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4富田要之助(1)東京時代
岐阜県歴史資料館 所在史料目録
第42集 富田家文書目録(2)
4 富田要之助 (1)東京時代
年月日 | 文書名 | 作成 | 受取 | 数 | 文書番号 |
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4 富田要之助 | |||||
(1)東京時代 | |||||
明治20年6月26日 | (ケトウ)送り券(原本) | 美濃大垣海陸運漕用達 栗田太助 | 服部要之助 | 1枚 | 4(1)-1 |
(明治24年頃) | (忘備録・伝染病予防の心得・溺死者を救助する簡便法)(写)(文中に「明治24年8月10日に濃飛私立衛生会報第70号付録より書写す」とあり) | 服部要之助 | 1冊 | 4(1)-2 | |
(明治26年頃) | 珠算筆記・(実業叢誌)(原本)(文末に「明治廿五年七月調へ大野郡市町村現住人口」がある・「一日を無事に過たし厄日哉」という小崎知事の誹(俳)句が「実業叢誌」の冒頭に置かれている) | 1冊 | 4(1)-3 | ||
自明治27年1月 至明治31年3月 |
明治廿七年壱月以降 学事諸式類集簿(原本)(富田要之助履歴書・明治廿九年五月臨時乙種検定試験一件等あり) | 1冊 | 4(1)-4 | ||
自明治28年1月1日 至明治28年12月30日 |
明治廿八年壱月元旦 年内諸雑費日誌(原本) | 房島村 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-5 | |
自明治28年12月21日 至明治30年10月30日 |
明治廿九年一月元旦貨幣出納簿(原本) | 房島村 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-6 | |
自明治29年1月2日 至明治29年12月29日 |
明治廿九年正月元旦 萬買物日誌帳(原本) | 房島村 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-7 | |
(明治29年~33年)6月28日 | (御姉君には先般検定試験御受験之結果床に就かれ候・小生も講習会に上京参り度考に御座候間盟義会又は国語伝習会等之学科日御一報被成下度に付手紙)(下書) | 岐阜市泉町高橋ヨリ方 富田愚弟 | 東京師範 粟野大兄 | 1通 | 4(1)-8 |
自明治29年10月3日 至明治30年4月4日 |
(高崎鉄太郎他宛拾月三日より四月四日に至る手紙案帳)(原本)(下書) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-9 | |
自明治30年1月2日 至明治30年12月30日 |
明治丗年一月 諸雑費日誌(原本) | 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-10 | |
(明治30年)7月23日 | (校閲済 岐阜尋常師範学校講習生帰省中)雑炊日誌(原本) | 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-11 | |
自明治30年9月19日 至明治33年6月6日 |
明治三十一年一月元旦・明治三十二年一月元旦 貨幣出納簿(原本) | 房島村 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-12 | |
明治30年12月25日 | (大垣貯蓄銀行通常総会並ニ臨時総会開会通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣貯蓄銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-13-1 | |
(明治30年12月25日) | 株式会社大垣貯蓄銀行定款草案(原本)(印刷) ○13-1~2止は、一括してあった。 | 1部 | 4(1)-13-2止 | ||
明治30年12月25日 | (大垣共立銀行通常総会并ニ臨時総会通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-14 | |
明治30年12月 | (来ル十五日ヲトシ聊カ粗酒進呈仕度に付手紙)(原本)(印刷) | 大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-15 |
自明治31年1月2日 至明治32年2月19日 |
明治三十一年一月 年内買物覚帳(原本) | 房島村 富田要之助 | 1冊 | 4(1)-16 | |
明治31年12月28日 | (大垣共立銀行株金払込依頼通知書)(原本) | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 富田要之助 | 2通 | 4(1)-17 |
(明治31年32月頃か) | (世界諸国源流比較年表 付メルカトル図法による世界宗教・人種図)(着色)(原本)(1898年(明治31年)迄が手描きされている) | 1枚 | 4(1)-18 | ||
(明治32年以前) | (先達の手紙の返事待居候寄留届御出下され度候に付手紙)(原本) | (富田)すゞ | 兄上(富田要之助) | 1通 | 4(1)-19 |
明治32年1月 | 配当金払渡通知書(原本)(印刷) | 大垣貯蓄銀行頭取 戸田鋭之助 | 富田要之助 | 2通 | 4(1)-20 |
明治32年4月2□日 | (臨時総会開会通知書)(原本)(印刷) | 大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-21-1 | |
明治32年4月2□日 | (臨時総会開会通知書)(原本)(印刷) ○21-1~2止は、一括してあった。 | 大垣貯蓄銀行 | 1通 | 4(1)-21-2止 | |
明治32年5月7日 | (大垣共立銀行株主臨時総会)委任状(原本)(印刷) | 株主 富田要之助 | 1枚 | 4(1)-22-1 | |
明治32年5月7日 | (大垣貯蓄銀行株主臨時総会)委任状(原本)(印刷) ○22-1~2止は、一括してあった。 | 株主 富田要之助 | 1枚 | 4(1)-22-2止 | |
明治32年6月25日 | (定時総会及臨時総会通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-23-1 | |
明治32年6月25日 | (定時総会及臨時総会通知書)(原本)(印刷) ○23-1~2止は、一括してあった。 | 株式会社大垣貯蓄銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-23-2止 | |
明治32年6月 | (株主定時総会及臨時総会開会案内状)(原本)(印刷) | 濃飛農工銀行頭取 長尾四郎右衛門 | 株主 | 1通 | 4(1)-24 |
明治32年7月 | 配当金払渡通知書(原本)(印刷) | 大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-25-1 | |
明治32年7月 | 配当金払渡通知書(原本)(印刷) ○25-1~2止は、一括してあった。 | 大垣貯蓄銀行 | 1通 | 4(1)-25-2止 | |
明治32年7月 | 夏期休業中児童心得(原本)(印刷) | 岐阜市高等小学校長 徳山徳次郎 | 第一学年児童保護者 | 1枚 | 4(1)-26 |
