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第53集熊谷守一1(その2)
阜県歴史資料館所在史料目録
第53集熊谷守一文書目録
第一部史料目録
1書簡類その2(昭和16年~昭和59年)
年月日 | タイトル/内容 | 作成 | 備考 | 文書番号 |
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昭和16年1月1日 | 年賀 | 渡邊義一 | 1-1277 | |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 大野顕五 | 1-1278 | |
昭和16年1月1日 | 年賀/11日の会、午前中にはお出ででなかったので残念 | 江見恒三郎 | 1-1279 | |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 高橋進、小林武夫 | 1-1280 | |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 画楽里吉田勝蔵 | 1-1281 | |
昭和16年1月1日 | 年賀/4,5月頃、スケッチ旅行の計画中 | 関四郎五郎 | 関津恵、千恵の3人の連名にて | 1-1282 |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 神田周三 | 1-1283 | |
昭和16年1月1日 | 年賀/倉敷大原美術館にて近代フランス絵画の研究中 | 水野富三 | 1-1284 | |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 能島武文 | 住所に「四谷区南伊賀町」も並記 | 1-1285 |
昭和16年1月1日 | 年賀 | 大野新吉 | 絵葉書:徳富蘇峰先生御詩 | 1-1286 |
昭和16年1月2日 | 年賀/広島から船で松山に渡り、徳島へ | 河合敏雄 | 絵葉書:屋島談古嶺より北を望む | 1-1287 |
昭和16年1月2日 | 年賀 | 旭亮弘 | 1-1288 | |
昭和16年1月2日 | 年賀 | 松本弘二 | 1-1289 | |
昭和16年1月2日 | 年賀/小包1個郵送 | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-1290 |
昭和16年1月3日 | 年賀 | 秋元正雄 | 1-1291 | |
昭和16年1月3日 | 年賀/(1)11月上旬より再上京し下宿中(2)栃木県足利郡筑波村に写生に行く予定 | 山口幹雄 | 1-1292 | |
昭和16年1月3日 | 年賀 | 有隅善郎 | 1-1293 | |
昭和16年1月3日 | 年賀 | 三浦舜太郎 | 1-1294 | |
昭和16年1月5日 | 年賀 | 野田武男 | 康徳8年:昭和16年 | 1-1295 |
昭和16年1月5日 | 年賀 | 濱田葆光 | 1-1296 | |
昭和16年1月6日 | (絵葉書) | 河合敏雄 | 絵葉書:鳴戸8枚 | 1-1297 |
昭和16年1月7日 | 寒中見舞 | 黒田重太郎 | 絵葉書:「牡丹」黒田重太郎画 | 1-1298 |
昭和16年1月7日 | 年賀 | 矢田部艶 | 1-1299 | |
昭和16年1月8日 | 年賀 | 林武 | 1-1300 | |
昭和16年1月9日 | 年賀 | 袴田円助 | 1-1301 | |
昭和16年1月9日 | 年賀、12月妹死去、1月男子誕生/(1)濱田氏より貴兄の猫の絵を送っていただく、代金連絡を(2)帝大の医者、丸善にて貴兄の洋画を購入 | 木村定三 | 1-1302 | |
昭和16年1月11日 | 年賀/昨年中に奉天の三中井百貨店にて個展開催 | 沼田一郎 | 1-1303 | |
昭和16年1月13日 | 払出通知票(『改造』1月号稿料5円) | 改造社山本三生 | 1-1304 | |
昭和16年1月15日 | 年賀 | 小林源太郎 | 小林:南郊モデル協会、成層絵画研究所 | 1-1305 |
昭和16年1月15日 | 会葬御礼(父嗣章死去) | 藤田嗣雄、嗣治 | 1-1306 | |
昭和16年1月15日 | 会葬御礼(丁寧なる弔詞、感謝) | 藤田嗣治 | 1-1307 | |
昭和16年1月15日 | 転居通知 | 早川國彦 | 1-1308 | |
昭和16年1月22日 | 晨潮会第3回展開催/三越にて | 山口幹雄 | 1-1309 | |
昭和16年1月24日 | 額縁2点、箱書き2点お渡しいたしたく | 田村謹寿 | 1-1310 | |
昭和16年1月27日 | 濱田氏より受け取った猫の絵の代金、送金 | 木村定三 | 1-1311 | |
昭和16年1月29日 | 鈴木夢平氏、50才を迎え祝う会を開催/作品の御恵送を乞う | 夢平氏を祝う会 | 発起人:村瀬馨 | 1-1312 |
昭和16年1月30日 | 山中にて制作中、3月末に上京の予定 | 旭亮弘 | 1-1313 | |
昭和16年2月4日 | 第5回大日本海洋美術展覧会開催/趣旨、規程、出品諾否の返信用葉書 | 大日本海洋美術展覧会事務所 | 1-1314 | |
昭和16年2月4日 | 晨潮会への御来場、御指導、感謝 | 山口幹雄 | 晨潮会が1月下旬に開催されたことから2月と推定 | 1-1315 |
昭和16年2月6日 | 善九庵での陶画制作、御苦労さまでした/また、北川民次氏と共にお越し下さい | 東本春水 | 1-1316 | |
昭和16年2月6日 | 3日前、トチ餅を送付/本年は配給とて制限されることにて作りにくく | 牧野たか | 宛名:秀子も併記 | 1-1317 |
昭和16年2月25日 | 濱田氏より画集に日本画を入れたいとの希望あり/交渉中に付、しばらくお待ちを | 大下正男 | 大下:「みづゑ」、守一の画集制作中 | 1-1318 |
昭和16年2月26日 | 本日、金沢特産「カニ」を送付 | 福村友吉 | 1-1319 | |
昭和16年2月26日 | 発送御案内(北沢定一フルーツキャンディ) | 三中井発送部 | 1-1320 | |
昭和16年3月3日 | 還暦記念の写真、本日頂戴、御礼 | 上田暁 | 絵葉書:伊豆大島 | 1-1321 |
昭和16年3月4日 | 先日送付のカニ、受け取り確認/便りがないので、病気かと心配 | 福村友吉 | 1-1322 | |
昭和16年3月4日 | 噂では、2月に横井、北川氏と瀬戸に/(1)阪急美術部、本年もまた毛筆画個展開催を希望(2)昨年阪急への出品作の販売分、代金送金(3)関西画廊にて坂本氏の個展開催 | 濱田葆光 | 1-1323 | |
昭和16年3月5日 | 訃報(母春子死去) | 東郷青児 | 1-1324 | |
昭和16年3月7日 | 毛筆画個展、開催の都合伺い/(1)作品の依頼(2)18日頃黒田君上京と、国枝君の来信にあり | 濱田葆光 | 1-1325 | |
昭和16年3月7日 | 「テンランカイイツゴロカイサイカノウナリヤ」 | 阪急百貨店 | 宛名:濱田葆光 | 1-〃 |
昭和16年3月7日 | 個展開催の依頼、4月は如何か | 阪急百貨店美術部 | 1-1326 | |
昭和16年3月10日 | 黒田重太郎氏上京に合わせ、新年会開催 | 二科会 | 1-1327 | |
昭和16年3月10日 | 先日の訪問と御揮毫の御礼/(1)本日は「みづゑ」を頂き、感謝(2)4月の先生の焼き物展、今から楽しみに(3)日本画数点の依頼 | 木村定三 | 1-1328 | |
昭和16年3月13日 | 作品6点完成、上京し御指導を賜りたい/新愛知新聞社の北原氏、先生の作品を希望 | 旭亮弘 | 1-1329 | |
昭和16年3月14日 | 作品お揃いの節は、5月にても開催予定/その他については、作品出来上がりの上、相談 | 阪急百貨店美術部 | 1-1330 | |
昭和16年3月15日 | 会葬御礼(母春子葬儀) | 東郷青児 | 1-1331 | |
昭和16年3月17日 | ただ今、帰郷中、本月中に帰奉の予定/上京の際には、お伺いいたしたく | 北澤定一 | 帰奉:奉天市浪速通 | 1-1332 |
昭和16年3月17日 | 第7回西人社展への出品依頼/全九州、朝鮮の二科出品者へ呼びかけ | 西人社事務所 | 第7回展覧会より昭和16年と推定 | 1-1333 |
昭和16年3月25日 | 二科会の趣旨について/二科会員新作展覧会開催大阪高島屋にて | 二科会 | 1-1334 | |
昭和16年3月27日 | 転居通知 | 中野安次郎 | 1-1335 | |
昭和16年4月4日 | 漸く式根着、これから先生推奨の岩へ行く/「おじいさん」が先生を懐かしがり、毎夜、炉端にて噂 | 竹谷富士雄 | 1-1336 | |
昭和16年4月5日 | 出品承諾の御礼/明日九州に発ち、坂本先生を訪問の予定 | 草人社久我五千男 | 二科五人展の件か | 1-1337 |
昭和16年4月7日 | 先日は突然お邪魔し、御指導を賜り御礼 | 矢田部艶 | 1-1338 | |
昭和16年4月7日 | 総会開催の通知 | 二科会 | 1-1339 | |
昭和16年4月9日 | 美術研究所編纂出版物案内 | 美術研究所 | 1-1340 | |
昭和16年4月12日 | 例年どおり、5月のお出でを待つ/御馳走はないが、臨時配給などで、心配は無用 | 江見恒三郎 | 1-1341 | |
昭和16年4月12日 | 二科会の方針協議会開催の案内 | 二科会 | 1-1342 | |
昭和16年4月12日 | 郷里に不幸ありて、帰郷中/また上京の予定 | 山口幹雄 | 1-1343 | |
昭和16年4月15日 | 阪急百貨店での個展、6月中に開催予定/(1)作品は5月10日頃までに送付を願う(2)21日、黒田氏と法隆寺壁画を見に行く | 濱田葆光 | 1-1344 | |
昭和16年4月15日 | 19日夜行にて上京、20日お迎えを乞う/東京駅着の時間は打電にて | 大野新吉 | 1350に中止の連絡あり、よって昭和16年と推定 | 1-1345 |
昭和16年4月15日 | 趣味の陶画三昧展開催/熊谷守一、横井礼市、北川民次の作品 | 双弦会 | 1-1346 | |
昭和16年4月15日 | 趣味の陶画三昧展開催の案内/作品は後援関係者から絶賛を浴びています | 東本春水 | 1-1347 | |
昭和16年4月16日 | 会葬御礼(夫鶴造死去) | 原田たか | 1-1348 | |
昭和16年4月16日 | 3月に結婚、学校勤めで絵が描けない/旧友の伊藤房子氏の指導をお願いしたい | 牧田正雄 | 1-1349 | |
昭和16年4月19日 | 徳富先生入院のため、上京は延期/君の家にて、そばを満腹まで楽しみたく | 大野新吉 | 1-1350 | |
昭和16年4月20日 | この度は失礼、延期したが訪問はしたい/22日来名の由、夫人と共に御泊まりを乞う | 大野新吉 | 1-1351 | |
昭和16年4月26日 | 貴殿の経歴その他承りたく | 同盟通信社調査部 | 1-1352 | |
昭和16年4月26日 | 大阪高島屋二科会員新作展の会期決定/招待状の発送は、高島屋計画部鳥居氏まで申し込み | 二科会 | 表「牡丹」と書込あり | 1-1353 |
昭和16年4月26日 | 在京中の御指導、感謝/(1)京都にて仕事口見つかる、来年の春季まで滞在(2)法隆寺の拝観、模写の件、残念 | 小笠原吉郎 | 1-1354 | |
昭和16年4月26日 | 日活との契約満了を機会に退社 | 田坂具隆、小杉勇、内田吐夢 | 1-1355 | |
昭和16年4月26日 | 二科五人展、準備進行中/(1)坂本、国枝両氏の進捗状況(2)今後も年1回、東京、大阪で開催したい(3)12日頃上京、訪問の予定、都合は如何か | 草人社久我五千男 | 1-1356 | |
昭和16年5月2日 | 昨日、夏みかん1箱送付/(1)明後日、室戸岬に行き、3ヶ月ほど滞在の予定(2)黄ちゃんが遠方へ行かれたこと、杉本さんから聞く | 玉井安武 | 1-1357 | |
昭和16年5月3日 | 来名感謝、「趣味の陶画三昧展」も盛況に終了/(1)第4回双弦会日本画展開催に付、揮毫お願い(2)北川、横井両先生にも出品を依頼 | 東本春水 | 1-1358 | |
昭和16年5月3日 | 第7回西人社展覧会開催 | 西人社事務所 | 1-1359 | |
昭和16年5月3日 | 福岡にて西人社展出品の「道」を拝見/国枝先生から8号が1点、完成しているとの連絡 | 草人社久我五千男 | 1-1360 | |
昭和16年5月4日 | 先日の訪問、作品とお土産を頂いた御礼/(1)安部は旅行中(2)直美は先生宅の庭で見た動物の話をする | 安部小澄 | 宛名:秀子も併記 | 1-1361 |
昭和16年5月5日 | 第7回西人社展への出品御礼 | 西人社事務所 | 1-1362 | |
昭和16年5月6日 | 絵の批評いただきたく御都合は如何か/5月11日、熊坂君と訪問の予定 | 中村徳二郎 | 1-1363 | |
昭和16年5月6日 | 大阪高島屋二科会員新作展の会期変更/6月1日から5日まで | 二科会 | 1-1364 | |
昭和16年5月12日 | 新作展紹介状の件、至急連絡を/大阪高島屋計画部鳥居氏宛 | 二科会 | 1-1365 | |
昭和16年5月14日 | 観音像の代価、為替にて送金/(1)二科小品展の作品制作中(2)来月の阪急での展覧会、楽しみに | 濱田葆光 | 1-1366 | |
昭和16年5月15日 | 本日、招待日にて非常の前人気/北川、横井両先生、本日来名の予定 | 東本春水 | 1-1367 | |
昭和16年5月15日 | 遺作展開催に当たり、追悼会開催 | 長谷川利行氏追悼会 | 幹事:矢野文夫外4人 | 1-1368 |
昭和16年5月15日 | 岡田三郎記念像建設趣意書/寄付金申込書、振込書 | 故岡田三郎助記念像建設委員会 | 1-1369 | |
昭和16年5月17日 | 訃報(一子真佐子死去) | 石川真五郎 | 1-1370 | |
昭和16年5月19日 | 阪急展での出品作到着/阪急に搬入前に、作品を愛好者に4点分ける | 濱田葆光 | 書込(メモ)あり | 1-1371 |
昭和16年5月20日 | 過日のお邪魔の御礼、同日帰阪/(1)明日から開催(2)奉祝展出品の「畝傍山」、御所蔵か否か、連絡を乞う | 草人社久我五千男 | 二科五人展の件 | 1-1372 |
昭和16年5月20日 | 友人が薫製を製造、試食の上、批評お願い | 田口省吾 | 1-1373 | |
昭和16年5月20日 | 6月に阪急で展覧会の由、お出でを乞う/(1)黄さん、大変都合よくいかれておめでたく(2)信時さんの所は如何か | 江見恒三郎 | 1-1374 | |
昭和16年5月21日 | 双弦会展賛助出品御礼、謝礼送金/作品は近日中に発送 | 東本春水 | 1-1375 | |
昭和16年5月21日 | 阪急より電報あり/会場の充美会はよい部屋にて | 濱田葆光 | 1-1376-1 | |
昭和16年5月20日 | 「ロクガツソウソウジュウビカイニテカイサイノヨテイ」(6月早々充美会にて開催の予定) | 阪急百貨店 | 宛名:濱田葆光 | 1-1376-2 |
昭和16年5月22日 | 阪急より開催日の連絡あり、11日から15日に/(1)紅梅図、表装の折に変色に付、お知らせ(2)阪急の山内君、上京中、お邪魔する予定 | 濱田葆光 | 1-1377-1 | |
昭和16年5月21日 | 「11ヨリ15マデ」 | 阪急百貨店 | 宛名:濱田葆光 | 1-1377-2 |
昭和16年5月25日 | 転勤通知/東洋紡株式会社勤務 | 早川次郎、頼子 | 1-1378 | |
昭和16年5月26日 | 二科五人展、本日好評裏に終了、感謝/2点売約、「裸」が残る、近く上京の予定 | 草人社久我五千男 | 1-1379 | |
昭和16年5月27日 | 阪急個展の作品到着/私のために椿、蒲公英2点ずつ御揮毫、感謝 | 濱田葆光 | 1-1380 | |
昭和16年6月3日 | 在京中、御世話になり御礼/5月末に幸袋に着くが、荷物まだにて絵は描けず | 徳永秀夫、はる子 | 1-1381 | |
昭和16年6月5日 | 藤川勇造君七回忌に当たり、偲ぶ会開催 | 藤川勇造氏追悼会 | 発起人:有島生馬外5人 | 1-1382 |
昭和16年6月7日 | 阪急の展覧会、先生来阪か否か | 濱田葆光 | 1-1383 | |
昭和16年6月8日 | 来訪の上、御指導に感謝/猫の画の色紙を賜り、感謝 | 井原元正 | 1-1384 | |
昭和16年6月10日 | 結婚並びに住居通知 | 小柳實、政枝 | 1-1385 | |
昭和16年6月11日 | 転居、筆耕生の見習いとして働く/原勝四郎氏宅へ訪問いたしたく | 小笠原吉郎 | 1-1386 | |
昭和16年6月15日 | 北海道に滞在中、近く帰京の予定/うっかり絵を描くこともできない | 青山龍水 | 1-1387 | |
昭和16年6月15日 | 東京美術家常会城西部発会/発会式、6月21日、池袋第5国民学校 | 東京美術家常会城西部 | 有志:浅野薫外30人 | 1-1388 |
昭和16年6月17日 | 御指導への御礼/熊坂君もお伺いしたい旨、次の日曜の御都合は如何 | 中村徳貴郎 | 1-1389 | |
昭和16年6月18日 | 本日、新巻鮭送付 | 青山龍水 | 1-1390 | |
昭和16年6月19日 | 個展盛況裏に終了、御尽力感謝/以前にお願いした箱書きの蓋、所在確認 | 阪急百貨店美術部土井憲治 | 1-1391 | |
昭和16年6月20日 | 阪急の日本画展にて作品拝観/「どくだみ」売約済みにて、御揮毫を願う | 大久保久三 | 1-1392 | |
昭和16年6月21日 | 作品代金の送付/表具代領収証 | 阪急百貨店美術部松浦正 | 1-1393 | |
昭和16年6月24日 | 展覧会開催に付、賛助出品のお願い/出品規程、出品目録 | 嶽陽記念美術館建設事務所 | 1-1394 | |
昭和16年6月26日 | 作品3点入手、感謝/今度の会は大阪前田万竹堂に表装を依頼 | 『汎究美術』編集部山内金三郎 | 展覧会の開催と『汎究美術』から昭和16年と推定 | 1-1395 |
昭和16年6月26日 | 武道大会後援の御揮毫承諾、感謝/大写真帳作成に付、略歴など送付お願い | 全国壮丁訓練武道大会本部 | 1-1396 | |
昭和16年6月26日 | 画仙紙入荷のお知らせ | 横井誠 | 1-1397 | |
昭和16年6月28日 | 二一ヒノ(ウケトリショウ)オクレ | 阪急 | 1393の関連 | 1-1398 |
昭和16年6月 | 創刊70周年記念の御揮毫依頼 | 報知新聞社長三木武吉 | 郵送にあらず | 1-1399 |
昭和16年7月1日 | 作品代金2点分、送付/名古屋にて横井君に会われた由、同君元気にてなにより | 濱田葆光 | 1-1400 | |
昭和16年7月2日 | 箱書き受領、御礼 | 阪急百貨店美術部土井憲治 | 絵葉書:井上幸画 | 1-1401 |
昭和16年7月2日 | 一昨日は、誠に有難く/ホタルはまだ見ず | 河合敏雄 | 1-1402 | |
昭和16年7月4日 | 瀬戸でお描きの志野茶碗焼き上がり/蟷螂の茶碗が一番よい出来か | 木村定三 | 1-1403 | |
昭和16年7月4日 | 先生の作品の件、無事連絡が着く/いずれ、帰京の節に | 榎倉省吾 | 1-1404 | |
