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堅田遺跡・美濃国分尼寺東遺跡
堅田遺跡・美濃国分尼寺東遺跡(かただ・みのこくぶんにじひがし)
所在地
不破郡垂井町平尾(ふわぐんたるいちょうひらお)
地図(堅田遺跡<外部リンク>)<外部リンク>、地図(美濃国分尼寺東遺跡)<外部リンク>
時代
縄文時代、古墳時代から近世
平成26年度発掘区遠景(北東から)
平成27年度発掘区遠景(西から)
発掘状況
堅田遺跡と美濃国分尼寺東遺跡は濃尾平野の北西部に位置し、堅田遺跡の東側には美濃国分寺跡、美濃国分尼寺東遺跡の西側には美濃国分尼寺跡があります。また両遺跡の南側には、東山道推定ルートが通ります。堅田遺跡は平成26年度と27年度に、美濃国分尼寺東遺跡は平成26年度に発掘調査を行い、美濃国分寺の前身寺院が創建された6世紀後半から、美濃国分寺が衰退した13世紀にかけて、継続して人々が活動していたことが分かりました。また、縄文時代晩期と近世の遺構も確認しました。
遺物の中心は須恵器、灰釉陶器、山茶碗類です。墨書をもつ須恵器の坏身や転用硯、水瓶、大型の火舎香炉の蓋など、寺院との関連が考えられる遺物が出土しました。また、陰刻花文の施された灰釉陶器の皿も出土しました。
堅田遺跡出土遺物
今回の調査では、寺院との関わりが直接分かる遺構は確認できませんでしたが、鞴の羽
口や鉄滓が出土しています。このことから、寺院に伴う工房が存在したと考えられます。
下の写真は、底面と壁面に被熱痕跡がある方形の土坑ですが、そうした工房と関連のある
遺構の可能性があります。
被熱痕跡のある土坑
鞴の羽口