明治32年12月 | (美濃実業銀行ト合併に付通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-27 | |
明治32年 | 明治三十二年度家政日記(原本)(この日記筆写はちねにして要之助の補訂朱筆有り) | 富田 | 1冊 | 4(1)-28 | |
(明治32年頃) | 奇聞録(原本)(「とみた所有」とあり・文中に本県知事野村政明の名有り・野村の在任は明治32年4月から同33年3月である) | 1冊 | 4(1)-29 | ||
明治33年1月 | (大垣貯蓄銀行配当金払渡通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣貯蓄銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-30-1 | |
明治33年1月 | (大垣共立銀行配当金払渡通知書)(原本)(印刷) ○30-1~2止は、一括してあった。 | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-30-2止 | |
明治33年2月17日 | (株式払込金之義無遅滞御払込相成度に付通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-31-1 | |
年月日未詳 | (美濃実業銀行合併ノ件に付本行株式美濃実業銀行現在払込額ト均一ナラシムルコトニ変更願度御承知申上書)(原本)(印刷) ○31-1~2止は、一括してあった。 | 1通 | 4(1)-31-2止 | ||
明治33年5月6日 | (智根事去ル二日女児出産・七夜之義御申越被下度に付手紙)(原本) | 松岡二郎 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-32 |
明治33年5月15日 | (岐阜高等女学校)開校式次第(原本)(印刷) | 岐阜高等女学校 | 1枚 | 4(1)-33 | |
(明治33年)5月26日 | (裁縫用品並びに金子御送り下され度に付手紙)(原本) | 富田すゞ | 兄上(富田要之助) | 1通 | 4(1)-34 |
明治33年10月22日 | (日本赤十字社社員籍大和村へ転籍スル様御取計ヒ被下度御願申上候に付手紙)(原本)(「転住申告」「入社申込書」あり) | 日本赤十字社大和村分区委員 井口三津次 | 富田要之助 | 1綴 | 4(1)-35 |
(明治33年)11月 |
(あなた様とのお別れのつらき事は私のみにてはなく母上様もあなたの御出立前大雨なども降ればよいと思いたるよと私に御咄し遊され候・その後の母上さま消息に付手紙)(原本) | 富田ちね | おなつかしき御尊夫 | 1通 | 4(1)-36 |
明治33年11月20日 | 富田操出生ニ付諸事覚帳(原本)(操は明治33年6月2日生・届では4日となっている) | 1綴 | 4(1)-37 | ||
(明治33年)11月22日 | (御出立後は思わじと思うあとより思われてありあり見ゆる君のおもかげに付手紙)(原本) | とみだちね | なつかしき夫 | 1通 | 4(1)-38 |
(明治33年か)12月2日 | (よこれ物は御帰国の節御持参下され度に付手紙)(原本) | ちね | 要之助 | 1通 | 4(1)-39 |
自明治33年12月 至明治36年3月 |
(通帳四四三六号 木場銀行小石川支店預入引出控へ)(写)(「貯蓄貯金通帳 東京市 株式会社木場銀行小石川支店」とある紙袋に入っていた) | 富田 | 1冊 | 4(1)-40-1 | |
自明治33年 至明治35年 |
講習科領収之証(原本)(印刷) | 帝国教育会中等教員講習所 | 地理歴史科 富田要之助 | 1通 | 4(1)-40-2 |
自明治34年1月27日 至明治38年2月26日 |
(東京市小石川区小日向水道端町高部尚徳方下宿代受取帳)(原本) | 1冊 | 4(1)-40-3 | ||
明治34年10月29日 | (続国史大系壱部予約金)確受之証(原本)(印刷) | 東京市京橋区弥左衛門町 経済雑誌社 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-40-4 |
明治35年10月29日 | (故実叢書第三輯壱部予約金領収)記(葉書)(原本) | 東京市京橋区南伝馬町 弘文館予約部 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-40-5 |
自明治35年12月30日 至明治37年3月2日 |
(故実叢書第参輯領取)記(原本) | 東京市京橋区南伝馬町 吉川弘文館予約部 | 小石川区小日向水道端町 富田要之助 | 1通 | 4(1)-40-6 |
明治36年7月3日 | (前賢故実予約金請取)記(原本) ○40-1~7止は、一括してあった。 | 東京市京橋区南伝馬町弘文館 吉川半七 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-40-7止 |
(明治34年か)1月1日 | (新年奉賀候・御礼として別紙目録書の内より御送本可致候に付手紙)(原本)(岐阜県加茂郡古井村役場用紙を使用) | 堀部□一郎 | 富田要之助・太田鶴吉 | 1通 | 4(1)-41 |
自明治34年1月 至明治35年1月 |
(東京勉学中 明治三十四年度 入費記)(原本)(この文書冒頭に□高等小学筆等教科書巻二のノートがある・又後半に受信発信記録あり) | 1冊 | 4(1)-42 | ||
明治34年6月26日 | (株主定時総会開催通知書)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-43-1 | |
明治34年6月26日 | (株主定時総会開催通知書)(原本)(印刷) ○43-1~2止は、一括してあった。 | 株式会社大垣貯蓄銀行頭取 戸田鋭之助 | 1通 | 4(1)-43-2止 | |
明治34年7月12日 | (株式会社大垣共立銀行定時・臨時株主総会)委任状(原本)(印刷) | 1枚 | 4(1)-44-1 | ||
明治34年7月12日 | (株式会社大垣貯蓄銀行定時・臨時株主総会)委任状(原本)(印刷) ○44-1~2止は、一括してあった。 | 1枚 | 4(1)-44-2止 | ||
明治34年8月2日 | (社員総会開会仕候間貴下ノ入社ヲ願ヒ度に付手紙)(原本) | 日本赤十字社大和村分区委員 井口三津次 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-45 |
(明治34年)11月7日 | (妻木氏に用立候雑誌ノ義貴処ニ御座候由御送り付け下され度に付手紙)(原本) | 山辺平助 | 権太 | 1通 | 4(1)-46 |
(明治34年)12月3日 | (愚父死去致当分上京を得ず候間講義御筆記御恵貸被下度に付手紙)(原本) | 忠太 | 親愛なる要之助 | 1通 | 4(1)-47 |
(明治34年か)12月5日 | (あなた御上京後母上さまは御不在勝にて私一人にて忙しくしみたれ居り候に付御通知手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-48 |
(明治34年)12月17日 | (愚父死去ニ付御弔書・東京事状御報道・文部試験結果ハ不首尾之趣他に付手紙)(原本) | 妻木忠太 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-49 |