昭和16年7月4日 | 『月明』8月号スケッチ依頼 | 『月明』編集部 | 1-1405 | |
昭和16年7月6日 | 先般来、病気にて引き籠もり/来週中には御面会できるかと | 千田平要太郎 | 1-1406 | |
昭和16年7月6日 | 美術家倶楽部参加の件、至急申し込みを/添え書き「湯沢先生も参加」 | 軽井沢美術家倶楽部仮事務所 | 1-1407 | |
昭和16年7月8日 | 帝国文化協会発足、事業要項/美術品の斡旋内容、入会申込書 | 帝国文化協会 | 1-1408 | |
昭和16年7月8日 | 御揮毫受領、御礼と送金/葉書は小生の子の絵にて | 大久保久三 | 絵葉書同封 | 1-1409 |
昭和16年7月8日 | 田口省吾氏新作油画展覧会開催/高島屋にて | 田口省吾 | 1-1410 | |
昭和16年7月16日 | 第28回二科美術展覧会出品目録(14枚)/二科美術展覧会出品票(22枚) | 二科会 | 1-1411 | |
昭和16年7月20日 | 照子と結婚、御縁繋がる光栄/(1)当地に在住したるも挨拶にも参らず、失礼の段、御容赦(2)何卒、御引見に賜りたく、お願い(3)直彦氏に紹介の労を頼むも叶わず | 新谷寛二 | 1-1412 | |
昭和16年7月22日 | 名古屋の鵜城氏依頼の焼き付けを送付 | 佐野進 | 1-1413 | |
昭和16年7月23日 | 嶽陽記念展覧会開催に付、賛助出品のお願い/9月中旬、三越本店にて開催 | 嶽陽会 | 1-1414 | |
昭和16年7月24日 | 作品持参の上訪問致したし、都合伺い | 福村友吉 | 1-1415 | |
昭和16年7月26日 | 非公開 | 1-1416 | ||
昭和16年7月26日 | 先生の半折の画料、画商より受け取る/本日帰京、早速お伺いします | 榎倉省吾 | 1-1417 | |
昭和16年7月28日 | 本日、子ども用に煎餅を発送/東京は御菓子欠乏の由 | 大野新吉 | 1-1418 | |
昭和16年7月30日 | 8月1日より夏休みにて、上京の予定/絵を持参し参上、御指導を乞う | 旭亮弘 | 1-1419 | |
昭和16年7月30日 | 国枝君を見舞う、経過は順調/注文の絵具、ビチユムだけ製造していない | 濱田葆光 | 1-1420 | |
昭和16年7月31日 | 先日の御指導の御礼/先生や原勝四郎さんの話を聞くと、感激がこみ上げる | 福村友吉 | 1-1421 | |
昭和16年7月 | 回覧板(第1号)/第2回総会開催、8月10日 | 東京美術家常会城西部 | 1388の関連から昭和16年7月と推定 | 1-1422 |
昭和16年8月1日 | 記念号に、後援者として貴名掲載の諾否/創刊8周年記念号 | 画室社山本廣洋 | 1-1423 | |
昭和16年8月2日 | 暑中見舞/勤めが忙しく、出品作完成せず | 徳永秀夫 | 1-1424 | |
昭和16年8月5日 | 暑中見舞 | 金宗燦 | 1-1425 | |
昭和16年8月6日 | 弊社製造油絵具を送付/濱田先生の命により | 桜商会井上源治郎 | 1-1427 | |
昭和16年8月8日 | 展覧会場での高作拝見を鶴首 | 石本三十二 | 表書「西田美代子様気付」とあり | 1-1428 |
昭和16年8月10日 | 一行5名で当地に参る | 明石哲三 | 絵葉書:琉球の墳墓 | 1-1429 |
昭和15年8月10日 | 夏休みには黄ちゃん、萬ちゃんを飛騨へ/墓石の題字を描いていただきたく、お願い | 熊谷敏子 | 1-1430 | |
昭和16年8月11日 | 野菜を2カゴ送付 | 福村友吉 | 宛名:秀子も併記 | 1-1431 |
昭和16年8月12日 | 展覧会予定日割 | 二科会 | 1433も同封してあった | 1-1432 |
昭和16年8月11日 | 二科展現職絵葉書制作に付、撮影日、画題の連絡を乞う | 美術工芸会 | 1432に同封してあった | 1-1433 |
昭和16年8月15日 | 第28回二科美術展覧会目録の表紙絵依頼 | 二科会安部治郎吉 | 1-1434 | |
昭和16年8月15日 | 二科会出品作送付の連絡/東京府美術館宛発送 | 田中太郎 | 1-1435 | |
昭和16年8月16日 | 残暑見舞 | 片桐勝昌 | (1)片桐:豊島区会議員、財務委員長(2)写真:抗州前線、南京 | 1-1436 |
昭和16年8月17日 | 上京の際の御指導、御礼/18日から30日まで、国民学校の講習に参加 | 旭亮弘 | 1-1437 | |
昭和16年8月18日 | 二科会出品作送付の連絡/秋には、北川先生と共に「陶土を愛好する会」を持ちたい | 東本春水 | 1-1438 | |
昭和16年8月19日 | 貴作所蔵者の住所、氏名、回答の御礼 | 大禮記念京都美術館長戸津吉之助 | 1-1439 | |
昭和16年8月19日 | 見舞の手紙に対する御礼/快復に付、月末には退院、今秋は上京できず | 国枝金三 | 1-1440 | |
昭和16年8月21日 | (前欠)丸木と結婚/日本画の材料で描いたので、御批評を | 赤松俊子 | 1-1441 | |
昭和16年8月22日 | 二科会出品作送付の連絡/玉井君と一緒に運送屋に頼む | 鈴木國威 | 1-1442 | |
昭和16年8月23日 | 二科会出品作搬入の連絡 | 小川勝蔵 | 1-1443 | |
昭和16年8月25日 | 二科会出品作搬入番号の連絡/先日は突然お邪魔し、御礼 | 里見常夫 | 1-1444 | |
昭和16年8月27日 | 二科展出品作で、会心のもの拝見したし/依頼した箱書きは如何に | 田村謹寿 | 1-1445 | |
昭和16年8月28日 | 当地にて作品制作の予定 | 赤松俊子 | 1-1446 | |
昭和16年8月28日 | 残暑見舞/荻野康児朝鮮風景水彩画個人展開催三越にて | 荻野康児 | 1-1447 | |
昭和16年8月 | 第28回美術展覧会開催 | 二科会 | (1)宛名:なし(2)封筒欠 | 1-1448 |
昭和16年8月 | 第28回美術展覧会開催 | 二科会 | (1)宛名:なし(2)郵送にあらず | 1-1449 |
昭和16年8月 | 第28回美術展覧会開催 | 二科会 | (1)宛名:なし(2)郵送にあらず(3)招待券2枚あり | 1-1450 |
昭和16年9月1日 | 10月25日木曽行き依頼、川合夫婦が待つ/熊谷、鍋井、中川、東郷、島崎五画伯作品頒布会趣意書 | 新津文紀 | 蘇峡四皓会同人:川合勘助外5人 | 1-1451 |
昭和16年9月2日 | 二科会 | 中身欠 | 1-1452 | |
昭和16年9月3日 | 岡田賞選考会の連絡 | 二科会 | 1-1453 | |
昭和16年9月4日 | 濱田君と国枝君を見舞う/約束の唐黎のパイプと木のパイプを送付 | 黒田重太郎 | 1-1454 | |
昭和16年9月4日 | 先生に相談事あり、御来訪を乞う/一昨年結婚、昨年女児誕生 | 佐藤しげ | 1-1455 | |
昭和16年9月5日 | 創刊70周年記念の御揮毫、御礼 | 報知新聞社長三木武吉 | 1-1456 | |
昭和16年9月8日 | 二科出品作「桃」、購入希望/(1)赤坊もずいぶん大きくなり(2)ご来遊を乞う、猪飼氏と長良川の鵜飼い見物など | 木村定三 | 二科出品「桃」から昭和16年と推定 | 1-1457 |
昭和16年9月8日 | 今年度の作品の批評、お願い | 高瀬勝男 | 1-1458 | |
昭和16年9月10日 | 新会員披露午餐会開催 | 二科会 | 1-1459 | |
昭和16年9月10日 | 二科会友推薦の御礼 | 佐藤吉五郎 | 1-1460 | |
昭和16年9月12日 | 二科会友推薦の御礼 | 旭亮弘 | 1-1461 | |
昭和16年9月13日 | 鮎一匹汽車にて送付/本年は闇にて入手 | 大野新吉 | 1-1462 | |
昭和16年9月14日 | 先日は突然お邪魔し、御指導を賜り御礼/帰途、広島の父母のもとでゆっくりした後、帰郷 | 立田 | 1-1463 | |
昭和16年9月16日 | 10月から御指導を賜りたく、公休日は月2日/素描が一番苦手にて、できる限り勉強いたしたく | 小崎忠夫 | 1-1464 | |
昭和16年9月18日 | 入隊の連絡、8月末に徳さんが面会に/2日に二科に行くが、お会いできず | 武田二郎 | 1-1466 | |
昭和16年9月26日 | 来月11日が公休にて、お伺いしたい/薄給にて、月謝は2円くらいで | 小崎忠夫 | 1-1467 | |
昭和16年9月29日 | 本校設置記念式典挙行の案内/併せて35年・ | 東京美術学校長澤田源一 | 1-1468 | |
25年在勤祝賀式挙行 | 1- | |||
昭和16年9月29日 | 盛岡の寮生活報告/その内、果樹園に頼み、リンゴを送付 | 熊谷黄 | 1-1469 | |
昭和16年9月29日 | 木曽行き、防空演習のため、10月25日に/(1)作品は20日前におまとめ下さい(2)小生、渡満延期に付、お供します | 中川紀元 | 1-1470 | |
昭和16年10月3日 | 訪問、御指導の御礼/小生たちは5日朝、新宿駅にて待ち合わせ、先生のお出でを待つ、この件、介山氏にも連絡 | 明石哲三 | 1-1471 | |
昭和16年10月4日 | 訃報(母こま死去) | 藤井浩祐 | 1-1472 | |
昭和16年10月6日 | 歳末義金運動への揮毫お願い/名士寄贈書画即売会を開催 | 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 | 1-1473 | |
昭和16年10月6日 | 二科展、5日日曜日に拝見する/松茸送付の予定、東京駅まで受け取りに | 大野新吉 | 1-1474 | |
昭和16年10月6日 | 宿屋等の都合により26日に変更/作品は16,17日頃に新津君が受け取りに参上 | 中川紀元 | 1-1475 | |
昭和16年10月8日 | 水墨会との旅行は如何だったか/(1)名古屋の二科展、手伝いに参上、横井君の招きにて(2)先般の阪急の毛筆画、値段は如何に | 濱田葆光 | 1-1476 | |
昭和16年10月11日 | 胃病で入院、絶対安静中/代筆にて手紙、本年中はお邪魔できず | 中村徳二郎 | 1-1477 | |
昭和16年10月11日 | 今夕、松茸発送、池袋駅朝着/荷物発送困難、速達を出す | 大野新吉 | 小荷物切符あり | 1-1478 |
昭和16年10月15日 | 当市開催の二科展にて「桃」を拝見す/知人の画家、鈴木清氏への指導お願い | 木村定三 | (1)郵送にあらず、表書「鈴木清氏持参」とあり(2)二科展「桃」より昭和16年と推定 | 1-1479 |
昭和16年10月15日 | 阪急の残り「蟋蟀」「マツムシ草」の購入希望あり/値段の連絡を待つ | 濱田葆光 | 1-1480 | |
昭和16年10月15日 | 画仙紙極少数入荷のお知らせ/今回は5枚くらいでご容赦願いたく | 横井誠 | 1-1481 | |
昭和16年10月19日 | 二科大阪展が近づき、来阪を期待/川上君は11月1,2日大阪にて演奏会 | 江見恒三郎 | 1-1482 | |
昭和16年10月19日 | 盛岡の寮生活報告/(1)南部へ送付した同じリンゴを送付(2)信時さんのところの太郎さん、そんなに悪いのですか | 熊谷黄 | 宛名:熊谷秀子 | 1-1483 |
昭和16年10月22日 | 大阪に出るはずが、来月初めまでこちらにいる予定/防空演習、警戒管制、食糧不足 | 佐藤しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-1484 |
昭和16年10月22日 | 岐阜県郷土美術連盟結成/(1)貴名の拝借をお願い(2)名簿には早川、坂井、村田、浅井、里見、三田村、山川等 | 大野新吉 | 1-1485 | |
昭和14年~16年10月26日 | 26日は信州旅行の由、鍋井君も参加とか/(1)今日より大阪二科展開催に付、午後から大阪へ出掛ける(2)先般貴台の毛筆画を所望する方へ50円で販売 | 濱田葆光 | 宛先住所、大阪二科展日付から14~16年と推定 | 1-1486 |
昭和16年10月27日 | 先日の訪問、御指導の御礼/絵の勉強は見込みないようなので、一時中止に致したく | 小崎忠夫 | 1-1487 | |
昭和16年10月28日 | 訃報(父山口順吉死去) | 山口シヅ | 1-1488 | |
昭和16年10月28日 | 書留受領/終業年限短縮のため、土曜日も7時間授業 | 熊谷黄 | 1-1489 | |
昭和16年11月3日 | 会葬御礼(父山口順吉葬儀) | 山口シヅ | 1-1490 | |
昭和16年11月4日 | 歳末義金運動への揮毫快諾御礼/揮毫用紙別便にて発送 | 大阪毎日新聞社 | 1-1491 | |
昭和16年11月6日 | 濱田氏御世話の2軸代金送付/「コオロギ」「マツムシ草」頂戴にて | 森田淳一 | 1-1492 | |
昭和16年11月12日 | 御用命の小画仙紙入荷 | 心正堂筆墨舗 | 1-1493 | |
昭和16年11月22日 | 大阪、京都、奈良の諸寺を拝観/次に原さんに手紙を書くつもり | 小笠原吉郎 | 1-1494 | |
昭和16年11月24日 | 台湾新竹州に出向に | 水野富三 | 1-1495 | |
昭和16年11月25日 | 湯沢三千男内務次官就任祝賀会開催 | 日動画廊長谷川仁 | 1-1496 | |
昭和16年11月26日 | 文士連中、従軍に際し、貴兄宅訪問の希望/加納さんが手紙にて要望、住所など連絡済 | 小笠原吉郎 | 1-1497 | |
昭和16年11月27日 | 火災保険契約満期御通知 | 明治火災海上保険株式会社 | 1-1498 | |
昭和16年11月27日 | 時候御機嫌伺い/杉本、橋本兄から時々東京の様子を伺う | 徳永秀夫 | 1-1499 | |
昭和16年11月 | 異動挨拶/北京育成学校から国立北京芸術専科学校へ | 石塚太喜治 | 1-1500 | |
昭和16年11月 | 即売会開催につき、御揮毫お願い | 朝日新聞厚生事業団歳末厚生週間係 | 1-1501 | |
昭和16年12月2日 | 転勤通知/名古屋支店から大阪支店へ | 吉田秀雄 | 1-1502 | |
昭和16年12月2日 | 11月25日退院/その内に会社も閉塞、何事にも気を遣わぬようにしたい | 中村徳二郎 | 1-1503 | |
昭和16年12月3日 | 明治火災保険株式会社峰田八良 | 中身欠 | 1-1504 | |
昭和16年12月5日 | 12月8日貴兄宅訪問を希望、御都合伺い | 木村定三 | 1-1505 | |
昭和16年12月8日 | 即売会開催に際し、揮毫拝受/色紙1枚 | 朝日新聞厚生事業団歳末厚生週間係 | 1-1506 | |
昭和16年12月9日 | 大東亜戦争勃発にて意識高揚/去る6日より出社を始める | 中村徳二郎 | 1-1507 | |
昭和16年12月9日 | 「柿」の色紙、箱書き感謝/(1)「富士」と共に朝夕眺める(2)鍋井、島崎、東郷さん間に合わず、信州行き遅れる | 新津文紀 | 1-1508 | |
昭和16年12月9日 | 北斗会展のための賛助出品、感謝/先生の作、200円にて購入いたしたく、送金 | 東本春水 | 目録同封とあるも欠 | 1-1509 |
昭和16年12月11日 | 会葬御礼(子:茂葬儀) | 青木明富 | 1-1510 | |
昭和16年12月13日 | 名士寄贈書画即売会に際し、揮毫拝受 | 大阪毎日新聞社 | 1-1511 | |
昭和16年12月13日 | 北斗会展、盛会裏に閉会、出品感謝/(1)来春に第5回双弦会展「名作小品を鑑賞する会」を開催(2)熊谷、北川、中川、野間、横井先生に依頼の予定 | 東本春水 | 1-1512 | |
昭和16年12月15日 | 一昨日の作品に対する指導、御礼 | 鈴木清 | 1-1513 | |
昭和16年12月17日 | 画集刊行に当たり、所蔵の物から選定を | 田村謹寿 | 1-1515 | |
昭和16年12月18日 | 岐阜合同新聞発足、新年号への御揮毫依頼/色紙は小包便にて発送 | 岐阜日日新聞社 | 荷札、切手あり | 1-1516 |
昭和16年12月18日 | 日本紳士録原稿蒐集に付、お願い/申込書、「御投函に就き御注意」 | 交詢社日本紳士録編纂部 | 1-1517 | |
昭和16年12月19日 | 画集刊行に付、所蔵作品の収載依頼/所蔵作品の画題、大きさの回答依頼 | 日動画廊長谷川仁 | 出版賛助者:有島生馬外16人 | 1-1518 |
昭和16年12月19日 | 先日は電報を頂戴し、感謝/ハムを送付、来名の際は木村氏と共にお待ち受け | 猪飼正一 | 1-1519 | |
昭和16年12月23日 | 『画室』誌代6ヶ月分振込お願い/郵便払込票 | 画室社山本廣洋 | 1-1520 | |
昭和16年12月25日 | 会社失職、拝趨を得、御指導を賜りたく/熊谷六郎氏住所不明につき、御回送お願い | 新谷寛二 | 1-1521 | |
昭和16年 | 昨秋二科展にて「湯檜曽の朝」に出合う/(1)私の熊谷守一論の相手は旭亮弘君(2)お目にかかり、客間に熊谷さんの絵を加えたい | (差出人不明) | (1)封筒欠(2)二科展「湯檜曽の朝」出品は昭和15年 | 1-1522 |
昭和16年 | 一度帰郷、決定、土産送付/日本海方面から帰る予定 | 北澤定一 | 帰国から昭和16年と推定 | 1-1523 |
昭和16年..21 | 「桑畑」、毎日うれしく拝見/上京の際、お尋ねできず、非常に残念 | 北澤定一 | 康徳8年:昭和16年 | 1-1524 |
昭和17年1月1日 | 年賀:「ジイチャン新年オメデトウ」 | 安部ちあき | 羽根突きの絵あり | 1-1525 |
昭和17年1月9日 | 手製「つくだに」を送付 | 明石哲三 | 1-1526 | |
昭和17年1月9日 | 6日朝盛岡無事着 | 熊谷黄 | 1-1527 | |
昭和17年1月10日 | 寒中見舞 | 岩村博 | 1-1528 | |
昭和17年1月14日 | 訃報(父昌保死去) | 川上淳 | 1-1529 | |
昭和17年1月16日 | 寒中見舞 | 渡邊義一 | 1-1530 | |
昭和17年1月17日 | 月1回の絵の指導、お願い | 大沼操 | 1-1531 | |
昭和17年1月19日 | 会葬御礼(父昌保葬儀) | 川上淳 | 1-1532 | |
昭和17年1月22日 | お手伝いの人も決まり、家事も軌道に乗る/主人もちょっと風邪をひく | 信時ミイ | (1)宛名:秀子も併記(2)2銭葉書と消印から昭和17年と推定 | 1-1533 |
昭和17年1月23日 | 百合、波、自画像、裸婦の撮影を終える/会心の作ができたら、拝見したい | 田村謹寿 | 1-1534 | |
昭和17年1月24日 | 半弓会洋画展開催につき、出品依頼/3月上旬開催の予定 | 阪急百貨店美術部 | 1-1535 | |
昭和17年1月28日 | 木村氏とお噂、先生の画を切望/ハムを送付 | 猪飼正一 | 封筒にメモ書きあり | 1-1536 |
昭和17年1月29日 | 小生、岐阜中学時代の同窓/昨年より表記の所に在住、一度お目にかかりたく | 福田享吉 | 1-1537 | |
昭和17年1月30日 | 年賀、昨年中の画業について報告/二科展出品、個展開催など | 田中太郎 | ガリ版刷り | 1-1538 |
昭和17年1月31日 | 昨日のお伺いの御礼/2月1日に大松閣(略図あり)までお越しを願う | 熊谷熊雄 | 1-1539 | |
