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多治見国長邸跡[たじみくにながていあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 多治見市新町 |
所有者 | 多治見国長邸保存会 |
指定年月日 | 昭和32年3月25日 |
JR中央本線多治見駅の南東約1kmの地点に多治見国長公遺址という標柱が建てられている。この場所が、国長の邸宅があったとされる場所である。
多治見国長は、美濃守護土岐頼貞の一族で、多治見郷に在住したことにより多治見氏と称した。正中元年(1324)後醍醐天皇の密旨を奉じて、鎌倉幕府討伐に京都に上った。しかし、この密事が露見し、国長の宿所京都錦小路高倉の邸が六波羅探題の将小串三郎左右衛門尉範行に襲撃され、国長は非業な最期を遂げた。国長36歳であったという。この事件を正中の変という。