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明知城跡[あけちじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 恵那市明智町城山 |
所有者 | 恵那市 |
指定年月日 | 昭和39年12月8日 |
明知城跡は、明智町の東側にそびえる標高530mの通称城山の頂上に位置している。俗に白鷹城と呼ばれており、頂上に本丸跡・二の丸跡・出丸跡などが遺存する。本丸跡は、城山の最高所を占め、土塁の高さは約10mである。東西の幅は約44m、南北の幅は西方で12m、東方で14mである。その東側に二の曲輪と称する約550m2の丘状の台地があり、北側と東側は絶壁となっている。東南下に連なる長さ約40m、幅9mの山の鞍部に曲輪がみられる。
この城は、遠山明智家の居城であったが元亀元年(1570)甲斐の武田氏の攻撃を受けて落城した。その後、関ケ原の合戦の際東濃平定の功により、徳川家康より旧領を与えられた。元和元年(1615)には当城を廃して、城下に陣屋を構えた。