本文
知事記者会見(平成28年2月23日)
平成28年2月23日(火曜日)午後3時00分
知事 |
お手元に資料をお配りしてあると思いますけれども、3点私からご報告をさせていただきます。 それから次に、3月6日(日曜日)に、岐阜県の総合医療センターにおいて小児医療センターの竣工式が行われます。そして、3月8日(火曜日)から供用開始ということでございますので、ご連絡をする次第でございます。 それから3番目が平成27年度の岐阜県子育て支援エクセレント企業の決定ということでございます。平成23年度からエクセレント企業ということで、特に子育て支援の模範となる取組みをやっておられる企業を認定してきております。これまで31社認定しておりますが、今回、認定要件から企業規模を撤廃したものですから、大企業からも手が挙がって、一挙に25社が認定されるということでございます。 |
---|---|
記者 | 古戦場サミットの件ですけれども、先般関ケ原の古戦場なのですが、日本遺産の申請をされたということですが、知事は常々、世界遺産での「岐阜ブランド」の売り出しということをおっしゃっておりますけれども、日本遺産に注目されたねらいというか理由をお聞かせください。 |
知事 | 日本遺産というのは、国でいうと観光庁ではなしに文化庁が打ち出したコンセプトでありまして、文化庁の立場から遺産としてのストーリー性といいますか、それの新しさ、面白さといいますか、そういったことに着目して認定をしていこうと(いうものです)。当面100件の認定を目指すということで、昨年に第一弾が18件認定されまして、「信長公のおもてなし」という岐阜市の案件が入ったわけでありますけれども、信長という天下布武というか、武力でもって平定をしていくという荒々しいイメージと、おもてなしというやわらかなイメージがくっついているということで、大変ユニークでもあり、またストーリー性の豊かなテーマを持った案件であるという大変高い評価を得て、「信長公のおもてなし」ということで認定されたわけであります。 今回、関ケ原も古戦場として手を挙げておるわけではありませんで、関ケ原古戦場グランドデザインを作っていくなかで色々と議論してきましたけれども、関ケ原には“人間と大地の物語”があると、関ケ原の持っている物語性というものを日本遺産のそういった考え方に乗せてアピールしたらどうだろうかということで、「ここが東西出会いの地関ケ原」ということで(申請しております)。 天下分け目の合戦というのは一日で終わったんですね。15万人の兵が集まって1日で終わった、まさに分け目の合戦であったわけですが、同時にこの東西の出会いの場であるということで、古来この地域が東の文化と西の文化が出会う場所として色々な出来事があり、それから不破の関ができたり、壬申の乱があったり、色々な往来があると。それから中山道、北国街道そういったものが、あそこで交錯するわけですね。そういうところに色々な出会いが生まれ、文化が生まれたということで、方言をとっても、お餅の形をとっても、味付けをとってもですね、東と西があそこでまさに接しているものがあれば、融合したものもあれば、色々な意味で出会いの場としてこの歴史を経てきたのではないかということで、そこの物語をアピールしてみようということで手を挙げた次第であります。 かなり第2ラウンドも候補が多く出ておるようですけれども、私どもとしてはいわゆる古戦場に留まらない、長い歴史の中での日本の西と東の出会いの場というコンセプトで関ケ原をアピールしてみてはどうかという、そういう新しい試みで手を挙げたところでありまして、これからプレゼンをする機会もあるかもしれませんが、こういったことについて理解を得られれば有難いなと思っております。 |
記者 | 今、民主党と維新の党が合流しようという動きがあり、それから共産党が「1人区」に候補者を擁立しないという動きがありますが、それについての知事としての見解をお聞かせください。 |
知事 | 知事としてコメントする話ではありませんけれども、(自民党の)一強的な流れのなかで、色々な政治の可能性を色々な角度から議論しておられるという、そういう現状を変えていくための色々な試みというか、ということで議論がなされているんだろうと思っておりますけれども。そういう今の色々な動きが、来るべき参議院選挙にどういうふうに影響していくのか、あるいは定数、区割の議論もありますし、その他色々な政治情勢にどういうふうに関わっていくのか、あるいは国会論議にどうかかわっていくのか、そういった意味で政治のダイナミックな動きの一つとして、今、注意深く見させていただいているということでしょうか。 |
記者 | 改めて、古戦場サミットをきっかけに、どうしていきたいかの意気込みをお聞かせください。 |