(明治34年)12月27日 | (矢津講師之試験問題御通知被下難有・俗務整理次第上京の上ハ諸事よろしくに付手紙)(原本)(文中に明治「丗五年仮暦御買求御送本被下度」とあり) | 妻木忠太 | 親愛なる富田要之助 | 1通 | 4(1)-50 |
(明治34年) | (明治三十四年十一月山階宮妃殿下御葬儀拝観)紀行覚書(原本)(山階宮妃御葬儀拝観後の名所めぐり他東京中心の名所紀行記) | 1冊 | 4(1)-51 | ||
(明治35年)1月8日 | 明治三拾五年の新天地を歓迎す(年賀状)(原本) | 渡辺久策 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-52 |
明治35年3月25日 | (富田要之助)身体検査書(写) | 東京市神田区一ツ橋通り町学校医 小林寛 | 1通 | 4(1)-53 | |
(明治35年か)4月9日 | (同志会開設案内状)(原本) | 当番幹事 富田・曽野 | 伊藤外8人 | 1通 | 4(1)-54-1 |
年月日未詳 | (一ツ橋同窓会会務)報告(原本)(印刷)(会員名簿も記されている) | 1通 | 4(1)-54-2 | ||
年月日未詳 | (帝国教育会中等教員講習会)一ツ橋同窓会々則(原本)(印刷) ○54-1~3止は、一括してあった。 | 1綴 | 4(1)-54-3止 | ||
(明治35年)7月3日 | (御送付之品々拝受致候・勉学進軍致し難く候に付手紙)(原本) | 妻木忠太 | 親愛なる富田要之助 | 1通 | 4(1)-55 |
(明治35年)7月11日 | (女学世界・一橋規則拝受致候・別紙系図御送り申候に付手紙)(原本) | 田舎敗将 妻木忠太 | 東都優将 富田要之助 | 1通 | 4(1)-56 |
(明治35年)7月31日 | (教育公報御送付被下拝謝・迂生寄留地退去之件・貴兄ニハ脚気病のよし・御申越之外交の記事に付手紙)(原本) | 妻木忠太 | 親愛なる富田要之助 | 1通 | 4(1)-57 |
(明治35年)8月1日 | (七月二十九日の文学によりて見たる富岳史の一斑の処はきりぬき御送り申上候等消息手紙)(原本)(きりぬきはまとめて別にあり) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-58 |
明治35年8月26日 | (富士山)登山の栞(新聞切抜)(原本) | 富田梁州 | 1冊 | 4(1)-59 | |
(明治35年) | (明治三十五年五月改正・一ツ橋)同志会員人名簿(原本)(富田要之助ら10県下14名を記す) | 1部 | 4(1)-60 | ||
明治36年1月1日 | (年賀状並びに一ツ橋同窓会費返却に付手紙)(原本)(岐阜市徹明小学校在勤とあり) | 茂 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-61 |
(明治36年)1月17日 | (初退夜の事・今年の運勢あまりよろしからず・かわら屋の事他に付手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-62 |
明治36年9月23日 | (マラリヤ性感冒並びに魚毒病の治療法に付回答・ヒマ油、塩酸キニーネ他処方に付手紙)(原本) | 揖斐郡大和村医 粟野淳平 | 富田大兄 | 1通 | 4(1)-63 |
(明治36年) | (要之助東京勉学中会計簿)(原本) | 1冊 | 4(1)-64 | ||
(明治36年か)5月23日 | (兵隊ではなく第九師団補充馬廠へ入廠で落胆した事・馬の世話、演習等廠内の様子に付手紙)(原本) | (富田)治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-1 |
(明治36年頃か)月未詳.12日 | (日魯(露)開戦も計り難く召集令状発送の節の連絡に付依頼状)(原本) | 富田治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-2 |
(明治36年頃か) | (時節柄宴席を略し粗品呈上仕り度に付手紙)(前欠)(原本) | 富田治一 | 富田るい | 1通 | 4(1)-65-3 |
(明治36年頃か) | (転居通知並びに召集令状有之節は宜敷御依頼申上候に付手紙)(原本) | 横浜花咲町古怒田宗次郎方 富田(治一) | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-4 |
年未詳.1月30日 | (漬物御恵与に付御礼手紙)(原本) | 富田治一 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-5 |
年未詳.2月8日 | (甥引越の世話の御礼・横浜の物価高、和洋入交りの町、清暦の元旦等に付手紙)(原本) | (横浜)治冨(富田治一) | 富田要之介 | 1通 | 4(1)-65-6-1 |
年未詳.4月3日 | (高部氏養子の件・粟野みを子との義・近況に付手紙)(原本) | 在浜 富田治一 | (富田)要之助兄 | 1通 | 4(1)-65-6-2 |
年未詳.5月9日 | (粟野みを子との養子の件断り度に付手紙)(原本) | (富田)治一 | (富田)要之助兄 | 1通 | 4(1)-65-6-3 |
年未詳.9月23日 | (粟野家へ養子に当たり相続人の件に付相談の手紙)(原本) | 戸部町 富田治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-6-4 |
年未詳.9月26日 | (小生は戸主の身分養子は法律上甚だ面倒なる手続を要する為独立して娶り度に付御世話方依頼の長文手紙)(原本) | 富田治一 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-6-5 |
年未詳.9月28日 | (小生名義財産並びに入籍之件に付御教示方依頼の手紙)(原本) | 富田治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-6-6 |
年未詳.11月24日 | (絵葉書収集の御礼・御老母様御令荊様胃腸病治療器具サンデン電気帯並びにタカジヤスターゼの紹介・粟野家への養子等の件に付手紙)(原本) | 富田治一 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-6-7 |
年月日未詳 | (粟野への養子気が進まず・粟野冷佑氏も馬渕嬢気に入りの様子に付手紙)(原本) ○65-6-1~8止は、一括した。 | 治一、富田 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-6-8止 |
年未詳.4月27日 | (甥政之助の中学入学の御尽力に付お礼の手紙)(原本) | 富田治市 | 富田要之介 | 1通 | 4(1)-65-7 |
年未詳.(5月) | (揖斐祭のさばずしお送りに付礼状)(原本) | (富田)治市 | (富田)要之介 | 1通 | 4(1)-65-8 |
年未詳.春暖 | (時候見舞・横浜銀行会社の連合競漕会の話題に付手紙)(原本) | 治冨(富田治一) | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-9 |
年未詳.10月21日 | (松茸頂戴の御礼並びに清国艦隊入港の景況に付手紙)(原本) | 治冨(富田治一) | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-10 |