昭和17年1月31日 | 第6回大日本海洋美術展覧会開催/規程、出品申込書、出品諾否の返信用葉書 | 大日本海洋美術展覧会事務所 | 1-1540 | |
昭和17年2月5日 | 先日のお伺いの御礼/御文感謝、芝清遺作集に掲載 | 芝武雄 | 1-1541 | |
昭和17年2月7日 | 先日のお伺いの御礼/芝清遺作集への弔文、感謝 | 関口清 | 1-1542 | |
昭和17年2月9日 | 訃報(妻政枝死去) | 小柳實 | 1-1543 | |
昭和17年2月9日 | 東京美術家常会要諦/回覧板第4号、入会申込書 | 東京美術家常会城西部 | 1-1544 | |
昭和17年2月17日 | リンゴ、野菜など、いずれも見当たらず/不自由な物があったら連絡をされたし | 熊谷黄 | 宛名:熊谷秀子 | 1-1545 |
昭和17年2月18日 | 12月に在郷軍人となり、郷里に帰る/5月頃、上京の予定 | 小笠原吉郎 | 1-1546 | |
昭和17年2月19日 | 第5回半弓会洋画展開催の期日通知/3月17日から22日まで | 阪急百貨店美術部 | 1-1547 | |
昭和17年2月20日 | 奉天の洋画展で先生の絵を発見/(1)1月に上京の折、満炭寮焼失のためお伺いできず(2)画具類は大半焼失、ちょこちょこっとやっている | 北澤定一 | 康徳9年:昭和17年 | 1-1548 |
昭和17年2月22日 | マツナガ屋、送品御案内/守口漬 | 熊谷鋭太郎 | 郵送にあらず | 1-1549 |
昭和17年2月22日 | 第5回半弓会洋画展開催の期日変更/(1)作品出品お願い、連絡先は座右寶刊行会後藤宛(2)吉屋信子氏よりお願いの色紙同封 | 阪急百貨店山内金三郎 | 1-1550 | |
昭和17年2月23日 | ハム送付 | 猪飼正一 | 封筒欠 | 1-1551 |
昭和17年2月 | 昭和愛国詩歌展覧会開催に付、揮毫依頼/(1)即売会を実施、軍用機を献納(2)要記、諾否回答用返信はがき | 朝日新聞大阪本社 | 1-1552 | |
昭和17年3月3日 | 月明文庫刊行を記念し、文庫拝呈 | 月明会山崎 | 1-1553 | |
昭和17年3月4日 | 絵が分からなくなって苦しむ小生に御指導を乞う/道(修行)を否定したところに絵の三昧境があるのでは | 木村辰彦 | 1-1554 | |
昭和17年3月9日 | 美術家大会開催に付、出品依頼/作家カード作成のため、回答依頼 | 美術団体連盟 | 1-1555 | |
昭和17年3月10日 | 第5回半弓会洋画展覧会、出品承諾御礼/加藤運送店が作品を頂戴に参上 | 座右寶刊行会後藤真太郎 | 1-1556 | |
昭和17年3月11日 | 「此者に御渡し被下度御願申上候」/後藤真太郎氏依頼の大阪行き作品6号1点 | 加藤運送店 | 紹介状か | 1-1557 |
昭和17年3月12日 | 愚妻に作品4点お渡し下され、感謝/東郷氏の鹿児島行き、奥さん病気に付いつになるか不明 | 新津文紀 | 1-1558 | |
昭和17年3月15日 | 個展開催、3月18日から日本橋白木屋にて/(1)タイ、ビルマ等へ絵行脚の成果を発表(2)中里さんにも連絡 | 明石哲三 | 1-1559 | |
昭和17年3月17日 | 「タラウケサヤスラカニシス」(太郎今朝安らかに死す) | 信時潔 | 1-1560 | |
昭和17年3月23日 | 訃報(父岡野栄死去) | 岡野猛雄 | 岡野栄:女子学習院教授 | 1-1561 |
昭和17年3月23日 | 資材統制に付、絵絹購入の方法/画仙紙上品入荷のお知らせ | 心正堂本舗 | 1-1562 | |
昭和17年3月23日 | 春季二科展会期変更通知/4月22日から26日まで | 二科会 | 1-1563 | |
昭和17年3月25日 | 会葬御礼(父岡野栄葬儀) | 岡野猛雄 | 1-1564 | |
昭和17年3月27日 | 画箋紙送付、気の向くまま制作依頼/内製のカステラ送付 | 猪飼正一 | 1-1565 | |
昭和17年3月28日 | 展覧会切符の御礼、参観の感想/(1)私の小作品を送付(2)先生の画集、出来上がるのが楽しみ | 福村友吉 | 1-1566 | |
昭和17年4月5日 | 第5回半弓会洋画展出品御礼/盛会裏に閉会 | 阪急百貨店美術部 | 1-1567 | |
昭和17年4月9日 | 送金御案内状、支払金額300円 | 阪神急行電鉄株式会社経理部会計課 | 1-1568 | |
昭和17年4月11日 | 名作画帖展を5月に開催に付、賛助お願い/(1)画帖は11枚を1組として3組お願いしたい(2)4月25日に北川先生来名に付、それまでに完成を | 東本春水 | 郵便切手5銭は昭和17年4月より推定 | 1-1569 |
昭和17年4月12日 | 東郷さんの鹿児島行き、未だに待ちぼうけ/お詫びを兼ねて、お願いに伺う、明後日の都合は如何か | 新津文紀 | 1-1570 | |
昭和17年4月13日 | 『汎究美術』、『翠彩』を併合し『美術・工芸』に/御購読申し込みを乞う | 『美術・工芸』編集部 | 1-1571 | |
昭和17年4月19日 | 今日、京浜地方に空襲の報、状況は如何か | 熊谷黄 | 1-1572 | |
昭和17年4月21日 | 転宅御通知 | 長谷川仁 | 1-1573 | |
昭和17年4月21日 | 先日は子どもがお邪魔をし、感謝/本日から、信州へ5,6日の予定で出掛ける | 新津文紀 | 1-1574 | |
昭和17年4月21日 | 二科展明日より高島屋で開催/(1)小生も2点出品(2)観音像残り1枚も希望者に譲る、代金送付 | 濱田葆光 | 1-1575 | |
昭和17年4月23日 | 二科出品の「菜の花」、売れなければ拝見したい/観音様の密画は如何なりましたか | 田村謹寿 | 1-1576 | |
昭和17年4月24日 | 高島屋展閉会に際し、作品引き取り連絡 | 二科会 | 1-1577 | |
昭和17年4月30日 | 御手紙拝見、作品出来上がりを鶴首/名古屋丸善にて長谷川利行氏の遺作展開催 | 猪飼正一 | 1-1578 | |
昭和17年5月1日 | 菊名牡丹園行、参加を乞う | 鈴木國威 | 1-1579 | |
昭和17年5月5日 | 美術工芸、申し込み感謝/いつもの個展はいつ頃に開催がよいか | 阪急百貨店山内金三郎 | 吉沢義則先生筆上代様書展開催 | 1-1580 |
昭和17年5月6日 | 領収書(阪急美術予約金) | 『美術・工芸』編集部 | 1-1581 | |
昭和17年5月8日 | 東大寺、法隆寺を拝観して帰京の予定 | 小笠原吉郎 | 1-1582 | |
昭和17年5月8日 | 二科春季展一般作品不振とのこと/(1)先日の書留の受け取り、確認(2)国枝君に会う、元気に | 濱田葆光 | 1-1583 | |
昭和17年5月8日 | 出陳の申込書未着、再びお願い | 大日本海洋美術展覧会事務所 | 1-1584 | |
昭和17年5月13日 | 高島屋の件あれきりにて、待っている状態/返事があり次第お伺いする予定 | 安部治郎吉 | 1-1585 | |
昭和17年5月14日 | 手紙拝見、風邪に罹られた由/橡の実を戴き、感謝 | 濱田葆光 | 1-1586 | |
昭和17年5月15日 | 阪急百貨店美術部退職し、独立/日本画作品鑑賞展開催 | 天賞堂画廊土井憲治 | 1-1587 | |
昭和17年5月16日 | 「ジイチャン、ワタクシモオキテエヲカイタリシテアソンデイマス」 | 安部ちあき | クレヨン画あり | 1-1588 |
昭和17年5月16日 | 非公開 | 1-1589 | ||
昭和17年5月22日 | 油絵で「静物」を1枚希望 | 田村謹寿 | 1-1590 | |
昭和17年5月28日 | 三向会第1回展覧会開催に付、揮毫依頼/日本画2点を希望 | 青樹社鈴木里一郎 | 会員:石井柏亭外9人 | 1-1591 |
昭和17年5月30日 | 画5点拝受、感謝、代金200円送付/併せて不足気味の物、送付 | 猪飼正一 | 1-1592 | |
昭和17年5月30日 | 水稲荷神社境内の二階を借りる/就職口も加納さんの弟に依頼中 | 小笠原吉郎 | 1-1593 | |
昭和17年6月4日 | 先日の感謝、大変喜んでいただけた/木曽山中でとれた蕨を少々、送付 | 新津文紀 | 1-1594 | |
昭和17年6月5日 | 小品展開催に付、作画3点お願い/例年の日本画展、小生宛に遠慮なく申し付け下さい | 阪急百貨店山内金三郎 | 1-1595 | |
昭和17年6月9日 | 昨日田口氏を訪ねるに病気のため帰郷/明日は全日本彫塑家連盟会の集いありて不在 | 石川確治 | 1-1596 | |
昭和17年6月19日 | 鰯のつくだに、少々ですが送付 | 明石哲三 | 1-1597 | |
昭和17年6月19日 | 結構な干物を頂き、感謝/(1)田口氏は秋田へ帰郷(2)石井柏亭氏から雑誌を借用、近日中にまとめる(3)卯刀を購入、ご来遊を乞う | 石川確治 | 1-1598 | |
昭和17年7月1日 | 趣意書を同封、御高覧を/作品の制作をよろしく | 新津文紀 | 「熊谷守一画伯作品頒布会趣意書」あり | 1-1599 |
昭和17年7月3日 | 秋の洋画展開催の承諾、感謝/本月中旬、上京の折、参上の予定 | 天賞堂画廊土井憲治 | 1-1600 | |
昭和17年7月9日 | 青樹堂退社、洋画商として独立挨拶 | 川邊敏哉 | 1-1602 | |
昭和17年7月9日 | 12日、大月駅付近日帰り写生会のお誘い/安部治郎吉氏、橋本氏参加の予定 | 深瀬武一 | 1-1603 | |
昭和17年7月14日 | 写生の収穫は如何か/昨夜から埼玉県寄居に逗留、是非ご来遊を | 河合敏雄 | 1-1604 | |
昭和17年7月17日 | 新美社山本廣洋 | (1)中身欠(2)「画室社山本廣洋」あり | 1-1605 | |
昭和17年7月18日 | 坂本重蔵 | 中身欠 | 1-1606 | |
昭和17年7月21日 | ご厄介の上、結構な品まで頂戴し感謝 | 福田久良 | 消印の「7」から昭和17年と推定 | 1-1607 |
昭和17年7月29日 | 第2回忠愛美術院展覧会開催 | 忠愛美術院 | 招待券あり | 1-1608 |
昭和17年7月31日 | 制作された画書、さらに希望/(1)食用油送付(2)木村君から貰った書「流水不浄先」が面白く | 猪飼正一 | 1-1609 | |
昭和17年8月1日 | 本は着々と進行/序文の件で編集者参上の予定 | 明石哲三 | 1-1610 | |
昭和17年8月2日 | 茸と馬の2作売約に付、箱書きお願い/日本画個展の方は如何か | 阪急百貨店山内金三郎 | 1-1611 | |
昭和17年8月2日 | (臨海修養団先から)もうじき帰る予定/お土産に鯵の干物を120枚注文した | 熊谷榧 | (1)「十文字高女」とあり(2)秋葉先生の手紙同封 | 1-1612-1 |
昭和17年7月29日 | 十文字高女臨海修養団総勢77名、25日より開始 | 秋葉馬治 | 榧の手紙に同封 | 1-1612-2 |
昭和17年8月4日 | 7日から15日まで信州上林ホテルにて待つ/奥様等お帰り次第、早速お出かけを | 猪飼正一 | 1-1613 | |
昭和17年8月5日 | 9,10日頃、上京の予定/絵の御指導を乞う | 旭亮弘 | 1-1614 | |
昭和17年8月5日 | 画集、御希望の通り川合、木村氏に発送 | 日動画廊 | 1-1615 | |
昭和17年8月6日 | 二科展出品前に作品を拝見いたしたし/観音様は気が向いたときに力作を | 田村謹寿 | 1-1616 | |
昭和17年8月7日 | 暑中見舞 | 牧田正雄 | 1-1617 | |
昭和17年8月8日 | 時候御機嫌伺い/今年は学校の方が忙しく絵も描けなかった | 徳永秀夫 | 1-1619 | |
昭和17年8月9日 | 絵画寄贈、御礼 | 霞ヶ浦海軍航空隊副官 | 1-1620 | |
昭和17年8月10日 | 二科展出品の予定/先月末、守口漬け送付 | 里見常夫 | 前後の手紙から昭和17年と推定 | 1-1621 |
昭和17年8月11日 | 絵の代金50円、送金 | 阪急百貨店山内金三郎 | 小為替證書あり | 1-1622 |
昭和17年8月12日 | 展覧会日程、動静報告 | 二科会 | 1-1623 | |
昭和17年8月12日 | 青蛙、つゆ草頂戴して参りました | 新津文紀 | 1-1624 | |
昭和17年8月12日 | 画廊案内 | 天賞堂画廊 | 1-1625 | |
昭和17年8月13日 | 母の四十九日後、上京の予定/桃を少々、送付 | 小笠原吉郎 | 1-1626 | |
昭和17年8月14日 | 9月17日、猪飼氏と上京、お伺いの予定/二科展、満州国国覧展など見物 | 木村定三 | 1-1627 | |
昭和17年8月15日 | 時候御機嫌伺い、信時氏さぞ落胆のことと/其道、川越に行っているのでお伺いするかも | 江見恒三郎 | 1-1628 | |
昭和17年8月19日 | 阪急の箱書の件、御礼 | 萬竹堂前田武夫 | 1611の件 | 1-1629 |
昭和17年8月1日? | 絵葉書の作品、完成したら連絡を乞う | 美術工芸会 | 二科展用絵葉書作成の件 | 1-1630 |
昭和17年8月20日 | 日本画扇面展覧会、御厚志御礼/先月末より当地に滞在中 | 坂本重蔵 | 写真:東西名家日本画扇面展覧会 | 1-1631 |
昭和17年8月21日 | 二科展出品作搬入の連絡 | 小川勝蔵 | 1-1632 | |
昭和17年8月22日 | 昨日、二科展出品作搬入の報告/ボール紙に描いたため、受付に手間取る | 吉川豊輔 | 1-1633 | |
昭和17年8月24日 | 先日、お伺いできなかったことへのお詫び/(1)9月に上京の予定(2)画集の出版所知りたし | 福村友吉 | 1-1634 | |
昭和17年8月24日 | 二科展出品の連絡/入選の際には上京の予定 | 里見常夫 | 1-1635 | |
昭和17年8月24日 | 出発に際してのご厚意、御礼 | 寺田竹雄 | 1-1636 | |
昭和17年8月24日 | 二科展出品作搬入の連絡 | 鈴木國威 | 1-1637 | |
昭和17年8月25日 | 先日、突然参上したことへの御礼/こちらの都合で芦屋へ帰ることになった連絡 | 江見其道 | 1-1638 | |
昭和17年8月25日 | 入隊挨拶/台北市第5部隊永島隊 | 宮内武雄 | 1-1639 | |
昭和17年8月27日 | 北斗会、双弦会への賛助出品、感謝/(1)出品御礼として500円送付(2)先日、北川先生と共に朝鮮の田舎を旅する(3)先般発行の画集2冊をお頒けいただきたく | 東本春水 | (1)封筒欠(2)画集から昭和17年と推定 | 1-1640 |
昭和17年8月27日 | 其道が御世話になり御礼/(1)画集、余分がありましたらお譲り下さい(2)北川画伯が写生して居られるとか、二科展が楽しみ | 江見恒三郎 | 其道の訪問から昭和17年と推定 | 1-1641 |
昭和17年8月27日 | 二科新会友2名推挙の連絡を乞う/代行委員会にて取りまとめ、評議委員会席上で発表 | 二科会代行委員 | 1-1642 | |
昭和17年8月28日 | 画廊案内 | 天賞堂画廊 | 1625と同一、昭和17年と推定 | 1-1643 |
昭和17年8月30日 | 青樹社鈴木氏より評議員招待の申し出 | 二科会 | 1-1644 | |
昭和14年~17年9月1日 | 今回の特待への御礼/今後とも御指導、御後援のお願い | 旭亮弘 | (1)「26年で初めて親孝行」とあり(2)宛先住所から14~17年と推定 | 1-1645 |
昭和17年9月5日 | 新会員、新会友の懇親会開催 | 二科会 | 1-1646 | |
昭和17年9月~.7 | 先日はお邪魔をいたし楽しい一刻を感謝/(1)当地名産の漬物を送付(2)画集は日動画廊へ申し込む | 東本春水 | (1)1640と関連、画集から昭和17年と推定(2)東本の名刺1枚あり | 1-1647 |
昭和17年9月8日 | 本屋さんのお伺い延期、10日前後に | 明石哲三 | 1-1648 | |
昭和17年9月9日 | 例年の行事として、今夕鮎を送付す | 大野新吉 | 1-1649 | |
昭和17年9月12日 | 昨年の阪急の残りから、3点売れる/個展をめざして制作中 | 濱田葆光 | 1-1651 | |
昭和17年9月21日 | 画集を一部頂戴いたしたい | 坂本重蔵 | 1-1652 | |
昭和17年9月22日 | 名士寄贈書画即売会に際し、揮毫お願い | 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 | 1-1653 | |
昭和17年9月25日 | 柿の絵、描き直しを求む/作品代金と画箋紙を送付 | 猪飼正一 | 1-1654 | |
昭和17年9月29日 | 写生旅行、10月1日夜出発に変更 | 橋本光雄 | 1-1655 | |
昭和17年9月30日 | 転勤通知/三井鉱山株式会社に勤務 | 林一郎 | 1-1656 | |
昭和14年~17年8月9日 | 神戸風物展開催/9月6日から8日まで、三越ギャラリーにて | 神戸市観光課長甲斐軍喜 | 内容から14年以降、東京市から18年7月までと推定 | 1-1657 |
昭和17年9月 | 第2回絵画展覧会開催/日本美術協会列品館にて | 創元会 | 封筒欠、招待券2枚あり | 1-1658 |
昭和17年10月8日 | 熊谷守一画集出版記念会開催/二科出品のツツジ山、湯沢様より話があり、赤札に致す | 日動画廊長谷川仁 | 1-1659 | |
昭和17年10月12日 | 記念会後の2次会開催の連絡/(1)湯沢、牛尾、有島、桑原と小生にて、牛尾氏の招待(2)湯沢氏の親戚の青年、花の絵2点を希望 | 日動画廊長谷川仁 | 1-1660 | |
昭和17年10月13日 | お尋ねの水明楼の場所について連絡 | 杉本孝一 | 1-1661 | |
昭和17年10月14日 | 水明楼でなく山水楼の間違い、訂正 | 杉本孝一 | 1-1662 | |
昭和17年10月15日 | 今夕、汽車便にて松茸一籠発送/交通難にて、ここ3年、上京も見合わせ中 | 大野新吉 | 1-1663 | |
昭和17年10月18日 | 先月から病院通いに付、近状/川上氏の下痢、その後は如何か | 江見恒三郎 | 1-1664 | |
昭和17年10月18日 | 本刊行に当たり、御迷惑をおかけし、お詫び | 明石哲三 | 絵葉書:「カンボヂアのアプサーラ」明石哲三画 | 1-1665 |
昭和17年10月20日 | 訃報(夫山本信太郎(廣洋)死去) | 山本清子 | 1-1666 | |
昭和17年10月23日 | 歳末厚生週間に際し、揮毫お願い | 朝日新聞厚生事業団歳末厚生週間係 | 1-1667 | |
昭和17年10月24日 | 転居通知/作品出来の節はまた御批評を乞う | 熊坂満 | 1-1668 | |
昭和17年10月24日 | お嬢さんの経過、如何か/木曽にて、画会もよろしくやって帰京する予定 | 新津文紀 | 1-1669 | |
昭和17年10月25日 | 二科展、盛況の報にて/(1)黒田君、阪急にて個展、国枝君また入院(2)小生の個展、青樹社なら好都合、御手配を願う | 濱田葆光 | 1-1670 | |
昭和17年10月27日 | 画会、無事終了、29日帰京の予定/お嬢さんお大事に | 新津文紀 | 1-1671 | |
昭和17年10月27日 | 会葬御礼(夫信太郎(廣洋)葬儀) | 山本清子 | 1-1672 | |
