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第55集大前久八郎家2ー2
岐阜県歴史資料館 所在史料目録
第55集 大前久八郎家文書目録(2)
近世文書補遺
年月日 | 文書名 | 作成 | 受取 | 数 | 文書番号 |
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A 公文書 | |||||
寛政4年12月〜 明治7年 |
山林証書写(林・竹藪等流・売渡・譲証文9点) | 第廿七大区 益田郡中呂村 |
1冊 | 近世補A-1 | |
文化5年 | 大極万宝両面鑒 再刻 | 1枚 | 近世補A-2 | ||
文政5年1月 | 出入内済証文之事(馬瀬郷黒石村より同郷数河村へ掛ル訴訟、黒石村山内惣名西無笹山并ニ赤目谷山、双方納得之上取扱進退ニ相定申候) | 訴訟人 黒石村名主 弥助 外14人 |
高山御役所 | 1冊 | 近世補A-3 |
文政7年8月 | 差上申山論取?内済証文之事(馬瀬郷数河村より黒石村ヘ相掛ル訴訟入会山論之義、無故障内済和熟仕候) | 訴訟人 数河村小前惣代 権六 外9人 |
高山御役所 | 1冊 | 近世補A-4 |
(1)文政11年8月20日 (2)文政11年8月 |
(1)御朱印写(人足弐人馬弐疋従江戸飛越前美濃国迄幾度も可出之) (2)御証文(馬壱疋従江戸飛越前美濃国上下幾度も可出之) |
(2)出羽 | 1通 | 近世補A-5 | |
天保5年2月 | (中呂村高 取米外書上) | 1通 | 近世補A-6 | ||
嘉永2年 | 増補 万宝年歴箋 全 | 江戸日本橋 須原屋茂兵衛 |
1冊 | 近世補A-7 | |
嘉永3年 | 嘉永四辛亥暦 | 伊勢内宮 佐藤伊織 |
1枚 | 近世補A-8 | |
嘉永5年 | 嘉永五年壬子歳晴雨考 | 尾張医学館門人 平井豊亮直之 |
1枚 | 近世補A-9 | |
嘉永7年 | 運材図絵 全(復刻版)【ケース入】 (「広告 出材用鳶口 高山町上木甚兵衛金物部」が挟んであり) |
富田礼彦 | 1冊 | 近世補A-10 | |
安政2年10月1日〜 安政3年9月30日 |
差上申証文之事(切支丹宗門之事・博奕諸勝負之事・傾城町之外遊女之事・毎月町中不残穿鑿仕、不審成者無御座候) | 大坂南組本町壱丁目 月行司 藤屋嘉兵衛 外2人 |
御番所 | 1冊 | 近世補A-11 |
巳12月5日 (安政4年) |
覚(女壱人、江戸本郷和田屋久平後家きよ、金山より村継ニて送リ来、慥ニ受取次村ニ相送リ申候) | 東上田村 | 中呂村 | 1通 | 近世補A-12 |
万延2年 | 万延二年辛酉歳晴雨考 | 尾張医学館門人 平井豊亮直之 外1人 |
1枚 | 近世補A-13 | |
慶応3年 | 慶応四戌辰暦 【赤い紙と青い紙「朝鮮 清道香」が挟んであり】 |
京都 大経師降屋内匠 |
1冊 | 近世補A-14 | |
慶応3年 | 慶応四戊辰暦 | 伊勢内宮 佐藤伊織 |
1冊 | 近世補A-15 | |
(1)慶応4年1月22日〜 慶応4年3月19日 (2)年月日未詳 |
(1)鎮撫使御発向之節内記憶(新見内膳様・奥様方立退、竹沢寛三郎様高山御郡代様当文箱早ニて差立、御勅使様御着)(2)(益田郡阿多野郷三拾七ヶ村高・家数書上)【『萩原町史夜明け』P111掲載】 | 大前四郎兵衛 | 1冊 | 近世補A-16 | |
(1)慶応4年1月. (2)(慶応4年1月) |
(1)乍恐誓詞奉申上候御事(飛国御一新ニ付誓書)【『萩原町史夜明け』P121掲載】 (2)乍恐以口上書奉申上候(飛国年貢之義外) |