年未詳.(10か) | (感情の赴くまま日本、英国の文学的状況を論じた長文手紙)(原本) | (富田)治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-11 |
年未詳.11月27日 | (在郷中御厄介並びに横浜市寄寓に付御礼旁御通知手紙)(原本) | 治冨(富田治一) | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-12 |
年未詳.12月2日 | (東京より何よりの御品赤坊出産御祝ニ預り御礼手紙)(原本) | 治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-13 |
年月日未詳 | (来る七八日帰国用事有之ば申越され度との事に付手紙)(原本)(「揖斐郡小嶋尋常高等小学校」用箋を使用) | (富田)治一 | 富田要之介兄 | 1通 | 4(1)-65-14 |
年月日未詳 | (高部氏方歳末見舞宜敷御願致し度に付手紙)(原本) | (富田)治市 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-15 |
年月日未詳 | (愚甥の学業への御配慮に付返事手紙)(原本) ○65-1~16止は、「富田治一手紙」として一括した。 | 富田治一 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-65-16止 |
(明治37年)1月10日 | (今回いりこ少しお送り申上候・今回検定ハ合格者の末列ニ加ハリ申候・御申越の件別紙之通り御答致し候に付手紙)(原本) | 妻木忠太 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-66 |
(明治37年)4月21日 | (最近の学校の様子並びに諸学校等設立の様子に付報告の手紙)(原本) | 小島君子・神谷切り子 | 東都にて師の君(要之助) | 1通 | 4(1)-67 |
明治37年6月10日 | (美濃商業銀行の臨時休業以来銀行預金の引出し多く御心相掛け候ひしか、安田善次郎氏の応援を受け七日に全く沈静に帰し候御安神の上御取引被下度に付手紙)(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行・株式会社大垣貯蓄銀行 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-68 |
(明治37年6月30日) | (1)第拾七期貸借対照表(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-69-1 | |
(明治37年6月30日) | (2)損益計算書(原本)(印刷) | 株式会社大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-69-1 | |
(明治37年6月30日) | (3)利益分配案(原本)(印刷)(年号は、松原幸雄家文書B20-(3)-8号大垣共立銀行営業報告書による・(1)~(3)は、同一紙面にあり) | 株式会社大垣共立銀行 | 1通 | 4(1)-69-1 | |
(明治37年6月30日) | (1)第弐拾期貸借対照表(原本)(印刷) | 株式会社大垣貯蓄銀行 | 1通 | 4(1)-69-2止 | |
(明治37年6月30日) | (2)損益計算書(原本)(印刷) | 株式会社大垣貯蓄銀行 | 1通 | 4(1)-69-2止 | |
(明治37年6月30日) | (3)利益分配案(原本)(印刷)((1)~(3)は、同一紙面にあり) ○69-1~2止は、一括してあった。 | 株式会社大垣貯蓄銀行 | 1通 | 4(1)-69-2止 | |
(明治37年) | (要之助東京勉学中会計簿)(原本) | 1冊 | 4(1)-70 | ||
(明治38年)1月13日 | (富田かね様より唐栗の養子に三島数馬氏並ニ窪田寿之助氏を推薦せられ候・自分も此度は思ひ切て上京はしたものゝとんと勉強ニ手がつかず一先づ帰国致さんかとも勘考中に有之候に付手紙)(原本) | 夫 | おちね | 1通 | 4(1)-71 |
(明治38年)2月9日 | (帰国の上自宅で勉強をやりそれニて出来ぬならば断念する決心ニ御座候御身並ニ母上姉上の意見を承り度に付手紙)(原本) | 外務省臨時編纂部にて 夫 | 親愛なる御身 | 1通 | 4(1)-72 |
(明治38年)2月24日 | (家事にかこつけて辞職致度候間「ヨウソボ ケガ ハヨカヘレ」との電報取計らはれ度候に付手紙)(反故) | 要之助 | おちね | 1通 | 4(1)-73 |
(明治38年)2月26日 | (小生此月末に帰る約束に致し置き候処今少しこちらでと思ふ故今度は母上と御身との了見にまかせるに付手紙)(原本) | 要之助 | おちね | 1通 | 4(1)-74 |
(明治38年2月か) | (御申越之御俸職伺之義今以て都合宜しきに御座なくに付手紙)(原本)(この文書兵庫県神戸中学校用箋を使用) | 秋畝 | 梁州(富田要之助) | 1通 | 4(1)-75 |
(明治38年3月)1日 | (富田要之助岐阜へ帰省に当たり友として万感胸に迫り一筆の手紙)(原本)(早稲田大学論文用紙に書いてある) | 山田生一郎 | 富田大兄(富田要之助) | 1通 | 4(1)-76 |
(明治38年)3月3日 | (勉強する時間がないから役所を引いて帰宅する積りに候間電報を六日に役所へ向け打ちて呉れに付手紙)(原本) | 要之助 | おちね | 1通 | 4(1)-77 |
年未詳.2月26日 | (贈り物の御礼に付手紙)(原本) | (馬渕)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-1 |
年未詳.3月2日 | (帰郷中の御厄介に付お礼の手紙)(原本) | (粟野か)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-2 |
年未詳.5月22日 | (試験問題の件懺悔・附属学校の様子・徴兵検査不合格等に付手紙)(原本)(東京府女子師範学校用箋を使用) | あはの(冷佑) | 富田大兄(富田要之助) | 1通 | 4(1)-78-3 |
年未詳.6月29日 | (御養母様御長逝に付御悔みの手紙)(原本) | (粟野か)冷佑 | 富田兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-4 |
年未詳.7月6日 | (上京後の家探し、妻呼び寄せの予定等に付手紙)(前欠)(原本) | (馬渕)冷佑 | 富田君(要之助) | 1通 | 4(1)-78-5 |
年未詳.7月20日 | (二十一日小生の送別会に付出席依頼状)(原本) | (粟野か)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-6 |
年未詳.7月22日 | (堀越方にて問ひ合せ候講習会の件・明治義会の講習内容に付富田氏へお伝え下され度に付手紙)(原本)(東京府女子師範学校用箋を使用) | あはの(冷佑) | 松村 | 1通 | 4(1)-78-7 |
年未詳.7月27日 | (御令妹すヽ゛様脚気御療養の為本日御帰国に付手紙)(原本)(東京府女子師範学校用箋を使用) | あはの(冷佑) | 富田(要之助) | 1通 | 4(1)-78-8 |
