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ぎふの治山の歴史
ちさん(治山)事業の果たす重要な役割
森林には、山崩れなどの災害を防止したり、豊かでおいしい水を供給したり、心身がリフレッシュできる緑の環境を提供するなど、さまざまな重要な働きがあります。こうした働きを回復させたり、高めたりするために、森林を健康で活力ある状態にする事業が治山事業です。
豊かな緑を創出してきた成果
明治の初めの頃にオランダ人技術者を招いて近代的な治山事業に着手して以来、先人によって営々と続けられた努力が今日の緑豊かな県土につながっています。例えば、明治の初期、ヨハネス・デレーケの指導と日本の伝統的な石積み技術によって築かれた「オランダ堰堤(えんてい)」の一部は各地で今でもなお働いているほか、戦後の荒廃した「はげ山」の緑化に注がれた汗は、今日の東濃丘陵地帯となって実を結んでいます。
昭和33年の東濃の丘陵地帯(土岐市妻木町字東山から鶴里町方面を望む)。戦前・戦時の伐採により、全国で約150万haの荒廃地が戦後に残されました。当時の山肌は、白っぽい茶色の土が至るところに見られました。出典:「治山のあゆみ」(昭和62年土岐市)
約20年を経て緑豊かな景観がよみがえりました。出典:同上。
今も現役で活躍するデレーケの石積み堰堤
(中津川市坂下町島井田境沢)
緑が豊かな土岐市駄知町周辺地域の現況
土岐市で、治山事業を施工した箇所
(昭和7年〜昭和44年左の地域を含む)
表土が流れ出ないよう等高線に沿って階段を刻み、土のない所では土も運び入れて、人の力で植林しました。
根が乾いて苗木が死なないように、木を植えてからムシロをかける作業や水を絶やさないようにするのもすべて人の力でした。