(1)益田郡惣代 上呂郷中呂村 勝七 外6人 (2)飛国三郡惣代 |
(1)竹沢寛三郎 御用人中 (2)竹沢寛三郎 御用人中 |
1綴 | 近世補A-17 |
(1)慶応4年1月 (2)年月日未詳 |
(1)乍恐奉申上誓詞之事(天朝直支配三郡惣代誓詞)【『萩原町史夜明け』P121掲載】(2)乍恐誓詞奉申上候御事(飛国之儀は徳川家支配地ニ候ヘは笠松同様御仁政ニ御一新被成下度) | (1)惣代 上呂郷上呂村 勝七 外6人 |
(1)竹沢寛三郎様 御用人衆中 |
1綴 | 近世補A-18 |
(慶応4年1月) | 乍恐以口上書奉申上候(安石代天朝直支配歎願口上書)【『飛史料維新前後之一』P402掲載】 | 飛国 三郷惣代 |
竹沢寛三郎 御用人中 |
1通 | 近世補A-19 |
慶応4年2月19日 | 乍恐以書付奉歎願候御事(天朝直支配歎願書控)【虫損あり・『萩原町史夜明け』P171掲載】 | 益田郡惣代 西上田村名主 源右衛門 外7人 |
弁事御役所 | 1冊 | 近世補A-20 |
慶応4年2月 | 乍恐奉願上候事(朝廷御領ニ被召上直支配ニ被仰付、石代定直段山方稼・家作木・夫食・普請等諸事願上) | 国中村々 | 1冊 | 近世補A-21 | |
慶応4年2月 | 乍恐以書付奉再願候御事(御直支配歎願書控) 【『萩原町史夜明け』P179掲載】 |
益田郡惣代 西上田村名主 源右衛門 外8人 |
弁事御役所 | 1通 | 近世補A-22 |
慶応4年7月 | 慶応四年辰七月 御一新中宿人馬勤方小前取調帳 | 中呂村 名主 四郎兵衛 |
1冊 | 近世補A-23 | |
(慶応4年) | (鎮撫使御泊諸入用覚 中呂村ニて竹沢様御泊リ人足控) | 1冊 | 近世補A-24 | ||
(1)年未詳3月5日 (2)辰3月5日 (明治1年) |
(1)(金子差越ニ付願書 此元御勝手不廻之段御案被下、金子差越被下候)【『萩原町史夜明け』P239掲載】(2)覚(金四拾四両、新発明カラ打・雷形ヒストール弐挺外) | (1)森俊一郎 外2人 (2)若松屋 仁兵衛 |
(1)大前久左衛門 (2)河村(勤一郎) |
1綴 | 近世補A-25 |
酉12月10日 | 覚(申十二月かし金拾五両利壱両弐分、此分慥ニ受取、元金当十二月よりかし) | 中西 (飛州下呂中西酒屋) |
中呂村 四郎兵衛 御村方 |
1通 | 近世補A-26 |
戌7月 | (1)戌七月改借用金覚(祠堂金三拾両、利百四拾四匁外〆金弐百拾五匁) (2)貸金利足取揚覚(東上田村方金壱両拾弐匁外〆金拾弐両三分弐朱余) |
1通 | 近世補A-27 | ||
梅村騒動関係 | |||||
慶応4年2月2日 | 慶応四辰年二月二日 鎮撫使御泊御警衛従隊方諸入費控帳(覚)【『萩原町史夜明け』P135掲載】 | 中呂村 四郎兵衛 |
1冊 | 近世補A-28 | |
慶応4年2月2日〜3 | 慶応四辰年二月二日より三日迄 鎮撫使御旅宿人足取調帳(覚)【『萩原町史夜明け』P135掲載】 | 中呂村 四郎兵衛 |
1冊 | 近世補A-29 | |
慶応4年2月 | 乍───奉再願候(青山之当分御預リ之趣被仰渡候処、国中一円遺恨之廉も有之、百姓承伏不仕)【近世補A30〜31が入れてあった封筒あり・『萩原町史夜明け』P162に関連文書掲載】 | 萩原宿組頭 七蔵 外12人 |
御惣督岩倉様 御用人 宇田栗園 |
1通 | 近世補A-30 |
慶応4年2月 | 乍恐以書奉歎願上候 (御直百姓相成候様御取直之程伏テ歎願候) 【『萩原町史夜明け』P160関連文書掲載】 |
〆拾三人 | 竹沢寛三郎様 御役人衆中 外1人 |