年未詳.8月5日 | (要之助の東京での勉学に付激励の手紙)(原本) | 粟の(冷佑か) | 富田(要之助) | 1通 | 4(1)-78-9 |
年未詳.8月5日 | (今月末帰京の予定に候間借家賃暫くお取替下され度に付手紙)(原本) | (馬渕)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-10 |
年未詳.8月8日 | (よい借家が見付かって安心した・廿日過ぎ上京の予定等に付上京後処理依頼の手紙)(原本) | (馬渕)冷佑 | 富田 | 1通 | 4(1)-78-11 |
年未詳.8月11日 | (帰国後の夏の生活報告・弟俊一の帰国のつもりに候間よろしく願上候に付手紙)(原本) | 粟の(冷佑) | 富田兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-12 |
年未詳.8月12日 | (荷物発送に付処理依頼並びに出京予定連絡の手紙)(原本) | 馬渕冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-13 |
年未詳.9月26日 | (粟野家への養子に当たり財産の件に付手紙)(原本) | 1通 | 4(1)-78-14 | ||
年未詳.10月12日 | (小生岐阜出発の際の御世話に付御礼の手紙)(原本) | (粟野か)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-15 |
年未詳.11月1日 | (叔父様御逝去のお悔み・当地夜学の情況・貴兄の寄留届手続き致し候・渡辺氏より松茸一貫目御送りの御礼等に付手紙)(原本) | 粟の冷佑 | 富田(要之助) | 1通 | 4(1)-78-16 |
年未詳.11月1日 | (叔父様御逝去に付お悔みの手紙)(原本) | 粟野冷佑 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-78-17 |
年未詳.11月3日 | (弟俊一大学入学後の下宿料徴集に付相談の手紙)(原本) | (馬渕)冷佑 | 富田兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-18 |
年未詳.11月7日 | (見事なる御所柿御恵与に付お礼の手紙)(原本) | (粟野か)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-19 |
年未詳.12月12日 | (郷里、岐阜で御厄介になり親族一同喜び居候に付手紙)(原本) ○78-1~20止は、「冷佑手紙」として一括した。 | (粟野)冷佑 | 富田大兄(要之助) | 1通 | 4(1)-78-20止 |
年未詳.1月1日 | (新年の御祝ひの手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-1 |
年未詳.1月5日 | (新屋叔母上病気・牛島姉上御安産・下女雇・年賀状差出人報知他に付手紙)(原本) | 富田智根 | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-2 |
年未詳.1月5日 | (御送り下されし絵本、雑誌御礼・子供母上の様子・年賀状差出人報知・新年の挨拶に付手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-3 |
年未詳.1月16日 | (御申越の座ぶとん相仕立御送り申上候に付手紙)(原本)(この文書筆跡はつねのものなり) | とみだ | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-4 |
年未詳.1月24日 | (私出産予定・渡辺久作方女子出産・共立銀行株買求めに付手紙)(原本) | とみた(ちね) | なつかしき夫のもとにまいる(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-5 |
年未詳.1月24日 | (家内の様子・牛島の姉上出産後の様子他親戚の様子に付手紙)(原本) | 富田智根 | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-6 |
年未詳.1月24日 | (御見送りの御礼並びに無事帰宅に付手紙)(原本) | かね | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-7 |
年未詳.1月26日 | (昨夏御依頼相成俸職之件当県伊丹中学校三席教諭片山氏より別紙之通り申越有之大至急返事待申候に付手紙)(原本) | 秋畝 | 富田(要之助) | 1通 | 4(1)-79-8-1 |
年未詳.3月2日 | (伊丹中学校の件断りの確認並びに御当地にての採用口依頼に付手紙)(原本) ○79-8-1~2止は、一括してあった。 | 秋畝 | 梁州(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-8-2止 |
年未詳.1月28日 | (御送りのいわしの煮干他御礼・借金・年貢米・自分の勉強・夫への感謝に付手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-9 |
年未詳.如(2).2 | (検定手続等詳記したる可成新しきもの一部御買入方御依頼・今年は愛知ニて受検の予定に付手紙)(原本) | 田中揆一 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-10 |
年未詳.2月4日 | (牛島の遠藤勘吉方の幼児死去・唐栗の養子の件他に付手紙)(原本) | とみだちね | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-11 |
年未詳.2月5日 | (御申越の金子は六円のみ此小包と共に御送り申上候に付消息手紙)(原本) | とみだちね | 夫 | 1通 | 4(1)-79-12 |
年未詳.2月10日 | (本並びに金子送付何卒一心に御勉強なし下され度に付手紙)(原本) | (冨田ちね) | (富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-13-1 |
年未詳.4月23日 | (田のシキアゲの義金拾壱円にて御承知下され度・新聞送付は御断り・極楽寺の改さん上京の件に付手紙)(原本) ○79-13-1~2止は、一括してあった。 | 富田智根 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-13-2止 |
年未詳.2月16日 | (西出の畑の木の売却に付相談の手紙)(原本) | とみたちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-14 |
年未詳.2月20日 | (早速御送付被成下代金廿二銭御返納申上候に付手紙)(原本) | 田中揆一 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-15 |
年未詳.2月29日 | (立木売却の件軍事公債百円応募の件御承知下され度候に付手紙)(原本) | とみたちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-16 |
年未詳.3月9日 | (家は私一人で忙しい事並びに弐十円送付に付手紙)(原本) | 富田智根 | (東京小石川)なつかしき夫の許(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-17 |
