礼/24日、無事着 | 里見常夫 | 1-571 | |
昭和9年8月26日 | 25号完成の由、是非拝見いたしたく/27,30日の指定の時間にはお目にかかれない | 田村謹寿 | 1-572 | |
昭和9年8月29日 | 里見の作品指導の御礼/出品作20号が出来たそうだが、回して欲しい | 大野新吉 | 1-573 | |
昭和9年8月30日 | 過日の突然の訪問御礼/新聞にて二科の発表を知り、勉強不足を痛感、今後とも御指導を乞う | 中村徳二郎 | 1-574 | |
昭和9年9月3日 | 今夕鮎発送、明朝池袋駅にて受取のこと/(1)里見氏も本人の話通りには行かないようで (2)早川氏が会友になる由、新聞にて拝見 | 大野新吉 | 1-576 | |
昭和9年9月3日 | (二科展入選)一家中喜び合う/(1)二科展開催、懇親会に参加のため、上京 (2)本年は自信なき作品にて、申し訳なく | 水野富三 | 1-577 | |
昭和9年9月3日 | 二科展の入場券、送付の依頼 | 内野 猛 | 1-578 | |
昭和9年9月3日 | 二科展招待状の御礼 | 東京市西巣鴨第五尋常小学校 天津正路 | 1-579 | |
昭和9年9月4日 | 春子の画、二科展予選2枚選定の御礼 | 竹田正平 | 1-580 | |
昭和9年9月5日 | 二科展入場券、送付の御礼 | 内野 猛 | 絵葉書:山形県蕨岡登山道 | 1-581 |
昭和9年9月6日 | 二科会 | 中身欠 | 1-582 | |
昭和9年9月7日 | 故古賀春江君一周忌追悼会案内/9月10日 上野山下揚出し | 石井柏亭外6人 | 発起人:石井柏亭、東郷青児、川端康成、高田力蔵、赤城泰舒、阿部金剛、峰岸義一 | 1-583 |
昭和9年9月13日 | 写真と塩イカ、初子に誂える | 熊谷鋭雄 | 初子が持参 | 1-584 |
昭和9年9月14日 | 訃報(竹添履信死去) | 竹添信之、嘉納治五郎、早川万一、梅原龍三郎 | 封筒欠 | 1-585 |
昭和9年9月17日 | 会葬御礼(父履信告別式) | 竹添信之 | 1-586 | |
昭和9年9月17日 | 女艸会第1回洋画展覧会案内/9月21日から25日まで、神田東京堂 | 女艸会 | 荒井彩子外10人 | 1-587 |
昭和9年9月17日 | 会員、会友の集い開催通知/9月20日 マーブル | 二科会 | 1-588 | |
昭和9年9月17日 | 名称及び指導者職員変更の通知 | 駿河台洋画研究所 | (1)旧:アヴアン・ガルド洋画研究所 (2)指導者:有島生馬、東郷青児、藤田嗣治、野間仁根 | 1-589 |
昭和9年9月19日 | 25号裸婦は、残念ながら会心の作に非ず/女の顔の代品は、他日会心のものが出来た折に | 田村謹寿 | 1-590 | |
昭和9年9月20日 | 写真とパイプ、受け取りました/油絵を描いてもらいたい | 熊谷鋭雄 | 1-591 | |
昭和9年9月23日 | 関西地方大惨状にて、急ぎ帰郷/いつ帰国できるか判らないので車中からお詫びまで | 由井覚郎 | 室戸台風:9月21日 | 1-592 |
昭和9年9月24日 | 昨夜無事帰宅、家族無事損害軽微/津波による増水、市内、非常に難儀を | 由井覚郎 | 1-593 | |
昭和9年9月24日 | 第1回制作展覧会/9月27日から30日まで、当研究所にて | 駿河台洋画研究所 | 1-594 | |
昭和9年9月27日 | 招待券送付の御礼/日曜日の都合は如何か、連絡を待つ | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-595 |
昭和9年9月 | 開店案内 | やき蛤本舗「濱屋」 峰岸義一 | 1-596 | |
昭和9年10月27日 | 会心の作が出来ましたら御持参下さい/ムッソリーニの絵、風景画、安井氏の件、よろしく | 田村謹寿 | 1-597 | |
昭和9年12月6日 | 番衆(二科)技塾 収支計算表(8~11月) | 二科会 | 1-598 | |
昭和9年12月10日 | ムッソリーニの絵、冬の風景画の催促/自信作は拝見いたしたく | 田村謹寿 | 1-599 | |
昭和9年12月19日 | ムッソリーニと裸の2点、150円にて購入いたしたし/(1)以上、藤井君と相談 (2)線の赤い方は返却したい | 田村謹寿 | 1-600 | |
昭和10年1月19日 | 日本水彩画会 | 中身欠 | 1-601 | |
昭和10年1月24日 | 大島は強風にて | 山下新太郎 | 絵葉書:大島風俗 | 1-602 |
昭和10年1月31日 | 西人社結成/規則書、展覧会、同人住所 | 西人社 | 西人社:福岡県出身の二科展出品者 | 1-603 |
昭和10年1月 | 如水遊心画展案内 | 如水会遊心画談会 | 1-604 | |
昭和10年2月9日 | 磯長美術祭趣旨/出品願い | 松葉俊郎 | 磯長山 叡福寺 | 1-605 |
昭和10年2月11日 | 転居通知 | 岩月虎雄 | 旧姓:太田 | 1-606 |
昭和10年2月22日 | 第7回新美術家協会展覧会 開催案内/2月 24日から3月5日まで、東京府美術館 | 新美術家協会 | (1)荒井一郎外22人 (2)招待券同封 | 1-607 |
昭和10年2月25日 | 三昧堂 | (1)文面欠 (2)写真(撮影物不明)1枚在中 | 1-608 | |
昭和10年2月 | 広本季与丸氏油絵展覧会 案内 | 桜製菓画廊部 天城俊彦 | (1)広本季与丸:帝展新人、太平洋画会会友 (2)2月23日が土曜日から昭和10年と推定 | 1-609 |
昭和10年3月5日 | 稚内大泊間と樺太の風景 | 久野昌康 | 絵葉書:亜庭丸 | 1-610 |
昭和10年3月9日 | 中村恒夫『巴里画壇の全貌』案内 | 崇文堂書店 | 1-611 | |
昭和10年3月9日 | 豊原と真岡間の鈴谷平原の光景がすばらしい/明日は多蘭泊まりでアイヌ部落へ遊びに行く予定 | 久野昌康 | 絵葉書:真岡港 | 1-612 |
昭和10年3月11日 | 第8回上杜会展覧会 案内 | 上杜会 | 1-613 | |
昭和10年3月11日 | 第44回卒業証書授与式並びに各科卒業制作品高覧案内 | 東京美術学校長 和田英作 | 1-614 | |
昭和10年3月12日 | 七洋会洋画展 招待状 | 七洋会 | 七洋会:女子美術学校昭和7年卒業生 | 1-615 |
昭和10年3月18日 | 新燈社 | 中身欠 | 1-616 | |
昭和10年4月6日 | 日本初期洋風版画展覧会 招待券 | 日動画廊 長谷川仁 | 主催:洋画研究 外山卯三郎 | 1-617 |
昭和10年4月6日 | 家族で上京、御世話になった御礼/今度の展覧会出品作品は是非、私に回して欲しい | 大野新吉 | 宛名:秀子も併記 | 1-618 |
昭和10年4月6日 | 各種油絵の具価格表 | 竹見屋 | 1-619 | |
昭和10年4月9日 | 第1回洋画展覧会 案内 | アニマ | 会員:有海千尋外6人 | 1-620 |
昭和10年4月15日 | 創立十周年記念祝賀会 案内 | 東京市西巣鴨第五尋常小学校奨学会長 多田房之輔 | 1-621 | |
昭和10年4月22日 | 開館十周年記念 現代総合美術展覧会 案内 | 東京府美術館 | 中身欠 | 1-622 |
昭和10年4月25日 | 第1回作品展覧会 案内 | 北海道独立美術作家協会 | (1)宛名:なし (2)封筒欠 | 1-623 |
昭和10年4月 | 王済遠絵画展覧会 案内 | 日動画廊 | (1)宛名:なし (2)王済遠:上海美術専科学校長 (3)紹介文:梅原龍太郎 (4)推薦者:藤島武二、石井柏亭外4人 | 1-624 |
昭和10年4月 | 松田(文蔭改め)晃八氏油絵個人展覧会 案内 | 桜製菓画廊 天城俊彦 | 4月20日が土曜日、桜製菓画廊から昭和10年と推定 | 1-625 |
昭和10年4月 | 第4回1940年協会展開催/紀伊国屋画廊にて | 1940年美術協会 | 阿部芳文外4人 | 1-626 |
昭和10年5月5日 | 第3回清光会作品展 案内 | 清光会 | 会員:高村光太郎外7人 | 1-627 |
昭和10年5月14日 | 野生会を組織、第1回展開催 案内 | 女美術本年度卒業生 野生洋画会 | 同人:女子美術高等科西洋画部卒業生 | 1-628 |
昭和10年5月31日 | 第2回展覧会 案内 | 三春会 | 招待券2枚あり | 1-629 |
昭和10年5月 | 早川國彦氏水彩画小品展覧会/5月1日から7日まで | 桜製菓画廊 天城俊彦 | 5月1日が水曜日、桜製菓画廊より昭和10年と推定 | 1-630 |
昭和10年5月 | 明石哲三氏油絵個人展覧会開催/二科会新人、5月8日から14日まで | 桜製菓画廊 天城俊彦 | 637との関連から昭和10年と推定 | 1-631 |
昭和10年5月 | 創作漆絵展覧会 案内/日動画廊にて | 横井弘三、三浦久明 | (1)宛名:なし (2)封筒欠 | 1-632 |
昭和10年6月17日 | 会葬御礼(藤川勇造告別式) | 藤川栄子 | 1-633 | |
昭和10年6月 | 藤田嗣治画伯 近作小品個人展覧会 目録 | 紀伊国屋ギャラリー 天城俊彦 | (1)宛名:なし (2)封筒欠 | 1-634 |
昭和10年6月 | 野間仁根画伯個人展覧会開催/6月12日から19日まで、紀伊国屋ギャラリーにて | 天城俊彦 | (1)宛名:なし (2)天城と紀伊国屋、6月12日が水曜日から昭和10年と推定 (3)絵葉書:野間仁根画 | 1-635 |
昭和10年6月 | 藤田嗣治画伯 近作小品展覧会の案内/紀伊国屋ギャラリーにて | 天城俊彦 | (1)絵葉書:マデレエヌ (2)634と同じ内容 | 1-636 |
昭和10年6月 | 個展、御世話になり御礼/台北着、1ヶ月ほど紅頭嶼に滞在 | 明石哲三 | 絵葉書:紅頭嶼ヤミ族 | 1-637 |
昭和10年7月31日 | 暑中見舞 | 葉山堂 下山金一郎 | (1)絵葉書:鯉 (2)美術写真 葉山堂 | 1-638 |
昭和10年7月 | 古賀春江遺作回顧展覧会 案内/紀伊国屋ギャラリーにて | 天城俊彦 | 1-639 | |
昭和10年代.8月17日 | 主人、二科展に出品に付、お願い/直接御指導をお願いすべきところ、知人が伺うのでよろしく | 田中優紀子 | (1)封筒欠 (2)田中関係の書簡類から昭和10年代と推定 | 1-640 |
昭和10年8月22日 | 竣工全館完成 案内 | 三越 | 1-641 | |
昭和10年8月27日 | レートン絵具株式会社 | 中身欠 | 1-642 | |
昭和10年8月30日 | 個人展覧会開催の案内/銀座資生堂にて | 伊藤継郎 | 1-643 | |
昭和10年9月 | 「飾画」第2回洋画展覧会開催の案内/紀伊国屋書店画廊にて | 飾画同人 | 同人:糸園和三郎外5人 | 1-644 |
昭和10年9月 | 一噌印刷所 | 中身欠 | 1-645 | |
昭和10年10月21日 | 移転と電話開通の通知 | 南郊モデル協会 小林源太郎 | 1-646 | |
昭和10年10月 | 藤川勇造遺作彫刻展覧会 目録 | 藤川栄子 | 1-647 | |
昭和10年11月2日 | 正木直彦氏蒐蔵品展覧 案内 | 東京美術学校陳列館 | 1-648 | |
昭和10年11月14日 | 長谷川伝次郎氏印度風物写真展覧会 案内 | 小西六本店 | 絵葉書 | 1-649 |
昭和10年11月16日 | 新美術家協会秋期展 案内 | 三昧堂 | 1-650 | |
昭和10年11月18日 | 帝展問題についての建言書、展覧会試案 | 美術公正会 | 1-651 | |
昭和10年11月24日 | 旅館案内 | 江浦真崎屋旅館 岩崎彦左衛門 | 1-652 | |
昭和10年11月 | 高間惣七水墨画展覧会開催/12月1日から3日まで、菊屋ギャラリーにて | 高間惣七 | 3銭切手と12月1日が日曜日から昭和10年と推定 | 1-653 |
昭和10年12月1日 | 三浦義武、白木屋、田口省吾 | (1)宛名:秀子も併記 (2)中身欠 | 1-654 | |
昭和10年12月10日 | 庫田第1回個人展覧会 案内、目録 | 倉田美意子 (庫田) | 「馬渕美意子」名、併記 | 1-655 |
昭和10年12月18日 | 庫田第1回個人展覧会 案内 | 倉田美意子 (庫田) | 絵葉書 | 1-656 |
昭和10年12月 | 『岡倉天心全集』刊行案内 | 聖文閣 | 1-657 | |
昭和10年12月 | 独唱会(グスターフ・マーラーの夕)の案内 | 安井義三、曽太郎 | 1-658 | |
昭和10年12月 | 第9回黒色洋画展 | 紀伊国屋美術部 | (1)宛名:なし (2)未使用絵葉書 | 1-659 |
昭和10年12月 | (帝展問題について)声明書/第2声明書(来春の展覧会開催に反対) | 第一部会事務所 | 1-660 | |
昭和11年1月1日 | 年賀 | 成瀬澄三郎 | 1-661 | |
昭和11年1月1日 | 年賀 | 美術写真葉山堂 下山金一郎 | 絵葉書 | 1-662 |
昭和11年1月3日 | 第1回自然派展開催案内 | 新自然派協会 小城基 | 1-663 | |
昭和11年1月6日 | 第13回美術展覧会開催案内 | 白日会 | 1-664 | |
昭和11年1月7日 | 安宅虎雄個人展覧会開催 目録 | 安宅虎雄 | 目録 | 1-665 |
昭和11年1月9日 | 年賀 | 日動画廊 長谷川仁 | 1-666 | |
昭和11年1月 | 第1回フォルム展案内/紀伊国屋画廊 | 第一回フォルム展 | 1-667 | |
