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荒尾南遺跡C地区
荒尾南遺跡(あらおみなみ)C地区
所在地
大垣市荒尾町・桧町(おおがきしあらおちょう・ひのきちょう)
地図<外部リンク>
時代
弥生時代から古墳時代、古代から中世
平成23年度8地点発掘区近景(東から撮影。写真右側は国道21号)
発掘状況
荒尾南遺跡は大垣市西部に位置し、標高6m前後の緩扇状地から自然堤防帯にかけて立地します。C地区は国道21号より南の遺跡南部にあたり、その大半が自然堤防帯上にあると考えられます。このC地区では、平成19年度から平成23年度にかけて発掘調査を実施し、弥生時代中期から古墳時代初頭の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)47基、古墳時代前期の前方後方形周溝墓1基、弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)4軒、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)4棟、その他多数の溝状遺構や土坑(どこう)などが見つかりました。また、遺跡南西部では石製品製作に関わる遺物が、遺跡東部の大溝からは木製品の生産に関わる遺物が、それぞれ大量に出土し、生産活動を盛んに行っていた様子が浮かび上がりました。
石製品の生産に関わる遺物(弥生時代中期)
遺跡南西部では石製品の生産に関わる遺物が集中して出土しました。生産に関わる遺構を発見することはできませんでしたが、玉の表面を滑らかにするためのU字状に溝がある砥石、玉類の切断に使われた石鋸、玉製作時に出る剥片など、この周辺で玉類の生産が行われていたと推測できるものばかりです。
石製品の生産に関連する遺物
方形周溝墓(弥生時代中期)
C地区全域は、弥生時代から古墳時代前期にかけて、方形周溝墓が墓制の中心である墓域でしたが、特に弥生時代中期には多くの方形周溝墓が造営されました。墳丘と主体部の関係を見てみると、主体部としての墓坑を造った後、盛土している場合がほとんどでした。複数の主体部が見つかった方形周溝墓もあり、埋葬を繰り返しながら墳丘に盛土していったと考えられます。
09_13地点の弥生時代中期の方形周溝墓群
大溝(弥生時代末から古墳時代前期)
弥生時代中期に人工的に掘削されたと考えられる大溝は、荒尾南遺跡の東部を南北に流れるもので、長さ450m以上、幅はさらに広い部分もありますがほぼ10m、深さ1m50cmに及びます。掘削した当時の利用方法は不明ですが、弥生時代末から古墳時代前期になると、大溝の岸辺では木製品の生産が行われるようになります。大溝からは木製品の未製品や材料、岸辺には木製品の生産のためと考えられる建物跡や木製品を加工するのに使った鉄器を研ぐための砥石などが見つかりました。
木製品の生産が行われていた大溝周辺
大溝からの木製品出土状況
大型の方形周溝墓(古墳時代前期)
C地区の南西部では、弥生時代中期のものよりも墳丘の高さや規模が大きい方形周溝墓SZc40が見つかりました。墳丘を調査した結果、土手状に周囲に盛土し、中央の凹んだ部分に土を充填するという方法を繰り返して盛土されていることが分かりました。遺体は盛土の途中で置かれたものと思われ、墓坑は見つけることはできませんでした。こうした墳丘の構築方法や遺体の置き方は、荒尾南遺跡の南西に位置する養老町の象鼻山1号古墳とよく似るものです。
墳丘が高く残る方形周溝墓SZc40(写真奥の山は金生山)