年未詳.3月9日 | (小生就任以来不良生徒三十名程も退学処分致し候も頓と痛心無之候に付手紙)(原本) | 亀岡 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-18 |
年未詳.3月14日 | (下善明寺の鐘の改良・お送りの雑誌・唐栗の忘母一周忌他に付手紙)(原本) | とみたちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-19 |
年未詳.3月17日 | (講習期間内の山上先生の御高演甚だ困難に付報告の手紙)(原本) | 臨時 伊藤・富田 | 山辺外7人 | 1通 | 4(1)-79-20-1 |
年月日未詳 | (千葉君帰国に当たり送別相談の手紙)(原本) ○79-20-2止は、79-20-1にはさんであった。 | 幹事 | 1通 | 4(1)-79-20-2止 | |
年未詳.3月22日 | (しとみハほふじすきより大いびよニかヽり云々消息手紙)(原本) | 母 | 要之助 | 1通 | 4(1)-79-21 |
年未詳.3月24日 | (咲く花もなくうぐいすもよそに見て我君にさく花をまつなりに付消息手紙)(原本) | 富田智根 | 夫 | 1通 | 4(1)-79-22 |
年未詳.3月30日 | (「十八史略訓蒙」他送付並びに揖斐の親戚の様子・牛島の姉上方、遠藤熊次郎方の様子に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-23 |
年未詳.4月3日 | (来る十五日亡父三十三年忌名物柿羊かん一円分許り舎兄宛御送り願はれまじくやに付手紙)(原本) | 宗太郎 | 富田兄(要之助) | 1通 | 4(1)-79-24 |
年未詳.4月4日 | (みさをもいと壮健にて成長いたしこの頃にてはいろは四十八字のすよみ丈け相おぼへ候・御申越の金子十円御送り申上候に付手紙)(原本) | とみだちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-25 |
年未詳.4月10日 | (私ふくせき致事相成くるしみ事御きヽ被下度に付手紙)(原本) | 小石川水道町島田弥三郎方 杉浦はな | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-26 |
年未詳.4月25日 | (ちね送り遣し候事・すゝ゛申し越しの事あり一度おこし下され度に付手紙)(原本) | (富田)つね | (富田)要之助 | 1通 | 4(1)-79-27 |
年未詳.4月28日 | (本及あわせひとへ及はをり足袋、金子も母上さま御不在に付少しながら金二十円御あつらえ申候に付手紙)(原本) | 富田智根 | 夫 | 1通 | 4(1)-79-28 |
年未詳.(4か) | (十二月から四月の米相場・博覧会行きの件に付手紙)(原本) | (富田智根) | (富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-29 |
年未詳.5月1日 | (御尊母様には此の程御病気にて高熱とのこと御令嬢にも御心配の御様子にて都合により御看護のため御帰宅遊ばす様申上候ても宜敷候に付御見舞手紙)(原本) | 富田かね | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-30 |
年未詳.5月2日 | (揖斐大(乗か)寺へ新門様御出之時の賑わい並びに夏物お送り申すに付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-31 |
年未詳.5月6日 | (祖母様病気はろくまくゑんの次第故法事も相勤めがたきかと存候に付手紙)(原本)(この文書跡はつねのものなり) | とみだ | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-32 |
年未詳.5月7日 | (御許様御勉学の義御相談申上候処御母上さまも今やめにしては折角今迄学びし事も水のあわに候間あなたの御都合のよろしき様との御話に付手紙)(原本)(この手紙4月28日付手紙の次に出されたもの) | 富田ちね | 御夫 | 1通 | 4(1)-79-33 |
年未詳.5月11日 | (那阿博士の説の筆記御ひまの節御一覧下され度に付手紙)(原本) | 宗太郎 | 富田兄 | 1通 | 4(1)-79-34 |
年未詳.5月14日 | (博覧会の一件御見合せ下され度に付返事手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-35 |
年未詳.5月17日 | (親戚の様子並びに私一人にて困り居り候事区極楽寺の子供の世話御断り他に付返事手紙)(原本) | 富田智根 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-36 |
年未詳.5月22日 | (此夏休に御帰り下されず候ハゝ゛只今一度は御帰り下され度に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-37 |
年未詳.6月4日 | (祖母、母、養蚕の様子報告・あなたの勉学の様子お尋ねに付手紙)(原本) | 富田智根 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-38 |
年未詳.6月13日 | (何よりの御品御送り下され候に付お礼の手紙)(原本) | 富田智根 | 富田岩尾 | 1通 | 4(1)-79-39 |
年未詳.6月18日 | (真行草大字典及岡田先生書にて楷行草三体書き分け御周旋に預り度に付手紙)(原本) | 高木澄太郎 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-40 |
年未詳.6月26日 | (全快祝神戸・唐栗・村内相すまし申候に付手紙)(原本) | (富田)ちね | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-41 |
年未詳.7月2日 | (金三十円御送り申上候事・唐栗、揖斐他親戚の様子他に付手紙)(原本) | (富田)ちね | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-42 |
年未詳.7月9日 | (母上様のせきぐすり御をくりくだされ、御申こしの本ひとへゆかた下じゅばん御送り申候に付御礼かたがた御返事手紙)(原本) | 富田内 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-43 |
年未詳.7月11日 | (同窓会規則書御送り被下感謝・尚文検之日取御知らせ被下度に付手紙)(原本) | 勘市 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-44 |
年未詳.7月17日 | (桑原先生講義筆記御送付ニ預り御礼手紙)(原本) | 亀岡 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-45 |
年未詳.7月18日 | (今回ハ東洋史の筆記試験の日割等御送り被下御礼申上候に付手紙)(原本) | 勘市 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-46 |