昭和10年~11月2日 | 洋画新人4人展(丸野豊司、木寺轍、杉三郎、川城国司) | 桜製菓画廊部 天城俊彦 | 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 | 1-668 |
昭和10年~11月2日 | 福田新生、野田信、関川富士郎三氏洋画展覧会 案内 | 桜製菓画廊部 天城俊彦 | 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 | 1-669 |
昭和10年~11月3日 | 巽 健治郎氏油絵展覧会 | 桜製菓画廊部 天城俊彦 | 桜製菓画廊から昭和10年~11年と推定 | 1-670 |
昭和11年5月9日 | 日本壁画会結成、第1回展覧会案内 | 日本壁画会事務所 | 1-671 | |
昭和11年5月17日 | 第1回油絵展覧会開催案内 | 白嘯会 | 1-672 | |
昭和11年5月20日 | 第1回篝火工房彫刻・工芸小品展覧会案内 | 篝火工房 | 1-673 | |
昭和11年5月20日 | 第1回朔土会彫刻展覧会案内 | 朔土会 | 会員:東京美術学校彫刻科在学中 | 1-674 |
昭和11年5月22日 | 近作品展 案内 | 三昧堂ギャラリー 岡田七蔵外3人 | 1-675 | |
昭和11年5月26日 | 第2回ぴゆるて洋画展覧会開催 案内/三昧堂ギャラリーにて | ぴゆるて同人 | 同人:岩田 栄外5人 | 1-676 |
昭和11年5月31日 | 素顔社、七洋会合同洋画展 案内 | 素顔社 七洋会 | 1-677 | |
昭和11年5月 | フォルム5月展 | フォルム展事務所 | 絵葉書:大橋城画 | 1-678 |
昭和11年5月 | 東京府会議員総選挙立候補の宣言 | 小澤今麿 | 1-679 | |
昭和11年5月 | 近作品展 案内 | 三昧堂美術部 | 675と同一 | 1-680 |
昭和11年5月 | 倉田白羊画伯油絵展覧会 案内/目録 | 三昧堂美術部 | 1-681 | |
昭和11年5月 | 第1回LES LILAS展開催/5月14日から18日まで、紀伊国屋ギャラリーにて | LES LILAS事務所 宮川仁 | 5月14日が木曜日は11,17年 | 1-682 |
昭和11年6月9日 | 第4回童林社絵画・彫刻展覧会 案内/童林社、創生期会合同声明書 | 童林社 | 招待券2枚あり | 1-683 |
昭和11年6月11日 | 第1回展 案内 | 四行会 | 1-684 | |
昭和11年6月13日 | 第1回個展 案内 | 三井安尾 | 1-685 | |
昭和11年6月15日 | 近作油絵展 案内 | 馬越枡太郎外3人、三昧堂美術部 | 1-686 | |
昭和11年6月15日 | 油絵展覧会 案内 | 内野 猛、久米福衛、大久保喜一 | 1-687 | |
昭和11年6月15日 | 第6回洋画展覧会 案内/故外岡、萬田遺作展示 | 九年会 | 1-688 | |
昭和11年6月17日 | 明石哲三個人展覧会開催 案内/公正会館ホールにて | 明石哲三 | 目録あり | 1-689 |
昭和11年6月28日 | 近作品展開催 案内/青樹社ギャラリーにて | 立陣社 | 同人:井手坊也外10人 | 1-690 |
昭和11年6月28日 | 第3回展覧会開催 案内/紀伊国屋画廊にて | 女艸会 | 1-691 | |
昭和11年6月 | G.クリムト遺作素描展覧会 | 天城画廊 | 1-692 | |
昭和11年6月 | 第1回洋画個人展覧会開催 案内/資生堂ギャラリーにて | 水船三洋 | 1-693 | |
昭和11年6月 | 沼田一郎ガラス絵展覧会 案内 | 三昧堂美術部 | 絵葉書:沼田出品作品、目録あり | 1-694 |
昭和11年6月 | 中元洋画特価即売展覧会 | 三昧堂美術部 | 1-695 | |
昭和11年6月 | 第1回展覧会開催 案内/紀伊国屋書店にて | 彩々会 | 一木萬壽三外7人 | 1-696 |
昭和11年6月 | 第2回ぴゆるて洋画展覧会開催 案内/三昧堂ギャラリーにて | ぴゆるて同人 | 676と同一 | 1-697 |
昭和11年6月 | 13回黒色洋画展覧会/紀伊国屋ギャラリーにて | (差出人不明) | 出品者:野原隆平外4人 | 1-698 |
昭和11年7月9日 | 先だって御世話になった御礼/(1)三部会は9月限り在野団体に確定 (2)高島屋の鍋井さんの絵の会を見てきた | 石川確治 | 絵葉書:山形市全景 | 1-699 |
昭和11年7月15日 | 昭和11年文部省美術展覧会参加招待につき/昭和11年文部省美術展覧会規則 | 文部省専門学務局学芸課 | 1-700 | |
昭和11年7月17日 | 高岡徳太郎氏滞欧作品個人展覧会開催 案内/目録 | 高島屋美術部 | 1-701 | |
昭和11年7月26日 | 発会声明書、及び新制作派協会規約 | 新制作派協会 | 1-702 | |
昭和11年7月 | 暑中見舞、三浦コーヒー商会挨拶/白木屋コーヒーを楽しむ会9,10月休会 | 三浦義武 | 1-703 | |
昭和11年7月 | 岸田劉生遺作回顧素描展覧会 目録 | 天城画廊 | 1-704 | |
昭和11年7月 | 第2回諸家コレクション欧州絵画展覧会目録 | 天城画廊 | 1-705 | |
昭和11年7月 | 第4回秋香会展覧会開催/銀座伊東屋ギャラリーにて | 秋香会 | (1)秋香会:昭和8年女子美術卒業生 (2)卒業年度と1135から昭和11年と推定 | 1-706 |
昭和11年7月 | 夏季洋画特買即売展覧会 開催 | 三昧堂美術部 | 1-707 | |
昭和年未詳7月 | 未発表遺作品岸田劉生氏日本画展目録 | 銀座小画廊 | 宛先住所と7月16日が木曜日から昭和11年と推定 | 1-708 |
昭和11年8月17日 | 主線美術協会絵画武研究趣旨/監査、優待方針について | 主線美術協会絵画部 | 1-709 | |
昭和11年8月18日 | 残暑見舞/近況報告 | 小椋繁治 | 1-710 | |
昭和11年8月20日 | 制作終了、明日帰京の予定/秋に先生の作を見るのが楽しみ | 明石哲三 | 絵葉書:外川 | 1-711 |
昭和11年8月23日 | 「巴里 ドルアン絵具」新荷着案内 | アサオ絵之具店 | 1-712 | |
昭和11年8月26日 | 第2回三部会展覧会開催 案内/在野彫塑団体として | 第三部会 | (1)同人:池田勇八外7人(石川確治含む) (2)招待券6枚あり | 1-713 |
昭和11年8月26日 | 現代洋画の総合展観開催につき、出品依頼 | 松坂屋 | 返信用の葉書あり | 1-714 |
昭和11年8月29日 | 第2回三部会展覧会開催 案内 | 第三部会 | 713と同一 | 1-715 |
昭和11年8月30日 | 現代洋画総合展覧会開催 案内 | 松坂屋 | 1-716 | |
昭和11年8月 | 第1回各派選抜新人連続個人展覧会 案内 | 天城画廊 | 1-717 | |
昭和11年8月 | 洋画近作小品展覧会開催 案内/三越にて | 九夏会 | 伊藤慶之助外19人 | 1-718 |
昭和11年8月 | 独立新人高畑正明氏近作水絵展開催 | 天城画廊 | 絵葉書:出品作品「海」 | 1-719 |
昭和11年9月5日 | 洋画近作小品展覧会開催 案内/三越にて | 九夏会 | 718と同一 | 1-720 |
昭和11年9月7日 | 会設立につき、懇親会案内 | 池袋美術家クラブ 佐波甫 | 事務所:佐藤英男方 | 1-721 |
昭和11年9月11日 | 南画鑑賞会存続の連絡 | 南画鑑賞会 | 1-722 | |
昭和11年9月12日 | 招待いただいた二科展、おじ様にお目にかかりました/萬様ご退院、ご通学、おめでとうございます | 森村みつゑ | (1)宛名:熊谷秀子 (2)「おじ様、おば様」とあり | 1-723 |
昭和11年9月12日 | 第2回展覧会開催 案内/資生堂にて | 四行会 | 1-724 | |
昭和11年9月14日 | 滞欧作並びに近作展覧会開催 案内/上野公園内、日本美術協会列品館 | 名井萬亀 | 目録あり(ただし、これは郵送にあらず) | 1-725 |
昭和11年9月15日 | 故佐分真遺作展覧会開催 案内/松坂屋 | 故佐分真遺作展世話人 | 1-726 | |
昭和11年9月15日 | 中原清隆近作個人展覧会開催 案内/ラテン画廊にて | 中原清隆個人展覧会後援会 | 中原清隆:本名 隆次郎 | 1-727 |
昭和11年9月16日 | 故佐分真遺作展覧会開催 案内/松坂屋 | 故佐分真遺作展世話人 | 726と同一 | 1-728 |
昭和11年9月17日 | 第1回池袋美術家クラブ展覧会開催 案内 | 池袋美術家クラブ | 1-729 | |
昭和11年9月17日 | 藤井達吉先生作画展観 案内 | 白木屋美術部 | 1-730 | |
昭和11年9月18日 | 美術部主任西川武郎退職、独立開業の知らせ | 三昧堂 堀越震六 | 1-731 | |
昭和11年9月21日 | 「最上川上流」「雨乞い山」展示承諾の伺い/金沢、大阪展覧会にて | 二科会 | 1-732 | |
昭和11年9月22日 | 寺田竹雄帰朝第1回個人展覧会開催 案内/青樹社画廊にて | 寺田竹雄 | 1-733 | |
昭和11年9月30日 | 三浦義武のコーヒーを楽しむ会開催 | 白木屋 食堂 | 1-734 | |
昭和11年9月 | 脇田和氏、長谷川利行氏個人展覧会目録 | 天城画廊 | 1-735 | |
昭和11年9月 | 長谷川利行氏個人展覧会目録 | 天城画廊 | 735と同一 | 1-736 |
昭和11年9月 | 仏蘭西民衆版画展覧会開催/9月20日から24日まで、日動画廊にて | 日動画廊 | 9月20日(日曜日)は6,11,17年から11年と推定 | 1-737 |
昭和11年9月 | 昭和11年文部省美術展覧会への出品伺い | 文部省専門学務局学芸課 | 「招待出品申込書」あり | 1-738 |
昭和11年9月 | 原精一、森芳雄、立石鉄臣、矢橋六郎氏個人展覧会目録 | 天城画廊 | 1-739 | |
昭和11年9月 | 14回黒色洋画展/紀伊国屋ギャラリーにて | (差出人不明) | 野原隆平外5人 | 1-740 |
昭和11年9月 | 山本直武氏個人展覧会目録 | 天城画廊 | 二科会新人、黒色展同人 | 1-741 |
昭和11年10月3日 | 女艸会秋季展/紀伊国屋にて | 女艸会 | 1-742 | |
昭和11年10月5日 | 『三共薬事通信 第34号』 | 三共株式会社 | 1-743 | |
昭和11年10月8日 | 伊藤廉画伯個人展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 西川武郎 | 1-744 | |
昭和11年10月14日 | 第2回佐々木永秀作品展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 佐々木永秀 | 絵葉書:出品作品「月下清談」 あり | 1-745 |
昭和11年10月15日 | 伸草社第3回展開催/伊東屋にて | 伸草社同人 | 同人:昭和10年女子美術専門学校日本画、西洋画卒業生 | 1-746 |
昭和11年10月21日 | 第3回洋画展開催/開店第3周年 | 三昧堂 | 目録あり | 1-747 |
昭和11年10月 | 故岸田劉生画伯第2回遺作回顧展開催 | 天城画廊 | 絵葉書:「鵠沼風景」 | 1-748 |
昭和11年10月 | 和漢洋総合 古書大即売展/松坂屋にて | 第一古書連合会 | 封筒欠 | 1-749 |
昭和11年10月 | 汎展開催 目録 | 天城画廊 | 郵便外 | 1-750 |
昭和11年12月10日 | 「雨乞山」写生御高覧の御礼 | 川嶋浪速 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)絵葉書:下呂温泉 | 1-751 |
昭和11年12月12日 | 伊豆三津滞在の知らせ | 明石哲三 | 絵葉書:「三津浜風景」明石画 | 1-752 |
昭和11年 | 額縁特価販売案内 | マツモト額縁店 | 昭和11年の分類中にあり | 1-753 |
昭和11年 | 新作家同盟設立並びに第1回新作発表会開催/三共ギャラリーにて | 新作家同盟 | 1-754 | |
昭和12年3月 | 物故十二画家遺作回顧展開催 | 天城画廊 | 絵葉書:「水郷」森田恒友画 | 1-755 |
昭和12年5月1日 | 手紙、切符頂きました/4月は、四国巡り、北陸旅行と多忙にて | 江見恒三郎 | 絵葉書:室生寺 如意輪観世音菩薩 | 1-756 |
昭和12年8月 | 二科第24回美術展覧会開催 案内 | 二科会 | 招待券2枚あり | 1-757 |
昭和13年5月7日 | 東京を出て2週間、何にも煩わされない生活/先生も喜んでいる | 竹谷富士雄 | 絵葉書:沖縄円覚寺 | 1-758 |
昭和13年5月10日 | 転居通知 | 山口順吉 | 1-759 | |
昭和13年5月15日 | 濱田葆光 | 中身欠 | 1-760 | |
昭和13年5月23日 | 今月末にお越しのこと、大塚さんから知りました/昨年の楽しい時も、もう一年前となり | 江見あさ子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-761 |
昭和13年5月26日 | お出でを、山本、大塚氏とともに待っています/(1)山本発次郎氏は30日を明けているとのこと (2)是非、遅くとも28日中にはお越しを | 江見恒三郎 | 1-762 | |
