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加賀野井城跡[かがのいじょうあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 羽島市下中町加賀野井 |
所有者 | 加賀野井区 |
指定年月日 | 昭和49年11月13日 |
加賀野井城跡は木曽川橋を下った右岸に位置しており、天正年間(1573〜1592)に加賀野井弥八郎秀望によって構築されたといわれている。その城跡は、もと八町四方もあったと伝えられるが、いまは田の道沿いに約50m2ほどの草原となって残るのみである。弥八郎は織田信長に仕えていたが、その死後は、子の信雄に仕え一万石を領したという。この場所が戦国の武将である加賀野井弥八郎の居城であるという確証はないが、弥八郎については石田三成の密命をおびて徳川家康を暗殺しようとしたと伝えられる。
弥八郎の墓は、いま知立市宝町に所在する宝蔵寺本堂裏の雑木林のなかにある。また、岐阜市若宮町にある弥八地蔵は、彼が黄金一枚で八町四方の土地を買って墓所としたものの後身だといわれている。