1通 | 近世補A-31 |
慶応4年7月 | 慶応四辰年七月 御一新中入用郡中割村方郷中小前割合帳(覚) | 中呂村 名主 四郎兵衛 |
1冊 | 近世補A-32 | |
慶応4年8月24日 | 慶応四辰年八月廿四日 御一新宿方村万雑 払方〆出帳(御一新掛リ払方) |
中呂村 名主 四郎兵衛 |
1冊 | 近世補A-33 | |
辰8月 | (高山県知事梅村速水殿国内各寺院へ諭達書) | (高山県知事 梅村速水) |
1通 | 近世補A-34 | |
(1)年月日未詳 (2)巳3月5日 (3)巳3月9日 (明治2年) |
御通達申上候御先触之写((1)覚 岳駕籠二挺、人足八人外御用(2)明六日官許発足中仙道通行高山県迄相越ニ付人足無滞継足可致事(3)国乱御調被遊候はんと奉察候ニ付御返達申上候) | (1)伊東全太郎外 (2)大村宇之吉外 (3)萩原宿問屋居合 名主 孫七 |
(2)大津宿より飛州高山県迄宿々問屋中 (3)中呂村外3村 |
1通 | 近世補A-35 |
(1)巳3月11日 (2)年未詳3月11日 (明治2年) |
(1)(梅村騒動監察方入国心得通達) (2)梅村氏追手衆中濃州田瀬村出張方之元より為知越候急状之写 |
(1)京都出張帰郷之内下原問屋ニて大沼村久左衛門外 (2)濃州田瀬村出張之者 | (1)宿々役人衆中 (2)高山郡中衆中 |
1綴 | 近世補A-36 |
年月日未詳 | (梅村騒動放火打ちこわし等あらまし) | 1通 | 近世補A-37 止 |
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B 私文書 | |||||
文化8年 | (文化八年未春 七代目市川団十郎助六の初役贔屓連中より戯歌摺物の抜書) | 1冊 | 近世補B-1 | ||
文政8年1月 | 文政八乙酉正月 拙稿(漢詩) | 1冊 | 近世補B-2 | ||
文政13年12月 | 御田地質入金子預リ証文之事(金百両、此質物ニ上中下下々田畑合壱町六反五畝拾九歩、金子預リ申処実正ニ御座候)【虫損あり】 | 御田地質入金子預リ主 中呂村 久左衛門 外3人 |
少ヶ野村 武右衛門 |
1通 | 近世補B-3 |
甲午. (天保5年) |
天保有歳甲午 諸詩留 甲(漢詩) | 大牧湲 (大前重秀) |
1冊 | 近世補B-4 | |
天保7年 | 天保七甲改書 田畑坪数算覚(たとへば縄打方) | 1通 | 近世補B-5 | ||
(天保8年2月) | 久左衛門覚書(草高三拾八石九斗八升三勺、此取米四拾六俵四升四合四勺外) | 久左衛門 | 1通 | 近世補B-6 | |
天保9年3月5日 | (死亡届 幸助歳行四十四才善光寺参詣、天保八酉十二月八日出立、天保九年戌二月八日信州宮トコト申候所ニ病死致し候) | 1通 | 近世補B-7 | ||
天保13年 | 天保第八丁酉年吉日同十三寅年吉日写替 大福融通帳 |
飛州中呂 大前重秀 |
1冊 | 近世補B-8 | |
(弘化2年)5月24日 | (手紙 岐阜名産王宝剣御恵投御礼 此節江戸寄場十五ヶ所之処九ヶ所ニ限、軍国講談心学講釈神道講釈昔噺之四業のみニ相決外) 【封筒あり】 |
江湯 沢山中 法忠 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-9 |
丁未2月21日 (弘化4年) |
(手紙 御取替金御返金被成下度)【包紙あり】 | 江府麟祥院 歓嶺 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-10 |
弘化4年7月〜 嘉永3年 |