昭和13年5月28日 | 召集の命により部隊に入隊、お知らせ | 木村辰彦 | 1-763 | |
昭和13年5月29日 | 約束の10号以上の大作、お願いします/日本画も合わせて見せていただきたく | 田村謹寿 | 1-764 | |
昭和13年5月 | 陸海軍病院への美術作品寄贈(傷痍軍人慰問美術家連盟)/寄贈依頼(二科会) | 文部省専門学務局学芸課 | 1-765 | |
昭和13年6月6日 | おじさんが汽車から帽子を振るのが見えました/秋にお越しになるのを楽しみにしております(あさ子) | 江見其道 | 江見其道(4年):恒三郎の子ども | 1-766 |
昭和13年6月10日 | 同封の葉書来信、小生のお得意さんにて/(1)近日開催の神戸三越展でお求めをと、紹介 (2)会社用の作品1枚、代金10円送金 | 江見恒三郎 | (1)阪急日本画展、神戸三越展が昭和13年から推定 (2)768:6月10日付 | 1-767-1 |
昭和13年6月 | 大阪の個展、最終日5日に観覧/ほとんど売約済みの中、「百合」をお譲り頂きたく | 岸本理三郎 | 宛名:江見恒三郎 | 1-767-2 |
昭和13年6月10日 | 会社用の作品1枚、代金送付/12日までのが済んでからで結構 | 江見恒三郎 | 767から昭和13年と推定 | 1-768 |
昭和13年6月10日 | 理研コンツェルン新報 アルマイト研究号 | 角和商会理研株専門部 | 1-769 | |
昭和13年6月12日 | 宅にある横臥裸婦と昨年二科展出品の裸婦との交換依頼/日本画拝見の依頼、大作作成の希望 | 田村謹寿 | 1-770 | |
昭和13年6月13日 | 牡丹の図2枚代金50円送金/(1)志賀さんより揮毫の礼 (2)別車博資氏、大阪展覧会に感心、神戸開催も見込みあり (3)阪急で使用した貴兄自画像の銅版、神戸でも使用 | 濱田葆光 | 1-771 | |
昭和13年6月14日 | 表装したため、額に入れる作品不足、お送り下さい/(1)神戸展開催が楽しみ (2)江見氏へも三越より案内状が行くよう手配 | 濱田葆光 | 1-772 | |
昭和13年6月14日 | 鉄道便にて作品到着 | 濱田葆光 | 1-773 | |
昭和13年6月15日 | 第2回海洋美術展覧会出陳御礼 | 海軍協会 | 1-774 | |
昭和13年6月17日 | 傷病将士慰問名士書画即売会趣意書 | 愛国婦人会 | 1-775 | |
昭和13年6月18日 | 端書の件、野間君に問い合わせ致し/野間君の返事次第日動へも回答するよう取り計らい | 藤田嗣治 | 1-776 | |
昭和13年6月20日 | 弟柳次出征に付、兄覚郎所在お探し下されたくお願い | 由井勇吉 | 1-777 | |
昭和13年6月20日 | 神戸展の準備状況、展示会の予定について/日動での熊谷、藤田の展覧会、誠に結構にて | 濱田葆光 | 1-778 | |
昭和13年6月21日 | 先日の来訪、作画承諾の御礼 | 山本発次郎 | 1-779 | |
昭和13年6月22日 | 画室社 山本廣洋 | 中身欠 | 1-780 | |
昭和13年6月24日 | 召集令を受け、25日早朝入隊 | 榎倉省吾 | 1-781 | |
昭和13年6月24日 | 神戸展、1日目に約半数を売約/(1)神戸展出品画の内12点を撮影、画室社の雑誌に使用 (2)三越で世話になった人のために2,3枚花の絵を | 濱田葆光 | 1-782 | |
昭和13年6月25日 | 郷里への電報の御礼/大阪の連隊に出向き、昨夜弟との面会なる | 由井覚郎 | 1-783 | |
昭和13年6月26日 | 傷病将士慰問名士書画即売会 出品伺い | 愛国婦人会 | 1-784 | |
昭和13年6月27日 | 神戸展、盛会裏に終了、作品売約もさらに6点/(1)画室社山本氏、江見様も日々来場 (2)村上華岳氏も来場、蛙子の色紙を購入 | 濱田葆光 | 1-785 | |
昭和13年6月29日 | 御預かり作品2点売約、代金を送付 | 晴潮社 藤井輝夫 | 1-786 | |
昭和13年7月1日 | 先般の展覧会の売り上げを送金/阪急百貨店、神戸三越より受け取り | 濱田葆光 | 1-787 | |
昭和13年7月3日 | 先般展覧会への配慮、力添えの御礼/先生よりの御礼金への御礼 | 画室発行所 山本廣洋 | 1-788 | |
昭和13年7月3日 | 水害見舞 | 荻野康児 | 1-789 | |
昭和13年7月4日 | 水害見舞 | 杉本 寿 | 1-790 | |
昭和13年7月4日 | 阪急、三越店収支連絡/日動画廊にて藤田君達との展覧会も近づきました | 濱田葆光 | 1-791 | |
昭和13年7月5日 | 早速表装を頼み、10日日動に届ける予定/(1)本日の来訪、もてなしもせず失礼 (2)10日か11日に日動にてお目にかかりたく連絡を待つ | 藤田嗣治 | 1-792 | |
昭和13年7月6日 | 昨夏8月応召、最近無事復員/お邪魔いたしたく、御都合伺い | 大谷幸一 | 1-793 | |
昭和13年7月8日 | 奥様からのお便り、涙が出るほどうれしく/夜の遅い画室、先生、奥様が懐かしい | ゆき子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-794 |
昭和13年7月8日 | 関西地方の豪雨、一同無事にて | 江見恒三郎 | 1-795 | |
昭和13年7月8日 | お問い合せしながら、急用にて2,3日お邪魔不能に | 大谷幸一 | 1-796 | |
昭和13年7月9日 | 水害見舞御礼 | 庄司乙吉 | 1-797 | |
昭和13年7月9日 | 「ミナブジアリガト」 | エキ | 1-798 | |
昭和13年7月10日 | 水害見舞御礼 | 伊藤継郎 | 1-799 | |
昭和13年7月10日 | 水害見舞御礼 | 小河清太郎 | 1-800 | |
昭和13年7月10日 | 水害見舞御礼 | 神戸画廊 大塚銀次郎 | 1-801 | |
昭和13年7月11日 | 水害伺い、季少々送付の連絡 | 深谷彦之助 | 1-802 | |
昭和13年7月11日 | 水害見舞御礼/庄司さんも被害なし | 田村孝之介 | 1-803 | |
昭和13年7月11日 | 水害見舞御礼 | 山本発次郎 | 1-804 | |
昭和13年7月11日 | 水害見舞御礼 | 画室社 山本廣洋 | 1-805 | |
昭和13年8月1日 | 転居通知 | 野尻貞一 | 1-806 | |
昭和13年8月8日 | 例会開催通知 | 二科会 | 1-807 | |
昭和13年8月8日 | 『近代風景』9月号随筆寄稿依頼 | 月光荘文芸局 『近代風景』 | 1-808 | |
昭和13年8月15日 | 残暑見舞/出品作完成、何卒よろしく | 田中 修 | 1-809 | |
昭和8年~13. 9.1 | 第2回新造型秋季展開催/9月11日から15日まで、青樹社にて | 新造型美術協会 | 宛先住所から8~14年と推定 | 1-810 |
昭和13年10月13日 | 奈良の展覧会に付、色紙送付依頼/名古屋展の作品もよろしく | 濱田葆光 | 絵葉書:「三笠山」濱田葆光画 | 1-811 |
昭和13年11月3日 | 河合敏雄 | (1)中身欠 (2)「写真在中」とあり | 1-812 | |
昭和13年11月8日 | 出発に際し見送り、御礼/(1)漢口陥落の日、漢口入り、弾の下を潜る (2)4日無事帰京 | 藤田嗣治 | 絵葉書:上海神社 | 1-813 |
昭和13年12月29日 | 名古屋新聞にて叔父上の個人展覧会の記事を見る/小生の子どもの書いたクレヨン画を同封 | 熊谷鋭太郎 | 熊谷文雄のクレヨン画3枚 | 1-814 |
昭和8年~13.12 | 朝鮮古陶器、日本最初ノ洋風絵画展覧会開催 | 冨士美瞭 | 宛先住所から8~14年と推定 | 1-815 |
昭和14年3月9日 | 絵4点購入に付、箱書を依頼/(1)昨年、当地丸善画廊での個展にて4点購入 (2)2尺位の横もの4点、金魚の色紙の依頼 (3)個展開催の節は通知を | 木村定三 | 1-816 | |
昭和14年3月9日 | 青山義雄画伯個展案内 | 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎 | 中身欠 | 1-817 |
昭和14年3月17日 | (謄写版絵)「常夏○○島亜熱帯」蘇順泉 | 松島 順 | ○○島:海南島 | 1-818 |
昭和14年3月28日 | (謄写版絵)「兵装の一部」 | 松島 順 | 1-819 | |
昭和14年3月28日 | (謄写版絵)「現地の女性」 | 松島 順 | 1-820 | |
昭和14年3月29日 | 戦地海南島便り | 松島 順 | 1-821 | |
昭和8年~14.3 | 塾展開催に付、ご来塾を乞う/3月25日作品持ち寄りに付、来塾 | 番衆技塾 | (1)郵送にあらず (2)宛先住所から8~18年と推定 (3)番衆技塾は昭和14年まで | 1-822 |
昭和14年4月5日 | (謄写版絵)「稲みのる頃 三毛作」 | 松島 順 | 1-823 | |
昭和14年4月12日 | お便り拝見、今年の二科展へ出品予定/野間氏も帰還、(謄写版絵) | 松島 順 | 1-824 | |
昭和14年4月15日 | 第21回展覧会開催 案内/白木屋にて | 朱葉会 | 顧問:岡田三郎助、安井曽太郎、藤田嗣治、有島生馬 | 1-825 |
昭和14年4月25日 | 二科展へ出品の予定 | 松島 順 | (鉛筆画)椰子の実から芽 | 1-826 |
昭和14年5月2日 | 宮崎童安氏御来銚の際、中里介山氏と共に訪問予定/3人で会合する機会をお作りいただきたく | 明石哲三 | 1-827 | |
昭和14年5月7日 | 松島 順 | 中身欠 | 1-828 | |
昭和14年5月8日 | 私の人生は、絵筆によって慰められて | 松島 順 | (版画)海南島風景 | 1-829 |
昭和14年5月8日 | 展覧会出品、半紙でよろしいか/野間さんはどうしているか | 松島 順 | (版画) | 1-830 |
昭和14年5月11日 | 先日依頼の絵4点、その確認と代金送金/菖蒲、杜若、あやめ、観音様の絵、お願いいたしたく | 木村定三 | 1-831 | |
昭和14年5月11日 | (2色刷版画)海南島風景 | 松島 順 | 宛先住所から昭和14年と推定 | 1-832 |
昭和14年5月24日 | 送金受け取りの確認/本日より丸善にて大沢海蔵氏個展あり | 木村定三 | 1-833 | |
昭和14年5月31日 | 松島 順 | (1)中身欠 (2)宛先住所から昭和14年と推定 | 1-834 | |
昭和14年6月2日 | 中村大三郎画塾 | 中身欠 | 1-835 | |
昭和14年6月6日 | 非公開 | 1-836 | ||
昭和14年6月14日 | (版画)パイナップル | 松島 順 | 1-838 | |
昭和14年6月20日 | 友人高藤君、エゴタ彫刻研究所へ通所に付、住居御世話方依頼 | 熊谷朋助 | 宛名:秀子も併記 | 1-839 |
昭和14年.~6 | (謄写版絵)南国の風景 | 松島 順 | 宛先住所から昭和14年~6月、842の前と推定 | 1-840 |
昭和14年.~6 | (謄写版絵)南国の風景 | 松島 順 | 宛先住所から昭和14年~6月、842の前と推定 | 1-841 |
昭和14年6月21日 | ○○島を後に3度目の○○市訪問/ここに野間氏もいるか | 松島 順 | (1)(版画)椰子 (2)飯田部隊から昭和14年と推定 (3)○○は伏字 | 1-842 |
昭和14年6月22日 | 杉崎 愛 | 中身欠 | 1-843 | |
昭和14年6月22日 | (差出人不明) | (1)差出人住所氏名なし (2)中身欠 | 1-844 | |
昭和14年6月29日 | 上京、渡支、個展の予定/個展の紹介文を先生と藤田先生にお願いしたい | 旭 亮弘 | 藤田:「外国に居る」とあり | 1-845 |
昭和14年6月29日 | (版画)榔風椰雨、筆の人生 | 松島 順 | 飯田部隊から昭和14年と推定 | 1-846 |
昭和14年6月29日 | 暑中見舞、(版画)椰子 | 松島 順 | 飯田部隊から昭和14年と推定 | 1-847 |
昭和14年7月1日 | 蟻と汗の島/上野聖戦展へ出品 | 松島 順 | (1)(版画)南ノ島 (2)飯田部隊から昭和14年と推定 | 1-848 |
昭和14年7月4日 | 「玉椿」売却代金送付/(1)昨年の大和路散策、懐かしく (2)二科展出品作準備中 | 濱田葆光 | 1-849 | |
昭和14年7月6日 | 異国の地にあっては全てを犠牲に、/(1)おそらく藤田氏も野間氏も (2)二科展へは油絵を出品 | 松島 順 | (1)「陸軍軍医見習士官 松島 順」とあり (2)飯田部隊から昭和14年と推定 | 1-850 |
昭和14年7月17日 | 関西二科系美育家協会 | 中身欠 | 1-851 | |
昭和14年7月18日 | 海南島風景画10枚 | 松島 順 | (1)封筒欠 (2)葉書、半紙 | 1-852 |
昭和14年7月23日 | お預かりの「ニンフ」金100円にて売却/手数料3割頂きたく、如何か | 画楽里 吉田勝蔵 | 1-853 | |
昭和14年7月24日 | (版画)「絵筆」「淡々的吹来海面的秋風」 | 松島 順 | 1-854 | |
昭和14年7月31日 | 先日の絵売却の件、諾否返答を待つ | 画楽里 吉田勝蔵 | 1-855 | |
