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藩領境標石[はんりょうさかいひょうせき]下呂市
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 下呂市金山町金山 |
所有者 | 下呂市 |
指定年月日 | 昭和48年6月13日 |
下呂市金山町金山に鎮座する白山神社から国道を祖師野方面へ300mほど行った山側に、自然石に「従是南尾張領」と刻した、幅1.1m、高さ0.75m、厚さ0.6mの境標石がある。これについては『濃州徇行記』金山村の条に、次のように記されている。
「横谷と云処、遠藤新六郎領知郡上郡轡部村界なり、御境目に石あり、従是南尾張領と彫付あり、是は延宝年中、遠藤新六郎領知郡上郡轡部村と界論ありし時、御代官江原清左衛門此処へ至り、御界目を訂しが、其時遠藤氏より使者を以て申入られしは、そなたの勝手次第執計ふべしとの挨拶ありしにより、横谷通りの北山の向背をはらひ、其の麓にありし石を以て、即界の証とする由、其以前は横谷通りを界とする故、是非わからざりしを、延宝年よりきっと御界目定めるといへり。」
この尾張藩領との境界論も、徇行記によればきわめてあっさりしたものである。同書が尾張藩士による記述であるにしても、やはり尾張藩と旗本2千石の勢力関係によるものである。こうした領地境を標示したものは、県内ではほかに見られぬ珍しいものである。