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白隠筆書跡[はくいんひつしょせき]
分類 | 重要文化財 |
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指定別 | 県 |
所在地 | 美濃加茂市山之上町 |
所有者 | 賑済寺 |
指定年月日 | 昭和48年11月14日 |
白隠慧鶴(1685〜1768)は江戸中期の禅僧、駿河原の杉山家の生まれ、諡号は正宗国師。14歳のとき郷里の松蔭慈寺単嶺について出家し、諸方を歴参した。明和5年(1768)郷里の松蔭寺で84歳の天寿を全うしている。終生王侯に近づかず、諸国を巡歴して「碧巌録」「臨済録」などを講じ、広く道俗の帰依を受けた。庶民に禅を説くには、多くの詩文や書画を風刺的戯画的に書いて俗耳に入りやすくしている。
賑済寺の白隠の書跡は次の五幅である。
- 「壽」と肉太に大書し、次に「十万佛土中唯有一乗法」と細書きされているもの
- 右隅に独特の得意の達磨を書き、左に「ふと見ても」と大きな空間に小さく三行にまとめたもの
- 下に笠・蓑・槌・袋を描き、上に「君に忠、親に孝なる人しあらはミの・笠もや路槌も袋も」と書かれたもの
- 下に摺り鉢と摺り小木を描き上に「楽しみはうしろに柱前に酒気に逢ふた客すりばちのおと」と書かれたもの
- 「愚」の文字を達磨風にもじって書き、上に「あし原や絶へて久しき法の道ふみ分けた親は比翁かな」と書かれたもの