昭和14年~.8月4日 | 蛭田時彦君を紹介、御面会を願う/(紹介状) | 坂本繁二郎 | (1)紹介状に付、郵送にあらず (2)蛭田時彦名刺あり | 1-856 |
昭和14年8月7日 | 「理髪屋の店頭所見」/(水墨画)海南島にて | 松島 順 | 飯田部隊から昭和14年と推定 | 1-857 |
昭和14年8月9日 | 最近、小川芋銭の絶筆に近い作品を入手/今春お願いの絵、お描きいただきたく | 木村定三 | 1-858 | |
昭和14年8月19日 | 約束の不動様、如何なりましたか/二科展出品作、拝見いたしたく | 田村謹寿 | 1-859 | |
昭和14年8月23日 | 二科展出品作、買約致さず/不動様の完成を待つ、今の内に大作を是非 | 田村謹寿 | 1-860 | |
昭和14年8月25日 | 柿の絵を描いていただきたく、お願い/「蝦蟇と蟻」は兄より貰って日夕座右に | 木村四郎 | 木村四郎:木村定三の弟 | 1-861 |
昭和~14年9月12日 | イクチを干し上げて送付/(1)小生明日8日出発、名古屋岐阜から或いは大阪へ向かう (2)茸の連絡は名古屋の三尾太伝次方へ | 牧野彦太郎 | (1)宛名:熊谷秀子 (2)郵送にあらず (3)牧野彦太郎:15年7月に死去 | 1-862 |
昭和14年9月17日 | 軍靴のように丈夫で勤務 | 松島 順 | (1)(版画)軍靴 (2)馬渕部隊から昭和14年と推定 | 1-863 |
昭和14年~.10月11日 | 御陰様にて淳一君夫妻も新出発/御揮毫拝領、感謝 | 古川 久 | 宛先住所から14年以降と推定 | 1-864 |
昭和14年11月7日 | 直彦の墓建立のため、絵を2枚お描き願いたく/(1)亡夫直彦の一周忌も迫り、墓を別院に建てるべく (2)牧野氏の御世話により、交渉を | 熊谷敏子 | (1)宛名:秀子も併記 (2)867と関連あり | 1-865 |
昭和14年11月24日 | (版画)裏街小景 | 松島 順 | 後藤部隊から昭和14年と推定 | 1-866 |
昭和14年11月25日 | 敏子さん希望の建墓のため、絵2枚を/愚策遂行のため、西別院本田氏へ絵をお送り下されたく | 牧野彦太郎 | (1)封筒欠 (2)865と関連あり | 1-867 |
昭和14年~.12月12日 | 落合長崎郵便局の小包み配達確認 | 大江季子 | 宛先住所から14年以降と推定 | 1-868 |
昭和14年12月30日 | 無涯社展、岡田、東郷氏の3点だけ売約/(1)「高原の秋」高評なれど未だ売約ならず (2)来春、藤田、猪熊氏の肝煎りで土浦氏設計にて画廊改築 (3)改築後には先生の個展開催を予定 | 日動画廊 長谷川仁 | (1)郵送にあらず、「金子在中」 (2)画廊改築から昭和14年と推定 | 1-869 |
昭和15年1月14日 | (画:中国女性)/汕頭(SWATOW)にて、松島見習士官 | 松島 順 | 1-870 | |
昭和15年1月19日 | 木村定三氏買上の「金魚」、箱書依頼/(1)「冨士にヒルカホ」外2点も御所望 (2)木村氏より直接注文の日本画、いつ頃完成か | 丸善名古屋支店美術係 木内憲次 | 1-871 | |
昭和15年1月20日 | 第4回海洋美術展覧会開催 趣旨書/出品依頼、規定 | 海軍協会 | 1-872 | |
昭和15年1月22日 | 転居挨拶 | 竹谷富士雄、孝子 | 絵葉書:崇元寺 | 1-873 |
昭和15年1月 | 一至会第1回洋画展開催 案内/三昧堂画廊にて | 一至会 | 1-874 | |
昭和15年2月2日 | 暖かい南国にて絵を描く毎日/2月下旬に帰京の予定 | か冶屋隆二、ふじ枝 | 絵葉書:首里 | 1-875 |
昭和15年2月2日 | 汗を流し、真っ黒になって描いています | 赤松俊子 | 1-876 | |
昭和15年2月6日 | 箱書と色紙の御礼、代金送付/木村定三氏、先生の展覧会の開催を鶴首 | 丸善名古屋支店美術係 木内憲次 | 1-877 | |
昭和15年2月8日 | 画廊改築が遅れて1ヶ月ほど休業/(1)強羅ホテルの日本室用に、先生の作4,5枚頂きたく (2)先生の個展、4,5月頃がよいかと | 日動画廊 長谷川仁 | 「個展4,5月頃」の記載から昭和15年と推定 | 1-878 |
昭和15年2月10日 | こちらは冬でも暖かく/(挿し絵)裸足の健康美人 | 松島 順 | 宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 | 1-879 |
昭和15年2月13日 | 郷里の土佐にて、2週間ほど写生/(1)阪急百貨店での毛筆画展、5月に開催 (2)昨年描いていただいた龍虎の画、屏風に仕立てる | 濱田葆光 | 1-880 | |
昭和15年2月13日 | 転居通知/研究所通い、石膏、油絵の毎日 | 谷口清子 | 1-881 | |
昭和15年2月19日 | 個展、3月11日から14日に決定/長谷川氏、17日に帰京 | 日動画廊 清野 | 1-882 | |
昭和15年2月21日 | 帰郷挨拶 | 飯田三吾、明子 | 宛名:秀子も併記 | 1-883 |
昭和15年2月22日 | (水墨画)漁村付近 | 松島 順 | 宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 | 1-884 |
昭和15年2月22日 | 払出通知票(金16円) | 丸善株式会社名古屋支社 | 落合長崎郵便局の封筒にあり | 1-885 |
昭和15年2月27日 | 第5回京都市美術展覧会、日本画総合展覧会への出品依頼 | 京都市長 市村慶三 | 1-886 | |
昭和15年2月29日 | 毛筆画展と同時に油絵展も如何か/日動画廊での油絵展開催、敬服いたし | 濱田葆光 | 1-887 | |
昭和15年2月29日 | 3月2日より2泊の旅行につき、連絡/昨日杉本様より、先生が行かれる由承りました | 鈴木國威 | 1-888 | |
昭和15年2月 | 第5回京都市美術展覧会 出品依頼/計画要項 | 京都市長 市村慶三 | 1-889 | |
昭和15年3月1日 | ビクターのポスターも描く/野間氏によろしく、住所お知らせ下さい | 松島 順 | (1)絵葉書:南支 廣東 (2)宛先住所と後藤部隊から昭和15年と推定 | 1-890 |
昭和15年3月3日 | 小さな島に島民も日本人も一所に生活/絵を描くより遊ぶ方が多い毎日 | 赤松俊子 | 宛名:秀子も併記 | 1-891 |
昭和15年3月3日 | 約束の日本画不動様は如何なりしか/小生は先月中旬から体調不良 | 田村謹寿 | 1-892 | |
昭和15年3月5日 | 応召入隊通知 | 大江正夫 | 1-893 | |
昭和15年3月6日 | 第36回展覧会開催 案内/上野公園 府美術館にて | 太平洋画会 小林森次 | 1-894 | |
昭和15年3月9日 | 2600年奉祝展についての決定、保留/昨夜、不参加との決定、一応保留、この件内密に | 二科会 | 宛先住所と奉祝展開催から昭和15年と推定 | 1-895 |
昭和15年3月10日 | 『人生道場』第28号 伊福部隆彦編集 | 人生道場社 | 1-896 | |
昭和15年3月10日 | 第6回西人社展覧会開催/出品目録、3月13日から17日まで、県公会堂にて | 西人社同人 | 郵送にあらず | 1-897 |
昭和15年3月11日 | 伊豆・房州への写生旅行、収穫多きことと拝察/(1)東京での油絵展、盛況を祈ります (2)毛筆画への努力を願う | 濱田葆光 | 1-898 | |
昭和15年3月12日 | 油絵もだいぶ描きました | 松島 順 | (1)絵葉書:街のスケッチ (2)宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-899 |
昭和15年3月12日 | 今冬の作品6点、批評を頂きたく、御都合伺い/3月下旬から4月上旬の御都合は如何か | 旭 亮弘 | 1-900 | |
昭和15年3月17日 | 在京中は御世話になりました/田舎にて眠っているような暮らしで絵も描けない | 飯田 明 | 絵葉書:千葉県習志野高津東廠舎表門 | 1-901 |
昭和15年3月18日 | 展覧会への案内、御礼/明火曜日御出張御指導の際、午後は古谷が卒業制作のためアトリエ使用に付、お含みおき願いたく | 小林源太郎 | 1-902 | |
昭和15年3月18日 | 連袖会第3回展覧会案内、出品目録/青樹社画廊にて | 連袖会 | 1-903 | |
昭和15年3月18日 | 新院第3回展覧会案内/上野公園 府美術館にて | 新興美術院 | 招待券5枚あり | 1-904 |
昭和15年3月19日 | 第5回京都市美術展覧会 出品確認 | 京都市長 市村慶三 | 1-905 | |
昭和15年3月29日 | 1日早朝、東京駅にて打ち合わせたく、お出かけを願う/なお、時刻については電報にて | 大野新吉 | 1-906 | |
昭和15年3月29日 | 魚御恵送への御礼/今夏、鋭太郎も墓参のため帰京の予定 | 熊谷ふさ | 1-907 | |
昭和15年3月29日 | 手紙拝見、30日か31日に参上 | 旭 亮弘 | 1-908 | |
昭和15年3月29日 | 尚刻会第1回展開催 案内、目録/紀伊国屋ギャラリーにて | 尚刻会 | 尚刻会:東京美術学校木彫部 石本光輝外8人 | 1-909 |
昭和15年3月30日 | 山内氏へ申し込みの個展開催日決定/5月21日から25日までの5日間 | 阪急百貨店美術部 | 1-910 | |
昭和15年3月30日 | 第22回朱葉会展覧会開催 案内/白木屋にて | 女史洋画朱葉会 | 顧問:辻永、安井曽太郎、藤田嗣治、有島生馬 | 1-911 |
昭和15年3月31日 | 2600年奉祝展参加連立展について/三越札幌支店での二科会員小品展への出品依頼 | 二科会 安部治郎吉 | 1-912 | |
昭和15年3月31日 | 出発日は4月4,5日に変更/東京駅着時刻は打電にて | 大野新吉 | 1-913 | |
昭和15年3月31日 | 28日夜行にて当地着、のどかな温泉場にて | 河合敏雄 | 1-914 | |
昭和15年3月 | 第7回くろも会展覧会開催/資生堂にて | くろも会 | くろも会:木下寿々子外9人 | 1-915 |
昭和15年.~3 | 春季二科展開催通知/4月10日から14日まで、日本橋高島屋にて | 二科会 | 春季二科展の期日、会場から昭和15年と推定 | 1-916 |
昭和15年4月3日 | 二科会出品の絵を送付、手続きをよろしく/(1)こちらはよいところです、内地に帰る気にならない (2)野間氏の住所お教え下さい | 松島 順 | 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-917 |
昭和15年4月4日 | 来訪の志賀様より、貴兄個展盛況の由伺う/(1)毛筆画展の出品作品、送付のお願い (2)小生、二科春季展出品の予定 | 濱田葆光 | 1-918 | |
昭和15年4月4日 | 手紙投函後、作品到着、山内君へも連絡/作品は全体に渾然とした大味のものに | 濱田葆光 | 1-919 | |
昭和15年4月4日 | 上京の予定一時取りやめ、改めて連絡 | 大野新吉 | 1-920 | |
昭和15年4月5日 | 電話呼出 | (差出人不明) | 1-921 | |
昭和15年4月6日 | 総会開催通知 | 二科会 | 1-922 | |
昭和15年4月6日 | 9年ぶりに作品発表個展を開催/日動画廊にて | 矢部友衛 | 1-923 | |
昭和15年4月6日 | 『阪急美術』への執筆依頼/(1)5月21日より当店にて個展開催につき、執筆依頼 (2)洋画家として日本画を描く感想など | 『阪急美術』編集部 石井太郎 | 1-924 | |
昭和15年4月10日 | 庫田画伯近作油画個人展覧会/三昧堂ギャラリーにて | 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎 | 1-925 | |
昭和15年4月11日 | 須田國太郎氏油絵小品展/資生堂画廊にて | 飯國二郎 | 1-926 | |
昭和15年4月12日 | 会場に集合の連絡/4月14日11時、高島屋にて | 二科会 | 1-927 | |
昭和15年4月12日 | 第13回構造社展覧会 招待状/上野公園 府美術館にて | 構造社 | 1-928 | |
昭和15年4月13日 | 作品受付4月15日より | 京都市長 市村慶三 | 1-929 | |
昭和15年4月13日 | 出品作品、運送店への引き渡しのお願い | 大禮記念京都美術館 京都市美術展覧会 | 預かり証「鵜原 4号」あり | 1-930 |
昭和15年4月14日 | 転勤通知 | 林 一郎 | 1-931 | |
昭和15年4月14日 | 6日夜四国着、20日迄には帰宅の予定/阪急の宣伝用写真撮影のため、3点ほど届ける予定 | 濱田葆光 | 1-932 | |
昭和15年4月15日 | 第5回京都市美術展覧会陳列品目録/5月1日から15日まで開催 | 京都市美術展覧会 | 1-933 | |
昭和15年4月15日 | 第10回素顔社洋画展覧会開催/紀伊国屋画廊にて | 素顔社 | 1-934 | |
昭和15年4月16日 | 日本水彩展 招待状/府美術館にて | 日本水彩画会 | 1-935 | |
昭和15年4月17日 | 『阪急美術』掲載に付、回答依頼/濱田氏からの斡旋にて第2回日本画展開催、感謝 | 『阪急美術』編集部 山内金三郎 | 1-936 | |
昭和15年4月19日 | 近作油絵素描をもって展覧会開催/資生堂画廊にて | 伊藤継郎、服部正一郎 | 1-937 | |
