本文
増島城跡[ますしまじょうあと]
分類 | 史跡 |
---|---|
指定別 | 県 |
所在地 | 飛騨市古川町片原町 |
所有者 | 飛騨市 |
指定年月日 | 昭和34年11月16日 |
増島城跡はJR高山本線飛騨古川駅の南東、荒城川の右岸に位置している。古川盆地のほば中央に位置する平城で、城跡には古川小学校や町民会館が建てられている。
『飛州志』によると天正年中(1573〜1592)金森長近によって築かれたという。金森長近は地味豊沃で、かつて姉小路氏が威を張っていた古川の地に目を付け、退いて守る山城より、進んで攻める交通の要所を求めて、ここに平城を築いたという。
元和元年(1615)、幕府の一国山城令により、城名を廃して古川旅館と称した。金森氏の移封後3年、元禄8年(1695)に古川旅館は悉く破壊された。城郭の内、書院は円光寺へ、城門は林昌寺・円光寺・本光寺などに分かち与えられたといわれる。
現在は、本丸櫓台の石塁と堀の一部が残り、県史跡として指定されている。
平成9年度に範囲確認調査を実施し、本丸掘の延長及び、二之丸堀、そして南側外堀、隅櫓土橋等の遺構が石積みの堀の立ち上がり部として残されていることが分かり、城郭の縄張りが明らかになった。