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禅昌寺蔵白隠書跡[ぜんしょうじぞうはくいんしょせき]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 下呂市萩原町中呂 |
所有者 | 禅昌寺 |
指定年月日 | 昭和34年11月16日 |
禅昌寺の書跡は、白隠が宝暦8年(1758)、神戸町瑠璃光寺で愚堂国師の百年法要を終えた後、立ち寄り、滞在したときのものであり、そのまま伝わっているところに意義がある。
白隠は仏教の大衆化をはかり、衆生済度を念願とし、その方法として、観音講を一般に普及させた。その観音講の中心となる延命十句観音経の霊験は、金毘羅、秋葉両社の神慮にかなうと説いているので、観音経開筵のときは、この2軸をかけて、観音像とともに、奉拝したのである。
書跡の法号は紙面いっぱいに白隠独自の太い文字で書き、白隠、慧鶴の2印がある。