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朝戸鶯夢収集考古資料附石器図[あさとおうむしゅうしゅうこうこしりょうつけたりせっきず]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 高山市名田町 |
所有者 | 神通寺 |
指定年月日 | 平成7年6月23日 |
高山市神通寺所蔵の考古資料は、同寺11世住職朝戸善友(1858〜1923)が明治から大正にかけて日本国内はもとよりアメリカ・中国などから収集したものである。飛騨地域出土遺物が圧倒的多数をしめているが、中でも高山市朝日町青屋出土の六頭石斧、同市垣内出土の石槌(鍔[つば]付彫刻大石棒)、同市荘川町出土の御物[ぎょぶつ]石器、旧大入賀村上野出土の環状石斧、柄の方を細くした弥生時代の磨製石斧、朝日村青屋で出土したタガ様の突起を四個所で付け、両端に刃をもち独鈷[どっこ]石の類かと思われる石斧などが注目されている。また、朝戸善友は所蔵の考古資料の中から169点を選び着色図示し、出土地・採集者・採集年を記入している。(鶯夢[おうむ]軒所蔵石器図)
朝戸善友は字成卿、号鶯夢、別号高山。安政5年(1858)高山三之町村に生まれ、栃木県師範学校に学んだ。帰山して大正8年(1919)1月神通寺第11世を継いだ。知的好奇心の旺盛な人で、僧職の傍ら漢詩、絵画、書等を嗜み、考古資料のほか古鏡、藩札、古銘、切手、古陶器、経典等多方面の収集と研鑚に努めた。