昭和15年4月20日 | 第3回遠山陽子個展開催/青樹社にて | 青樹社 | 1-938 | |
昭和15年4月20日 | 佐藤敬画伯近作個人展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 兜屋 西川武郎 | 1-939 | |
昭和15年4月21日 | 第27回二科美術展覧会開催日の連絡 | 二科会 | 1-940 | |
昭和15年4月21日 | 出品の件、二科春季展の作品にて結構/阪急での日本画展、楽しみにしております | 黒田重太郎 | 1-941 | |
昭和15年4月22日 | 画集その他送付、感謝/来月阪急にて個展の由、お出でを待つ | 江見恒三郎 | 「坊主尋常六年」から昭和15年と推定 | 1-942 |
昭和15年4月22日 | 糸満へ向かうが、期待した程の土地でなし/(1)米の配給が1日2合のため、どこの宿屋も3日以上お断り (2)竹屋さんが世話になった大越さんに頼みどうにか落ち着く | 玉井安武 | 1-943 | |
昭和15年4月23日 | 雑誌、案内状掲載の写真撮影終了/(1)19日作品搬入前に来寧、箱書きをお願い (2)あと2枚横物を描いていただきたく | 濱田葆光 | 1-944 | |
昭和15年4月23日 | 日本橋三越にて個展明日まで開催/閉会後、有島、中川、野間氏と会食の予定、参加を乞う | 東郷青児 | 1-945 | |
昭和15年4月25日 | 出品作品「鵜原」到着連絡 | 京都市美術展覧会 | 1-946 | |
昭和15年4月25日 | 昨夜表装の裂地を選定/昨夏頂いた羊歯の緑が鮮やか | 濱田葆光 | 1-947 | |
昭和15年4月25日 | 27日夜行にて上京、28日早朝の都合は如何か/(1)28日徳富先生宅訪問、千葉で一泊後、荊妻実家を訪問 (2)東京着の時刻は打電する | 大野新吉 | 1-948 | |
昭和15年4月26日 | 名古屋丸善での展覧会の件 お伺い/阪急閉会後の6月中は如何か | 濱田葆光 | 1-949 | |
昭和15年4月26日 | 27日水上打湯桧曽塚田別荘に出発 | 河合敏雄 | 1-950 | |
昭和15年4月26日 | 佐々木一郎個展案内/資生堂ギャラリーにて | (差出人不明) | 紹介文:外山卯三郎 | 1-951 |
昭和15年4月26日 | 第5回京都市美術展覧会開催 案内/一般公開に先立ち、30日に御招待 | 京都市長 市村慶三 | 特別観覧券1枚、招待券2枚あり | 1-952 |
昭和15年4月26日 | 芸艸堂 | 中身欠 | 1-953 | |
昭和15年4月27日 | アスアサ七ジハンツク | 大野新吉 | 948の関連 | 1-954 |
昭和15年4月29日 | 28日朝、湯桧曽に着、29日上牧に移る/上牧は、この間、河合が行ったところ | 北條 | 1-955 | |
昭和15年4月29日 | 三ジリョウゴクエキツク | 大野新吉 | 948,954の関連 | 1-956 |
昭和15年4月30日 | 在京中世話になった御礼/(1)口に向くような食料品あれば、何なりと連絡を (2)大阪行きの時、あつらえることにいたし、待っています | 大野新吉 | 1-957 | |
昭和10年・15.4 | 青丹会第3回絵画展覧会開催/紀伊国屋画廊にて | 青丹会 | (1)青丹会同人:千葉明外9人 (2)4月15日が月曜日は10,15年から推定 | 1-958 |
1- | ||||
昭和15年4月 | 総陳列替えに付、作品出品伺い | 李王家美術館委員会 | 返信用速達葉書あり | 1-959 |
昭和15年4月 | 造型新現実第2回展覧会 招待状/紀伊国屋画廊にて | 造型新現実協会 | 開催日時より4月と推定 | 1-960 |
昭和15年4月 | 第2回石山貞勝洋画新作個人展開催/紀伊国屋ギャラリーにて | 石山貞勝 | 1-961 | |
昭和15年4月 | 春季二科会開催 案内/日本橋高島屋にて | 二科会、青樹社 | 2枚あり | 1-962 |
昭和15年~.4 | 阿部清定個人展覧会開催/4月2日から4日まで、三昧堂ギャラリーにて | 阿部清定 | (1)郵送にあらず (2)宛先住所から15年以降と推定 | 1-963 |
昭和15年5月2日 | 奉祝展出品画選考方法について | 二科会 | 1-964 | |
昭和15年5月2日 | 第3回目の絵、昨日到着、早速表装に/阪急搬入前に、お越しの上、箱書をお願いいたしたく | 濱田葆光 | 1-965 | |
昭和15年5月2日 | 老夫婦の近状報告/イクチ乾物発見、このような野趣品入用か否か連絡を乞う | 牧野彦太郎 | 1-966 | |
昭和15年5月3日 | 明後日は汕頭に帰る予定/内地を捨て、汕頭で支那の生活をする | 松島 順 | 1-967 | |
昭和15年5月3日 | 第3回六萌会展開催 案内/三昧堂画廊にて | 鳥羽宗雄 | 鳥羽宗雄外6人 | 1-968 |
昭和15年5月3日 | 第5回麦陽展開催 案内/紀伊国屋ギャラリーにて | 麦陽展 | 碇井優子外10人 | 1-969 |
昭和15年5月4日 | 安井曽太郎肖像画集 造形芸術5月特集 | 造形芸術社 | 「長與博士像素描」安井曽太郎画 | 1-970 |
昭和15年5月7日 | 第1回七洋美術会展覧会開催 案内/新宿三越にて | 七洋美術会 | 竹内英雄外6人 | 1-971 |
昭和15年5月7日 | 春季展覧会開催 案内、目録/青樹社画廊にて | 一水会 | 有島生馬外10人 | 1-972 |
昭和15年5月8日 | 店頭工芸展開催 案内 | 光玄居 松木喜之七 | 1-973 | |
昭和15年5月9日 | 阪急での画会に合わせ、下阪なさっては如何か/(1)21日朝から家内と2人で宮島見物に (2)信時氏の弟子の方に古本屋で探して貰いたいものあり | 江見恒三郎 | サダメ(恒三郎の娘)の稽古本のメモ | 1-974 |
昭和15年5月9日 | 白鳳会結成、第1回洋画展覧会開催/青樹社画廊にて | 白鳳会 | 井上 慎外10人 | 1-975 |
昭和15年5月10日 | 第3回杉芽会展開催 案内/紀伊国屋画廊にて | 杉芽会 | 井出祐子外14人 | 1-976 |
昭和15年5月13日 | 18日奈良へのお出で、お待ちしています/サダメの記念として、信時氏のサイン入り原稿が欲しい | 江見恒三郎 | 「21日の晩留守番」と974から昭和15年と推定 | 1-977 |
昭和15年5月13日 | 毛筆画10点御恵送、感謝/21日より阪急にて毛筆画個展開催の由、23日に拝見 | 木村定三 | (1)994へと続く (2)994より昭和15年と推定 | 1-978 |
昭和15年5月13日 | 川俣渓谷にてハイキング | 鈴木國威外4人 | 橋本光雄、杉本孝一、徳永秀夫、森 | 1-979 |
昭和15年5月14日 | 18日来寧の旨、拝承/最後の分も表装が終わり、17日に届く予定 | 濱田葆光 | 第2回の阪急展から昭和15年と推定 | 1-980 |
昭和15年5月14日 | 『日本美術年鑑』への記載内容確認/美術研究所編纂出版物 | 美術研究所 | 1-981 | |
昭和15年5月15日 | 第5回京都市美術展覧会開催に関して御礼 | 京都市長 市村慶三 | 1-982 | |
昭和15年5月15日 | 日高昌克第3回個人展覧会開催 案内/作品目録 | 美術工芸学院 | (1)宛名:なし (2)封筒欠 (3)絵葉書:「尾長鳥」日高昌克画 | 1-983 |
昭和15年5月17日 | 野口彌太郎氏近作個人展覧会開催 案内/資生堂ギャラリーにて | 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武郎 | 絵葉書:「摩周湖」野口彌太郎画 | 1-984 |
昭和15年5月20日 | 奥様の病中、最も会心なる物、送付します/夏みかんに砂糖をかけて多量に食したところ、天罰あり | 牧野彦太郎 | 1-985 | |
昭和15年5月20日 | 第9回五月会油絵展覧会開催/青樹社画廊にて | 五月会 | 飯島一次外6人 | 1-986 |
昭和15年5月21日 | 世界児童画名作展開催/高島屋にて | 久保貞次郎 | 海軍協会、輝ク部隊、読売新聞社連名 | 1-987 |
昭和15年5月23日 | 元気で毎日絵を描き、支那の生活を送る | 松島 順 | (1)絵葉書:「南支東江下流峡口夕景」長谷川春子画 (2)宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-988 |
昭和15年5月23日 | 新自然派協会春季展覧会開催/菊屋ギャラリーにて | 新自然派協会 | 1-989 | |
昭和15年5月24日 | 小誌「芸園」への回答依頼 | 芸園社 | 1-990 | |
昭和15年5月24日 | 第2回個人展覧会開催/資生堂ギャラリーにて | 熊谷九壽 | 1-991 | |
昭和15年5月28日 | 無事御帰京のことと拝察/(1)岩本氏宅の群鳥図に負けないものが欲しい (2)画の代金は精算の上、報告 | 濱田葆光 | 1-992 | |
昭和15年5月28日 | (版画)暑中見舞/汕頭(SWATOW)、陸軍軍医少尉 松島 順 | 松島 順 | 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-993 |
昭和15年5月30日 | 阪急にて個展拝見/(1)名古屋丸善にて、11月頃に先生の個展を依頼 (2)九州の坂本繁二郎氏に6号ほどの馬の絵を頼んで欲しい | 木村定三 | 1-994 | |
昭和15年5月30日 | 現代美術代表作展示のため御支援を乞う | 京都市長 市村慶三 | 1-995 | |
昭和15年5月31日 | 加治屋隆二琉球作品発表展開催/日動画廊にて | 日動画廊 | 1-996 | |
昭和10年・15.5 | 律動第4回展開催/紀伊国屋画廊にて | 律動展事務所 | 5月14日が火曜日は昭和10年、 15年から推定 | 1-997 |
昭和15年5月 | 第5回京都市美術展覧会への出品御礼 | 第五回京都市美術展覧会審査委員会 | 大橋孝吉外5人 | 1-998 |
昭和15年5月 | 佐々木宗一郎・藤田久子結婚披露宴招待状 | 佐々木トメ、藤田實雄・静葉 | (1)媒酌人:田口省吾 (2)郵送にあらず | 1-999 |
昭和15年5月 | 二六新報社文芸部 清水憲太郎 | (1)「記事掲載」の印あり (2)中身欠 | 1-1000 | |
昭和15年5月 | 第2回熊谷守一画伯日本画展開催/5月21日から25日まで | 阪急百貨店 | (1)宛名:なし (2)案内状 | 1-1001 |
昭和15年5月 | スタンドバー開店の案内 | スタンドバー壹番館 石野二郎 | 宛先住所と5月14日が火曜日から昭和15年と推定 | 1-1002 |
昭和15年5月 | 第4回海洋美術展覧会 招待状 | 海洋美術界、海軍協会、朝日新聞社 | 東郷元帥景仰講演会入場券あり | 1-1003 |
昭和15年5月 | 小林徳三郎画伯近作油絵展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 三昧堂美術部 | 1-1004 | |
昭和15年5月 | 塑人会結成、第1回展開催/紀伊国屋ギャラリーにて | 塑人会 | 1-1005 | |
昭和15年5月 | 野間仁根画伯個展開催/5月14日から17日まで | 日動画廊 長谷川仁 | 1010と関連(千早町)、5月14日が火曜日から昭和15年と推定 | 1-1006 |
昭和15年5月 | 第3回同人展開催/紀伊国屋にて | 烏事務所 | 同人:越智正人外11人 | 1-1007 |
昭和15年5月 | 紀元2600年奉祝日本画大展覧会開催/府美術館にて | 東京日日新聞社 | 招待券3枚あり | 1-1008 |
昭和15年5月 | 留加会第10回展覧会開催/上野松坂屋にて | 留加会 | 1-1009 | |
昭和15年5月 | (表:野間仁根画伯個展 日動画廊) | 野間仁根 | (1)中身欠 (2)1006と関連、宛先住所から昭和15年と推定 | 1-1010 |
昭和15年6月1日 | 紀元2600年奉祝美術展覧会出品依頼 | 文部省専門学務局学芸課内第二部準備委員 有島生馬外8人 | 委員:有島、石井、梅原、小杉、中澤、藤島、南、安井、山下 | 1-1011 |
昭和15年6月2日 | 結婚通知 | 山本直武 | 宛名:秀子も併記 | 1-1012 |
昭和15年6月4日 | 奉祝展二科氏名出品者氏名 | 二科会 | 中野安治郎外37人、その外、会友、会員、受賞者、合計110人 | 1-1013 |
昭和15年6月5日 | 松平康南滞欧作品展覧会開催 | 青樹社画廊 | 小林萬吾の紹介文あり | 1-1014 |
昭和15年6月8日 | 清里にて1週間ほど滞在予定/小林君が先生を誘いに行くやも知れず | 杉本孝一 | 1-1015 | |
昭和15年6月9日 | 題材を求めて満州を旅、近く帰京/先日ロシア菓子、少々送付 | 野村守夫 | (1)康徳7年:昭和15年 (2)絵葉書:大同公園内 | 1-1016 |
昭和15年6月10日 | 畑作、武徳会、野球外近況報告/(1)少年武徳会の会歌、信時氏に依頼 (2)信時氏の作曲の草紙頂戴の件もよろしく | 江見恒三郎 | 1-1017 | |
昭和15年6月12日 | 今夏、南洋への絵画制作旅行を計画/(1)個展にて、費用調達いたしたく、賛助の名前拝借お願い (2)7月20日頃先生宅を訪問の予定 | 水野富三 | 現賛助員名:愛知県愛国神社社司 野々山彬氏外4名 | 1-1018 |
