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北方城跡[きたがたじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 本巣郡北方町地下 |
所有者 | 個人所有 |
指定年月日 | 昭和43年11月11日 |
北方町字天王町にある大井神社の南東に、北方城跡の石柱がたっている。
ここが北方城の本丸跡とされ、当時の城郭は方三町ほどの規模をもっていたという。この場所は約3,900m2ほどの広さであるが、当時どのような建物があったかはわかっていない。
この城は、安東伊賀守守就の居城であったと伝えられるが、天正10年(1582)稲葉一鉄の攻撃を受けて守就は討死したという。
江戸時代には、旗本戸田家陣屋となり、奉行役所、代官屋敷等が建ちならんでいた。総溝の外周には、土居及び濠をめぐらして、城郭の南及び西には侍屋敷があったようである。また、大井神社鳥居より南方一直線にみられる大門筋と称する大通は、かっての馬場とされる。