知事 | 昨年の3月に「関ケ原古戦場グランドデザイン」ということで、かなり詳細なスケジュール、アクションプランを含めた、ざっと5年がかりの関ケ原をどう磨いていくか、アピールしていくかというプランを丁寧に作り上げてきましたので、今はそれにのっとって、1つ1つ実行に移していく段階ということかと思います。 昨年はその手始めということで、駅前に交流館を完成し、従来とは違う試みでのイベントを秋にやってみたと。やってみてわかったことは、年間十数万人のお客さんが来ていると言われている関ケ原で、わずか2週間で、新しい試みのイベントをやったら7万人の人が入ったということですから、関ケ原のポテンシャルと言いますか、色々な意味での関心は非常に高いし、多くの人の関心の地としての伸びしろは、非常に大きいのではないかという手応えを得たということで、今度、来年度予算を議会に提出するわけでありますが、かなり思い切った内容の予算になっております。徳川家康の陣地を中心に、史跡を保存しながら、お出でになった方に楽しんでいただけるような、陣地の再生をやりながら、関ケ原全体の案内図とか、色々な説明の看板等々、一定のデザインの元で統一的にやっていこうとか、それからビジターセンターの設計作業に入って、展望台、資料館機能、バーチャルリアルティとしての関ケ原合戦の再現のソフトの開発とか、そういったことを来年度は手掛けていこうということです。 広大な土地でありますので、順番にざっと5年がかりでやっていって、そういうプロセスの中で、国際的な広がりも見出していこうということで、今回サミットを企画したと。ゲティスバーグもワーテルローも、大変興味を持って応じていただいたということであります。国内だけではなしに、世界に発信できる手がかりも得ながら前に進んでいこうと、こんな感じでおります。 |
記者 | 今の関連で、5年がかりでやっていく中で、5年後に観光客としてどのくらいの方に来ていただける場所を目指すのか。また国際的な広がりということもありましたが、来ていただく観光客のターゲットはインバウンドというか外国人観光客になるのか、日本人に刺さる魅力を目指していくのか、その辺りをお聞かせください。 |
知事 | あらかじめ数字を置いて、それを目標にしていくという感じではありませんけれども、去年の経験で、わずか2週間で7万人ですから、企画のよろしきを得れば、爆発的な反響を得られるのではないかということで、しかも今有識者懇談会に参加していただいている方々はオールジャパンで関ケ原、あるいはあの時代を専門にしている方々ばかりでございますので、ハード・ソフト含めて、色んな知恵をいただきながら、大爆発を期待したいなと思っております。 現に、みなさんあそこへ行って、「どう見ていいのかわからない」とか、「もう少しなんとかしてくれたら、でも行ってみたい」とか(仰います)。去年もケネディ大使も岐阜に来て真っ先に関ケ原へ行きたいということでありましたし、あまりメディアには出ませんけれども、こういうところで言っていいのかわかりませんが、小泉元総理も関ケ原が大好きで、しばしばおいでになって、私には「武将観光の時代だよ」と仰っておられます。 多くの方が、古戦場としてきちんと整備された関ケ原を見てみたいということは、随分仰っておられますので、非常にポテンシャルが高いと思います。それから、国際的には、もう結構各国、軍の教科書に出てくるんですよね。戦史の1コマとして、あの戦いが何であったか、どういうことで帰趨を決したのかとか、戦史の勉強の中で出てくるテーマにもなっているわけですなので、国際的にも非常に、すでにブランドとしては、かなりいきわたっているということです。 ただ、来て、どこへ行ってどうしていいかわからないという辺りが、非常にわかりにくいものですから、私は国内も国外も含めて最大限のブレイクスルーを図っていきたいと思っています。 もう1つは、東海環状の西回りが着々と整備をされていくわけなので、この西回りが整備されればされるほど、では高速道路を活用してどこへ行くのか、何を見て楽しむのかという時に、この関ケ原、それから先ほどちょっと日本遺産の話で申し上げましたけれども、旧中山道、不破の関、壬申の乱、大垣城、大垣祭、垂井祭、あの地域の東西文化の交流の地としての魅力をどんどん広げていく。 それから、今、養老鉄道もどう立て直すかという中に、関ケ原と養老鉄道、養老公園をつないだ広域観光といったことも考えたいと思っておりますし、そういう意味での、広域観光の大きな拠点にもなっていくのではないかという期待もありまして、非常に今期待がたくさんございますので、1つ1つ各論としてどうこなしていくのかと。5年たっても、その先、じゃあ何しようかということになるのかもしれませんね。 |