昭和15年6月12日 | (絵葉書在中) | 松島 順 | 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-1019 |
昭和15年6月13日 | 国枝君の個展を拝見、頗る盛況にて/(1)安井氏と阪急の紅梅2枚、郵送をお願い (2)過日の画帳の御礼が届いたので、送付 | 濱田葆光 | 1031の紅梅の画から昭和15年と推定 | 1-1020 |
昭和15年6月14日 | 洋画新作展覧会開催/白木屋美術部にて | 沼田一郎 | 1-1021 | |
昭和15年6月15日 | 払出通知票(二科会 安部治郎吉より)/春季展売約金150円-45円(手数料)=105円 | 二科会 安部治郎吉 | 1-1022 | |
昭和15年6月17日 | 音楽の本到着、代金同封/少年武徳会の会歌、信時氏にお頼みお願い | 江見恒三郎 | 1-1023 | |
昭和15年6月19日 | 信時氏より少年武徳会会歌頂きました | 江見恒三郎 | 1-1024 | |
昭和15年6月21日 | (絵葉書在中)茘枝の実 | 松島 順 | 封筒欠 | 1-1025 |
昭和15年6月22日 | (絵葉書在中) | 松島 順 | 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-1026 |
昭和15年6月22日 | 帰郷後、御指導を生かし全力で制作中/藤田先生、御帰朝とのこと、住所を知りたい | 旭 亮弘 | 1-1027 | |
昭和15年6月24日 | (絵葉書在中)枝豆の季節となりました | 松島 順 | 宛先住所と竹内部隊から昭和15年と推定 | 1-1028 |
昭和15年6月26日 | 今夏水不足、親族の火事にてお宿され御見舞/(1)子ども、大兄の鍾馗の噂を時々する (2)表具師より紅梅図のことで尋ね参る | 濱田葆光 | 1-1029 | |
昭和15年6月28日 | 二科会 | 中身欠 | 1-1030 | |
昭和15年6月28日 | 本日、紅梅その他作品到着、御礼/(1)群鳥の図は岩本氏のものとはまた違う趣 (2)紅梅の図は表装の上、安井氏と阪急百貨店に届ける予定 | 濱田葆光 | 1-1031 | |
昭和15年6月28日 | 木村定三氏希望の雀の画、承知/待望の雨にて、田植え風景、最近外米3割食始まる | 坂本繁二郎 | 1-1032 | |
昭和15年6月29日 | 送金御案内状(6月分御支払) | 阪急百貨店帳簿係 | 1-1033 | |
昭和15年6月 | 第1回二六会 展覧会開催招待状/紀伊国屋にて | 二六会事務所 | 細小路真外11人 | 1-1034 |
昭和15年7月1日 | 研究所、7~8月休業に付連絡/9月より御指導、お願いいたしたく | 小林源太郎 | 1-1035 | |
昭和15年7月7日 | 藤田氏帰京の連絡/明日8日、冨士号にて、東京駅午後3時25分着 | 二科会 | 1-1036 | |
昭和15年7月10日 | 上京の折お願いの紙本半折2点至急御揮毫 | 尚古堂画廊 有賀宮一郎 | 1-1037 | |
昭和15年7月11日 | 訃報(夫牧野彦太郎死去) | 牧野たか、三尾太伝次 | 宛名:秀子も併記 | 1-1038 |
昭和15年7月11日 | 個展の砌、追加1点、その後顧客より音沙汰なく/追加(紅梅=扇面の分) | 阪急百貨店美術部 松浦 | 1-1039 | |
昭和15年7月15日 | 7月20日石打行、是非御参加を/夜10時35分上野発、同勢約5,6人 | 河合敏雄 | 1-1040 | |
昭和15年7月15日 | 応召入隊通知 | 鈴木十五郎 | 1-1041 | |
昭和15年7月15日 | 先生の好きな山芋を送ります | 旭 亮弘 | 1-1042 | |
昭和15年7月18日 | 先日の訪問の御礼、拙宅へのお越しを待つ | 小川勝蔵 | 1-1043 | |
昭和15年7月19日 | 暑中見舞 | 岩村 博 | 1-1044 | |
昭和15年7月20日 | 特殊郵便物受領証 | 熊谷守一 | 宛名:有賀宮一郎 | 1-1045 |
昭和15年7月22日 | 暑中見舞 | 林 一郎、愛枝 | 1-1046 | |
昭和15年7月23日 | 『画室』後援誌代として6円振込お願い | 画室社 山本廣洋 | 1-1047 | |
昭和15年7月24日 | 紅梅図表装終わり、阪急と安井氏へ持参/(1)小生も日々制作 (2)阪急の分の代金は、阪急より御届けにて | 濱田葆光 | 1-1048 | |
昭和15年7月27日 | 6月初旬東京発、満州へ/新京、ハルピン、承徳へと巡る | 富樫寅平 | (1)康徳7年:昭和15年 (2)絵葉書:承徳 | 1-1049 |
昭和15年7月29日 | 昨日、野間さんから絵について注意いただく/二科会も近くなってきました | 松島 順 | (1)竹内部隊から昭和15年と推定 (2)絵葉書:汕頭 | 1-1050 |
昭和15年8月1日 | 二科名古屋展覧会開催決定の通知/10月11日より鶴舞公園公會堂にて | 大阪朝日新聞社名古屋支社 | 1-1051 | |
昭和15年8月1日 | 作品3点完成、8月5日頃上京の上、御指導を乞う/春の上京の際の御指導を生かし制作 | 旭 亮弘 | 1-1052 | |
昭和15年8月2日 | 暑中見舞 | 上田 暁 | 1-1053 | |
昭和15年8月4日 | 奥さんの体の調子、如何か/過日の訪問の御礼 | 大野新吉 | 1-1054 | |
昭和15年8月4日 | 結婚挨拶 | 伊藤成一、キヨ | 宛名:秀子も併記 | 1-1055 |
昭和15年8月5日 | 昨日の訪問の御礼/突然、武谷氏と訪問いたし | 梨本正太郎 | 絵葉書:「午後の花畠」梨本正太郎画 | 1-1056 |
昭和15年8月5日 | 藤田嗣治・東郷青児氏顧問辞退に付通知 | 九室会 | 1-1057 | |
昭和15年8月5日 | 展覧会日定予定表、総会通知 | 二科会 | 1059も同封(一括)してあった | 1-1058 |
昭和15年8月5日 | 本日、古い会員達の集いあり/正宗氏より重大な申し出あり | 野村金三、黒田重太郎 | 1058に同封(一括)してあった | 1-1059 |
昭和15年8月6日 | 8月8日に訪問、御指導のほどお願い/作品を持ってお伺いの上、 | 福原俊二 | 1-1060 | |
昭和15年8月7日 | 暑中見舞、長崎から壱岐に/故郷で絵を描く毎日、1年あまりで上京の予定 | 山口幹雄 | 1-1061 | |
昭和15年8月7日 | 暑中見舞 | 画楽里 吉田勝蔵 | 1-1062 | |
昭和15年8月8日 | 二科展出品作品3点送付、御高配を乞う/本年は二科会福岡開催の風聞を聞き、努力 | 田中太郎 | 1-1063 | |
昭和15年8月9日 | 二科展に3点出品、会場にて御指導を乞う/昨年の御批評を目標にして1年間努力 | 田中優紀子 | 1-1064 | |
昭和15年8月12日 | 島民をモデルに制作中/赤松氏もここに滞在していたとのこと | 水野富三 | (1)宛名:秀子も併記 (2)絵葉書:ヤップ島部落の男女 | 1-1065 |
昭和15年8月13日 | まだ疲労感激しく、手紙も書けない状態/(1)四国を10日ほど旅行するも制作できず (2)御見舞の小包を送る、手に入らぬ食物は御連絡を | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-1066 |
昭和15年8月13日 | 二科会より兄作ランプ出品の勧誘あり、承諾/荷造りの箱出来次第発送、絵は額縁なしにて | 櫛田利雄 | 1-1067 | |
昭和15年8月13日 | 生誕60年記念展に当たり、所蔵品出陳を承諾/二科会よりは「烏」「富士山」を指定、他も遠慮なく | 山本発次郎 | 1-1068 | |
昭和15年8月14日 | 暑中見舞 | 雑賀文子 | 絵葉書:「罌粟」雑賀富美子画 | 1-1069 |
昭和15年8月14日 | 還暦記念陳列の画、仙台から送付/昨年より当地に居住、留守番のものに送付させる | 竹添いち子 | 1-1070 | |
昭和15年8月15日 | さだめ、帰りにお寄りせず失礼しました/昨日(二科会に)絵を送る | 江見あさ子 | 1-1071 | |
昭和15年8月15日 | 還暦記念陳列の画、所在不明にて/二科会にも出品不能の回答をする | 岡 四郎 | 1-1072 | |
昭和15年8月16日 | 還暦記念展の拝借品、20点を超し盛会に | 二科会 安部治郎吉 | 1-1073 | |
昭和15年8月16日 | 会田、高島氏、都合附かず/8号の作品、1905年の年号あり、額縁を付ける | 石川確治 | 1-1074 | |
昭和15年8月17日 | 小生帰郷のため、作品搬入は友人にて/10日ほど山の方へ | 福原俊二 | 1-1075 | |
昭和15年8月18日 | 平市に帰り、絵の勉強中/会への搬入依頼も済みました | 高瀬勝男 | 1-1076 | |
昭和15年8月18日 | 二科出品の風景画、値段連絡を/(1)デッサン風の裸、頂く予定 (2)出陳作を取りに出掛ける日時、決まったら連絡を | 田村謹寿 | 1-1077 | |
昭和15年8月18日 | 問い合わせの画、旧作、当方には在らず/5,6年前の「横たわる裸婦」在り、取りに来るように | (差出人不明) | 1-1078 | |
昭和15年8月21日 | 先生宅への訪問の御礼/トウモロコシを送付、今からまた明年の出品作制作 | 旭 亮弘 | 1-1079 | |
昭和15年8月21日 | 本夕、鉄道便にて鮎一匹送付/残暑中、病人の静養を願う | 大野新吉 | 1-1080 | |
昭和15年8月22日 | 今後、二科展出品を中止/新たな方向より精進の所存 | 廣幡 憲 | 1-1081 | |
昭和15年8月23日 | 日記代わりのスケッチをする毎日 | 松島 順 | (1)竹内部隊から昭和15年と推定 (2)絵葉書:汕頭中山公園 | 1-1082 |
昭和15年8月23日 | 日本画、洋画の無涯社展開催計画中/(1)大阪「美術と趣味」社の高山辰三氏と共催 (2)先生の御快諾を得たい | 日動画廊 長谷川仁 | 1-1083 | |
昭和15年8月25日 | 二科展に2点入選の御礼/27日から始業、明日学校へ帰る予定 | 旭 亮弘 | 1-1084 | |
昭和15年8月27日 | 牧野彦太郎死去に際し、弔慰御礼 | 牧野たか | 1-1085 | |
昭和15年8月28日 | 指導のお願い/(1)一面識もない者から大変失礼ながら (2)官庁に勤務する傍らに絵の勉強、二科展落選の経験あり | 福村友吉 | 内容から1131に関連、昭和15年と推定 | 1-1086 |
昭和15年8月29日 | スケッチを重ねる内に支那の実生活の味をつかむことでしょう/言葉もほとんど習ったので、中国人の友達もいる | 松島 順 | 絵葉書:汕頭 外馬路 | 1-1087 |
昭和15年8月29日 | お尋ねの「雨乞山」は友人に贈呈/(1)中学時代の友人、坂村養三氏に贈呈 (2)入用ならば、二科より交渉してください | 信時 潔 | 宛名:秀子も併記 | 1-1088 |
昭和15年8月29日 | 風景と立裸婦を250円で如何か/(1)それでよろしければ御持参下さい (2)二科も新体制とかでゴタゴタしているようですが | 田村謹寿 | 1-1089 | |
昭和15年8月30日 | 愚作への御後援、御配慮の御礼/還暦の御祝い | 峰岸義 | 596に「峰岸義一」あり | 1-1090 |
昭和15年9月2日 | 新毛筆画展開催の件、如何か/木村氏も希望、御都合連絡を乞う | 名古屋丸善支店美術部 市内 | 1-1091 | |
昭和15年9月2日 | 二科展招待券送付の御礼/(1)7月に北アルプスへ、8月に東北の山へ登山 (2)だいぶ、山の絵を描く | 内野 猛 | 絵葉書:槍ヶ岳写真 | 1-1092 |
昭和15年9月3日 | 二科展並びに還暦祝賀展拝見の予定/丸善での日本画個展、今から楽しみに | 木村定三 | 還暦祝賀展、丸善個展から昭和15年と推定 | 1-1093 |
昭和15年9月5日 | 兄上の還暦、御祝い/(1)直彦の碑を建てたく、揮毫お願い(母と同寸法) (2)たまには慰問状を下さい | 熊谷敏子 | 絵葉書:大日岳トンネル | 1-1094 |
昭和15年9月6日 | 突然の参上と御指導に対する御礼/煙草、数が揃いましたら送付します | 矢田部 艶 | 1-1095 | |
昭和15年9月6日 | 新体制についての講演会開催案内/陸軍情報部 鈴木庫三少佐講演 | 新日本美術連盟 | 1-1096 | |
昭和15年9月7日 | 非公開 | 1-1097 | ||
昭和15年9月8日 | 二科会の切符送付、御礼/兄は7月から2ヶ月ほど、北支に慰問へ | 日置昭子 | 「叔母」とあり | 1-1098 |
昭和15年9月9日 | 12日に府美術館にてお目にかかりたく | 木村定三 | (1)1108へと続く (2)1108より昭和15年と推定 | 1-1099 |
昭和15年9月9日 | 海軍従軍美術展覧会開催 案内/日本橋白木屋にて、東京日日新聞社共催 | 海軍協会、東京日日新聞 | 1-1100 | |
昭和15年9月9日 | お申し越しの件、承知/主人に代わり、挨拶 | 小河清太郎内 | 1-1101 | |
昭和15年9月10日 | 6日晩当地着、1ヶ月ほどで帰京予定/西田は1ヶ月したら帰京するようにと言って、昨夜帰京 | 佐藤美代子 | (1)宛名:秀子も併記 (2)西田:西田義郎か (3)「西田美代子」の手紙あり | 1-1102 |
