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永田佐吉墓[ながたさきちのはか]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 羽島市竹鼻町(本覚寺境内) |
所有者 | 大佛寺 |
指定年月日 | 昭和30年8月30日 |
永田佐吉は、元禄14年(1701)美濃国羽栗郡竹ヶ鼻上鍋屋町で生まれた。幼くして父母を亡くし、名古屋に出て紙商のもとで奉公したのち帰郷し、綿の仲買を行ったが、勤勉実直な仕事振りで人々の信頼を得て成功をおさめた。私費を投じて橋を修理し、道標を建設するなど、郷里に尽くし、継母への孝行ぶりも有名であり、当時、仏佐吉と呼ばれた。寛政元年(1789)10月に永眠した。
佐吉の墓は、曹洞宗本覚寺庫裡北側の墓地にある。墓地は東西3m、南北3・2mの規模で墓石の正面は南向きである。墓石の石材は硬砂岩質で高さ54cm、幅27cm上方櫛形で、表には戒名が彫ってある。戒名等は次の通りである。
(右側面)寛政元酉年
(正面)帰元覚翁実道庵主位
(左側面)十月十日