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登録有形文化財
山林の過度な乱伐等により山地が荒廃し、荒廃した山地から流出した土砂等への対策として、古くは江戸期から各地で砂防工事が実施されきました。
岐阜県内には明治期以降の砂防施設が現在まで残り、現在も土砂災害を防いでいるものがあります。
こうした砂防施設の中には歴史的価値を有し、地域の貴重な文化遺産となるものが少なくないことから、国の登録有形文化財に登録されているものがあります。
ところで、登録有形文化財とは何でしょうか?
文化財登録制度の対象となるのは、建築後50年以上たった建造物です。住宅や社寺などはもちろん、橋、水門・トンネル・煙突など幅広く数多くの文化財を対象としています。
わたしたちのまわりで、広く親しまれていたり、そこでしか見られない珍しい形をしているものなどがその資格を持っています。
岐阜県には登録を受けた砂防施設が20基あります。これらは我が県の砂防史を語る上で欠かせないものばかりです。
砂防施設の登録有形文化財一覧
名称【よみ】 |
画像 | 所在地 |
登録年月日 |
年代 | 説明 |
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羽根谷砂防堰堤(第一堰堤) 【はねだにさぼうえんてい(だいいちえんてい)】 |
海津市南濃町奥条地内 | H9年9月3日 | 明治21年 | オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導の下設置された砂防堰堤の一つ。 堤高約12メートル、堤長約54メートルの大きさで当時としては最大級である。堰堤は巨大な石を積んで築かれた「巨石空石積(きょせきからいしづみ)堰堤で、現在でも堤体に大きな狂いのないことは、当時の技術の高さを示している。 |
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羽根谷砂防堰堤 【はねだにさぼうえんてい】 |
海津市南濃町奥条地内 | H10年1月16日 | 明治 | 第一堰堤同様にオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導によって建造された。 巨石空石積堰堤で、堤長85メートル、堤高10.4メートルと大規模なもの。谷が広がった場所に位置し勾配が緩いつくりになっているのが特徴。明治期の空石積砂防堰堤としては全体規模と同時に石の大きさも最大規模のもので、わが国の砂防史を語るうえで欠かせない貴重な土木遺産である。 |
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足洗谷第一号砂防堰堤 【あしあらいだにだいいちごうさぼうえんてい】 |
高山市奥飛騨温泉郷中尾 | H18年3月27日 | 昭和9年 | 神通川水系平湯川右岸の蒲田川に流れ込み、焼岳を水源とする足洗谷の上流域に位置している。 堤長59m、堤高10mの本堤は昭和8年、副堰堤は翌年に築かれている。いずれも表面谷積の重力式コンクリート造で、下流に点在する温泉地を土砂災害から守っている。 |
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岩坪谷第一号砂防堰堤 【いわつぼだにだいいちごうさぼうえんてい】 |
高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根 | H18年3月27日 | 昭和9年 | 神通川水系平湯川右岸の岩坪谷の上流域に位置している。 堤長40m、堤高10m規模の重力式コンクリート造堰堤で、下流側法勾配2分、上流側法勾配5分とし、水通しの下には矩形の水抜き暗梁を設けている。谷積で築かれた堤体の基部に巨石を積んでいるのが特徴的である。 |
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岩坪谷第二号砂防堰堤 【いわつぼだにだいにごうさぼうえんてい】 |
高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根 | H18年3月27日 | 昭和13年 | 焼岳を水源とする岩坪谷の最上流に位置する重力式コンクリート造の砂防堰堤で、堤長41m、堤高8mの本堤が昭和11年、副堰堤は同13年に竣工した。 縦浸食作用を受けた地形に対応しており、水通し肩部を高さ5m、法勾配5分で築いた立面形状が特徴的な堰堤である。 |
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岩坪谷第三号砂防堰堤 【いわつぼだにだいさんごうさぼうえんてい】 |
高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根 | H18年3月27日 | 昭和12年 | 岩坪谷第二号砂防堰堤の約150m下流に位置している。 堤長41m、堤高6mの重力式コンクリート造堰堤で、表面を谷積で築いている。一号、二号堰堤と連続的に築くことで、渓床勾配の緩和による渓岸の安定が図られ、周辺の緑の回復に寄与している。 |
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日影第一号砂防堰堤 【ひかげだいいちごうさぼうえんてい】 |
高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根 | H18年3月27日 | 昭和27年 | 神通川水系平湯川右岸の岩坪谷の下流に位置している。 堤長56m、堤高17mの重力式コンクリート造堰堤で、表面を谷積で仕上げ、堤体のほぼ中央には、幅4mの大規模な欠円アーチ形暗梁を設けるのが特徴的である。設計は、建設省富山工事事務所長の橋本規明氏である。 |
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山神砂防堰堤 【やまがみさぼうえんてい】 |
中津川市恵下地内 | H18年10月18日 | 昭和15年 | 中津川市中心部を貫流する木曽川水系中津川支流四ッ目川の中流域に位置している。 堤長42m、堤高8mの重力式堰堤を、護岸と副堰堤と一体的に築き、表面全体を谷積とした。四ッ目川災害後に計画された砂防事業において、最初に築かれた砂防堰堤である。 |
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二ヶ滝第一砂防堰堤 【にがたきだいいちさぼうえんてい】 |
中津川市川上地内 | H18年10月18日 | 昭和24年 | 中津川市の南部を流れる中津川支川正ヶ根谷右支二ヶ滝に位置している。 堤長26m、堤高5m規模の重力式の堰堤で、上流側法勾配5分、下流側法勾配4分とし、表面は谷積で築かれている。間知石形状の切石の空積を用いるという、全国的に類例のない構造形式が特徴である。 |
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浦山第二砂防堰堤 【うらやまだいにさぼうえんてい】 |
土岐市妻木町旭町 | H18年10月18日 | 昭和18年 | 土岐市を南北に貫流する庄内川水系妻木川の支川浦山谷川に位置している。 堤長28m、堤高5m規模の重力式の堰堤で、表面は谷積、法勾配は、上下流とも5分としている。切石の空積を用いながらも、天端3.5mと堤体を厚く築くことで、土砂圧に耐えることができる構造とした。 |
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小豆沢第一号砂防堰堤【あずきさわだいいちごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町小豆沢 | H31年3月29日 | 大正8年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の小豆沢谷に位置している堤長36m、堤高5.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 小豆沢砂防堰堤群の最下流部を構成する堰堤で、神通川水系に設置された最初の砂防施設である。 |