昭和14年~17年10月27日 | 上京中止のため、代金330円送付/絵の代金11枚分、小切手にて | 木村定三 | 宛先住所と4銭切手から14年~17年と推定 | 1-1673 |
昭和17年10月29日 | 蛙子、稲、雨蛙の画を拝受、代金送付/(1)表装の上は、また箱書きをお願い(2)木村君の話では信州の方で展覧会をなさるとか | 猪飼正一 | 「信州の展覧会」から昭和17年と推定 | 1-1674 |
昭和17年10月31日 | 双弦会秋の鑑賞会開催に付、出品お願い/色紙40枚送付、日本画33枚、書3枚、油絵3枚希望 | 東本春水 | 1-1676 | |
昭和17年11月2日 | 「大下春子女史を讃へる会」開催 | 大下春子女史を讃へる会 | 大下春子:「みづゑ」(改題新美術)編集に貢献 | 1-1677 |
昭和17年11月2日 | 坂本繁二郎氏還暦記念出陳作写真展開催/関西画廊にて | 草人社 | 1-1678 | |
昭和17年11月4日 | 油絵の具案内 | 月光荘 | 1-1679 | |
昭和17年11月5日 | 作品は20日に北川先生が受取に参上/(1)来月には大阪にて個展開催の由(2)お嬢様、ご入院とか、お大事に | 東本春水 | 1-1680 | |
昭和17年11月5日 | 上京以来、何かと御心配をおかけし、御礼/金銭については、いずれ両親からもお詫びを | 牛田健太郎内圓三 | 「伯父様」とあり | 1-1681 |
昭和17年11月6日 | 御不在中、お邪魔しお詫び/2,3日中に帰京し、参上の予定 | 坂本重蔵 | 1-1682 | |
昭和17年11月7日 | 南行は頓挫、箱根の山人となる | 木村辰彦 | 1-1683 | |
昭和17年11月11日 | 鈴木さんに電話したところ、回復した様子/今日は謄写版1000枚ばかり刷らされる | 杉本孝一 | 1-1684 | |
昭和17年11月11日 | 体格検査書同封、適齢届の記入お願い/リンゴは先生の所3ヶ所と南部に送付 | 熊谷黄 | 1-1685 | |
昭和17年11月11日 | 『新美』誌代5ヶ月分振込お願い | 新美社山本廣洋 | 『新美』(改題画室) | 1-1686 |
昭和17年11月15日 | 木曽へお出かけの由、傑作が楽しみ/(1)大阪の展覧会の期日はいつか、木村氏と同道の予定(2)白桃の瓶詰め送付 | 猪飼正一 | 1-1687 | |
昭和17年11月17日 | 結婚式挙行挨拶 | 川上淳 | 1-1688 | |
昭和17年11月17日 | 来月10日からの大阪の展覧会、楽しみに/大阪お出かけの節は、来名願いたく、猪飼氏と歓待 | 木村定三 | 1-1689 | |
昭和17年11月19日 | 筆洗い用石鹸の特配連絡/榧ちゃんの御加減如何か(安部添え書き) | 二科会、安部治郎吉 | 1-1690 | |
昭和14年~17年11月22日 | 山の紅葉は今が一番美しい/今秋は紅葉の絵をたくさん描きました | 旭亮弘 | 宛先住所から14~17年と推定 | 1-1691 |
昭和17年11月22日 | 名士書画彫刻即売会への揮毫お願い | 朝日新聞厚生事業団歳末厚生週間係 | 1-1692 | |
昭和17年11月25日 | 火災保険契約満期御通知 | 明治火災海上保険株式会社 | 1-1693 | |
昭和17年11月25日 | 大阪での展覧会、拝見を楽しみに/木村氏とともに、御来名を乞う | 猪飼正一 | 大阪、天賞堂による個展から昭和17年と推定 | 1-1694 |
昭和17年12月2日 | 小生の個展の件、煩わせ恐縮/(1)天賞堂土井君より、画帳への揮毫依頼(2)貴兄個展を、天賞堂にて10日頃より開催の予定(3)鈴木、鍋井、国枝氏の近況 | 濱田葆光 | 1-1695 | |
昭和17年12月6日 | 9日の御来名をお待ち致し度/箱書きのため、筆、墨、印などの御準備お願い | 木村定三 | 1-1696 | |
昭和17年12月11日 | 本日、鰯干し少々送付 | 高瀬勝男 | 1-1697 | |
昭和17年12月14日 | 16日に式を挙行、出席を乞う | 玉井安武 | 1-1698 | |
昭和17年12月14日 | 先日の突然のお邪魔、御礼/上野にて大東亜戦争展を見て帰名 | 熊谷朋助 | 1-1699 | |
昭和17年12月17日 | アパートなど入居に付、援助を願う/現在は千駄ヶ谷の照子様宅にやっかいに | 日本加除出版株式会社牛田圓三 | 「守一伯父様」とあり | 1-1700 |
昭和17年12月17日 | 『新美』新年号記事に関わり回答依頼/最近の読書とその感銘について | 新美社 | 1-1701 | |
昭和17年12月18日 | 安部治郎吉 | 中身欠 | 1-1702 | |
昭和17年12月28日 | 油絵展開催の御礼/毎年1回の油絵展をお願いしたい | 天賞堂画廊土井憲治 | 1-1703 | |
昭和17年12月31日 | 圓三儀、何卒宜しくお願い申し上げ度/年賀欠礼 | 牛田健太郎 | 1-1704 | |
昭和17年12月31日 | 年賀 | 威徳流宗家渡邊吉光 | 1-1705 | |
昭和17年 | 熊谷守一画集の序か(原稿) | 湯沢三千男 | (1)宛名:なし(2)『熊谷守一画集』画集刊行会日動画廊長谷川昭和17年刊 | 1-1706 |
昭和17年 | 阪急百貨店小品展について、御依頼/(名刺にメモ) | 『東京玩具商報』編集部前田哲人 | 1595との関連により昭和17年と推定 | 1-1707 |
昭和18年1月1日 | 年賀 | 明石哲三 | 1-1708 | |
昭和18年1月2日 | 年賀 | 由井覚郎 | 1-1709 | |
昭和18年1月2日 | 年賀/受傷に付入院 | 熊谷光夫 | 熊谷伊造の二男 | 1-1710 |
昭和18年1月2日 | 年賀 | 立田 | 1-1711 | |
昭和18年1月5日 | 年賀 | 林武 | 林武、幹子、櫛 | 1-1712 |
昭和18年1月6日 | 非公開 | 1-1713 | ||
昭和18年1月6日 | 60年ぶりに赤穂郡鞍居村に帰郷した話/油画材料入用でしたらお知らせ下さい | 江見恒三郎 | 1-1714 | |
昭和18年1月7日 | 『時局情報』2月号目次カット作成依頼 | 毎日新聞社『時局情報』編集部 | 1-1715 | |
昭和18年1月13日 | 訃報(父喜蔵(武夫)死去) | 永井三明 | 1-1716 | |
昭和18年1月13日 | 入隊挨拶 | 吉田一郎 | 1-1717 | |
昭和18年1月15日 | 『時局情報』2月号用原稿、拝受、御礼 | 毎日新聞社『時局情報』編集課 | 1715に関連 | 1-1718 |
昭和18年1月15日 | 即売会への作品御恵贈、御礼 | 朝日新聞厚生事業団歳末厚生週間係 | 1-1719 | |
昭和18年1月 | 年賀/本社へ転勤、挨拶 | 北澤定一 | 差出人住所から昭和18年と推定 | 1-1720 |
昭和18年1月19日 | 転勤挨拶/新京本社勤務に | 北澤定一 | 康徳10年:昭和18年 | 1-1721 |
昭和18年1月20日 | 「友人信時潔君」執筆依頼/『音楽教育』3月号「信時潔を語る」 | 大日本出版(株)『音楽教育』編集部 | 返信用葉書あり | 1-1722 |
昭和18年1月21日 | 先日の御礼/先日の話、他言せぬよう注意を受けたのでお含みおきを | 木村辰彦 | 1-1723 | |
昭和18年1月22日 | 銚子名物少々送付/近く小生の本も発刊の予定 | 明石哲三 | 1-1724 | |
昭和18年1月23日 | 手洗い用石鹸特配の連絡/「そのうちお届けします」(安部添え書き) | 二科会 | 1-1725 | |
昭和18年1月30日 | 紙本2尺横物の鯰の画2点、御揮毫お願い | 有賀宮一郎 | 1-1726 | |
昭和18年1月 | 払出通知票(毎日新聞社東京支店より)/金30円 | 毎日新聞社東京支店 | 1715のカット料か、昭和18年1月と推定 | 1-1727 |
昭和8年~18年1月 | 第2回新造型美術展開催/1月7日から18日まで、上野府美術館にて | 新造型美術協会 | 宛先住所から8~18年と推定 | 1-1728 |
昭和18年2月3日 | 本の完成報告/本屋からお届けに、いづれ上京の折お話しを | 明石哲三 | 1-1729 | |
昭和18年2月6日 | 鰉少々送付 | 明石哲三 | 1-1730 | |
昭和18年2月8日 | 非公開 | 1-1731 | ||
昭和18年2月14日 | 第5回半弓会洋画展開催、出品依頼/3月24日開催の予定 | 阪急百貨店美術部 | 第5回とあるが、第6回の間違い | 1-1732 |
昭和18年2月17日 | 第7回大日本海洋美術展覧会開催、出品依頼/規程、出品申込書、出品諾否返信葉書 | 海軍協会 | 1-1733 | |
昭和18年2月20日 | 子どもの中耳炎の経過について/(1)15日には西田も寄ってくれた(2)子どもの体育に気を付けながら、専ら絵を描きたい | 西田美代子 | (1)宛名:秀子も併記(2)1428に「西田美代子気付熊谷守一先生」とあり(3)1812と関連、内容から昭和18年と推定 | 1-1734 |
昭和18年2月24日 | 上京中、近く本を持ってお伺い致し度 | 明石哲三 | 1-1735 | |
昭和18年2月26日 | 二科会 | 中身欠 | 1-1736 | |
昭和17年~18年2月29日 | 3月末までには5点完成の予定/体操の時間に子どもたちに校庭の雪割をさせる | 旭亮弘 | (1)下池田の写真8枚同封とあるが欠(2)作品点数から昭和17年、18年と推定 | 1-1737 |
昭和18年2月 | 『月明』来月号に向け、ご寄稿お願い/月明文庫について、御高覧のもの、刊行希望のもの | 月明会編集部 | 月明文庫17年3月発刊と「浅春好日」から18年2月と推定 | 1-1738 |
昭和18年3月4日 | 紙送付、木村氏と半分ずつの積もりにて/3月の先生と小松均氏との展覧会の詳細、知りたし | 猪飼正一 | 1-1739 | |
昭和18年3月8日 | 2回の手術後、転院、経過良好にて/近く3回目の手術を受ける予定 | 熊谷光夫 | 1-1740 | |
昭和18年3月9日 | 非公開 | 1-1741 | ||
昭和18年3月11日 | 北斗会洋画小品展開催、案内/たくさんの作品、感激と感謝をもって拝見 | 東本春水 | 1-1742 | |
昭和18年3月11日 | 黄君、健康回復、結構にて/川上氏から全君凱旋と聞く、神戸で迎え度 | 江見恒三郎 | 1-1743 | |
昭和18年3月12日 | 約束の観音様は如何に/会心の近作、拝見したい | 田村謹寿 | 1-1744 | |
昭和18年3月12日 | 浅尾に参り絵の具のこと話しおく/次の日曜、郷里から送ってきた野菜を取りに来ませんか | 石川確治 | 1-1745 | |
昭和18年3月14日 | 17日の御来訪、家族風邪のため延期に/いづれ快復後、お伺いします | 信時潔 | 1-1746 | |
昭和18年3月15日 | 筆洗い用石鹸の特配連絡/「先日の分とお届けいたします」(安部添え書き) | 二科会 | 1-1747 | |
昭和18年3月15日 | 長らく御無沙汰、家族の近況報告/田口さん、正宗さんの近況 | 安部小澄 | (1)宛名:秀子も併記(2)5銭切手と田口の病気から昭和18年と推定 | 1-1748 |
昭和~18年3月23日 | 青木繁「房州布良風景」鑑定依頼/併せて感想も記していただきたい | 明治美術研究所高崎正男 | (1)郵送にあらず(2)東京市から18年以前と推定 | 1-1749 |
昭和18年3月24日 | 先日お願いの種、ヤミ屋にて入手 | 江見恒三郎 | 1-1750 | |
昭和18年3月24日 | 北斗会展への出品、御礼/近く御礼に参上いたしたく | 東本春水 | 1-1751 | |
昭和15年~18年3月27日 | 二科会 | (1)中身欠(2)宛先住所から15~18年と推定 | 1-1752 | |
昭和18年3月29日 | 青木繁作品、御覧いただき感謝/(1)半弓会への出品、感謝(2)作品は招待日に売約、阪急より送金に | 座右寶刊行会後藤真太郎 | 1-1753 | |
昭和17年~18年3月31日 | 29日の朝盛岡無事着/信時さんのところから10円為替の送付あり、返却を願う | 熊谷黄 | 1-1754 | |
昭和18年3月31日 | 松坂屋での個展開催の承諾、感謝/(1)5月1日から6日を予定(2)併せて、北川先生の個展も決定 | 東本春水 | 点数を記したと思われるメモあり | 1-1755 |
昭和18年4月2日 | 第6回半弓会洋画展への出品御礼 | 阪急百貨店 | 1-1756 | |
昭和18年4月3日 | 朝日新聞学芸部より社会部次長に異動 | 遠山孝 | 1-1757 | |
昭和18年4月8日 | 送金御案内状、支払金額300円 | 阪神急行電鉄株式会社経理部会計課 | 1-1758 | |
昭和18年4月9日 | 町名変更通知/北伊賀町から三栄町へ | 田村謹寿 | 1-1759 | |
昭和8年~18年4月9日 | 友人野田允太氏を紹介 | 原勝四郎 | (1)郵送にあらず、野田氏持参(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1760 |
昭和18年4月10日 | 先日、展覧会の招待券を頂き、感謝/児童の焼き物作品を送付 | 福村友吉 | 1-1761 | |
昭和18年4月10日 | 火曜会懇親会通知/御出席を乞う(安部添え書き) | 火曜会 | 火曜会:旧二科塾画友有志 | 1-1762 |
昭和18年4月11日 | 先生の作品、是非頂戴いたしたく/完成しましたら、何時でも東京まで頂戴に上がりたい | 猪飼正一 | 1739に「蜻蛉」「蜘蛛」「あぶ」あり、よって昭和18年と推定 | 1-1763 |
昭和18年4月13日 | 18日上京の際、作品頂きに参上/色紙20点、屏風貼りまぜの小品、尺八横物など | 東本春水 | 1-1764 | |
昭和18年4月14日 | 番地改正通知 | 二科会 | 1-1765 | |
昭和18年4月16日 | 非公開 | 1-1766 | ||
昭和14年~18年4月18日 | 13日夜北京着/しばらくこちらに滞在し、各地を廻る予定 | 青山龍水 | 1-1767 | |
昭和18年4月21日 | 個展取り止めの件、松坂屋も了解/急遽、北川先生の個展を代わりに開催 | 東本春水 | 1-1768 | |
昭和18年4月28日 | 結婚式挙行挨拶/二科展審査員野間仁根画伯夫妻の媒酌 | 三澤喜之助、富士子 | 1-1769 | |
昭和18年4月28日 | 陸ヒジキの種、発送 | 渡邊義一 | 1-1770 | |
昭和18年5月9日 | 牡丹開花、是非描きにお出でを | 小川勝蔵 | 1-1771 | |
昭和18年5月10日 | 牛堀に逗留中、明日は帰郷の予定/介山さんが先生宅を訪問する由、童安さんから知らせあり | 明石哲三 | 1-1772 | |
昭和18年5月10日 | 日本美術報国会創設/趣意書、総会次第 | 日本美術及工芸統制協会 | 吉野信次外 | 1-1773 |
昭和18年5月10日 | 日本美術報国会創立発起人、快諾御礼/承諾書、もう1通送付依頼 | 大政翼賛会実践局文化部 | 1-1774 | |
昭和15年~18年5月12日 | 一昨日、当地へ入る、白樺林が見事/都を出た機会に、せいぜい山や海を勉強して帰る | 谷口清子 | 宛先住所から15~18年と推定 | 1-1775 |
昭和18年5月14日 | 月明会名簿更新に付、詳細記入依頼 | 月明会編集部 | 1-1776 | |
昭和18年5月14日 | 異動通知/内務省地方局振興課から石川県官房企画課長兼地方課 | 中野亨 | 1-1777 | |
昭和18年5月14日 | 松坂屋にての個展終了/4000円あまりの赤札 | 北川民次 | 松坂屋展覧会より5月と推定(東本の書簡) | 1-1778 |
昭和18年5月18日 | 日本美術報国会創立会、諸挨拶文/日本美術報国会名誉会員及役員名簿 | 大政翼賛会 | 会長:横山大観、評議員第二部に熊谷の名あり | 1-1779 |
昭和18年5月19日 | 連盟の絵具、配給、来店を待つ | いづみや絵具店 | 1-1780 | |
昭和18年5月20日 | 非公開 | 1-1781 | ||
昭和18年5月20日 | 評議員会御通知/重要協議あり、是非御出席を、食事あり、米1合持参 | 二科会 | 1-1782 | |
昭和18年5月21日 | 大樋焼粘土発送、作品は当方で焼成/7月頃、参上の予定 | 福村友吉 | 1-1783 | |
昭和18年5月21日 | 『美術・工芸』予約金1年分領収書/阪急百貨店受取 | 『美術・工芸』発行所 | 1-1784 | |
昭和18年5月21日 | 追伸、作品は壺、花瓶、茶碗など肉薄な物が割れにくい | 福村友吉 | 1-1785 | |
昭和18年5月22日 | 日本画展出品作品送付、感謝/(1)展覧会は6月13日から20日に開催(2)濱田先生の展覧会は15日から20日にて | 阪急百貨店美術部橋本文二 | 1-1786 | |
昭和18年5月22日 | 日本画の数々、出来上がるのが楽しみ/(1)東本氏より、先生風邪気味と聞くが、お元気そうで安心(2)芋切干、少々送付 | 猪飼正一 | 消印と宛先住所「千早」から昭和18年と推定 | 1-1787 |
昭和18年5月23日 | 北川先生個展への指導、激励、感謝/(1)来月上旬、上京の予定(2)先生の個展開催を一同鶴首 | 東本春水 | 1-1788 | |
昭和18年5月27日 | 明治温泉行き、31日夜、茅野駅出発/弁当2食分用意、警報発令の際は延期 | 橋本光雄 | 1-1789 | |
昭和18年5月28日 | 総会通知/5月30日開催 | 二科会 | 1-1790 | |
昭和18年5月29日 | 転居通知 | 野尻貞一 | 1-1791 | |
昭和18年5月30日 | 『日本美術年鑑』への記載内容記入依頼 | 美術研究所 | 封筒欠 | 1-1792 |
昭和18年5月31日 | 『花ごよみ』に作品下さり、感謝/野間氏に佐藤春夫氏作「朝顔の花」の画を依頼 | 中島重兵衛 | 「書簡用住所判」あり | 1-1793 |
昭和18年6月1日 | 二科展、出品点数、大きさの連絡 | 二科会 | 1-1794 | |
昭和18年6月3日 | 先日送付の粘土、その後如何に/先生の作品、拝見するのが楽しみ | 福村友吉 | 1-1795 | |
昭和18年6月5日 | 火曜会出品の絵、制作中/今朝、桜桃少々送付 | 北條熱実 | 1-1796 | |
昭和18年6月5日 | 非公開 | 1-1797 | ||
昭和18年6月8日 | 第2回火曜会油絵展覧会開催/帝劇画廊にて | 火曜会 | 火曜会:旧二科塾画友有志 | 1-1798 |
昭和18年6月9日 | 訃報(夫恵死去) | 堀サダ | 1-1799 | |
昭和18年6月10日 | 治療に上京、お伺いできず残念 | 小笠原吉郎 | 1-1800 | |
昭和18年6月14日 | 神経痛にて御来阪叶わず、残念/(1)昨日、黒田氏とともに貴兄展覧会を参観、既に7点売約(2)明日は名古屋より猪飼氏参観とか | 濱田葆光 | 1-1801 | |
昭和18年6月15日 | 会葬御礼(母葬儀)/弔詞、香料賜り、感謝 | 熊谷鋭太郎 | 「伯父、伯母様」(ママ) | 1-1802 |
昭和12年~18年6月16日 | 『地方文化』発刊に当たり、一文を賜りたく/愛知、三重、岐阜出身者による雑誌『地方文化』発刊 | 渡邊登喜雄 | 2銭切手、東京市から12~18年と推定 | 1-1803 |
