ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > 教育・文化・スポーツ・青少年 > 文化・芸術 > 文化財 > > 縄文式住居跡[じゅうもんしきじゅうきょあと]

本文

縄文式住居跡[じゅうもんしきじゅうきょあと]

分類 史跡
指定別
所在地 高山市国府町村山
所有者 天満神社
指定年月日 昭和31年2月24日

縄文式住居跡

 竪穴の住居跡は、宮川左岸の低い洪積世河岸段丘上の村山遺跡内にあり、現在は村山天満神社の境内地になっている。
昭和26年(1951)8月に発掘された。竪穴住居跡は、長径7.4m、短径6.7mの不整長円形プランをもち、赤土層を30cm前後掘り下げ、ほぼ中央には長径120cmの長円形に浅く掘りくぼめた炉跡があり、中央やや北寄りに中心柱穴、周壁に沿いかなり内側に6個の主柱穴が配置されている。
南西隅の大きなピットは、同じく南西隅寄りにある5個のピットとともに貯蔵等に用いられたものであろう。西よりにあって床面の平らな、浅い2個の穴の用途は不明である。
この住居跡から多量に出土した縄文前期の土器には、関東地方の黒浜式土器・諸磯式土器や中部地方に分布の中心をもつ木島式土器・石塚式土器、関西地方の北白川下層式土器などの諸形式が見られる。これら出土した土器は関東系2に対して関西系8の割合であった。また、石錐・石匙などの石器類も約50点出土した。