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絹本著色聖徳太子六臣像[けんぽんちゃくしょく・しょうとくたいしろくしんぞう](大垣市)

分類 重要文化財
指定別
所在地 大垣市
所有者 浄源寺
指定年月日 昭和37年10月19日

絹本著色聖徳太子六臣像

 この絵画には、中央に大きく聖徳太子の立像を描き、太子の足元左右に小さく太子の6人の臣を描き添えてある。この6臣は、太子の股肱[ここう]となり太子をたすけた6人で、右列上から小野妹子、蘇我馬子、僧日羅、左列上から秦河勝、阿佐太子、僧慧慈である。これらは、しっかりした描線で堅実精密に描かれている。色彩は褪色し、剥落したところもあるが、優れた作品である。
聖徳太子の画像には種々の様式がある。鎌倉時代太子信仰が盛んになると、太子16歳(14歳ともいう。)の折り、御父用明天皇の病気にあたり、袈裟を掛け、柄香炉をとり御平癒を三宝に祈願された姿を描いた十六歳孝養(又は祈祷)像と南無仏像が多く描かれた。
浄源寺伝来の聖徳太子六臣像は、太子の頭髪をみずらに結び、服の上から袈裟を掛け、手に柄香炉持って立つ姿となっている。
上部左右には、白い色紙形を配し、次に示す墨書がある。
吾二(二)為利生ノ(二)出デ(二)彼(ノ)衡山ヲ(一)
入ル(二)此日域二(一)降シテ(二)伏守屋之
邪見ヲ(一)欲ス(レ)顕サント(二)仏法之威徳ヲ(一)
この絵画は、文明年間まで安八郡墨俣町の真宗大谷派満福寺にあったが、この寺の隠居寺として浄源寺が創建された折りに移されたといわれている。