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武川久兵衛文書、地図[たけかわきゅうべえもんじょ、ちず]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 下呂市 |
所有者 | 個人所有 |
指定年月日 | 昭和44年1月22日 |
濃飛両国の商人の中で全く異色であった飛騨屋久兵衛は、益田郡下呂郷湯之島村の出身である。先祖の武川倍紹は、武田の家臣で主家滅亡の後、この湯之島村に来て土地の名家を継いだ。その4代倍行のとき、飛騨屋久兵衛を名乗り材仕出業を目指し、江戸材木商須原屋をたよって元禄9年(1696)弟と共に江戸に出た。その2年後、下北半島の大畑村(4年間)を足掛かりとして蝦夷地にて蝦夷材を主とした唐檜山開発による材木仕出請負を手がけた。仕出した蝦夷材を江戸・大阪に搬出したり、蝦夷人と種々交替してかなりの蓄積を得た。やがて諸事情により請負場所を取り上げられるなど、寛政元年(1789)、4代益郷は蝦夷地を撤退せざるを得なくなり郷里湯之島に帰った。
本文書は初代飛騨屋久兵衛が蝦夷地に進出し、活躍し、4代に帰郷するまで92年間に交替した文書・記録類320点である。その全貌は平成6年(1994)3月、県歴史資料館発行の「武川久兵衛家文書目録」に詳細に記されている。
この4代にわたる飛騨屋久兵衛の北海道開拓及び交易の経緯を語る文書類は他に類をみない貴重な資料である。
なお、飛騨屋久兵衛の蝦夷仕出材の経営を知りうる史料(諸勘定目録・惣元立指引目録など)は北海道大学付属図書館に保管されていることを附記する。