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三佛寺城跡[さんぶつじじょうあと]三福寺
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 高山市三福寺町井ノ上 |
所有者 | 三福寺文化遺産保存会 |
指定年月日 | 昭和46年9月14日 |
高山市の北側、大八賀川右岸の肥沃な小盆地に三福寺地区がある。三佛寺城跡はその後方、城山の尾根に細長く帯状に構築された。標高668.8mの尾根の最南端に直径15m程の円形をした南の丸と呼ばれる広場がある。そこから三の曲輪、二の曲輪を経て最南端の主郭に達する。主郭は、標高672.1mの山頂に位置し、東西21.5m、南北15mの規模をもち、腰曲輪や縦堀を設け、堅固な構えを見せている。
古くは平清盛に仕えて八島で討死した飛騨三朗左衛門景綱が在城し、その後左衛門尉藤原朝高、畑六郎左衛門安高を経て、三木氏の支城となったが、永禄7年(1564)武田勢が侵攻すると聞き、時の城主三木新左衛門は、城に火を放ち遁走したと伝えられている。
散策の方は三仏寺城跡説明板前の駐車場を利用されたい。