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災害体験談11
岐阜市・各務原市林野火災災害(2002年/平成14年)
岐阜市在住男性(当時岐阜市消防本部中消防署長)
Q:あなたの体験された災害はなんですか。
平成14年4月5日岐阜市・各務原市・関市の広範囲に渡って27時間延焼し続けた林野火災を、現場の指揮本部長として体験した。
Q:災害発生時あなたは、何をされていましたか
当時岐阜市中消防署の署長をしていた。火災当日は、災害現場へ向かい現場で現地本部長として、岐阜市消防本部の指揮にあたった。
13時26分に当初芥見で山林火災との通報を受けて現場に向かった。現場に近づくと、聞いていた場所だけでなく、出火場所から数百メートル離れた山頂付近が燃えていた。風に乗って飛び火したものであったのだが、消防生活を長くやっている中で、これだけの火災ははじめての体験だった。
現場に到着すると一面が煙で、どこが燃えているのかさえわからない状況だった。
Q:災害現場では、どういったことをされましたか
火災規模、気象状況等に合わせた消防隊の指揮統制を行った。その中でも出火現場のすぐそばにあった高天原ニュータウン等住家への延焼防止を最優先に、行うよう指示を行ったほか、消防警戒区域の設定、各方面隊へ延焼防止を主眼においた戦術で対応するよう指示するなど刻一刻と変化する状況に合わせて部隊行動の徹底などを実施した。
また、一番心配されているのは地域の住民の方々であり、彼らに安心して避難していただくためにも、消防隊員が直接避難所に駆けつけて状況を報告するように指示をした。
消防本部及び消防団から、のべ車両321台、2416人が出動した。27時間不眠不休で陣頭指揮に当たった結果、翌日16時15分ようやく鎮火した。
Q:災害現場でうまくいった、うれしかったことはなんですか
地域の住民の方々がホースを引っ張ったり、消防警戒区域への一般車両の進入を防いでもらったりと、協力して消防活動を実施してくれたことがなによりもうれしかった。結果、これだけの大火災であったにもかかわらず、住家への延焼被害は全く出なかった。何の打ち合わせもなく自然発生的に「被害を最小限に食い止める」ことを目的として、消防と住民が一帯となった活動ができたことをいまでも誇りに思う。
上空からの岐阜県あるいは他県の防災ヘリ、自衛隊ヘリの空中消火、地上からの消防団、地域住民そして我々消防本部が地道な延焼防止、消火活動、これらがお互い協力して全力で対応した結果、被害を最小限に食い止めることができたと思う。
Q:災害現場で苦労したことは何ですか。
火災の延焼範囲がとても広く、本部が山の陰になってしまい無線の不感地帯となってしまった。私の判断で、伝連を走らせて、各方面対と本部との間の情報共有を図った。
燃えやすい枯れ葉などの堆積物が厚く堆積しており、水をかけても表面を水が流れるだけ、また表面の火を消しても、土の中で長くくすぶって、完全に火を消すことができなかった。この残り火をしらみ潰しに消していくことに大変苦労した。
Q:災害を通じて心に残っていることはありますか
帰りのバスに中で、窓に雨粒が付きだしたのを見て、安心して急に力が抜けた。バスを乗り越してしまった。
しばらく経って、災害現場にパトロールに行ったところ、赤い車を見て住民の方が頭を下げてくれた。我々のやってきた活動が住民と一帯となってできたと思い、鳥肌がたち感動した。
Q:今回の災害で教訓となったことはなんですか
今回の災害で林野火災の怖さを改めて認識した。災害後には、火災現場で自主的な植林活動など、山を大切にする機運が高まっている。このことは、自然の恵みを受けて生活をしている私たち県民にとって、とても喜ばしいことだと思う。
Q:最後に現役の消防隊員・消防団員のかたにメッセージをお願いします。
林野火災は一般火災に比べて特に変化が激しい災害である。当日の気象条件、山の形状等をよく把握して行動しないと、消火活動している自分が火に囲まれてしまう可能性もある。安全に消防活動できるよう事前によく準備して対応してほしい。