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般若踊[はんにゃおどり]
分類 | 重要無形民俗文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 飛騨市古川町数河 |
技芸団体 | 般若踊保存会 |
指定年月日 | 昭和43年11月11日 昭和51年6月4日 |
般若踊の起源は不明であるが、般若経を広めるために踊ったのが始めと伝えられている。金森長近が天正年間(1573〜1592)に、古河(古川)に増島城を築いたとき、菅生(数河)の村民がこれを踊って喜ばれたという。また、金森氏の菩提寺林昌寺においても、盆踊りとして、湯の花まつりのときにも踊ったことがあるという。
この踊りは、三段からなり、三拍子(古調子)が最も古い元のもので、二拍子(本調子)、一拍子(新調子)と順次変化してきたようにいわれている。現在、主として踊られているのは、二拍子、一拍子で、三拍子はわずかの古老によってのみ伝えられている。
この踊りは、鳴物は入らず派手なものはないが、そのゆるやかな踊りと調子には、いかにも素朴な味がある。般若経を広めるためのものとされるが、その歌詞には仏教臭がなく、むしろ白山信仰の片鱗が感じられる。現在は、三段ともに、歌詞にも振りにも新しいものがみられるが、その長い囃子言葉は、誠に間のびしたもので、その調子がのどかで、余情をもつ捨てがたい味があり、その年輪の深さを感ずる。