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土岐頼貞墓[ときよりさだのはか]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 瑞浪市土岐町中島 |
所有者 | 市原区 |
指定年月日 | 昭和31年3月28日 |
土岐頼貞墓はJR中央本線瑞浪駅の東約1km、光善寺跡にある。墓所は現在、道路によって東西に分かれ、東方の墓所には五輪塔が10基、西方には五輪塔5基と宝篋印塔4基が並んでいる。頼貞の宝篋印塔は、この西方の墓所にあり、高さ約1mである。基礎に格狭間を作り、その右の縁に「前伯州大守定林寺殿雲石孝公」、左の縁に「暦応二年己卯二月廿二日亥刻逝去」の銘がある。塔身各面には、月輪内に金剛界四仏の種子と月輪の下に蓮華座が線刻されている。
土岐頼貞は建武中興の功臣で美濃国守護に補せられ、後に足利氏に属した美濃武士の棟梁であった。