昭和18年6月17日 | お伺いの節の風邪、その後如何/(1)先生の個展開催を熱望(2)只今、二科及び航空美術などの準備中 | 東本春水 | 1-1804 | |
昭和18年6月17日 | 介山先生訪問の由、童安先生の手紙にあり | 明石哲三 | 1-1805 | |
昭和18年6月18日 | 「アスゴ一ジゴロユク」(明日午後1時頃行く) | クロタ | 黒田重太郎か | 1-1806 |
昭和14年~18年6月20日 | 勉強不足で、ちっとも描かないので困る/審査に石井柏亭先生がお見えに | 荒山雪子 | (1)絵葉書:第22回鮮展出品「冬枯」荒山雪子画(2)宛先住所から14~18年と推定 | 1-1807 |
昭和18年6月23日 | 「渓流」と「裸婦」の代金400円送付/「風景」と御揮毫お願いの花2枚、近作「裸婦」も近々受け取りに参上 | 薄田晴彦 | 1-1808 | |
昭和18年6月23日 | 阪急の個展、拝見できず残念/夏には先生をお誘いして木村氏と長野へ、御都合如何か | 猪飼正一 | 1-1809 | |
昭和18年6月25日 | その後、非常に元気/戸籍謄本2通、準備をお願い | 熊谷黄 | 1-1810 | |
昭和14年~18年6月26日 | 展覧会の出品画、半月ほどで完成/(1)当地、絵の具、カンバス等不自由(2)上京の上、御指導を受けたいが、思うようにならず | 田中優紀子 | (1)封筒欠(2)宛先住所から14~18年と推定 | 1-1811 |
昭和18年6月29日 | 応召後4ヶ月、経過報告/(1)満ソ国境地帯の風景描写(2)留守宅の美代子、幾子に対し御配慮、感謝 | 西田義郎 | 1-1812 | |
昭和18年6月30日 | 美術家連盟の発展的解消/(1)日本美術報国会並びに日本美術及工芸統制協会に参加(2)両会代議会員として参加をお願い | 日本美術報国会 | 会費振込用紙あり | 1-1813 |
昭和18年6月30日 | 30年記念展後に、二科会脱会/脱会の意向だが、会に迷惑をかけることはできない | 黒田重太郎 | 別にメモあり | 1-1814 |
(メモ)二科会脱会に関わるメモか/(表)総会通知 | 守一のメモか | 1-〃 | ||
昭和18年7月1日 | 作品受け取りに近日、店員参上/風景、4号花、6号か8号の静物か花、以上3点 | 薄田晴彦 | 1-1815 | |
昭和18年7月2日 | 二科が文展に合流する由、本当か/作品の大きさは50号までか、確認 | 旭亮弘 | 1-1816 | |
昭和18年7月3日 | 送金御案内状、支払金額1330円 | 阪神急行電鉄株式会社経理部会計課 | 1-1817 | |
昭和18年7月3日 | 10日、颯田氏を中心に会合、出席を乞う/辰野隆、有島生馬、安井曽太郎、小宮豊隆氏など出席 | 湯沢三千男 | 1-1818 | |
昭和18年7月4日 | 送金の連絡、箱書きの依頼/先日長谷川利行氏の日本画展開催、なかなか好評にて | 阪急百貨店美術部橋本文二 | 1-1819 | |
昭和18年7月7日 | 二科美術展覧会開催の案内/9月1日から20日まで | 二科会 | 1-1820 | |
昭和18年7月7日 | 就職決定、次は18日頃帰京の予定 | 熊谷黄 | 1-1821 | |
昭和18年7月7日 | 日本画たくさん頂き、猪飼氏とともに感謝/(1)馬の絵を5,6枚頂戴したい(2)来月、先生のお供をして信州の温泉へ参りたい | 木村定三 | 1-1822 | |
昭和18年7月8日 | 築地の会合、さらに2名参加/(1)桑原幹根、三浦直彦氏、この機会に紹介いたしたく(2)颯田、辰野、安井の三氏は出席 | 湯沢三千男 | 1-1823 | |
昭和18年7月8日 | 今月は琉球へ出掛ける予定/千田氏の手紙に、先生にお会いしたい旨あり | 明石哲三 | 1-1824 | |
昭和18年7月9日 | 『白百合の花』今日発行/先生の画集を是非発行させていただきたく | 中島重兵衛 | 1-1825 | |
昭和18年7月9日 | 中旬頃、上京の予定 | 東本春水 | 絵葉書:「国府宮裸祭」東本春水画 | 1-1826 |
昭和18年7月9日 | 『週刊朝日』扉カットの依頼/『週刊朝日』(昭和18年7月18日号)扉 | 『週刊朝日』小川薫 | 封筒欠 | 1-1827 |
昭和18年7月10日 | 二科30周年記念画集発行に付、カット2葉依頼 | 東郷青児 | 1-1828 | |
昭和16年~18年7月11日 | 暑中見舞、迪章こと、世話になり御礼/自家製品の豆少々送付につき、連絡 | 高橋 | (1)1173と差出人住所から昭和16年以降と推定(2)葉書2銭は19年4月まで | 1-1829 |
昭和18年7月13日 | 先生の作入手、2点箱書き依頼/(1)恵那郡大井町西尾伝十氏、新津文紀氏のお陰にて(2)箱書き料8円送付 | 原龍甫 | 1-1830 | |
昭和18年7月13日 | 先生の作入手、2点箱書き依頼 | 原龍甫 | (1)郵送にあらず、別便の箱書きに添えたものか(2)1830の件 | 1-1831 |
昭和18年7月14日 | 画拝受、感謝、気に入り毎日眺めている/(1)熊蜂と蜻蛉は返却したい(2)いろはの書も面白い(3)8月10日頃の信州行き、快諾感謝 | 猪飼正一 | 「熊蜂」と「蜻蛉」の返却と1848から昭和18年と推定 | 1-1832 |
昭和18年7月15日 | 二科会彫塑部の文展審査員辞退理由書/朝日新聞社説「決戦下に於ける文展」 | 渡邊義知 | 渡邊義知:二科会彫塑部代表 | 1-1833 |
昭和18年7月15日 | 顕彰碑建立に付、醵金1口拝受、感謝 | 故古賀春江君顕彰碑建立事務所 | 1-1834 | |
昭和18年7月17日 | 第30回二科美術展覧会出品目録、題名票 | 二科会 | 1-1835 | |
昭和18年7月17日 | 先日送付の絵の内、4枚返送/(1)失礼ながら、富士山の絵3枚、虫の絵1枚にて(2)烏の三匹居る富士山の絵が一番よいかと(3)信州旅行の件、また来月に御連絡いたします | 木村定三 | 1-1836 | |
昭和18年7月18日 | 明石先生の指示により、表装の御指導頂き度/明石先生の絵を持って、20日に参上、御都合如何か | 秋山尚古 | 1-1837 | |
昭和18年7月19日 | 上京の折は厚情に預かり、感謝/河童、女人裸像、4号の近作、拝見したいという人あり | 川元奈津 | 1-1838 | |
昭和18年7月21日 | 出品制作についての連絡、感謝/最後の仕上げをし、上京することを楽しみに | 旭亮弘 | 1-1839 | |
昭和18年7月21日 | 非公開 | 1-1840 | ||
昭和18年7月21日 | 昨日お邪魔いたし、御礼/(1)帰途、展覧会を拝見(2)表装することがあったら、是非私に御相談を | 秋山尚古 | 1-1841 | |
昭和18年7月23日 | 扉カット拝受、感謝、礼金10円送付 | 『週刊朝日』編集部 | 1-1842 | |
昭和18年7月26日 | 明日上京、午後5時頃お伺いの予定 | 小笠原吉郎 | 1-1843 | |
昭和18年7月26日 | 近頃、落ち着いて景色等描く/安井先生も、来月満州へ発たれるとか | 木村辰彦 | 1-1844 | |
昭和18年7月29日 | 8月14,5日頃に上京、お邪魔の予定/わらびの干物を送付 | 旭亮弘 | 1-1845 | |
昭和18年7月30日 | 御作「けし」頂き、感謝/(1)他に御作を世話する義理ありて、制作をお願いしたい(2)花、静物、風景のいずれでも結構、来月10日頃上京 | 薄田晴彦 | 1-1847 | |
昭和18年7月31日 | 熊蜂と蜻蛉、返却の予定を変更/(1)熊蜂は、私の弟が頂くことに(2)画箋紙送付、気の向いた時に制作を、御礼500円同封(3)信州行き、木村氏と打ち合わせて、近日中に連絡す | 猪飼正一 | 1-1848 | |
昭和8年~18年7月 | 喜多武四郎氏彫刻工芸小品展覧会 | 三昧堂美術部 | 宛先住所から8~18年と推定 | 1-1849 |
昭和18年8月2日 | 第1回炭彩会展開催/目録、会場の写真2枚 | 北澤定一 | 康徳10年:昭和18年 | 1-1850 |
昭和18年8月4日 | 応召、明5日入隊の連絡 | 秋山尚古 | 秋山の手紙から昭和18年と推定 | 1-1851 |
昭和18年8月4日 | 信州旅行の日程連絡/我々は7日3時頃上林ホテルに着、お出でを待つ | 猪飼正一 | 1-1852 | |
昭和18年8月5日 | 川合勘助方、4人の近状について/昨夜無事着、皆元気、山登りして過ごす | 熊谷秀子、以下3名 | 1-1853 | |
昭和18年8月6日 | 御約束の作品、まだか | 田村謹寿 | 絵葉書:(エッチング)西田作 | 1-1854 |
昭和18年8月6日 | 非公開 | 1-1855 | ||
昭和18年8月6日 | 二科会記念画集制作に付、至急作品写真拝借/文中カット、東郷先生より通知あれば、1点拝借 | 美術工芸会 | 1-1856 | |
昭和18年8月6日 | (鉛筆画風景) | 河合敏雄 | 1-1857 | |
昭和18年8月9日 | 第6回美術展覧会招待者として、出陳願い/(1)無鑑査出品制に関し、隔年出品を3年制に改正(2)第二部無鑑査者名簿 | 文部省教化局総務課 | 1-1858 | |
昭和18年8月9日 | 本日、二科3点完成、発送の手続きを終える/18日に上京、参上の予定 | 東本春水 | 1-1859 | |
昭和18年8月10日 | 米国本土空襲飛行機献納資金募集/野依秀市主催、帝都日日新聞社において | 三木武吉 | 三木:責任者 | 1-1860 |
昭和18年8月11日 | 非公開 | 1-1861 | ||
昭和18年8月11日 | 田口省吾氏より容態悪化の連絡あり/安部はまだ帰らず(妻、代筆にて連絡) | 二科会、安部治郎吉 | 1-1862 | |
昭和18年8月12日 | 葉書と作品を頂戴し、感謝/(1)先般の油絵具の注文、代金立て替え支払い(2)国枝君、経過良好 | 濱田葆光 | 納品伝票3枚、領収証1枚 | 1-1863 |
昭和18年8月13日 | 画仙紙極少数入荷のお知らせ | 横井誠 | 1-1864 | |
昭和18年8月18日 | 1週間ほどで退院の予定 | 小笠原吉郎 | 1-1865 | |
昭和18年8月27日 | 神経痛にて湯治中の由、お大事に/先日は美術報国会の件、御連絡感謝 | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-1866 |
昭和18年8月30日 | 昨夜上京、明朝、横井君と共に参上/今日は黒田君が行く由、伺っている | 濱田葆光 | 1-1867 | |
昭和18年8月30日 | 出品者懇親会の開催/9月2日、上野精養軒にて | 二科会 | 1-1868 | |
昭和18年8月 | 30回二科展日程/二科の文展参加により、招待者、無鑑査を選出 | 二科会 | 1-1869 | |
昭和18年9月1日 | 9月20日、卒業式 | 熊谷黄 | 宛名:熊谷秀子 | 1-1870 |
昭和18年9月3日 | 緊急に協議する事項あり、5日集合 | 二科会 | 1-1871 | |
昭和18年9月5日 | 2日夜行にて横井君と東京を離れる/(1)東郷君の書簡には、あなたは退会を思い留まった由(2)また貴方、正宗、坂本、国枝君は審査委員長格に | 濱田葆光 | 1867の上京の手紙から昭和18年と推定 | 1-1872 |
昭和18年9月8日 | 文展開催の頃、上京の予定/焼き物の件、その時お受けしたい | 福村友吉 | 1-1873 | |
昭和18年9月9日 | 昨朝、無事帰郷/療養中に付、結果は延期になるらしい | 小笠原吉郎 | 1-1874 | |
昭和18年9月9日 | 貴下を本会第二部評議員に推挙/承諾を乞う | 日本美術報国会 | 1-1875 | |
昭和18年9月13日 | 8月17,8日にお邪魔をいたし、感謝/(1)頂いた色紙「馬二頭」、朝夕の私の友に(2)川合さんの病気、快方に向かわれた由、御安心を | 山田稔 | 1-1876 | |
昭和18年9月13日 | 石炭、配達ができず/石炭不足に加え、店員徴用令にて居らず | 千原七蔵 | 1-1877 | |
昭和18年9月17日 | 大阪、福岡展にて貴作出品、お願い/出品の諾否、返答用葉書 | 二科会 | 1-1878 | |
昭和18年9月29日 | 松本俊介個人展/日動画廊にて | 松本俊介 | 中身欠 | 1-1879 |
昭和18年11月9日 | 圓三儀、去る5日に帰宅/就職先確定の上、また上京の節は御指導をよろしく | 牛田健太郎 | 1681,1700,1704との関連から昭和18年と推定 | 1-1880 |
昭和18年12月24日 | 会葬御礼(父国枝金三葬儀) | 国枝芳郎 | 1-1881 | |
昭和18年12月28日 | (古田写真館封筒「写真在中」) | 杉本貞雄 | 中身欠 | 1-1882 |
昭和~18.12. | 求龍堂十周年記念十大家洋画展覧会目録/資生堂にて | 求龍堂 | (1)宛名:なし(2)封筒欠(3)求龍堂の書簡、8年からあり | 1-1883 |
昭和7年~18年3月 | 帝国通信 | (1)中身欠(2)宛先住所から7~18年と推定 | 1-1884 | |
昭和8年~18年3月 | 日本画箱書き2点お願い/10円同封 | 日動画廊長谷川仁 | (1)郵送にあらず、持参(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1885 |
昭和8年~18..13 | 有道佐一画伯作品展覧会 | 有道会 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1886 |
昭和8年~18年 | 荒井龍男 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1887 | |
昭和8年~18年 | 日本美術通信社 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1888 | |
昭和8年~18年 | 小出楢重素画集申込書 | 座石寶刊行会 | (1)宛名:なし(2)「はがき」と住所から8~18年 | 1-1889 |
昭和8年~18年 | 石川先生にお願いしてご厚意を頂き、御礼/毎日、外のことが多く、なかなか絵を描く間もない | 荒山雪子 | 宛先住所から8~18年と推定 | 1-1890 |
昭和8年~18年 | (荷札) | 杉崎愛子 | (1)宛名:佐藤しげ子(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1891 |
昭和8年~18年 | 3回払い優秀洋家具の会(チラシ3枚) | 美術工芸社 | 宛先住所等から8~18年と推定 | 1-1892 |
昭和8年~18年 | 展覧会用額縁大奉仕(チラシ) | 彩美堂 | 宛先住所から8~18年と推定 | 1-1893 |
昭和8年~18年 | 日下部最高級油絵の具定価表 | クサカベ油絵画製造発売元日下部信一 | 宛先住所から8~18年と推定 | 1-1894 |
昭和8年~18年 | 名作屏風・絵巻特別展覧会目録 | 帝室博物館 | 宛先住所等から8~18年と推定 | 1-1895 |
昭和8年~18年 | 藤田先生の個展、九州での開催中止/大演習のため、近日中に上京の予定 | 天城俊彦 | (1)宛先住所から8~18年と推定(2)絵葉書:鶴丸城跡写真 | 1-1896 |
昭和8年~18年 | (表:全日本クロッキー・素描総合展覧会」)/クロッキー研究所創立満10年紀念 | クロッキー研究所 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1897 |
昭和8年~18年 | 童林社 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1898 | |
昭和8年~18年 | 連袖会 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1899 | |
昭和8年~18年 | (表:「御招待」) | 現代美術社 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1900 |
昭和8年~18年 | 新美術家協会 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1901 | |
昭和8年~18年 | 新興美術院 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定 | 1-1902 | |
昭和8年~18年 | 新自然派協会小城 | (1)中身欠(2)宛先住所から8~18年と推定(3)3銭切手は昭和12年まで | 1-1903 | |
昭和8年~18年 | (表:美術雑誌『画観』) | 画観社 | (1)中身欠(2)宛先住所などから8~18年と推定 | 1-1904 |
昭和12年~18年 | 出品有無 | 返信用葉書二科会 | (1)宛名:なし(2)葉書2銭から12~18年と推定 | 1-1905 |
昭和14年~18年 | 三面会(日本画)出品画、頂きに参上 | 洋画店青樹社 | 宛先住所から14~18年と推定 | 1-1906 |
昭和14年~18年 | 11月初、盲腸の手術、当地にて静養中 | 福原俊二 | 宛先住所から14~18年と推定 | 1-1907 |
昭和14年~18年 | 二科会 | (1)中身欠(2)宛先住所から14~18年と推定 | 1-1908 | |
昭和14年~18年 | 四行会 | (1)中身欠(2)宛先住所などから14~18年と推定 | 1-1909 | |
昭和16年~18年 | 画仙紙極少数入荷のお知らせ | 横井誠 | 東京市から昭和18年6月までと推定 | 1-1910 |
昭和16年~18年 | パピエ・トアール織紙画布について(広告) | ルテス商会 | (1)宛名:なし(2)封筒欠(3)広告内容と住所から16~18年と推定 | 1-1911 |
昭和17年~18年 | 『美術・工芸』発行所 | (1)中身欠(2)『美術・工芸』は17年4月から(3)東京市より18年以前と推定 | 1-1912 | |
昭和19年5月15日 | 只今無事朝鮮に上陸、京城を経て慶州に/この後、京城に帰り、平壌を経て満州に入る予定 | 明石哲三 | 絵葉書:新羅の古跡 | 1-1913 |
昭和19年6月2日 | 無事慶州に入り、朝鮮の気分を味わう/(1)瓦で硯を作り、青銅鏡を文鎮にして絵を描く(2)長谷川利行の本を読む | 明石哲三 | 絵葉書:慶州古跡写真 | 1-1914 |
昭和8年~19. | 長谷川利行油絵個人展覧会開催/6月16日から20日まで、 | 天城画廊 | 昭和11年9月に天城画廊にて長谷川展あり | 1-1915 |
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昭和19年7月21日 | 朝鮮滞在が長引き、この冬はハルピンか/今は金剛山に滞在 | 明石哲三 | 絵葉書:朝鮮内金剛写真 | 1-1916 |
昭和19年9月10日 | 天賞堂画廊 | 中身欠 | 1-1917 | |
昭和19年10月 | 国枝金三遺作展覧会開催/11月1日から7日まで、大阪市立美術館にて | 国枝芳郎 | 絵葉書:「嵐山の春」国枝金三画 | 1-1918 |
