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広畑野口遺跡
所在地
各務原市蘇原青雲町(かかみがはらしそはらせいうんちょう)
地図<外部リンク>
時代
古代、中世
調査区近景(西から撮影)
発掘状況
各務原台地の西側に位置します。この遺跡からは飛鳥時代から奈良時代の官衙跡(かんがあと:役所跡)と、鎌倉時代から室町時代の集落跡がみつかりました。官衙跡からは掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)8棟、柵跡(さくあと)3列、廃棄土坑(はいきどこう)3基、溝13条が、集落跡からは竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)1軒、掘立柱建物跡7棟、溝22条、井戸5基などが見つかりました。各務原台地の西側には古代寺院が5つありますが、そのうちの一つ山田寺(さんでんじ)跡の約300m南から見つかった官衙跡であり、今後の調査でどのように広がっていくのかが期待される遺跡です。
1号掘立柱建物跡(飛鳥時代)
3・4・5号掘立柱建物跡(飛鳥から奈良時代)
官衙跡の掘立柱建物跡は長方形をしており、南北方向に長いものと東西方向に長いものとで8棟あります。建物跡は方向を変えて建て替えたりその場で建て替えたりしています。建物跡は柵跡で囲われています。上の写真の人の位置に柱が立っていました。柱の穴は方形で幅が約1mあります。
7号掘立柱建物跡(奈良時代)
廃棄土坑(飛鳥時代)
廃棄土坑とは昔のゴミ穴のことです。上の写真は廃棄土坑を掘っている途中の様子で、長さ3.5m、幅3.4m、深さ0.3mの穴から7世紀後葉から8世紀初頭の多量の須恵器や暗文(あんもん)土師器、鉄釘など約800点の遺物が出土しました。