詠草(弘化四年といへるとしの七月晦の日より嘉永三年といへるとしの春まての詠草 八十九首) | 大前重秀 | 1冊 | 近世補B-11 | |
嘉永1年8月 | 愚詠(荏野尊大人追悼) | 大前重秀 外2人 |
1冊 | 近世補B-12 | |
(嘉永3年5月24日) | 詠草(庚戌年九月廿九日別会 鈴屋翁五十年追慕寄道祝) | 美真 (大前重秀) |
1冊 | 近世補B-13 | |
嘉永4年6月 | 亥のとし五月 愚詠(嘉永四年六月返ル、三十八首ノウチ十二首スタリ二十六首ヨロシ、コノウチ九首ナヲリ七首ソノマヽ) | 大前重秀 | 1冊 | 近世補B-14 | |
嘉永4年 | 嘉永四龍舎辛亥孟正日 拙稿(漢詩) | 浩斎 (大前重秀) |
1冊 | 近世補B-15 | |
嘉永5年8月 | 差入申一札之事(桑起し畑壱ヶ所、桑老木枯果候ニ付切起し桑植付進退仕度) | 桑畑起し願主 中呂村甚右衛門 外2人 |
中呂村地主 久左衛門 | 1通 | 近世補B-16 |
嘉永7年8月 | 譲渡申御田地之事(上畑四畝弐拾歩、代金六両請取其御元え永代相譲申候) 【包紙あり】 |
大舟渡村兼帯名主 下原町村 加藤弥右衛門外2人 |
下原町村 市十郎 |
1通 | 近世補B-17 |
安政4年6月5日 | 差上申口上書(私儀一昨年家出いたし大前氏ニて御世話ニ預リ、帰郷仕可相叶義帰役相勤候様御相談可被成下段、御深情御申被下、是迄心得違之段急度転心仕)【包紙あり・近世補B-18〜44が入れてあった紙袋あり】 | 高山弐之町 川上岡太郎 |
大前久左衛門 外2人 |
1通 | 近世補B-18 |
安政6年5月13日 | (手紙 大野筋ニ付キ拝顔之上是非御勘考ニ相成申度一儀及出来候間、御書状着次第高山表え御出張之程御頼申上候)【封筒あり】 | 屋貝文次右衛門 外1人 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-19 |
安政6年8月 | 安政六未五月より 出願一条雑用控(覚 五月廿二日百三十弐文、ヒル遣酒代共〆、同日弐百十六文萩原酒代外) | 松本 | 1冊 | 近世補B-20 | |
巳2月15日 | 覚(金弐両、宿入用金之内、其御村方分金弐両、慥ニ入手仕候) | 萩原宿 名主 孫七 |
中呂村 名主 四郎兵衛 |
1通 | 近世補B-21 |
午1月8日 | 覚(金弐両、御初穂之儀慥ニ受取神納可申候) | 桧垣神主内 西野平左衛門 |
中呂村中 | 1通 | 近世補B-22 |
未7月4日 | 覚(十九匁外〆三拾弐匁余代銀入申候) | 京松源通寺町西え入 大丸屋 清四郎 |
上 | 1通 | 近世補B-23 |
年未詳2月17日 | 覚(三匁御酒外、〆拾匁ト金壱歩弐朱、金弐歩壱朱受取) | 中武 | 上 | 1通 | 近世補B-24 |
年未詳5月21日 | (手紙 当国休山場所ニ付申上候、高山宮川筋・小島筋金山八ヶ所、吉城郡森部村金山壱ヶ所、同蔵柱村金山壱ヶ所、飛州銅鉛山数ヶ所ニ有之)【封筒あり】 | 中嶋清左衛門 | 久左衛門 (大前久左衛門) |
1通 | 近世補B-25 |
年未詳6月13日 | 覚(六月四日朝弐百五十文、御弐人様御仕度料外〆五千八百六十四文、右慥ニ請取候) | 彩右衛門 | 1通 | 近世補B-26 | |
年未詳6月19日 | 覚(丗分四厘三百十六文、〆高外慥ニ受取候) | 登加久 | (御旦那) | 1通 | 近世補B-27 |
年未詳6月20日 | 覚(六月十四日朝、四百五十八文、御壱人様御宿料昼御用外、〆三貫九百十八文、右之通請取候) | 多々新 | 御客 | 1通 | 近世補B-28 |
