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慶長時代古文書[けいちょうじだいこもんじょ]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 可児郡御嵩町 |
所有者 | 個人所有 |
指定年月日 | 昭和32年12月19日 |
写真 |
徳川家康は関ヶ原の役が終わった直後の慶長6年(1601)正月に東海道の宿駅を整備し、次いで中山道に着手した。すなわち東海道に結ぶ美濃路と共に東海道に次ぐ幹線道路として中山道を幕府道中奉行の直轄に属し、直ちに宿駅制度をしいた。御嵩宿本陣の野呂家に伝来されてきた4通の古文書は、中山道宿駅制度成立当初のものとして貴重な資料である。内容は次のとおり。
- 慶長7年(1602)2月24日付で徳川家康が御嵩宿に下した侍馬朱印状:この朱印状は馬牽きの絵の上に「伝馬朱印」と印文したもので、中山道での伝馬制の施行を実証する文書
- 慶長7年(1602)6月2日定書:徳川家康直属の大久保十兵衛(長安)ら四奉行から御嵩宿に宛てた路次駄賃の定書
- 慶長8年(1603)10月2日伝馬定書:大久保石見守からミだけ惣中宛の伝馬定書
(以上、3通は幕府から直接御嵩宿に下附した古文書) - 慶長7年(1602)6月10日定路次中駄賃之覚:宿問の駄賃が公示された最初のもの。江戸町年寄の奈良屋・樽屋の両名から差し出した文章で、裏書に大久保十兵衛他3名の連署がある。