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岩村城跡[いわむらじょうあと]

分類 史跡
指定別
所在地 恵那市岩村町城山
所有者 岩村町史跡保存会
指定年月日 昭和32年12月19日

岩村城跡

 岩村城は恵那市岩村町の市街地東方約1.3km、標高721mの城山に構築されている。尾張、三河、信濃及び遠江の四方に通じる要衝の地に位置するこの城は、自然の要害を利用して築かれており、大和の高取城と並んで日本でも有数の山城である。
現存する遺構としては、本丸・東曲輪・二の丸・三の丸・出丸及び城櫓の礎石・石垣がみられる。
山裾にある藩主邸跡から藤坂と称する急な坂道を、約480m登ると一の門に至る。一の門より更に険しい土岐板を約64m登ると土岐門があり、そこを急に折り返した所に大手門が設けられている。ここに枡形があり、右側に三重櫓跡の石垣が残る。櫓門をくぐり三の丸に向かう坂道はゆるく、両側には石垣が高く積まれている。三の丸から西行すれば、二の丸の平坦地に至る。本丸はここより一段高い頂上部に位置しており、石垣・礎石も旧態をよくとどめている。
享保3年(1718)の岩村城絵図等によれば、本丸の規模は東西約22m、南約42mであり、出丸は東西約33m、南北44m、二の丸は東西53m、南北62mを占めている。
岩村城は、源頼朝の近臣加藤影廉によって文治元年(1185)に築かれたともいわれている。その後、天正年間(1573〜1592)及び慶長年間(1596〜1615)に数次にわたる改築が行われた結果、現在の縄張りが完成されたという。
寛永年問(1624〜1644)から元禄年間(1688〜1704)に丹羽氏が5代35年間にわたって居城した後は、廃藩置県により廃城になるまで、松平氏が7代170年間にわたって居城した。