昭和19年11月13日 | 子ども入院に付、お伺いできず/折を見て参上の予定、信時さんの額お忘れなく | 清水憲太郎 | 1-1919 | |
昭和19年12月2日 | 乗車券、5日当駅にて買い求め、回送 | 山本弥四郎 | 宛名:江見恒三郎 | 1-1920 |
昭和19年12月26日 | 会葬御礼(父乙吉葬儀) | 庄司次郎 | 1-1921 | |
昭和20年4月29日 | 空襲にて、各地被害大きく案じている/(1)奈良の田舎へ疎開中(2)岩本の友人に貴兄の絵を求める者あり | 濱田葆光 | 1-1922 | |
昭和20年5月21日 | 半年の平壌滞在を終え4月末に新京に入る/今後3ヶ月の命があったら、満州から支那に渡りたい | 明石哲三 | 絵葉書:承徳 | 1-1923 |
昭和8年~20年5月 | 南洋民芸展覧会案内 | アモレ画廊 | 宛先住所から8年以降、内容から戦中と推定 | 1-1924 |
昭和20年9月6日 | 萬ちゃん具合は如何か/荷物整理し、池袋の駅止めで送付 | 熊谷黄 | 1-1925 | |
昭和20年9月24日 | こちらに来て既に半年、東京が懐かしい/(別紙)安部ふゆみの手紙 | 安部一同 | 「ぢいちゃん先生」(はつき)とあり | 1-1926 |
昭和8年~20年 | 8月満州国平斉線白城子深野部隊転任/満州は事変以来発達めざましく日々発展 | 桐木信一 | 宛先住所から昭和8年以降と推定 | 1-1927 |
昭和16年~20年 | 2年前、絵を見て頂いたことが懐かしく/奥田郁太郎、小谷輝美君に連れられてお邪魔 | 諏訪正雄 | 裏:ペン画あり | 1-1928 |
昭和16年~20年 | 今日は元旦とて、爆竹、太鼓、鐘の大騒ぎ | 鈴木十五郎 | 1041から昭和16年以降と推定 | 1-1929 |
昭和21年7月15日 | 萬様のその後の病状は如何か/(1)ちょうど1年前に農兵隊員として、この地に(2)何でも自分でやる生活なので、落ち着いて絵も描けない | 梅原英子 | 1-1930 | |
昭和21年7月15日 | 斎藤豊作氏の息子さん、医師免許を得る | 山下新太郎 | 1-1931 | |
昭和21年7月24日 | (其二)3月以来療養中にて、病褥生活/復興二科会に貴方の名前が見当たらず | 濱田葆光 | 1-1932 | |
昭和22年5月8日 | 葆光死去の節の弔詞、香料、御礼/第二紀会の記事を新聞で見る | 濱田静枝 | 1-1933 | |
昭和22年10月18日 | 空襲に追われて、この地で生活/(1)先日、藤井君が熱海からここへ来訪、貴君の話が出る(2)貴作板横臥裸婦(京都へ出陳)は近作と交換を望む | 田村謹寿 | 1-1934 | |
昭和22年~.12.23 | 源泉税徴収票1700円 | 東京日日新聞社経理部 | 丸之内が千代田区に入るのは昭和22年から | 1-1935 |
昭和11年~22年 | LESLILAS | (1)宛名:なし(2)郵送にあらず、中身欠(3)682から11年以降(4)王子区は22年まで | 1-1936 | |
昭和23年1月30日 | 非公開 | 1-1937 | ||
昭和23年5月24日 | 愛知セロフアン株式会社開始/取締役社長林誠吉 | 林誠吉 | 1-1938 | |
昭和23年6月29日 | 訃報(パパ高橋迪章戦死)/遺骨が届いたので葬儀を挙行 | 高橋 | 1-1939 | |
昭和23年9月9日 | 訃報(社長林誠吉死去) | 林一郎、前田正實 | 林一郎:嗣子 | 1-1940 |
昭和23年9月18日 | 玉稿「我が画帖より」受取、稿料送付/差引原稿料765円 | 朝日新聞東京本社『アサヒグラフ』編集部 | 表「検閲済」スタンプ | 1-1941 |
昭和23年9月25日 | カット拝受、10月号掲載、画稿料送付/支払明細書稿料4250円 | 『新潮』編集部野平健一 | 1-1942 | |
昭和23年10月24日 | 二紀会懇親会にて御尊顔拝見/関屋の遺族住所をお知らせ、長女、関屋道子 | 大石俊彦 | 1-1943 | |
昭和24年1月19日 | 玉稿「若き日の肖像」受取、稿料送付/差引原稿料1360円 | 朝日新聞東京本社『アサヒグラフ』編集部 | 表「検閲済」スタンプ | 1-1944 |
昭和24年3月4日 | 現代大家洋画展覧会開催に際し、出品依頼/(1)4月1日から10日まで、徳島市丸新百貨店にて(2)目録収載用略歴記入依頼、預かり証(「山道」油絵4号) | 美術出版社 | 表「検閲済」スタンプ | 1-1945 |
昭和24年5月12日 | 「虹の歌」の楽譜送付、感謝/お陰にて、柳村文献に得難い資料を加えることに | 嘉治隆一 | 1-1946 | |
昭和24年6月14日 | 『文学界』7月号寄稿に付、稿料送付/謝礼2000円 | 文芸春秋新社 | 1-1947 | |
昭和24年7月2日 | 連合展での第二紀会を振り返って/第二紀会昭和23年度会計報告 | 第二紀会 | 1-1948 | |
昭和24年7月21日 | 本年度二紀会会費1500円納入の連絡/第3回二紀会展を10月9日から27日まで開催の連絡 | 第二紀会 | 1-1949 | |
昭和24年8月1日 | 子供の不幸を知らなかったことは甚だ残念/(1)これからは、是非連絡が欲しい(2)疎開先から戻り、8月2日から治療再開の予定(3)家族が、辰野先生の記事を見て会いたがっている | 大野新吉 | 辰野隆の記事:『美術手帖』2月号か | 1-1950 |
昭和24年10月4日 | 電話新設の知らせ | 『心』編集所生成会事務所 | 住所、電話のメモあり | 1-1951 |
昭和24年10月18日 | 先日、奥様お訪ね下さり感謝/(1)雑事に紛れて二紀会出品もならず(2)伊勢君が二紀会出品目録を送ってくれた(3)佐藤マサさんは京都に在住 | 安部治郎吉 | 宛名:秀子も併記 | 1-1952 |
昭和24年10月31日 | 文芸御画料5100円送付 | 河出書房 | 1-1953 | |
昭和24年 | 『心』7月号原稿料、2000円送金 | 日本評論社会計課 | 封筒欠 | 1-1954 |
昭和25年1月20日 | 改造社会計部 | 中身欠 | 1-1955 | |
昭和25年1月25日 | 24年度印税稿料の総額支払調書送付/支払調書『改造』稿料800円 | 改造社 | 1-1956 | |
昭和25年2月28日 | 息子哲三から来信あり、その消息を連絡/中国チチハル市、旧民衆教育館美術室にて絵画に精進 | 明石敬治 | 1-1957 | |
昭和25年3月21日 | 二紀会の方で競馬好き、御紹介下さい/(1)農林省競馬部で、美術家諸君に見て貰う話あり(2)先日、信時氏に会い、近状を伺う | 池田勇八 | 1-1958 | |
昭和25年4月21日 | 『文学界』5月号寄稿に付、稿料送付/支払額3200円 | 文芸春秋新社 | 1-1959 | |
昭和25年6月21日 | 訃報(父早川孝平死去) | 早川昴吉 | 1-1962 | |
昭和25年8月31日 | 来信感謝、珍しい手紙大切に保管/(1)猪飼氏、他日見物の際、空き座席を頼む(2)貴兄、家族の健康は如何か | 大野新吉 | 1-1963 | |
昭和25年9月24日 | 半弓会展に付、27,8日頃参上 | 阪急百貨店美術部橋本文二 | 1-1964 | |
昭和25年 | 昨年度中の支払『心』原稿料の通知/支払額2000円 | 日本評論社 | 1-1965 | |
昭和26年4月 | 農林省東京競馬事務所 | 中身欠、1958に関連 | 1-1966 | |
昭和26年9月10日 | 訃報(富樫寅平死去)/妻夏江も昨年3月13日に病死、合わせて葬儀を挙行 | 富樫甚平、原千代 | 富樫甚平:富樫寅平の兄 | 1-1967 |
昭和26年11月3日 | 江見はこの頃大分よくなって心配無用/(1)其道は、野球で20人ほどで上京、お邪魔したい由(2)この間、江見は大阪で熊谷様の絵を見てきたとか(3)黄さんは元気ですか、お話しは如何か | 江見あさ | 宛名:秀子も併記 | 1-1968 |
昭和26年11月23日 | 拙著『三千年物語』送付/(1)昭和20年に発意、取り急ぎ明治以前まで完成(2)御尊父の悪評、一身に引き受けられた感あり、詳細は後編(3)孫六翁関係の本あり、受取希望なれば送付 | 三尾金三(箕山) | 1-1969 | |
昭和26年12月8日 | 拙著『三千年物語』の受取確認/尊父孫六翁関係の資料、御入用か否か確認 | 三尾金三(箕山) | 1-1970 | |
昭和26年12月19日 | 突然の二紀会退会の由、翻意を願う/昨年、今年と病気とかで秋にも会えず、これでは寂しい | 黒田重太郎 | 昭和26年に二紀会退会から推定 | 1-1971 |
昭和28年1月30日 | 年をとると体の具合が悪く不都合千万/(1)古稀の祝いも本人は少しもうれしくない(2)体に気を付けて、細く永く絵を描いてください(3)鶏卵油の作り方 | 山下新太郎 | 1-1973 | |
昭和28年3月6日 | 先頃、お手紙と作品を頂き、感謝/(1)年末から正月にかけての私共一家の風邪の様子(2)梅田は6日に東京に戻った | 梅田しげ | (1)宛名:秀子も併記(2)梅田しげ:佐藤しげが梅田と結婚か | 1-1974 |
昭和28年4月3日 | 無事卒業、4月より恵那高等学校に勤務/在京中は御世話になり、御礼 | 田口俊平 | 1-1975 | |
昭和28年4月7日 | 非公開 | 1-1976 | ||
昭和28年4月30日 | 第2歌集『林野集』出版に際し、装丁お願い/(1)茂吉先生存命中に決める(2)小生が死んでも、出版の約束 | 石川確治 | 1-1977 | |
昭和28年5月16日 | 御子息の結婚おめでとうございます/色紙の件、御承諾、感謝 | 横井礼市 | 1-1978 | |
昭和28年6月12日 | 軽井沢にも開店に付、マッチへの揮毫お願い/店の上に上げるのも、出来上がりましたらよろしく | 西山友枝子 | マッチの構図あり「てんぷら三味」 | 1-1979 |
昭和28年6月27日 | 御揮毫拝受、感謝、代金送付/来名の際、色紙の包装紙に画題を書いていただきたい | 横井礼市 | 1-1980 | |
昭和28年7月27日 | 新進作家以白会表装展開催/8月1日から10日まで、松坂屋画廊にて | 松坂屋、以白会片岡市郎 | 1-1981 | |
昭和28年8月14日 | 『三千年物語』脱稿、題字揮毫お願い/(1)金がなく、謄写版で印刷(2)表紙題字「三千年物語付知のあゆみ」 | 三尾金三(箕山) | 1-1982 | |
昭和28年10月31日 | 電報受け取る/旅行はまたにして、近所で描く | 小林森次 | 1-1983 | |
昭和~28. | お話の紺絣、春子が学校で仕立て済/これは古い物ですがよろしかったらお使い下さい | 信時ミイ | (1)宛名:熊谷秀子(2)封筒欠、郵送にあらず(3)春子が在学中から28年以前と推定 | 1-1984 |
昭和29年3月25日 | 言上(店の紹介)/近日中に参上の予定(山岡) | おつけもの店若菜 | 1-1985 | |
昭和29年4月4日 | 訃報(父巌死去) | 高木一郎 | 高木一郎:高木巌の嗣子 | 1-1986 |
昭和29年4月15日 | 無事着、御安心を/(1)第1回熊谷榧みづえ、はりえ展、梅田画廊にて(2)最初に売れたのは牧場の境界線の貼り絵(添え書き) | 熊谷榧 | 1-1987 | |
昭和29年4月 | 異動挨拶 | 中小企業金融公庫審査部尾向三治 | 宛名:榧も併記 | 1-1988 |
昭和29年5月15日 | 先日の突然のお邪魔、御礼/子どもを預ける件、よく分からず | 熊谷黄、はる子 | 宛名:秀子も併記 | 1-1989 |
昭和29年6月4日 | 退院後、長い間御世話下さり厚く感謝/頂いた絵、有難く、これからせいぜい勉強を | 上須禧子 | (1)宛名:秀子も併記(2)「榧ちゃん」とあるので榧の同級生か | 1-1990 |
昭和29年6月7日 | 白鳥会展への作品搬入のため、16日参上/白鳥会展、6月18日から23日まで、銀座松屋にて | 伊藤彪 | 1-1991 | |
昭和29年6月21日 | 坊やを見に来てくださり、感謝/また、たくさんの頂き物有難く、陽は元気にて | 熊谷はる子 | 宛名:一同も併記 | 1-1992 |
昭和29年8月11日 | 暑中見舞/付知へお出かけ下さる件、如何に | 伊藤英治 | 1-1993 | |
昭和29年9月23日 | 台風の被害は如何か、こちらは無事にて/(1)坊やは元気、ツベルクリンは陰性、また中耳炎に(2)片岡さんのこと、相談するが、多分お招きすることに | 熊谷はる子 | 1-1994 | |
昭和29年~.11.12 | 「岩」の絵、とても気に入り座敷に掛ける/(1)榧ちゃん、展覧会の折に是非お出かけ下さい(2)菊ごぼう送付 | 阿部和子 | (1)宛名:一同も併記(2)榧の展覧会から29年以降 | 1-1995 |
昭和29年11月17日 | 会葬御礼(妻すみれ葬儀) | 天野素六 | 封筒欠 | 1-1996 |
昭和30年代.1月1日 | 年賀、昨年夏より肋膜を患い退社静養/(1)絵を描きたいが、戦争中からの想念が頭にこべりつき(2)家族の近況 | 由井覚郎 | (1)宛名:秀子も併記(2)娘の真生美の年齢から30年代と推定 | 1-1997 |
昭和30年5月7日 | お申し越しの展覧会、出品したいが/(1)展覧会の期日はいつか、本年内はできかねる(2)先日、宮本三郎君が来訪 | 坂本繁二郎 | 1-1998 | |
昭和30年6月4日 | 牧野伊三郎の法要に際し、御揮毫お願い/(1)小生、明治中期に25歳で逝った牧野伊三郎の甥にて(2)別送の遺作デッサン、ご収納頂きたく | 牧野彪六郎 | 1-1999 | |
昭和30年7月13日 | 郵政会館での先生を囲む会の写真を拝見/(1)私方、家族の近況(2)二科会も何かしら賑やか | 安部治郎吉 | 1-2000 | |
昭和30年9月22日 | 第3回白鳥会展盛会裏に終了、出品感謝/9月27日に御礼やら報告に参上 | 藤田静夫、多田栄二 | 1-2001 | |
昭和30年代.9月 | 10月号表紙の菊に合わせ、揮毫お願い/(1)「中村吉右衛門劇団」(2)榧さんの展覧会の折、来名の際は御泊まりを | 猪飼正一 | (1)封筒欠(2)内容から昭和30年代と推定 | 1-2002 |
昭和30年10月19日 | 郵政会館以来御無沙汰にて/(1)杉本兄より御気分がすぐれない由、聞き、心配を(2)勝沼産ブドウを送付(3)近頃、心機一転絵を描き始めました、また御指導を | 北條熱実 | 1-2003 | |
昭和30年10月25日 | 強風御見舞の御礼/主人も絵を描き始める(花) | 明石哲三、花子 | 宛名:榧も併記 | 1-2004 |
昭和30年11月7日 | 色紙を頂き、感謝/もうたった一人の叔父様にて、是非長生きを | 加藤郁郎内加藤重子 | (1)281に重子名あり(2)「叔父様」とあり | 1-2005 |
昭和30年11月27日 | 小山敬三画伯油画発表展覧会開催/12月1日から5日まで | 日動画廊長谷川仁 | 1-2007 | |
昭和30年11月28日 | 申年年賀状への揮毫、お願い | てんぷら三味 | (1)宛名:秀子も併記(2)1979に「てんぷら三味」あり | 1-2008 |
昭和30年12月6日 | 同窓会50年記念式にて拝眉、故人も喜んでいることと/早速にお便りいただき、感謝 | 柳八重 | (1)91に「婦人之友社柳八重」あり(2)夫は柳敬助か | 1-2009 |
昭和30年12月11日 | 先日の突然のお邪魔、御礼/まだ、宝塚の方へは先生方の御様子、報告に行かず | 田中はつき | 1-2010 | |
昭和30年12月12日 | 退職挨拶状/富士銀行、大正3年入行、大阪支店を最後に | 熊谷鋭太郎 | 1-2011 | |
昭和30年12月19日 | 青森展の作品代、今月中に持参/報告、御礼が遅くなりお詫び | 藤田静夫、多田栄二 | 1-2012 | |
昭和31年1月8日 | 年賀/(1)在京中の御世話、感謝、卒業後は岐阜タイムスに勤務(2)今秋には社の主催にて郷土出身者の展覧会を開く予定 | 伊藤英治 | 1-2013 | |
昭和31年2月14日 | 訃報(父石川確治死去) | 石川哲平、照子 | 嗣子:石川哲平、妻:照子 | 1-2014 |
昭和31年2月 | 山内金三郎草画小展開催/2月21日から26日まで、阪急美術部陳列室にて | 阪急百貨店美術部、山内金三郎 | 弥生画廊で水仙の画、2月21日が火曜日から昭和31年と推定 | 1-2015 |
昭和31年3月22日 | 本館新築に当たり、揮毫快諾、感謝 | 岐阜タイムス社 | 1-2016 | |
昭和31年3月23日 | 第10回墨心会展開催に際し、揮毫お願い/5月下旬より、上野、名古屋、大阪にて展観 | 松坂屋 | 1-2017 | |
昭和31年5月8日 | 『婦人之友』8月号表紙の画、早々にお願い/昨年依頼の件 | 婦人之友社柴美代子 | 1-2018 | |
昭和31年6月13日 | 第2回現代日本美術展、盛会裏に終了、感謝/「ヤキバノカエリ」は引き続き、地方巡回展に借用 | 毎日新聞社現代日本美術展事務局 | 1-2019 | |
昭和31年8月11日 | お体不調の由、御見舞申し上げます/(1)湯沢先生の選挙で宇都宮へも2度参り、洋画展を開催(2)涼しくなりましたら参上の予定、何か作品を頂けたら幸い | 長谷川仁 | 1-2020 | |
昭和31年8月13日 | 第7回丹楓会開催に際し、出品お願い/10月30日から11月4日まで、高島屋にて | 高島屋美術部 | 会員:伊藤廉外9人 | 1-2021 |
昭和31年8月 | 本市美術展への御高配、感謝/(1)本年度美術展、11月1日より7日まで開催(2)準備のため、係員参上に付、よろしく御引見の程を | 岐阜市美術展覧会長岐阜市長松尾吾作 | 1-2022 | |
昭和31年10月4日 | 寄贈書画工芸作品即売展開催に際し、揮毫依頼 | 朝日新聞大阪厚生文化事業団 | 1-2023 | |
昭和31年10月7日 | 「蟇」、稲生安武氏を通じ頂き、感謝/小さい頃、御世話になったことが懐かしく | 小林龍男 | 千葉医科大学封筒 | 1-2024 |
昭和32年4月15日 | 非公開 | 1-2025 | ||
昭和33年3月4日 | 先月はお邪魔した上、絵を頂き、感謝/(1)油絵「亀」が気に入りました、「蟻」も悪くない(2)14日お伺いの予定、油絵、日本画を頂きたくよろしく | 猪飼正一 | 1-2026 | |
昭和35年2月29日 | 色鉛筆貰いました、遊びにお出で | 熊谷陽 | 色鉛筆画 | 1-2027 |
昭和35年4月14日 | 25日より色紙展(中村百貨店)開催/本日色紙送付、18日、塩田が参上いたします | 加藤汐人 | 絵葉書:第9回五都連合展「白猫」守一画 | 1-2028 |
昭和35年7月7日 | 一昨日は長い間遊ばせていただき感謝/(1)陽、泰ともに元気(2)(表:陽の手紙) | 熊谷陽、はる子 | 宛名:秀子も併記 | 1-2029 |
昭和35年12月10日 | 熊谷守一個人展開催/12月13日から18日まで、松坂屋ギャラリーにて | 猪飼正一、松坂屋 | 絵葉書:「猫」守一画 | 1-2030 |
昭和35年12月22日 | (クリスマスカード) | 熊谷陽 | (1)宛名:秀子も併記(2)消印とカード中の鏡面文字から昭和35年と推定 | 1-2031 |