年未詳.7月27日 | (暑中見舞状)(原本) | 遠藤のぶ | 富田先生(要之助) | 1通 | 4(1)-79-47 |
年未詳.7月27日 | (暑中見舞状)(原本) | 北邨(村)勝よ | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-48 |
年未詳.7月31日 | (東京での夏期講習会規定送付之御礼並びに上京致シ難キ事情に付手紙)(原本)(萩原尋常高等小学校用箋を使用) | 正雄 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-49 |
年未詳.8月3日 | (さてあなた様の勉学の趣き母上様へは相談申上候処又々上京すにしても先づ試験すみ次第是非お帰り下さる様にと仰せられ候・揖斐の御祖母さまも御不快にて服薬致居られ候に付手紙)(原本) | 富田智根 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-50 |
年未詳.8月11日 | (一昨日は唐栗より妹来りて色々咄しをきヽ及びたるに父の病気は少し悪しき由等消息手紙)(原本) | 富田智根 | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-51 |
年未詳.8月13日 | (講習御無事に相すみ御帰岐遊ばされ候御事よろこはしく・義之の病気は全快仕候に付手紙)(原本) | 富田内 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-52 |
年未詳.8月18日 | (愚子今十八日帰岐可仕候間滞京中御配慮に付御礼葉書)(原本) | 神田今川小路 伏見とめの | 東京小石川区小日向水道端町 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-53 |
年未詳.(8月)20日 | (印刷力に差支有之予定変更至急御訂正下され度に付手紙)(原本) | 依田喜一郎 | 富田(要之助) | 1通 | 4(1)-79-54 |
年未詳.8月24日 | (皆さんの御上京迄も最早町間近く相成候べしがその節御あつらゑ御送り申すべき品御教示相願度に付手紙)(原本) | 富田ちね | 懐しき御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-55 |
年未詳.9月1日 | (暑中の勉学の見舞並びに筆記拝借仕度に付手紙)(原本) | 皎々 | 富田学兄(要之助) | 1通 | 4(1)-79-56 |
年未詳.9月3日 | (無事御着京之趣、途中渡辺女子校へ入学者御厄介ヲ蒙り御礼手紙)(原本) | 横倉喜太郎 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-57 |
年未詳.9月5日 | (御令閨御危篤之由ニて今年の御受験御放棄被成御帰郷相成候趣に付手紙)(原本) | 亀岡 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-58 |
年未詳.9月8日 | (本日は俊一さんや成之助さんの御上京に付御申越の金子十円外にじゅばん、からしづけかつをふしをあつらへ御送り申候に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-59 |
年未詳.9月17日 | (御許さまの御病気も御快方の由・唐栗父の病気も先月より床につき等消息手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-60 |
年未詳.9月25日 | (父病気の義衰弱致行候故「ニクエツキス」御地にて御買ひ求め御送付相願ひ度に付手紙)(原本) | 富田智根 | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-61 |
年未詳.10月7日 | (此回の検定試験ニ生等幸合格致候得共貴兄ハ生憎御不運ニ候に付手紙)(原本) | 亀岡 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-62 |
年未詳.10月17日 | (当地病人容体之義妹より申上たる次第御座候間今暫之御暇頂戴仕り度に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-63 |
年未詳.10月19日 | (先般の講習会の幣原講師之講義筆記拝見致度に付依頼状)(原本) | 忠太 | 富田学兄 | 1通 | 4(1)-79-64 |
年未詳.11月10日 | (父病気も今の処にては長き事はあるまじく存ぜられ候間今しはらくの処御いとま頂戴仕り度に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫 | 1通 | 4(1)-79-65 |
年未詳.11月19日 | (唐栗の養子も此度は漸く相きまりたる由・洗濯物は本日御送り申上候に付消息手紙)(原本) | とみた(ちね) | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-66 |
年未詳.12月11日 | (一月中頃凱旋に付手紙)(前欠)(原本) | (羽島郡笠松出身)牧助左衛門 | 富田 | 1通 | 4(1)-79-67 |
年未詳.12月22日(20) | (母上様御都合により本日金十円のみ送金並びに近況に付手紙)(原本) | 富田ちね | 御尊夫さま御もとへ(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-68 |
年未詳.12月23日 | (折角ノ御志願ニ候得共行ハレサル義ニ有之に付手紙)(原本) | 大日本中学会庶務課 | 富田要之助 | 1通 | 4(1)-79-69 |
年未詳.12月25日 | (大日本中学会よりの返事送付・揖斐の事・ねずみ駆除他に付手紙)(原本) | とみたちね | 御尊夫(富田要之助) | 1通 | 4(1)-79-70 |
年月日未詳 | (さかえより申上たる通りの次第に御座候まヽ何卒よろしく御頼み申上候に付手紙)(原本) ○79-1~71止は、「富田要之助東京在住時代の手紙」として一括した。 | 富田ちね | 御母上(富田津根か) | 1通 | 4(1)-79-71止 |
年月日未詳 | (帝国教育会中等教員講習所)地歴科卒業試験合格者(名簿)(原本)(富田要之助ら99名をのせる) | 1通 | 4(1)-80 | ||
年月日未詳 | 上野公園御臨幸之図(着色)(破損)(原本)(裏面に「中島ヨリ引移り帳簿」とあって包紙に転用されていた) | 1通 | 4(1)-81 | ||
年月日未詳 | 帝国教育会夏季講習会(記念写真)(原本) | 東京浅草並木町 写真師 鶴淵初蔵(撮影) | 1通 | 4(1)-82 | |
自(明治35年か1月12日) |
日本史(筆記)(原本)(第1号は1月12(?)から3月23日、第2号は4月1日から9月13日、第3号は9月16日から12月18日にかけての筆記・筆跡は富田要之助、「十年前ノ史海ト云フ雑誌ニ委シク孝謙帝時代ノコトヲ論ゼリ」とある) | 喜田貞吉講述(富田要之助筆記) | 3冊 | 4(1)-83 | |
年月日未詳 | (日本史筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-84 | |