年未詳7月4日 | 入覚(金弐両壱歩、職人前賃金請取申候) | 松本嘉兵衛 | 大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-29 |
年未詳7月13日 | (手紙 道中入用銀・ヒル遣と印、貴所様と下拙別々ニ書印申候得共、右は内端算用有之ニ付斯印候得は、本帳面ニは両人分〆弐百四十八文昼遣とか、一筆ニ御印可被下候様奉願上候) | 松本嘉兵衛 | 大前 | 1通 | 近世補B-30 |
年未詳7月14日 | (手紙 川岡一件逸々承リ申候、何共困却之人物ニ御座候) | □□□ | 大久 (大前久左衛門) |
1通 | 近世補B-31 |
年未詳7月17日 | 覚(百三拾九匁ト七百五拾文、此方へ金弐匁弐分請取、返銭三百三拾八文、生坂屋宇兵衛殿方より慥ニ請取相済申) | 中呂村 文次 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-32 |
年未詳7月18日 | (手紙 川上家旦那一件承知仕候、然処当時下拙甚多忙ニ付、后便ニ細々申上候間、此度御答のみ申上候) | 生坂屋 卯二平 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-33 |
年未詳7月19日 | (手紙 うの一周忌ニ付、御寺様ニて御セかき御勤メ被為遊、御丁寧ニ御しらセ被成下忝奉存候、此節差支え出来仕候間、約定出不申候、麁茶一袋并青鯛廿疋遣申候間、御備へ可被下候) | 佐古庄次郎 | 大久左衛門 (大前久左衛門) |
1通 | 近世補B-34 |
年未詳10月5日 | (手紙 名月金預主も□□□ニ決定仕候て当月廿日迄ニ佐々木当地え可罷出段約定仕候、此段御貴宅え立寄可申上筈之処先つ高山え職人登セ吹方見分之上御尊宅え可罷出候)【包紙あり】 | 松本嘉兵衛 | 大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-35 |
年未詳11月22日 | 口上(勧農方より申談事被成候は、其御村々囲籾為替米割渡し慥之処は難斗候共、凡当リにて米六俵ツゝ御当村へ相渡し候様被申遣候) | 下呂問屋 徳左衛門 |
中呂村 名主 四郎兵衛 外1人 |
1通 | 近世補B-36 |
年月日未詳 | (手紙 当春兼て申被越之大切之天国、先五月川上様被仰候趣相守居候処、段々御延引被遊甚恐入候、今日は月切ニ相成候故、天国一條并ニ御取替置候金子不残六月済ニ勘定仰付被成候) | 花池村 二村栄二 |
大前久左衛門 | 1通 | 近世補B-37 |
年月日未詳 | 覚(漉銅弐拾五万斤入質、此借用金壱万両外質物なくハ御田地家屋敷等金高当リ書入候事) | 借用人銅方吹所稼人 益田郡一之宿村 中嶋清左衛門外 |
1通 | 近世補B-38 | |
年月日未詳 | 覚(安政五午十二月両度〆、金百両中嶋清左衛門殿より借用、口入屋貝氏未三月限返済之定、此質物東上田村治郎右衛門流一式) | 1通 | 近世補B-39 | ||
年月日未詳 | 覚(五月廿二日弐百十六文 萩原酒代、廿三日三百六拾四文 竹原泊、弐人分酒代外) | 1冊 | 近世補B-40 | ||
年月日未詳 | 覚(壱貫六百六十文 酒肴いろいろ・当百六枚・三百文たちん、此内金弐朱受取申上候) | 1通 | 近世補B-41 | ||
年月日未詳 | 住吉安立町大和橋南行堀(絵図) 【24.6×33.3】 |
1枚 | 近世補B-42 | ||
年月日未詳 | 花池村百姓勘助弟彦七(実勘介伯母の子、高山吉城や惣衛ノ落胤也、勘介の従弟ナリ) | 1通 | 近世補B-43 | ||
