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弥生時代
弥生時代~米づくりの広がりと人々のくらし~
大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって、稲作や金属器が伝えられました。岐阜県の遺跡から出土したホンモノの遺物から、当時の人々の暮らしの様子を想像してみましょう。
弥生時代の人々のくらし
今宿遺跡(大垣市)水田と集落(弥生後期)
人々は大きな区画の中をいくつも区切って小さな区画をつくり、水田を営んでいました。
溝の西側(写真矢印から下)は水田よりも高くなっており、住居や倉庫がならんでいました。人々がここにくらしていたのです。
今宿遺跡竪穴建物(弥生後期)
竪穴建物に残っていた柱
この竪穴建物には当時の柱が残っていました。柱にはのみのような道具で加工されたあとが残っていました。
砂行遺跡(関市)重なる竪穴建物(弥生後期)
竪穴建物から出土した土器
平地だけでなく、山の斜面にも人々はくらしていました。土器は物を煮炊きしたり、保存したり、お供えしたりするときに使われました。
弥生時代の様々な道具
木を材料にしたものは、柱だけではありません。様々な道具がありました。
柿田遺跡(可児市)から出土した木製品(弥生から古墳)
土をたがやす道具、収穫した米をつく道具、刈りとったわらをたたきほぐす道具などがあります。今の道具と比べてみるとどうでしょうか。
柿田遺跡から出土した石器(弥生後期)
木の道具のほかにも石の道具がたくさん見つかりました。稲穂をつみとった石包丁もありますね。
弥生時代のお墓
はいづめ遺跡(揖斐川町)土器を利用した棺(弥生前期)
弥生時代の初めころは、土器を棺(ひつぎ)にして埋葬していました。縄文時代から続く文化が残っていたのです。
荒尾南遺跡(大垣市)たくさんの周溝墓(弥生中期)
その後、溝を円形や方形(四角形)に掘ってその中央に土をもって高くし、そこにお墓(周溝墓)ができるようになりました。
荒尾南遺跡から出土した金属製品
周囲からは上の写真のような金属器が出土しています。いろいろなおまつりに使われていたことでしょう。
ここで紹介するホンモノの遺物の貸し出しも行っております(保管資料の活用)。
また、これらホンモノの土器や石器を持参して行う出前授業も行っております(出前授業)。