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小豆沢第二号砂防堰堤【あずきさわだいにごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町小豆沢 | H31年3月29日 | 大正9年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の小豆沢谷に位置している堤長30m、堤高4.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第一号砂防堰堤の200m上流にある堰堤で、深山の谷筋に滑滝状の水流をつくりだし、砂防事業の進捗によって回復した植生の中で存在感を示している。 |
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小豆沢第三号砂防堰堤【あずきさわだいさんごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町小豆沢 | H31年3月29日 | 大正9年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の小豆沢谷に位置している堤長25m、堤高5.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第二号砂防堰堤の240m上流にある堰堤で、周辺環境との同化が進み、土砂流出の抑制と植生の回復を目的とした砂防施設の効果を如実に物語っている。 |
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桑谷第一号砂防堰堤【くわたにだいいちごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町桑野 | H31年3月29日 | 大正10年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の桑谷に位置している堤長29m、堤高6.4m規模の練石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第五号砂防堰堤の90m上流にある堰堤で、正面に副堰堤を附属しており、精緻な石積みで緑豊かな渓谷の景観の添景となっている。 |
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桑谷第二号砂防堰堤【くわたにだいにごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町桑野 | H31年3月29日 | 大正10年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の桑谷に位置している堤長26m、堤高6.4m規模の練石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第一号砂防堰堤の70m上流にある堰堤で、正面に副堰堤を附属しており、第一号砂防堰堤とともにカスケード状の水流をつくりだし、緑豊かな渓谷の景観に彩りを添えています。 |
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桑谷第五号砂防堰堤【くわたにだいごごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町桑野 | H31年3月29日 | 大正9年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の桑谷に位置している堤長31m、堤高9.1m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 桑谷の最下流部にある堰堤で、正面に練石積みの副堰堤を附属しており、神通川上流部で最大高を誇る砂防堰堤は、落差4mの滑滝状の水流が渓谷の景観に存在感を示している。 |
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桑谷第六号砂防堰堤【くわたにだいろくごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町桑野 | H31年3月29日 | 大正9年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の桑谷に位置している堤長36m、堤高5.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 桑谷の最上流部にある堰堤で、当初の姿をよく残し、人力のみで構築された大正期の空石積み構造の施工技術をよく現している。 |
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桑谷第十号砂防堰堤【くわたにだいじゅうごうさぼうえんてい】 | 飛騨市宮川町桑野 | H31年3月29日 | 大正9年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系宮川の桑谷に位置している堤長23m、堤高4.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第二号砂防堰堤の220m上流にある堰堤で、正面に練石積みの副堰堤を附属しており、土砂流出の抑制による植生の回復が進んだ渓谷中央部の景観によく馴染み、砂防施設の効果を示している。 |
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六郎谷第一号砂防堰堤【ろくろうたにだいいちごうさぼうえんてい】 | 飛騨市神岡町東町 | H31年3月29日 | 大正10年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系高原川の六郎谷に位置している堤長43m、堤高5.5m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第二号砂防堰堤とともに六郎谷砂防堰堤群の最下流部を構成する堰堤で、川下の神岡鉱山中核域を土砂災害から守り、近代日本の重工業化を支えた砂防施設である。現在は、堤体の大半が土砂に埋没し、過酷な自然条件下で効果を発揮する砂防施設の機能を如実に物語っている。 |
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六郎谷第二号砂防堰堤【ろくろうたにだいにごうさぼうえんてい】 | 飛騨市神岡町東町 | H31年3月29日 | 大正10年 | 飛騨市を南北に貫流する神通川水系高原川の六郎谷に位置している堤長49m、堤高6.1m規模の空石積の砂防堰堤である。 現代では再現することが容易でない、石材を全て人力により積み上げられており、建設当時の工法を今日に伝えている。 第一号砂防堰堤とともに六郎谷砂防堰堤群の最下流部を構成する堰堤で、川下の神岡鉱山中核域を土砂災害から守り、近代日本の重工業化を支えた砂防施設である。現在は、堤体の大半が土砂に埋没し、過酷な自然条件下で効果を発揮する砂防施設の機能を如実に物語っている。 |
さぼう遊学館
重要文化財に登録されている羽根谷砂防堰堤2基を含む歴史的砂防堰堤が集中する場所として、岐阜県ではこの2基の堰堤に隣接して土砂災害について学ぶための施設「さぼう遊学館」を平成6年に設置し、平成29年度にリニューアルオープンしました。
さぼう遊学館では、事前にご予約をいただきますと、土砂災害に関し専門家による説明を聞くことができます。ご希望があればこの2基の堰堤の説明を受けていただくことが可能です。
また、さぼう遊学館では、2基の羽根谷砂防堰堤を回る「さぼうウォークラリー」を行うことも可能です。
さぼう遊学館の入場は無料となっておりますので、ぜひご利用ください。
さぼう遊学館
- 利用時間:午前9時00分〜午後5時00分
- 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日から1月3日まで)
- 入館料:無料
詳細はさぼう遊学館のページをご参照ください。