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八王子神社社殿[はちおうじじんじゃしゃでん]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 恵那市明智町 |
所有者 | 八王子神社 |
指定年月日 | 昭和50年12月10日 |
八王子神社は社伝によると、領主の氏神とでもいうべきで、天暦3年(949)に勧請され社領二千石、明智・串原・高波・浅谷などの諸村を領していたという。
天正2年(1574)武田勢のため城と共に焼失した。慶長8年(1603)13代利景明智城再興旧領安堵の御朱印拝受、新たに社殿を再興したという。
現在の社殿は延宝4年(1676)旗本、遠山4代半九郎伊次公によって造営されたものである。社殿は本殿・幣殿・拝殿を連結したいわゆる権現造で、本殿は三間社流造[ながれづくり]、幣殿は桁行3間梁間1間両下造、拝殿は桁行7間、梁間4間入母屋造[いりもやづくり]で前面に縋破風向拝[ごはい]付、拝殿の前面通りは吹放ちとし、入側通りは中央間は4枚建て格子戸引違い、その両脇間はすべて蔀戸[しとみと]とし、周囲は板壁としている。屋根は現在銅板葺となっているが、もとは柿葺[こけらぶき]であった。縁廻も後世の修理をうけているが、よく当初の姿をとどめ境内も立派でよく整備されている。延宝再建時の記録が神社の縁起として残っている。即ち材木は三河より運び、大工は伊勢より、葺師は尾張よりきたるなどとある。この御普請工数大工凡そ7347人、木挽632人、葺師1630人絵師194人などの記録があって建物同様貴重である。
なお、神門(向唐門)については記録はないが、同時代の建立と推定される。また、拝殿前面左脇の人麻呂明神社殿についても記録はないが、様式は春日造りで建立年代も略同時期と推定される。