(1)(2)年月日未詳 | (1)覚(金拾万両御種金、無利足拾ヶ年拝借) (2)覚(金拾万両御種金、内壱万両御世話料引残て九万両、月七朱之利、此壱ヶ年利金七千五百六拾両也) |
1通 | 近世補B-44 | ||
安政4年6月 | 借用申金子証文之事(金五両、尾州様御払山之諸入用并ニ此方廿五ヶ村御買上ケ願立等ニ付、手元差支借用仕様) | 伊勢屋 源助 | 大前久左衛門 外1人 |
1通 | 近世補B-45 |
安政5年8月 | 質物御田地流証文之事(田畑合壱反六畝廿七歩、前書之御田地永流ニ相渡申候) | 御田地流主 中呂村 文七外5人 | 中呂村 栄次郎 |
1通 | 近世補B-46 |
安政5年11月4日 | 覚(金五両、書面之金子借用申所実正ニ御座候) | 借用主 中呂村 久左衛門 |
少ヶ野 中川武助 |
1通 | 近世補B-47 |
安政7年 | 安政七申としの春 くわのや詠草(和歌47首) | 1冊 | 近世補B-48 | ||
慶応4年1月〜3 | 明治紀元戊辰春 御一新郡中直願ニ因リ上京 日記及黄白出納雑事秘記 牧渓随稿 【『萩原町史夜明け』P166外掲載】 |
1冊 | 近世補B-49 | ||
甲子12月23日 | (手紙 中嶋御氏より借用金子段々延引ニ相成、済方可仕様追々催促被下、下拙方ニも無據喰合有之候ニ付彼是と御断延引罷在候) | 久左衛門 外1人 | 文次右衛門 | 1通 | 近世補B-50 |
申10月2日 | 覚(未十二月取替金六拾両、利五両、当申九月迄外、元利〆八拾両三分、内金三拾両請取、返リ三両当申九月迄差引五拾両、此分員数慥ニ請取相済候) | 中西 武右衛門 | 大前邦之助 | 1通 | 近世補B-51 |
酉7月13日 | 覚(銀壱朱五匁外〆金七拾六両弐朱、慥ニ預リ申候) | 今勝 | 大久 (大前久郎) |
1通 | 近世補B-52 |
年月日未詳 | 当月留(田地見分弁証文等之事外) | 1綴 | 近世補B-53 | ||
年月日未詳 | (中呂村分 米弐俵此金五両弐分、銀廿七匁四分、〆金五両三余、百拾九人) | 中呂村 | 1通 | 近世補B-54 | |
年月日未詳 | 勒勤(長州勢京都狼籍一旦ハ退散仕候得共難捨置、引続彼地征伐いたし彼領国を分ケ取銘々子孫の栄花に残し英名を天下ニ轟す時節到来、最早防長の二州掌握ニ相決) | 1通 | 近世補B-55 | ||
(1)(2)年月日未詳 | (1)今はやるどうけ狂歌 (2)今流行吉原ことば 【『萩原町史夜明け』P44掲載】 |
(大前久左衛門) | 1綴 | 近世補B-56 | |
年月日未詳 | 太平目出度 ちよほくれぶし(そもそもこんどの伏見のそうどうは) 【『萩原町史夜明け』P103掲載】 |
1枚 | 近世補B-57 | ||
年月日未詳 | 送帰太久先生郷(漢詩) 【『萩原町史夜明け』P82掲載】 |
曹滴(江戸麟祥院の曹滴首座) | (大前久左衛門) | 1通 | 近世補B-58 |
(1)(2)年月日未詳 | (1)送別(和歌三首) (2)かへし(和歌一首) |
(1)重秀(大前久左衛門) 外2人 (2)久孝 |
1通 | 近世補B-59 | |
年月日未詳 | 無尽蔵 全(漢詩) | 大前重秀 | 1冊 | 近世補B-60 | |
年月日未詳 | 拙稿(漢詩) 【漢詩が1枚挟んであり】 |
1冊 | 近世補B-61 | ||
年月日未詳 | 拙稿(漢詩) | 1冊 | 近世補B-62 | ||
年月日未詳 | 拙稿(漢詩) | 1冊 | 近世補B-63 | ||
年月日未詳 | 閑々余志(漢詩) | 1冊 | 近世補B-64 止 |