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土岐頼清・頼康父子の墓[ときよりきよ・よりやすふしのはか]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 揖斐郡揖斐川町小島瑞岩寺 |
所有者 | 瑞巌寺 |
指定年月日 | 昭和42年11月13日 |
瑞巌寺境内南側の山道をおよそ1kmほど登った右端に、2つの宝篋印塔が立っている。右側が父頼清のものであり、左側が子頼康の墓である。頼清の塔は高さ75cm、頼康は95cmである。頼清は、池田郷に住んでいたが、京都に赴き足利尊氏の軍勢に参加し、摂津芥河で病死した。土岐氏の惣領頼遠が不敬の事があったとして処刑されたため、頼康が代わって惣領となり、美濃・尾張・伊勢の三国の守護に補せられ革手に新城を築いた。この時期が土岐氏の勢力が最も強大となった。
頼清の墓は彼の死後、頼康が瑞巌寺を建立した頃に築造されたものである。また、頼康の墓は、彼が嘉慶元年(1387)12月に没しているので、その時、築造されたものであろう。