昭和37年7月22日 | 昨日、画集を頂戴、明るい画に驚く/(1)朝からセロばかり弾いていらっしゃった頃を思い出す(2)奥様の花の絵を戦災で失う | 三輪末子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2032 |
昭和39年5月13日 | 飛行機に乗ったら直ぐ食事 | 向井加寿枝 | 絵葉書:Eccles山 | 1-2033 |
昭和39年5月14日 | パリでの展観目録を拝受、感謝/相変わらず、旅烏の生活 | 嘉治隆一 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:沈周廬山高図軸 | 1-2034 |
昭和39年5月 | 昨夜10時半出発、飛行機の旅/アンカレッジ経由、あと50分でハンブルグ着 | 熊谷秀子 | 絵葉書:アラスカの夕日 | 1-2035 |
昭和39年5月 | 宿はルーブルのある公園の近く、元気にて/ガルニエ画廊はいい部屋だが、思ったより小さい | 熊谷秀子 | 絵葉書:パリ凱旋門 | 1-2036 |
昭和39年5月 | パリ個展、評判はよい/(1)斎藤さんの未亡人と娘さんが参観(2)小杉さん、留守番感謝(3)くまのこ会の人へ、同封の絵葉書を送付、お願い | 熊谷秀子 | 宛名:小杉放庵も併記(1)熊谷守一個展レセプション開催案内あり(2)封筒欠 | 1-2037 |
昭和39年7月13日 | 父(利雄)は3月8日死去/生前中の御厚情、感謝 | 櫛田久 | 1-2038 | |
昭和39年7月22日 | 箱根にて、元気に過ごす | 熊谷陽 | 宛名:秀子も併記 | 1-2039 |
昭和40年7月19日 | ぼくたちは高原の家に来ています/明日から十国峠、金時山を廻る予定 | 熊谷陽 | 宛名:秀子も併記 | 1-2040 |
昭和40年8月14日 | お見舞い品を頂き、感謝/お盆で田舎へ帰り、ちょっと不便 | 明石哲三 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:犬吠埼 | 1-2041 |
昭和29年・40年9月12日 | 長岡の生成会支部員駒形氏とお邪魔したい/例の中央飯店の小会は10月3日に | 嘉治隆一 | (1)宛名:秀子も併記(2)10月3日が日曜日から29,40年と推定 | 1-2042 |
昭和26年~40年12月22日 | 御滞在中の失礼のお詫び、御礼/主人は部屋の四方に先生の絵を掛け、楽しむ毎日 | 木村洋子 | (1)宛名:秀子も併記(2)郵便料金10円から26年~40年と推定(3)木村洋子:定三の妻 | 1-2043 |
昭和41年1月23日 | 書「無盡蔵」「無一物」拝受、感謝/御礼として、作品5点を知人の小林正一氏に託す | 棟方志功 | 1-2044 | |
昭和41年2月1日 | 兄が描いていただいた父の肖像に御署名を/信時氏が亡くなり寂しいことと | 林廣吉 | 林廣吉:林誠吉の弟 | 1-2045 |
昭和27年~41年2月3日 | 手術にて入院、その経過/病気への御見舞感謝 | 梅田しげ | (1)宛名:秀子も併記(2)梅田しげ:佐藤しげが梅田と結婚か(3)郵便料金10円から26年~41年と推定 | 1-2046 |
昭和41年7月26日 | 学校の遠足にて、鵜原に来ています | 熊谷泰 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:鵜原かっぱ浦 | 1-2047 |
昭和41年11月 | 尚美日本画、油絵展開催/油絵11月8日から12日まで、日本画21日から26日まで、壺中居にて | 関尚美堂 | (1)宛名:なし(2)封筒欠 | 1-2048 |
昭和41年12月27日 | 朝日新聞でお姿拝見/清水辺のオキナアメに似ている名物の飴、送付 | 梅田しげ | (1)宛名:秀子も併記(2)梅田しげ:佐藤しげが梅田と結婚か | 1-2049 |
昭和42年1月16日 | 小包拝受、感謝/年末に粗品送付 | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2050 |
昭和42年2月6日 | 先生の作、何でも1枚頂きたく/(1)4月に芽が出たら、野草をお持ちしたい(2)小豆島の片栗そうめんを送付 | 田中澄江 | 宛名:秀子も併記 | 1-2051 |
昭和42年4月1日 | 猫の画を頂き、感謝/(1)先生に捧げて、猫の小説集を出したい(2)5,6月には野草をお庭にお届けに | 田中澄江 | 宛名:秀子も併記 | 1-2052 |
昭和42年7月21日 | 米寿記念展の目録送付、感謝/(1)そうめん、お茶少々送付(2)友人などを含め、近況報告 | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2053 |
昭和42年7月26日 | 学校で軽井沢に来ています | 熊谷陽 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:武蔵青山寮から浅間山を望む | 1-2054 |
昭和42年7月30日 | 小包拝受、感謝/田舎に土地を買ったので、移築する予定 | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2055 |
昭和42年8月21日 | 度々の御見舞、感謝/昨日は黄ちゃんと次郎の家に行きました | 信時ミイ | 1-2056 | |
昭和43年3月2日 | 地震御見舞、感謝/(1)毎日新聞で御夫婦を拝見(2)2月にやっと引っ越し、近況について | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2058 |
昭和43年3月13日 | 先日は大勢でお宅にお邪魔し、感謝/(1)こちらは雪と風と動物だけの静かな冬にて(2)来春5月にはまた東京の予定 | 岡田謙三、きみ | (1)宛名:秀子も併記(2)差出人宅付近のカラー写真あり | 1-2059 |
昭和43年7月7日 | 先生の個展の案内状と画録の送付、感謝/(1)上京の一番の収穫は、先生の作品を拝見できたこと(2)送付した草花、秋の七草の積もりにて(3)白牡丹、水墨画で描いてみたく | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2060 |
昭和43年9月8日 | 東北地方を巡る/阿部の笹蒲を少々送付 | 井垣薫 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:松島 | 1-2061 |
昭和43年9月11日 | 御菓子御恵送、感謝/(1)この秋、第2回の展覧会を開催、それに向け作画中(2)来春には、有志にて東京で展覧会をやりたい | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2062 |
昭和43年10月19日 | テレビへの御出演、拝見/(1)京都にて展覧会開催、和洋画、工作など(2)本日、松茸少々送付 | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2063 |
昭和44年2月6日 | 御菓子御恵送、感謝/春と秋の2回展覧会開催に付、1年に10枚描きたい | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2064 |
昭和44年2月17日 | 小包、お葉書拝受、感謝/右手不自由の上、赤ん坊の世話にて、御礼が遅れお詫び | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2065 |
昭和44年3月18日 | お便りと御菓子拝受、感謝/昨年11月に亡夫7回忌と長男の1週忌を行う | 増田たま | 宛名:熊谷秀子 | 1-2066 |
昭和44年4月12日 | 2月9日から4月13日までの近況報告 | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2067 |
昭和44年5月24日 | 新聞にて個展開催の記事、拝見/赤ん坊の写真送付、正月に静岡の島根さんから葉書あり | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2068 |
昭和31年~44年5月 | 新椿会美術展覧会開催/昭和30年以来休館の資生堂ギャラリー再開 | 資生堂 | (1)宛名:なし(2)坂本繁二郎:昭和44年7月没(3)封筒欠 | 1-2069 |
昭和44年6月8日 | 先生の回顧展を拝見でき、感激/奥様と会場でお会いし、お元気そうにて | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2070 |
昭和44年7月 | お便りと画集拝受、感謝/外岡、石渡様、御来訪の延期、清子のことよろしくお願い | 増田たま | 宛名:熊谷秀子 | 1-2071 |
昭和44年8月9日 | お便りと洋菓子拝受、感謝/(1)6月に京都丸善でいつもの仲間と展覧会開催(2)来年は、娘夫婦が関東方面へ連れて行ってくれる予定(3)土地の産物を少々送付 | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2072 |
昭和44年9月15日 | 百日草の画を拝受、感謝/折を見て奈良の濱田さんの遺族にも連絡をしたい | 酒井賢 | 酒井姓には「酒井濬一郎」あり | 1-2073 |
昭和44年10月20日 | 手紙、あられ、目録送付の御礼/信太郎の成長など、近況 | 梅田しげ | 信太郎の誕生は43年5月 | 1-2074 |
昭和44年12月16日 | 非公開 | 1-2075 | ||
昭和45年1月6日 | 年賀、トチ餅を送付/トチ餅は、千代の親類から送ってきた物にて | 由井覚郎 | 宛名:秀子も併記 | 1-2076 |
昭和45年2月19日 | 友人の大野、先生の色紙を頂きたく参上/(1)家のことで御迷惑をお掛けし、申し訳なく(2)長女の白内障手術費のため、北海道へ渡る(3)絵らしい絵は1枚も描けず | 伊藤彪 | 宛名:秀子も併記 | 1-2077 |
昭和45年3月 | 松尾市長の本、題字揮毫、感謝/松尾市長は69歳の若さながら中風にて自宅療養中 | 高田米吉 | (1)封筒欠(2)松尾市長の病気(昭和44年8月に脳血栓)と朴の若葉から昭和45年3月と推定 | 1-2078 |
昭和45年5月27日 | 4月大阪大丸20人展にて先生の絵を観覧/一ファンとして鯛を送付 | 岡田三男 | 1-2079 | |
昭和45年6月7日 | サイン入り画集を拝受、感謝/マスカットを送付 | 岡田三男 | 1-2080 | |
昭和45年6月9日 | 父へ画集送付、感謝/父は2月以来の病院生活で快方に向かう | 上田隆郎 | 父:嘉治隆一 | 1-2081 |
昭和45年7月6日 | 御書「一去一来」拝受、感謝/(1)病気を乗り越えた今の私を励ますかのような言葉(2)焼失した家も再建中、ひげを生やした私の写真を送る | 明石哲三 | 絵はがき:「再起新生」素玄、写真3枚 | 1-2082 |
昭和45年7月10日 | 葉書、御菓子、個展目録を拝受、感謝/大阪大丸での巨匠20人展にて、先生の作を観覧 | 由井覚郎 | (1)宛名:秀子も併記(2)由井一家の写真4枚 | 1-2083 |
昭和45年8月10日 | 美意子死去の際の御厚情、感謝/(1)詩や散文などは草野心平君によって編纂出版の予定(2)詩誌『歴程』追悼号に先生からの手紙を掲載したい | 庫田? | 宛名:秀子も併記 | 1-2084 |
昭和45年8月10日 | 家族3人でのセントルイスでの生活、近況 | Mr.&Mrs.Kataoka | 宛名:秀子も併記 | 1-2085 |
昭和45年9月9日 | 主人死去に際し、丁寧なる悔状感謝/みづき会よりも御香典を頂戴し | 松宮孝子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2086 |
昭和45年9月14日 | 御機嫌伺い/絵手紙(烏瓜)、俳句 | 中尾吸江 | 宛名:秀子も併記 | 1-2087 |
昭和45年9月19日 | 8月12日夫覚郎死去/心筋梗塞にて突然に、本人もさぞ心残りでなかったかと | 由井千代 | 宛名:秀子も併記 | 1-2088 |
昭和45年10月2日 | 非公開 | 1-2089 | ||
昭和45年10月18日 | 覚郎死去に際し、御悔状を頂き感謝 | 由井千代 | 宛名:秀子も併記 | 1-2090 |
昭和45年11月15日 | 私の死後、寄附をしてくれることになった/「今しばらく貸してくれと言います、この手紙はヒミツ!」 | 颯田琴次 | 1-2091 | |
昭和45年12月15日 | お金を受け取りました/年末にお送りするみかんなど、確かに承りました | 大江幸子 | 宛名:秀子も併記 | 1-2092 |
昭和46年2月28日 | 弔問御礼(静枝死去、法要) | 大江邦樹 | (1)宛名:なし(2)郵便にあらず | 1-2093 |
昭和46年3月17日 | 私の死後の守一さんの絵について/日本の耳鼻咽喉学、音声学の奨学金として残したい | 颯田琴次 | 1-2094 | |
昭和46年3月19日 | 木版画拝受、父とともに感謝/大阪大丸での展覧会にて作品拝見 | 大江宏一 | (1)宛名:熊谷秀子(2)「伯母」とあり | 1-2095 |
昭和46年6月13日 | 原勝四郎遺作展開催に際し、御揮毫御礼/(1)遺作展は来春に予定(2)先日、お兄様御見舞に南部までお出かけの由 | 原厚子 | (1)宛名:熊谷秀子(2)原厚子:勝四郎の妻(3)「お兄様」:邦樹か、ならば弟のはず(4)大江先生:宏一か | 1-2096 |
昭和46年8月13日 | 日経新聞掲載の「私の履歴書」を拝見して/(1)令室秀子様は私の又従兄弟に当たる(2)2年ほど前にも、大江邦樹夫妻方へお伺い(3)宏一様より、邦樹夫妻御逝去の由、連絡あり | 中村幸孝 | 邦樹夫妻:1月12日妻死去、7月7日邦樹死去 | 1-2097 |
昭和46年9月10日 | 小包とお手紙拝受、感謝/(1)弟様とその奥様の死去、お心残りのことと(2)清水の姉については困ることばかり | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2098 |
昭和46年~.9.23 | 南部からお帰り後、さぞお疲れと拝察/写真ができたので送付 | 大江宏一、幾久代 | (1)宛名:熊谷秀子(2)封筒欠(3)父親が出てこないからその死後と推定 | 1-2099 |
昭和46年11月27日 | 非公開 | 1-2100 | ||
昭和46年12月8日 | 御本拝受、感謝 | 増田たま | 宛名:熊谷秀子 | 1-2101 |
昭和46年12月8日 | 『へたも絵のうち』御恵送、感謝 | 村上加兵衛 | 1-2102 | |
昭和46年12月13日 | 『へたも絵のうち』拝読、感心 | 佐藤勇 | 1-2103 | |
昭和46年12月13日 | 『へたも絵のうち』拝読、感心 | 大瀧益栄 | 1-2104 | |
昭和47年1月7日 | 本の御恵送、感謝/清水の姉死去 | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2105 |
昭和47年1月31日 | 非公開 | 1-2106 | ||
昭和47年2月3日 | 高著拝受/目下眼病治療中に付、回復を待って拝読 | 梅原龍三郎 | 1-2107 | |
昭和47年6月2日 | アジアの書の近状について/(1)雑誌で青木の展覧会開催を読む(2)絵の方も少しはできるかと | 坂本修 | 1-2108 | |
昭和47年7月11日 | 大原美術館にて「陽の死んだ日」を拝見/若布送付 | 由井千代 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵はがき6枚あり | 1-2109 |
昭和47年8月25日 | 非公開 | 1-2110 | ||
昭和48年1月17日 | 明石哲三死去と葬儀の連絡/3度目のシルクロードの旅の途中、カブールにて死去 | 明石花子 | 1-2111 | |
昭和48年2月12日 | 無事葬儀を終え、今日は35日に | 明石素玄尼(花子) | 宛名:秀子も併記 | 1-2112 |
昭和48年3月6日 | 「明石素玄菜美術庵」準備中/(1)作品や蒐集の品々を展示した美術館に(2)窯もパパの弟子たちと近々再開を | 明石素玄尼(花子) | (1)宛名:秀子も併記(2)封筒欠 | 1-2113 |
昭和48年4月13日 | 本日は長時間に亘りお邪魔し感謝 | 画廊カスミ杉山冽 | 1-2114 | |
昭和48年5月15日 | 体が弱り、身の回りのことだけで精一杯に | 梅田しげ | 宛名:秀子も併記 | 1-2115 |
昭和48年8月28日 | 帰国する日を決めず、暮らす毎日 | 坂本修 | (1)宛名:秀子も併記(2)封筒欠 | 1-2116 |
昭和48年11月7日 | 弔問御礼(母たまの七七日法要) | 増田妙子 | 宛名:なし | 1-2117 |
昭和49年1月26日 | 妻しげ死去の折、御香典賜り感謝/ザボンを少々送付 | 梅田見 | 1-2118 | |
昭和49年3月18日 | 弔問御礼(母幸子死去) | 大江一夫 | 1-2119 | |
昭和49年11月10日 | 御菓子をたくさん頂き、感謝/夏には屋根瓦をふき替えられた由、大変だったかと | 由井千代 | 宛名:秀子も併記 | 1-2120 |
昭和49年11月18日 | 父の法要にて書いて頂いた軸を披露/御礼として縮みの木で作らせた杖を長男円平が持参 | 北原慶造 | 1-2121 | |
昭和~51.10. | 過日は御迷惑をお掛けし、松茸を送付/(1)中島さんの案内状印刷、御批判を頂きたく(2)先生用の年賀状を作成、御揮毫お願い | 高田米吉 | 封筒欠 | 1-2122 |
昭和43年~52年4月20日 | ヨモギの季節、越後のにおいをご賞味 | 内田収吉 | 郵送にあらず、郵便番号の枠から43年以降と推定 | 1-2123 |
昭和45年~52年5月18日 | 牡丹が散り、瀬戸内海の春も去る/大原美術館は毎日賑わっています | 中尾宏 | (1)年賀切手から45年以降と推定(2)牡丹画 | 1-2124 |
昭和52年6月5日 | 大山の山開き前夜祭を見る/今日は皆生温泉会館で句会 | 中尾吸江 | (1)宛名:秀子も併記(2)中尾吸江:本名宏(3)絵葉書:大山 | 1-2125 |
昭和52年6月6日 | 先日は庄司俊吾とお邪魔をいたし、感謝/先生の「人間と自然」の生活の様、感銘いたし | 越山健二 | (1)宛名:秀子も併記(2)絵葉書:(版画)越山画 | 1-2126 |
昭和52年6月13日 | 今日は少し何かが描けるような気が/(絵手紙:鉄線) | 伏屋博司 | 1-2127 | |
昭和52年6月20日 | 角力番付表 | 待乳山昌治 | 1-2128 | |
昭和52年12月5日 | 守一氏の死に際し、ただ合掌/御遺族の安泰を念じつつ | 加藤浩 | 宛名:故熊谷守一方家族 | 1-2129 |
昭和52年12月6日 | 私も少しは絵を描くことを考えてみたい/(絵手紙:いちょう) | 伏屋博司 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2130 |
昭和52年12月29日 | 年賀 | はしもと努 | (1)宛名:秀子も併記(2)版画:馬の文字 | 1-2131 |
