本文
ハゝ鳥[ははちょう]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 加茂郡八百津町八百津 |
所有者 | 大仙寺 |
指定年月日 | 昭和33年7月16日 |
画は前古右京筆、讃は万里集九、万里名は集九といい梅庵と号した。なお、他に梅花同人、漆桶道人とも号した。幼時に出家して相国雲頂院に住み、大圭和尚に教えを受けた。応仁年間に乱を避け、江濃尾の間にあり、法衣を脱いで居士と称し、梅花無尽藤漆桶不会と号し、現在の鵜沼町に住んでいた。文明年間武州に遊び、太田道灌に優遇され、文明18年(1486)上杉定正に招かれ鎌倉に行き美濃に帰った。万里の讃は次のとおりである。
子野禽経不載名宣和御殿
各多評毛衣一点染残処
江左梅庵漆桶百里
高飛常雖有皈鴻未是弋人
(糸へんに曽) (糸へんに「激」のさんずいをとった字)中鸛 (谷へんに鳥)低考相対語
半巌草色尚春哉
江左梅庵桶万里