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木造地蔵菩薩坐像[もくぞうじぞうぼさつざぞう](金錫山地蔵寺)
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 下呂市宮地 |
所有者 | 金錫山地蔵寺 |
指定年月日 | 昭和46年12月14日 |
- 寄木造玉眼
- 像高:36.0cm
地蔵菩薩坐像は、妙心寺派地蔵寺の本尊の脇仏として安置されている。寄木造、玉眼で袈裟を着け、左手に宝珠[ほうじゅ]、右手に錫杖を持った声聞形のいわゆる延命地蔵である。額に水晶の白毫[びゃくごう]があり、胸に金銅の瓔珞[ようらく]を下げている。全身黒く古色になっているのは、香で黒くなったからである。しかし、元の金地がかすかに見えるところがある。
本像の制作は、室町時代と考えられる。
地蔵菩薩は、妙心寺派の祖師、悟渓禅師の高弟、光厳禅師が、東濃苗木藩主、遠山氏の菩提寺である雲林寺を創建した際、光厳禅寺の帰依者であった紀伊大納言が、この地蔵菩薩を寄進し、雲林寺の本尊として安置された。
その後、霊験あらたかで御利益多く、東濃一帯はいうまでもなく、遠く信州木曽路方面にも信者が多かったという。ところが、明治初年の神仏分離の運命にあい、特に苗木藩は厳しく徹底し、この地蔵菩薩は、加茂郡白川町の佐見の大蔵寺に移された。さらに明治31年、良雪憲州禅師が、恵那郡福岡村法界寺から、当寺へ入山の際、この地蔵菩薩を請い受け、随伴したものと寺伝は伝えている。