昭和15年9月10日 | 名古屋の毛筆画展、必要なら手伝いを/(1)先般の阪急展覧会の表装代、お目にかけます (2)二科会の紛糾、上に立つ者の難しきこと痛感 | 濱田葆光 | 名古屋丸善での個展から昭和15年に推定 | 1-1103 |
昭和15年9月10日 | 東京の家、何ら差し支えなく、御用渡の上、返送 | 庄司乙吉 | 1-1104 | |
昭和15年9月14日 | 突然の参上にも関わらず、御厚情を賜り感謝 | 小笠原吉郎 | 1-1105 | |
昭和15年9月14日 | 紀元2600年奉祝美術展覧会、出品申込書 | 二科会 | 未使用 | 1-1106 |
昭和15年9月17日 | 陸軍の嘱託として北支方面に従軍/2ヶ月ほど北京を中心に活動し、帰国の予定 | 宮本三郎 | 1-1107 | |
昭和15年9月18日 | 二科展、院展、新制作展等案内、御礼/(1)今年の院展より名作を求むるは難事 (2)先生の秋の個人展に皆期待 | 木村定三 | 秋の個人展より昭和15年と推定 | 1-1108 |
昭和15年9月20日 | 貴兄の記念展拝見いたしたく、昨日上京/有島氏所蔵の「女の顔」譲っていただきたく、依頼 | 山本発次郎 | 1144と関連 | 1-1109 |
昭和15年9月23日 | 昨日二科より貴作15点返送/(1)内、藤井君より貰った裸婦「海」は貴兄へ返却 (2)記念展出陳の風景は、見せていただきたく | 田村謹寿 | 1-1110 | |
昭和15年9月23日 | 転居通知(36年間在住の天草を引き払い) | 高木 巌 | 1-1111 | |
昭和15年9月24日 | 紀元2600年奉祝展覧会開催/三越にて | 旺玄社 | 1-1112 | |
昭和15年9月25日 | 名士寄贈書画即売会開催に付、揮毫依頼 | 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 | 1-1113 | |
昭和15年9月27日 | 近作個人展覧会開催/銀座資生堂にて | 雑賀文子 | 1-1114 | |
昭和15年9月27日 | 貴下出品の作品陳列の決定連絡/奉祝美術展覧会委員長 細川護立 | 紀元2600年奉祝会 | 文部大臣:橋田邦彦、奉祝会長:近衛文麿 | 1-1115 |
昭和15年9月27日 | 本校設置記念式典挙行の案内/併せて森井、八代両教授25年勤続祝賀式挙行 | 東京美術学校長 澤田源一 | 1-1116 | |
昭和15年9月28日 | 奉祝展への出品取り下げについて連絡/会員、会友外で出品者の内19点について | 二科会 | 封筒欠 | 1-1117 |
昭和15年9月28日 | 第2回展「立型」開催/三昧堂にて | 松島正人 | 劉 啓祥外4人 | 1-1118 |
昭和15年9月28日 | (差出人不明) | 中身欠 | 1-1119 | |
昭和15年9月29日 | 奉祝展への出品取り下げについて連絡/会員、会友外で出品者の内19点について | 二科会 | 1117と同一 | 1-1120 |
昭和15年9月30日 | 主人、南洋へ出掛け、未だ帰らず/東京にいるようでしたら、連絡を乞う | 水野しず | 主人:水野富三 | 1-1121 |
昭和15年9月30日 | 大阪の展覧会、来阪をお待ちしています/(1)川上兄も演奏旅行のため来阪、打出で会見は如何か (2)川上全次君応召、何か消息、お聞きでしたか (3)信時氏、吉川君は如何ですか | 江見恒三郎 | 1-1122 | |
昭和15年9月 | 第2回一星会油画展覧会開催 | 美交社 | 封筒欠 | 1-1123 |
昭和15年10月2日 | 丸善(新毛筆画展)の画は如何か/(1)奉祝展での二科の作品、厳選のようですが如何か (2)奉祝展観覧のため上京、併せてお邪魔の予定 | 濱田葆光 | 1-1124 | |
昭和15年10月2日 | 二科会の招待券、送付の御礼/7月末より支那にて行軍の慰問、昨30日帰宅 | 日置 静 | (1)絵葉書:芝罘の刺繍 (2)妹:日置昭子 | 1-1125 |
昭和15年10月3日 | 画集の進行は如何か/(1)写真はあまり芳しくない出来ですが、御覧下さい (2)今日、朝鮮に発ち、11月下旬に帰京の予定 | 栗原 信 | 1-1126 | |
昭和15年10月3日 | 「ランプ」確かに受け取りました/額縁が附いてきたが、如何取り計らったらよろしいか | 櫛田利雄 | 1-1127 | |
昭和15年10月7日 | 内藤■(金+辰)策氏の歌絵展開催/内藤■(金+辰)策、藤原竹汀個展目録 | 小林源太郎 | 1-1128 | |
昭和15年10月7日 | 100号5点、50号2点制作中/3月末に上京して、指導を仰ぎたい | 旭 亮弘 | 1-1129 | |
昭和15年10月8日 | 個人展開催 案内 | 石川真五郎 | 1-1130 | |
昭和15年10月9日 | 指導承諾の返事に対する御礼/近く上京の予定 | 福村友吉 | 1-1131 | |
昭和15年10月10日 | 墓石への揮毫承諾に対し御礼/(1)帰りに西野町の小母様に会う (2)牧野多阿様もお一人にて寂しくお暮らしのこと | 熊谷敏子 | (1)牧野多阿:牧野多香のことか (2)封筒表に「熊谷家之墓」と墨書 | 1-1132 |
昭和15年10月11日 | 「奉祝展号」発刊に際し、作品撮影の許可願い | 朝日新聞東京本社 出版局編集部 | 1-1133 | |
昭和15年10月12日 | 阿部さん宅での先生の御祝いの会、欠席お詫び/山中湖にて写生中、帰宅後知る | 小川勝蔵 | 1-1134 | |
昭和15年10月14日 | 第8回秋香会展覧会開催/紀伊国屋にて | 秋香会同人 | 1-1135 | |
昭和15年10月14日 | 柏舟社第2回展覧会開催/資生堂画廊にて | 柏舟社 | 伊藤仁三郎外5人 | 1-1136 |
昭和15年10月14日 | 清里写生旅行の件、連絡/杉本君がお伺いしたはずですが、念のため | 鈴木國威 | 参加予定:安部、梅原、佐々木、小林、杉本、鈴木 | 1-1137 |
昭和15年10月14日 | 大阪二科小品絵画展 出品要項 | 二科会 | 出品目録用紙あり | 1-1138 |
昭和15年10月14日 | 葉書拝見、今年は還暦展を開催され/(1)小生2年続けて二科への出品御無沙汰 (2)名古屋木村氏の件、失礼を重ねておりよろしく | 坂本繁二郎 | 1-1139 | |
昭和15年10月14日 | 新水彩協会展第2回開催 出品お願い/菊屋ギャラリーにて | 新水彩協会 | 1-1140 | |
昭和15年10月15日 | 書画恵与快諾に対し、御礼/御揮毫用紙を別便にて送付 | 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 | 1-1141 | |
昭和15年10月17日 | 大阪高島屋小品展中止の連絡 | 二科会 | 1-1142 | |
昭和15年10月18日 | 南洋旅行、御世話になり御礼/(1)2600年奉祝展拝見、展示作品への批評 (2)南洋作品展、丸善にて開催予定 | 水野富三 | 復信:展覧会の感想を希望 | 1-1143 |
昭和15年10月19日 | 美意子さんの肖像、山本氏への売却確認/(1)阪急の山田金三郎氏を通して神戸の山本氏依頼 (2)熊谷は相変わらず貧乏にて、500円で交渉 | 有島生馬 | (1)1109の件 (2)裏書「僕の「肖像」ハ未だ届かない」とあり | 1-1144 |
昭和15年10月20日 | 牧野虎雄画伯近作展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 西川武郎 | 1-1145 | |
昭和15年10月20日 | 非公開 | 1-1146 | ||
昭和15年10月20日 | 16日に当地着、相当描くところ在り/21日に帰る予定 | 河合敏雄 | 絵葉書:夏の新鹿沢風景 | 1-1147 |
昭和15年10月21日 | 池田淑人作品発表展/自宅にて | 池田淑人 | 封筒裏に「雨田」の朱印あり | 1-1148 |
昭和15年10月21日 | 冬の鮮満支を1ヶ月写生したく出発 | 沼田一郎 | 1-1149 | |
昭和15年10月21日 | 松茸少々送付、御賞味下されたく/名古屋の二科展、今から楽しみに | 大野新吉 | 1-1150 | |
昭和15年10月22日 | 第2回六芸会展開催 案内/資生堂ギャラリーにて | 六芸会事務所 | 『六芸会』同封 | 1-1151 |
昭和15年10月22日 | 先日の写生旅行の御礼/美しの森で撮った写真送付 | 佐々木宗一郎 | (1)封筒欠 (2)1137から昭和15年と推定 | 1-1152 |
昭和15年10月24日 | みづゑが「ひまわり」「富士」を借りに来た/(1)今度お出での時は、箱書をお願いしたい (2)奉祝展出陳の「畝傍山」について、貴兄の評価を聞きたい | 田村謹寿 | みづゑ:出版社(小石川区) | 1-1153 |
昭和15年10月24日 | 第27回二科美術展覧会、小出楢重遺作展覧会開催 | 大阪市立美術館長 市川 寛 | 優待券1枚、招待券5枚あり | 1-1154 |
昭和15年10月25日 | 安部治郎吉油絵展覧会開催/菊屋ギャラリーにて | 安部治郎吉 | 1-1155 | |
昭和15年10月25日 | 奉祝美術展覧会京都陳列会前・後期案内 | 京都市長 加賀谷朝蔵 | 特別観覧券1枚、招待券2枚あり | 1-1156 |
昭和15年10月26日 | 第2回展覧会開催/三昧堂画廊にて | 国土会 | 国土会:伊東 種外8人 | 1-1157 |
昭和15年10月28日 | 『改造』12月号の扉絵と目次カットの依頼 | 改造社『改造』編集部 山村一平 | 1-1158 | |
昭和15年10月28日 | 丸善での個展、12月3日より5日間に決定/個展とは別に、不動、仏の画を希望 | 木村定三 | 1-1159 | |
昭和15年10月28日 | 畝傍山、5,60円で譲ってくれませんか/徳富蘇峰先生の詩と共に家宝としたい | 大野新吉 | 1-1160 | |
昭和15年10月29日 | 毛筆画展、12月3日よりに変更の連絡/木村様に非常に御助力を頂いている | 丸善美術部 木内憲次 | 1-1161 | |
昭和15年10月29日 | 中井宗太郎氏講演会開催/『奈良朝藤原より鎌倉に至る美術に就いて』 | 新日本美術連盟 | 1-1162 | |
昭和15年10月29日 | 第1回個人展開催 | 佐藤一章 | 1-1163 | |
昭和15年10月29日 | 先日お願いした墓碑揮毫、よろしく/来る8日に法要、お越し頂けるならお知らせ下さい | 熊谷敏子 | 宛名:秀子も併記 | 1-1164 |
昭和15年10月29日 | 還暦を祝う会開催/11月5日開催 | 熊谷氏祝賀会発起人一同 | 添え書きあり「小品5点売れる」 | 1-1165 |
昭和15年10月29日 | 思い立って先月末から鮮満旅行中/画題として別段興味を引くものはなし | 森 繁 | (1)絵葉書:ハルピン街 (2)康徳7年:昭和15年 | 1-1166 |
昭和15年10月30日 | 17日京城駅着、売れる絵を5点描きたい/粟原信氏が、こちらで仕事をしているそうです | 玉井安武 | 宛名:秀子も併記 | 1-1167 |
昭和15年10月30日 | 第2回展覧会開催/紀伊国屋にて | 美萌社事務所 矢田部艶 | 美萌社:伊澤二二子外26人 | 1-1168 |
昭和15年10月31日 | 更生キャンバス部新設の通知 | 精美社 船岡廣炊 | 1-1169 | |
昭和15年10月 | 紀元2600年奉祝美術展覧会後期開催/規則、出品申込書、出品預かり証 | 紀元二千六百年奉祝美術展覧会事務所 | 1-1170 | |
昭和15年11月1日 | 甲斐巳八郎日本画個人展覧会開催/菊屋ギャラリーにて | 甲斐巳八郎 | 1-1171 | |
昭和15年11月1日 | 紀元2600年記念正倉院御物特別展開催 | 帝室博物館 | 博物館総長:渡辺 信 | 1-1172 |
昭和15年11月3日 | 移転通知 | 高橋迪章 | 1829と関連 | 1-1173 |
昭和15年11月5日 | 直土会更新声明並びに趣旨 | 直土会事務所 | 直土会会員:建畠大夢外 | 1-1174 |
昭和15年11月5日 | 日本パステル作家協会結成 | 日本パステル作家協会 | 1-1175 | |
昭和15年11月5日 | 長尾嶽陽翁頒徳碑建碑式挙行案内 | 嶽陽会 | 返信用葉書あり | 1-1176 |
昭和15年11月5日 | 「センゼノカンレキヲイワフ」(先生の還暦を祝う) | タマ | 熊谷氏還暦祝賀会に関連 | 1-1177 |
昭和15年11月6日 | 大阪二科展開催、9日に出品者の懇親会/(1)懇親会には鍋井、正宗、東郷氏ら参加予定 (2)丸善の毛筆画展、木村氏の助力を得て慶賀 (3)京都で奉祝展を見て、鍋井、黒田、国枝氏と会う予定 | 濱田葆光 | 1-1178 | |
昭和15年11月6日 | 日本パステル作家協会展開催/銀座松坂屋にて | 日本パステル作家協会 | 飯島誠二郎外6人 | 1-1179 |
昭和15年11月8日 | 歳末厚生週間開催に付、揮毫お願い | 朝日新聞社会事業団 名古屋支部 | 1-1180 | |
昭和15年11月10日 | 東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 | 中身欠 | 1-1181 | |
昭和15年11月10日 | 第1回研究会展覧会開催/紀伊国屋にて | 研究会 | 岩橋英遠外13人 | 1-1182 |
昭和15年11月10日 | 第2回漆絵展覧会開催/上野松坂屋にて | 日本漆絵協会 | 片山佳吉外6人 | 1-1183 |
