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智通光居墓[ちつうこうきょのはか]

分類 史跡
指定別
所在地 岐阜市西荘
所有者 立政寺
指定年月日 昭和32年3月25日

智通光居墓

 智通上人は浄土宗西山派祖善慧證空上人の門下で、正和3年(1314)石見国池田庄で生まれた。
文和年間(1352〜1356)に伊勢神宮に参拝した帰途、市橋に滞在中、薮田領主小野氏、鏡島領主石河氏などの帰依を得て、この地に堂宇を建立したのが立政寺である。智通は、ここに50年近く在住し、門下の者は、美濃国内だけでも30以上の寺を建てたといわれている。そして、立政寺は、美濃、尾張、伊勢、近江、信濃地方における浄土宗の中心として、天下七檀林の一つにも挙げられるほど、教勢は盛んであった。
智通光居の墓は、本堂の前にあり、約2m四方で高さ1mの石垣に囲まれた内に立つ宝篋印塔である。高さは1.48mである。