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籠大仏附胎内仏
籠大仏附胎内仏[かごだいぶつつけたりたいないぶつ]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 岐阜市大仏町 |
所有者 | 正法寺 |
指定年月日 | 昭和49年3月6日 |
像高籠大仏:13.63m胎内仏:61.0cm
籠大仏は、竹材の仏像で、県内には他に例がなく、大きさと共に特異な存在である。大仏の体幹は、周囲1.8mの1本の銀杏材を真柱として通し、体躯は木材で骨格を組み、外部は、竹材を用いて細かく編み、これに粘土を塗り固め、一切経などの経文を張りつけ、漆を塗り金箔で仕上げている。
胎内仏は、木造薬師如来坐像である。彫眼で、右手は、施無畏印[せむいいん]を結び、左手を屈臂[くっぴ]して、左膝上におき、薬壺[やっこ]を持つような姿である。全体として彫りは浅く、藤原時代の仏像の特色が残っている。面相は磨滅して弱々しくなっているが、もとは金箔であったと思われる。薬壺は欠失したらしい。光背、台座も失われ、江戸時代の後補である。
籠大仏と胎内仏の関係について次のように寺伝は伝えている。
江戸時代に上川手の庄屋、柳原家に虚無僧が訪ねてきて、この像を預けた。正法寺第十一代、惟中和尚は、大釈迦如来造立の祈願をたてて、全国各地を托鉢して歩いたが志半ばで逝去した。第12代、肯宗和尚は、その遺志を継承し、苦行13年のすえ籠大仏を造立した。この時、かって柳原家に預けた「薬師如来を、大仏の胎内仏としたい。」と願い、この像を願い受けて、胎内仏とした。