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金森宗貞邸跡[かなもりそうていていあと]

分類 史跡
指定別
所在地 飛騨市神岡町東茂住
所有者 金竜寺
指定年月日 昭和46年9月14日

金森宗貞邸跡

 金森宗貞は、茂住宗貞とも称し、茂住・和左保の両銀山、森部金山などの開発を行い、飛騨鉱山開発の祖といわれている。
宗貞は越前金森から茂住へきた銀山師で、邸の構えは四方に約2m程の石塁を築き、その上に高塀をかけ四隅に櫓を建て、東・南・北に三つの門を設けて、その内に居宅を構え、栄華に暮らしていたという。宗貞の飛騨退去について、『飛騨国中案内』は慶長12年(1607)未8月12日(慶長13年申の誤)長近が京都で没したため、自ら家居に火をかけ、越中に移り、さらに能登に赴いたとある。
金森宗貞の邸宅跡には、現在宗貞の菩提を弔うため、金竜寺が建てられている