年月日未詳 | 日本歴史(筆記)(原本) | 藤岡文学士講(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-85 | |
年月日未詳 | 日本史事項説明(ノート)(原本) | 1冊 | 4(1)-86 | ||
自明治35年11月13日 至年未詳.5月20日 |
東洋史(筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-87 | |
年月日未詳 | 東洋史(筆記)(原本)(第2号に「富田生」とあり、又「桑原講師講述」とあり、第3号は9月30日から12月30日にかけての筆記、第4号は1月13日から7月15日にかけての筆記・富田要之助の筆跡である) | 桑原隲蔵講述(富田要之助筆記) | 4冊 | 4(1)-88 | |
年月日未詳 | (東洋史ノート)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-89 | |
(明治34年) | 西洋史第壱巻(筆記)(原本) | 中川正信先生講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-90 | |
年月日未詳 | 西洋史第弐巻(筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-91 | |
年月日未詳 | 西洋史巻三(筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-92 | |
年月日未詳 | 西洋史巻四(筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-93 | |
年月日未詳 | (西洋史巻五筆記)(原本)(中島半次郎先生講述の教育学講義筆記もある) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-94 | |
年月日未詳 | 西洋歴史(筆記)(原本) | 新見文学士口述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-95 | |
自(明治34年)12月4日 至(明治35年)1月17日 |
地文学(筆記)(原本)(文末に大阪毎日新聞明治42年1月27日号記事「大寒は何故寒い」が筆写されている・筆跡は富田要之助・(明治34年)年12月17日付妻木忠太手紙によって明治34年とわかる) | 理学士佐藤伝蔵講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-96 | |
年月日未詳 | 地文学(筆記)(原本) | 佐藤伝蔵先生講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-97 | |
年月日未詳 | 地文学第二号(筆記)(原本)(裏表紙に「第五学期時間割」が記されている) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-98 | |
年月日未詳 | 地文学(筆記)(原本)(楠講師講述の地理学講義筆記もある) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-99 | |
自(明治34年) 至(明治35年)2月6日 |
日本地理(筆記)(原本)(富田の朱印あり・「12,19」とあり筆記開始はこれ以前ならん、文中「一昨年即明治三十二年」とある) | 野口保与講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-100 | |
自(明治34年) 至(明治35年)7月23日 |
外国地理(筆記)(原本)(文中に「昨年北清事件」とあり、文中に「34,1,8」とあり講述開始はこれ以前ならん) | 矢津昌永講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-101 | |
自明治35年 至明治36年2月16日 |
万国地理(筆記)(原本) | 井原儀先生口述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-102 | |
年月日未詳 | (外国地誌・欧羅巴洲筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-103 | |
年月日未詳 | (外国地誌筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-104 | |
年月日未詳 | (外国地誌・亜弗利加洲筆記)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-105 | |
年月日未詳 | (支那語表記地名ノート)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-106 | |
(明治35年) | (1)歴史講義筆記(原本)(4月14日からの筆記) | 西村教諭講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-107-1 | |
(明治35年) | (2)歴史遺聞(原本)(文中に明治35年3月17日万朝報、同4月23日記事写があり) | 1冊 | 4(1)-107-1 | ||
(明治35年) | (3)東京市水道ノ沿革(原本)(明治35年6月1日誌スとあり) | 1冊 | 4(1)-107-1 | ||
(明治35年) | (4)地理余談(矢津先生旅行談)(原本)(7月6日から10月22日迄筆記) | 1冊 | 4(1)-107-1 | ||
(明治35年) | (5)(7月31日付末雄から富田宛野麦峠に付手紙)(原本)((1)~(5)の文書、表題を欠く) | 1冊 | 4(1)-107-1 | ||
年月日未詳 | (明治十四年七月、理学博士関谷清景誌)美濃尾張両国地理変革之図(単色)(写)(富田蔵書の朱印有り・3枚) ○107-2止は、107-1にはさんであった。 | 1組 | 4(1)-107-2止 | ||
(明治35年) | 国史開(解)題(原本)(文末に明治35年6月20日付喜田文学士の「史籍解題」と題せる講演の要点を記す・筆跡は富田要之助のものならん) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-108 | |
(明治36年) | (人物事項・系図・外交の略記・教員免許令・教員検定ニ関スル規定・明治三十六年二月文部省告示第二十六号綴)(原本)(筆跡は富田要之助) | (富田要之助) | 1綴 | 4(1)-109 | |
年月日未詳 | 教育学(筆記)(原本)(6月14日迄の筆記、筆跡は富田要之助) | 中島半次郎講述(富田要之助筆記) | 1冊 | 4(1)-110 | |
年月日未詳 | 近世心理学(筆記)(後欠)(原本)(筆跡は富田要之助) | 中島泰蔵先生講述(富田要之助筆記) | 1綴 | 4(1)-111 | |
年月日未詳 | (富田要之助筆記講述)筆算(筆記)(原本) | 一等助教諭佐久間文太郎先生教授講述 | 1冊 | 4(1)-112 | |
年月日未詳 | (英語学習ノート)(原本) | (富田要之助) | 1冊 | 4(1)-113 | |
年月日未詳 | (答案・あてん極盛時代ペリクレスに関して知る事を記せ他綴)(原本)(この文書、要之助の明治38年3月の帰郷以前に書かれている) | 地歴科講習生 富田要之助 | 1綴 | 4(1)-114止 |