昭和15年11月11日 | 第2回新水彩展開催/菊屋ギャラリーにて | 新水彩協会 | 石野 隆外18人 | 1-1184 |
昭和15年11月11日 | 画集は12月中にまとめたく/表紙を今月20日までに、写真もお送り下さい | みづゑ 大下正男 | 1-1185 | |
昭和15年11月12日 | 長澤昇 洋画第1回展開催 | 長澤 昇 | 1-1186 | |
昭和15年11月12日 | 原稿の件でお騒がせ、お詫び/速達便の原稿を発見、新たに頂いた方を12月号に、前のは新年号に掲載の予定 | 改造社 山村一平 | 1-1187 | |
昭和15年11月13日 | (差出人不明) | 中身欠 | 1-1188 | |
昭和15年11月15日 | 12日送付の毛筆画24点未だ届かず/丸善木内君、個展目録早めに知りたい由 | 木村定三 | 1-1189 | |
昭和15年11月15日 | 上京の際、訪問いたし、感謝/(1)来年春、作品持参の上、上京の予定 (2)奉祝美術展優待券の返送、金沢名物の送付 | 福村友吉 | 1-1190 | |
昭和15年11月16日 | 先日お邪魔いたし、感謝/明石君、柏崎氏デザインによる琉球濤器展開催中 | 今井完樹、明石哲三 | 1-1191 | |
昭和15年11月17日 | 12日付小包、本日到着/木内君によれば、展覧会は丸善にて3日から7日に開催の予定 | 木村定三 | 1189と関連、昭和15年と推定 | 1-1192 |
昭和15年11月17日 | 在京中、御世話になり御礼/先日無事帰郷 | 崔性? | 1-1193 | |
昭和15年11月17日 | 奉祝美術展覧会への御協力、御礼 | 京都市長 加賀谷朝蔵 | 1-1194 | |
昭和15年11月18日 | 東京毎夕新聞社、退職挨拶 | 田澤良夫 | 1-1195 | |
昭和15年11月21日 | 第4回着彩写真展覧会開催/日本カラーグラフ同好会 | レートン絵具株式会社 東京出張所 | 1-1196 | |
昭和15年11月21日 | 移転通知 | 津田周平 | 1-1197 | |
昭和15年11月21日 | 美術文化協会 | 中身欠 | 1-1198 | |
昭和15年11月22日 | 先日朝よりお邪魔いたし、感謝/21日柿少々、鉄道便にて送付 | 高瀬勝男 | 1-1199 | |
昭和15年11月23日 | 展覧会間近、御下名はいつ頃か/新聞社方面の招待日など連絡を請う | 丸善名古屋支店美術部 木内憲次 | 「陳列可能壁面図」あり | 1-1200 |
昭和15年11月23日 | 求龍堂 石原龍一、兜屋 西川武部 | (1)中身欠 (2)表書「油絵展観図録在中」とあり | 1-1201 | |
昭和15年11月24日 | 旅館案内/写生に、避寒に、釣りに | 真崎屋旅館 岩崎彦左衛門 | 1-1202 | |
昭和15年11月24日 | 16日は失礼をして申し訳なく/博物館にて、作品を拝見 | 小笠原吉郎 | 1-1203 | |
昭和15年11月25日 | 美交社 | (1)中身欠 (2)表書「石井柏亭近作展覧会目録」とあり | 1-1204 | |
昭和15年11月25日 | 山の油絵展覧会開催/三昧堂ギャラリーにて | 内野 猛(碧山) | 1-1205 | |
昭和15年11月25日 | ニタ・マリー・サンチラン(上永井正夫人)油画個人展覧会開催 | ニタ・マリー・サンチラン油画個人展覧会 | 1-1206 | |
昭和15年11月26日 | 火災保険契約満期通知 | 明治火災海上保険株式会社 | 1-1207 | |
昭和15年11月26日 | 奉祝展出品画、売って欲しいとの連絡在り/目下個展準備中に付、多忙 | 石川確治 | 添え書き「返信を先方に」とあり | 1-1208 |
昭和15年11月26日 | 美意子さんの肖像、山本氏へ送付/(1)いずれ金500円送金あるはず (2)仲介は阪急百貨店山内金三郎氏にて | 有島生馬 | 1-1209 | |
昭和15年11月26日 | ニタ・マリー・サンチラン(上永井正夫人)油画個人展覧会開催/青樹社画廊にて | 藤田嗣治 | 1-1210 | |
昭和15年11月27日 | 展覧会目録、到着したので早速手配/(1)木村氏方に送付の作品、出来上がった由 (2)下名の際、宿所の手配は如何に (3)12月2日夜、新聞社の招待を予定 | 丸善株式会社 木内憲次 | 1-1211 | |
昭和15年11月27日 | 水彩連盟 | 中身欠 | 1-1212 | |
昭和15年11月28日 | 先日突然お邪魔いたし、感謝 | 美交社 美津島一 | 1-1213 | |
昭和15年11月28日 | 物故洋画家叢書発刊に付、人選依頼 | アトリエ社 | 1-1214 | |
昭和15年11月30日 | 表紙と写真、落手、「みづゑ」は明日送付 | みづゑ 大下正男 | 絵葉書:「向日葵」八藤勅人画 | 1-1215 |
昭和15年11月30日 | 歳末厚生週間の揮毫承諾への御礼 | 朝日新聞社会事業団 名古屋支部 | 1-1216 | |
昭和15年11月 | 歳末厚生週間への御揮毫お願い | 東京朝日新聞社会事業団 | 封筒欠 | 1-1217 |
昭和15年11月 | 第2回二六会洋画展開催/紀伊国屋にて | 二六会 | 細小路 真外11人 | 1-1218 |
昭和15年11月 | 材料別送連絡 | 大阪朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 | 封筒欠 | 1-1219 |
昭和15年11月 | 紀元2600年奉祝美術展覧会図録刊行案内 | 審美書院 | 予約申込書あり | 1-1220 |
昭和15年12月1日 | 歳末厚生週間に御寄贈の色紙、受領 | 東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 | 1-1221 | |
昭和15年12月2日 | 訃報(妻澄子死去) | 北澤定一 | 康徳7年:昭和15年 | 1-1222 |
昭和15年12月2日 | 火災保険引き続き契約に付、御礼/同封の振替用紙にて送金のお願い | 明治火災保険株式会社 峰田八良 | 封筒欠 | 1-1223 |
昭和15年12月2日 | 信時潔氏の住所、知りたし | 大下正男 | 「みづゑ」 | 1-1224 |
昭和15年12月2日 | 第2回鈴木信太郎油絵個人展覧会開催 | 高島屋美術部 | 1-1225 | |
昭和15年12月3日 | 御寄贈品御請書一色紙 1点 | 大阪朝日新聞社会事業団 | 1-1226 | |
昭和15年12月4日 | 奉祝展出陳「畝傍山」、購入者在り/まだ手元にあらば、値段明記の上、作品の送付を乞う | 神戸画廊 大塚銀次郎 | 1228も同封してあった | 1-1227 |
昭和15年12月15日 | 「オテガミハイケンウネビヤマオオクリオコフ」 | 神戸画廊 大塚銀次郎 | 1227に同封してあった | 1-1228 |
昭和15年12月4日 | 研究所改更を勝手にいたし、お詫び/10日過ぎには参上して、申し上げたく | 小林源太郎 | 1-1229 | |
昭和15年12月6日 | 歳末義金運動への揮毫恵与方御礼/名士寄贈書画即売会開催にて | 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 | 1-1230 | |
昭和15年12月9日 | 訃報(父石原留吉死亡) | 石原秀隆外3人 | 1-1231 | |
昭和15年12月9日 | 木村様へ猫の画送付の件、承知/(1)旅に出られてお疲れのことと拝察 (2)今度の不動尊、大いに感心、私にも描いていただきたい | 濱田葆光 | 1-1232 | |
昭和15年12月9日 | 石川確治氏個人展覧会目録 | 石川確治 | 1-1233 | |
昭和15年12月10日 | 2601年元旦の記念号への揮毫お願い | 岐阜日日新聞社 | 1-1234 | |
昭和15年12月10日 | 笠原油絵展覧会 | 中身欠 | 1-1235 | |
昭和15年12月10日 | 法文社 | 中身欠 | 1-1236 | |
昭和15年12月11日 | 第5回朔日会展覧会開催/資生堂ギャラリーにて | 朔日会 | 同人:羽藤馬佐夫外10人 | 1-1237 |
昭和15年12月12日 | 毛筆画展反響大きく、小生も8点購入/更に3人より絵の希望在り、小生も4点希望 | 木村定三 | 1-1238 | |
昭和15年12月12日 | 『日本美術新聞』継続購読の伺い | 日本美術新報社 | 1-1239 | |
昭和15年12月15日 | 異動通知 | 熊谷鋭太郎 | 1-1240 | |
昭和15年12月15日 | 『阪急美術』新年号への回答依頼/テーマ:新体制下に迎える新年の御床飾りと趣味の計画 | 『阪急美術』編集部 | 1-1241 | |
昭和15年12月15日 | 『美術の友』第24号 | 美術の友社 | 1-1242 | |
昭和15年12月16日 | 会葬御礼(石原留吉死去) | 石原秀隆外3人 | 1-1243 | |
昭和15年12月17日 | 山本氏希望の絵の件、御礼に預かり恐縮/阪急での第3回日本画展を念じております | 阪急百貨店 山内金三郎 | 1-1244 | |
昭和15年12月17日 | 題字揮毫の御礼/弟夫婦と柴を40把も拾いました | 熊谷敏子 | 宛名:秀子も併記 | 1-1245 |
昭和15年12月17日 | 本日は唐紙をたくさん頂き、感謝/展覧会も意外の好成績にてお慶び申し上げます | 横井礼市 | 1-1246 | |
昭和15年12月17日 | 二科展にお貸しした2点、未だ1点返送されず/2点の運送賃は当方で支払い済み | 小河清太郎内 | 1-1247 | |
昭和15年12月18日 | 田澤良夫君東京毎夕新聞社退社記念会開催 | 田澤良夫君記念会 | 世話方:遠山 孝外5人 | 1-1248 |
昭和15年12月20日 | 創元会 | 中身欠 | 1-1249 | |
昭和15年12月21日 | 継続保険料領収証 | 明治火災保険株式会社 | 1-1250 | |
昭和15年12月21日 | 貴作所蔵者の住所、氏名承りたく | 大禮記念京都美術館 | 1-1251 | |
昭和15年12月21日 | 妻澄子、三七回忌納骨相済み通知 | 北澤定一 | 1-1252 | |
昭和15年12月21日 | 湯桧槽、絵の届け先について指示を乞う/旅から8日に帰京した、阪本氏とも九州で会う | 安部治郎吉 | 1-1253 | |
昭和15年12月21日 | 御揮毫受領、御礼 | 岐阜日日新聞社 | 1-1254 | |
昭和15年12月21日 | 熊谷さんの金80円送付/受取の連絡を大阪市住吉区藤木正一氏へ | 笹川慎一 | (1)宛名:石川確治 (2)後欠 | 1-1255 |
昭和15年12月21日 | 大川武司第1回個人展覧会開催/三昧堂にて | 大川武司 | 1-1256 | |
昭和15年12月22日 | 26日夜、訪問したく、都合如何か | 小笠原吉郎 | 1-1257 | |
昭和15年12月22日 | 訃報(母さだ死去 秋田県角館町にて) | 田口省吾 | 1-1258 | |
昭和15年12月23日 | 二科展とみづゑに貸した貴作、未だ届かず/(1)約束の10号以上の「雪景」、力作をお願いします (2)日本画の箱書き2点、今度お出での際によろしく | 田村謹寿 | 1-1259 | |
昭和15年12月24日 | 先般の個展の金、小切手にて送金/(1)唐紙は、横井先生に10枚、先生に40枚 (2)来春、お預かりの作品と共に送付 | 丸善株式会社名古屋支社 木内憲次 | 1-1260 | |
昭和15年12月25日 | 昨日、二科展とみづゑに貸した3点、受取/(1)お出での際に、箱書きの蓋2つ、額縁をお渡しします (2)雪、裸、会心の作をお願いします | 田村謹寿 | 封筒表に鉛筆書きのメモあり:「雪」「裸」「小村氏毛筆」外 | 1-1261 |
昭和15年12月27日 | 歳末厚生週間即売会への揮毫御礼 | 東京朝日新聞社会事業団 歳末厚生週間係 | 1-1262 | |
昭和15年12月27日 | 一昨日「畝傍山」着、代金420円送金 | 神戸画廊 大塚銀次郎 | 1-1263 | |
昭和15年12月29日 | 年賀 | 金宗燦 | 1-1264 | |
昭和15年12月30日 | 年賀 | 森 繁 | 宛名:一同も併記 | 1-1265 |
昭和15年12月30日 | 年賀 | 林 一郎 | 1-1266 | |
昭和15年12月30日 | 会葬御礼(母さだ葬儀) | 田口省吾 | 1-1267 | |
昭和15年12月31日 | 東京毎夕新聞社退社記念会開催の御礼 | 田澤良夫 | 1-1268 | |
昭和15年12月31日 | 年賀 | 菊屋ギャラリー | 1-1269 | |
昭和15年12月31日 | 年賀 | 荻野康児 | 1-1270 | |
昭和15年12月31日 | 年賀 | 伊東静尾 | 1-1271 | |
昭和15年12月31日 | 年賀 | 牧田正雄 | 1-1272 | |
昭和10年・15.12 | 向井潤吉画伯豆絵展覧会開催/12月15日から19日まで | 三昧堂美術部 | 12月15日が日曜日は昭和10年,15年から推定 | 1-1273 |
昭和15年12月 | 石川寅治画伯個人展覧会目録/12月9日から13日まで | 美交社 | 1-1274 | |
昭和15年 | 「宗達伊勢物語図帖」原色版複製頒布 | 造形芸術社 | 1-1275 | |
昭和15年 | 二六○○年会 | (1)中身欠 (2)2600年から15年と推定 | 1-1276 |