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沿革
希望が丘こども医療福祉センターの沿革
昭和32年8月岐阜県立整肢学園として益田郡下呂町(現下呂市)に開設
(2病棟、入園定員50名、入園児童11名)
初代園長綾仁冨弥就任
昭和33年10月_天皇皇后両陛下行幸啓
昭和39年4月_病棟等の増設に伴い入園定員100名となる。
昭和45年10月_保育室新築
昭和47年7月_第2代園長日比野光男就任
昭和49年4月_第3代園長綾仁冨弥就任
昭和49年5月_岐阜市の現在地に新築移転、入園定員130名となる。
母子入園、措置入園(定員20名)開始
昭和50年6月_屋外プール完成
昭和50年7月_常陸宮、同妃殿下御視察
昭和51年7月_皇太子、同妃殿下行啓
昭和52年2月_屋外訓練パーク完成
昭和53年6月_歯科診療開始
昭和54年4月_「希望が丘学園」と名称変更
学園内に岐阜希望が丘養護学校が開校される。
(平成19年4月に岐阜希望が丘特別支援学校と改称)
昭和59年4月_あすなろ病棟を多目的ルームとし、2病棟運営となる。
昭和61年4月_第4代園長山元暁就任(綾仁冨弥名誉園長となる。)
昭和61年5月_秩父宮妃殿下御視察
昭和61年10月_中庭に屋外感覚統合訓練パーク完成
昭和62年11月_学園開設30周年記念行事挙行
平成2年4月_第5代園長橋本幸生就任
平成5年8月_第6代園長荒谷繁就任
平成7年4月_学齢前児の措置通園定員25名となる。
学齢児通園(若干名)開始。
平成8年3月_保育室増築及びあすなろ病棟改修
平成8年4月_学齢前児の措置通園定員55名となる。
平成10年4月_第7代園長徳山剛就任
平成11年4月_入園定員90名となる。
平成11年10月_皇太子、同妃殿下行啓
平成12年3月_エレベーター増設(障がいの重度化、通園児の増加に対応)
平成12年4月_小児科標榜(外来診療室整備)
平成13年5月_地域療育システム支援事業開始
平成17年11月_入園定員88名となる。
平成18年1月_発達支援センターのぞみ新設
平成24年4月_児童発達支援センター開設
発達支援センターのぞみを「発達障がい支援センターのぞみ」に改称
平成26年4月_児童発達支援センター相談支援事業開始
平成27年4月_保育所等訪問支援事業開始、
「発達障がい支援センターのぞみ」が障がい者総合相談センターに移転
平成27年9月_岐阜市則武に新築移転
希望が丘こども医療福祉センターと改称
(入所定員53名、学齢前児の通所定員50名)
平成28年11月_皇太子殿下行啓
平成29年11月_徳山剛所長第51回高木奨励賞受賞
令和4年4月_入所定員43名となる。
岐阜県立整肢学園(益田郡下呂町:現下呂市)
昭和32年開設当時の整肢学園
湯の島より望んだ整肢学園全景(昭和39年増築後)