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竹ヶ鼻大谷別院薩摩工事義歿者墓
竹ヶ鼻大谷別院薩摩工事義歿者墓[たけがはなおおたにべついんさつまこうじぎぼつしゃのはか]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 羽島市竹鼻町 |
所有者 | 竹鼻別院 |
指定年月日 | 昭和30年8月30日 |
竹ヶ鼻大谷別院に埋葬されているのは、薩摩工事の死歿者の一人竹中伝六喜伯である。竹中伝六は、江戸本郷元町に住む小吏であり、宝暦治水工事一之手御普請場掛目付石野三次郎手先に属し、御小人目付として竹ヶ鼻村庄屋太田八右衛門方に滞在していた。伝えるところによれば、宝暦5年(1755)正月13日の真夜中に切腹したという。
庄屋太田八右衛門は、これを聞いて大変悲しみ、大谷派別院境内太田家歴代の墓域に葬ったという。竹中伝六自刃の原因は明瞭でない。
方約1m、高さ60cmの花崗岩の壇を設け、三層の台石の上に方約21cm、高さ約51cmの墓碑を安置している。墓碑の表面には「春光院釈法善宝暦五乙亥歳正月十三日」と刻まれており、左側に「武州江戸本郷元町住竹中伝六喜伯墓行年二十九歳」、右側に「詞堂金二両施入竹中茂八」と記してある。