昭和52年12月30日 | 年賀/先生の御冥福を祈ります | 飯沼瑛 | (1)宛名:熊谷(2)版画 | 1-2132 |
昭和52年12月31日 | 先生の社会福祉へのご芳情に対し感謝/先生より公私に亘り御恩恵を拝受 | 西野源 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2133 |
昭和52年12月31日 | 先生の絵の風呂敷、お送り下され感謝/お邪魔したときの先生との思いでの数々 | 飯嶋雪 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2134 |
昭和52年12月31日 | 昨日はいろいろお送りいただき、感謝 | 亀岡光代 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2135 |
昭和52年12月31日 | 年賀 | 早川頼子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2136 |
昭和43年~52年 | メモ:中津川、丸山、竪福表装、一陽来福/いろはにほへと...... | 美術いわた岩田成知 | (1)郵送にあらず(2)封筒の郵便番号枠から昭和43年以降と推定 | 1-2137 |
昭和52年 | 年賀 | 村山祐太郎 | (1)宛名:なし(2)馬、「九十七才守一」 | 1-2138 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 中尾吸江 | (1)宛名:熊谷秀子(2)中尾吸江:本名宏 | 1-2139 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 村山祐太郎 | (1)宛名:熊谷秀子(2)馬、「九十七才守一」 | 1-2140 |
昭和53年1月1日 | 寒中見舞 | 園巳代治 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2141 |
昭和53年1月1日 | 寒中見舞 | 大山八 | (1)宛名:熊谷秀子(2)絵葉書:馬頭観音像(版画) | 1-2142 |
昭和53年1月1日 | 先生が亡くなられ淋しい新年をお慰め | 横井留男 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2143 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 世良正 | (1)宛名:熊谷秀子(2)版画:馬 | 1-2144 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 平野朔郎 | 1-2145 | |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 『心』編集室 | 1-2146 | |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 仏蘭西料理エヴァンタイユ | 1-2147 | |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 北原慶造 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2148 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 大塚巧芸社並木武雄 | 絵葉書:横山大観画 | 1-2149 |
昭和53年1月1日 | 年賀欠礼 | 小出進 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2150 |
昭和53年1月1日 | 先生の御冥福を祈る | 熊谷富良 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2151 |
昭和53年1月1日 | 年賀 | 田口太実 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2152 |
昭和53年1月1日 | 先生の御冥福を祈る | 安藤好男 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2153 |
昭和53年1月5日 | 年賀/イブの日女児誕生、素子と名付ける | 荒川玄二郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2154 |
昭和53年1月6日 | 年賀 | 梅田秀樹 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2155 |
昭和53年1月6日 | 昨年の年賀状に先生を偲ぶ | 山本久美子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2156 |
昭和53年1月18日 | 先生の御冥福と奥様の御健康を祈る/春には付知の記念館とお墓参りをしたい | 中尾吸江 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2157 |
昭和53年1月19日 | 寒中見舞/本年も暖かくなったら上京し、お目にかかりたい | 熊谷朋助 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2158 |
昭和53年1月25日 | 『アサヒグラフ』で先生に関わる写真を拝見/(1)退院、上京の日が待ち遠しい(2)三尾さんは時々顔を見せてくれます | 遠藤一文 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2159 |
昭和53年1月26日 | 先生の著書への照会に付、御返事感謝/『へたも絵のうち』を拝読、近頃にない読み物にて感激 | 市民新聞社黒川弥吉郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2160 |
昭和53年1月26日 | 『アサヒグラフ』で先生の特集を拝見/特集作りでの奥様の御苦労を思います | 田村玄一郎、久子 | (1)宛名:熊谷秀子、恵美 | 1-2161 |
昭和53年1月29日 | 寒中見舞 | 河井寛次郎記念館 | (1)宛名:熊谷秀子(2)絵葉書:河井寛次郎作 | 1-2162 |
昭和53年1月 | 会葬御礼(要二葬儀) | 鈴木基子、威雄 | (1)宛名:熊谷秀子(2)封筒欠 | 1-2163 |
昭和53年3月2日 | 熊谷榧様個展の御案内、感謝/『アサヒグラフ』で先生の特集を拝見 | 林猛 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2164 |
昭和53年3月16日 | おば様、御病気にて来訪中止、とても残念/早く元気になられて、来てくださることをお待ちする | 片井和巳内須美子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2165 |
昭和53年3月23日 | 中津川に先生を敬服する老画家あり/4月中旬、付知を含めて訪ねる予定 | 東正佳 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2166 |
昭和53年3月30日 | 当方元気に旅しています/成田空港の事件、日本の内乱と報道 | 原田宣穂 | (1)宛名:熊谷秀子(2)絵葉書:タイガーバーム庭園 | 1-2167 |
昭和54年4月10日 | 『エコノミスト』誌の随想、感慨深く読む | 熊谷秀子 | (1)宛名:林要(2)絵葉書:熊谷守一展1978 | 1-2168 |
昭和54年9月19日 | 訃報[父巧記(尚三)死去] | 西山由高 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2169 |
昭和54年9月24日 | 御尊父の御逝去に際し、遠く御冥福を祈る/歩行不自由に付、お参りできず | 熊谷秀子 | (1)未発送の書簡(2)宛名:西山由高 | 1-〃 |
昭和54年10月10日 | 原勝四郎油彩小品展開催/(1)10月13,14日、田辺商工会議所にて(2)11月4日教育テレビ『日曜美術館』を御覧下さい | 池田諒、陽子 | (1)宛名:熊谷秀子(2)池田陽子:原勝四郎の娘(3)絵葉書:「バラ」原勝四郎画 | 1-2170 |
昭和54年10月27日 | 先日、伊勢丹でルノアール展を観る/私も一生絵を描きたい | 伏屋博司 | (1)宛名:熊谷秀子(2)絵葉書:ルノワール画 | 1-2171 |
昭和54年12月 | 年賀欠礼 | 西山由高 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2172 |
昭和55年5月28日 | (前欠)京都での御遺作展、よい追悼に | 熊谷秀子 | 宛名:浜中房枝 | 1-2173 |
昭和55年8月19日 | 『日展史文展編1』への掲載許可、感謝/(掲載箇所抜き刷り2枚) | 日展 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2174 |
昭和55年9月25日 | 『連盟ニュース』No.273,9月25日発行 | 日本美術家連盟 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2175 |
昭和55年11月13日 | 大原50年記念の式に参加/古備路を歩く | 荒川玄二郎 | (1)宛名:熊谷秀子(2)大原美術館絵葉書 | 1-2176 |
昭和55年11月22日 | 『茂吉秀歌』拝受、感謝/御詠歌の一節同封 | 高田米吉 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2177 |
昭和55年11月30日 | 渋谷龍吉写真展案内、ナガセフォトサロンにて/村山様とは月2,3回お会いしています | 渋谷龍吉 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2178 |
昭和55年12月3日 | 年賀欠礼(4月に母死去) | 田口守彦 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2179 |
昭和55年12月9日 | 『茂吉秀歌』拝受、感謝 | 柏木喜一 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2181 |
昭和55年12月17日 | 御本拝受、感謝/(1)熊野へ取材に、南部や千里の浜を回る(2)先生の作品をたくさん使わせていただいた花の本を送付 | 田崎正子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2182 |
昭和55年12月 | 年賀欠礼(父矢田修の喪中に付)/亡父の意志を継いで画業に一層励む所存 | 矢田健爾 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2183 |
昭和56年1月4日 | 会葬御礼(武者小路侃三郎葬儀) | 武者小路妙子 | (1)宛名:なし(2)郵送にあらず | 1-2184 |
昭和56年2月4日 | 朝鮮人参を少々送付/友人が開城の人参を持参 | 林要 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2185 |
昭和56年2月9日 | 昨年暮れに先生の御本送付、感謝/画室に引きこもり、榧さんの展覧会にも出掛けられず | 竹谷富士雄 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2186 |
昭和56年2月 | 京都国立近代美術館54年度年報送付/榧さんの随筆を掲載につき、年報送付 | 玉田幸人 | (1)宛名:熊谷秀子(2)郵送にあらず | 1-2187 |
昭和56年6月13日 | 毎日新聞の「あじさい」贋作報道について/取材など、御迷惑をお掛けしお詫び | 梅田画廊矢倉八郎 | (1)宛名:熊谷秀子(2)小磯作品贋作事件から昭和56年と推定 | 1-2188 |
昭和56年11月11日 | 展覧会に付、作品の絵葉書制作お願い/「若き日の巨匠秀作展」開催要項、熊谷守一画「裸婦」 | サンケイ新聞社 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2189 |
昭和56年12月 | 熊谷榧油絵個展開催案内/来春5月の暖かいときに遊びにどうぞ | 熊谷榧 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2190 |
昭和57年1月11日 | 大平猛雄遺作展案内/熊谷守一、原勝四郎、原愛造先生に巡り会った青春時代 | 大平洋子 | (1)宛名:熊谷秀子(2)大平洋子:大平猛雄の娘 | 1-2191 |
昭和57年1月28日 | 孫誕生のため、2日より上京中/3月頃まで滞在、またお電話をしたい | 榎倉千代 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2192 |
昭和57年12月14日 | 年賀、先日の台風は被害無く無事/11月にハワイ美術院展に出品、入賞、別便で記事送付 | 大江正夫 | (1)宛名:熊谷秀子(2)クリスマスカード | 1-2193 |
昭和58年5月10日 | 御香華料御礼(妻死去)/電話での辛夷や朴の花の話に昔が思い出される | 高田米吉 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2194 |
昭和58年6月6日 | 先生作品の絵葉書への使用了解、感謝/絵葉書は婦人之友80年記念に出席の方へ配付 | 婦人之友社柴美代子 | (1)宛名:熊谷秀子(2)郵送にあらず(3)守一死後のため53年以降と推定 | 1-2195 |
昭和58年7月28日 | 暑中見舞 | ギャラリーなかつみ | 宛名:熊谷秀子 | 1-2196 |
昭和58年 | 守一の署名掲載について | 新日本出版社田畑木利子 | (1)宛名:熊谷秀子(2)郵送にあらず(3)2198の暑中見舞以前と推定 | 1-2197 |
昭和58年7月29日 | 暑中見舞 | 新日本出版社田畑木利子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2198 |
昭和58年7月29日 | 暑中見舞 | 葡萄屋松坂哲明 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2199 |
昭和58年7月29日 | 先生の七回忌、御冥福を祈る/マスカットを送付、御霊前に | 中尾宏(吸江) | 宛名:熊谷秀子 | 1-2200 |
昭和58年10月 | 熊谷榧水彩画展開催/美術画廊新装記念、10月28日から11月2日まで | 岐阜近鉄百貨店 | (1)宛名:なし(2)10月28日が金曜日から昭和58年と推定 | 1-2201 |
昭和52年~58年秋 | (絵手紙)「雨あがり尾花も露をはらいけり」 | 鈴木十五郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2202 |
昭和58年11月2日 | 「無人春日長」を賜り、恐縮 | 守屋篤太郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2203 |
昭和58年11月15日 | 年賀欠礼 | 山谷益之、佳代 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2204 |
昭和58年11月17日 | 榧さんの手紙にて転居の趣、伺う/体調不良にてお伺いができず、お詫び | 松村外次郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2205 |
昭和58年11月20日 | お便り拝受、感謝 | 鈴木十五郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2206 |
昭和58年11月22日 | お引越の御挨拶、拝受/上田市のリンゴ園からリンゴを送付 | 大宮貞男、寿々 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2207 |
昭和58年12月12日 | お引越の御挨拶、拝受 | 梅田見 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2208 |
昭和58年12月15日 | 近況を榧さんから伺い、安堵/(1)榧さんの個展で久しぶりに外出(2)伊勢丹からボケの鉢植えを送付 | 松村外次郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2209 |
昭和58年12月23日 | 『婦人之友表紙画撰』拝受、感謝 | 松村外次郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2210 |
昭和43年~58年 | 日本経済新聞社松田春樹 | (1)宛名:熊谷秀子(2)中身欠、表「南部よりの手紙」とあり(3)郵便番号枠と宛先住所から推定 | 1-2211 | |
昭和59年1月9日 | 先生の絵を順々に替えて拝見/御礼が遅くなり申し訳なく | 猪飼とし子 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2212 |
昭和59年3月7日 | 弔慰、芳志御礼(今泉篤男死去) | 今泉卓也 | (1)宛名:熊谷秀子(2)宅配便送り状あり | 1-2213 |
昭和59年3月11日 | 『蒼蠅』市販についてのお尋ね | 中野禎次郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2214 |
昭和59年3月14日 | 昨年6月より人工透析、養生の日々/黄さんご一家とお暮らしにて、さぞ心丈夫のことと | 大江宏一 | (1)宛名:熊谷秀子(2)宛先住所から昭和59年と推定(3)「写真在中」とあるも欠 | 1-2215 |
昭和59年4月2日 | 御機嫌伺い、春のお便りに花を送付 | 松村外次郎 | 宛名:熊谷秀子 | 1-2216 |
昭和53年~59年4月18日 | 展覧会開催の案内/御機嫌伺いを兼ね、表敬の次第 | 松村外次郎、恵 | (1)宛名:熊谷秀子(2)郵送にあらず | 1-2217 |
昭和52年~59年 | 手まりの写真撮影に際し、感謝/写真家の藤森氏の紹介による撮影、写真掲載の本を送付 | 編集企画社重田真理 | (1)宛名:熊谷秀子(2)郵送にあらず | 1-2220 |
大正・昭和12年22月 | 返事が遅くなったことのお詫び/お訪ねするつもりだったが、今年中はできない | 佐藤しげ | (1)宛名:熊谷秀子(2)封筒欠 | 1-2222 |
昭和.2.26 | 自作の目鏡、お貸し下されたく/御自慢の何々琴、御持参の上、御来遊を待つ | 島倉文夫 | 郵送にあらず | 1-2223 |
昭和.7.18 | 非公開 | 1-2224 | ||
昭和.. | (部分:前後欠)油絵を「かけもの」にする/片岡市郎が取り組む | (差出人不明) | (1)封筒欠:宛名不明(2)片岡市郎:以白会同人 | 1-2225止 |