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加藤歩簫墓[かとうほしょうのはか]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 高山市 |
所有者 | 個人所有 |
指定年月日 | 昭和31年2月24日 |
加藤歩簫墓は、法華寺山頂上にある加藤家の墓地にある。墓地は上下二段になっており、上段は東西約4.3m、南北5m、高さ約30cmの縁石を設けている。下段は東西3mで西が狭まった扇形状になっている。歩簫の墓は上段前列中央にあり、正面に「清境院幽山白翁居士」、側面に「文政十丁亥十二年十四日加藤氏」の銘が刻まれている。
加療歩簫は、寛保3年(1743)加藤円道の嫡男として生まれた。明和8年(1771)に同志を集めて国学及び俳諧の研究を行い、鴎社を創立して飛騨文教の振興に力をそそいだ。その後、父の経営する私塾を継ぎ子弟の教育にあたった。安永2年(1773)俳諧結社雲橋社を創立し、社中に一大文庫を設置して、図書1千余巻を所蔵し、広く一般に開放した。文政10年(1827)12月14日に85才で没し、「紙魚のやどり」、「ゆききのたびつと」、「わしのふる巣」等の遺著がある。